第10話 小さな人 〜国家内乱編〜
朝方は晴れていたのに、いつの間にか、太陽が雲隠れし、空から雫が落ちてくる。
「あら…にわか雨かしら。」
だが、洗濯物などは外になく、これと言って何かをしなければならない訳ではない。ただ、息を殺すように部屋の電気も付けないまま、過ごす。それだけの生活だ。 だが、雲が運んできたのは、雨だけでは無かった。
突然、チャイムの音が聞こえ、いつも通りに留守を装う。しかし、今回ばかりは違った。
数度のノックの後、小さな声が家中に響く。
「…私よ。」
刹那。全身を緊張させる。音も立てないようにゆっくりと後退りをするが、訪問者はノックを続ける。
裏口に回ろうとも考えだが、ここに来た時点で、もう逃げは悪手だ。ならばこそ…いつも通りに振る舞う。
「あらあら…ごめんなさいね。今出まーす。」
そんな声と共に、電気を付ける。そして、ゆっくりと扉を開き、準備した反応をなぞる。
「こんにちは。どちら様…嘘。あなたまさか…リツ…なの?」
目に涙を溜め、口元を隠す。リツは、それを空虚な瞳で見つめると、濡れた頭巾を外す。
「うん。私よ。」
「雨の中待たせてしまってごめんなさい。さっきまでうたた寝をしてて…って私ったら恥ずかしい。でも…本当に大きくなったわね。あなた達のカウンセラーだったけど、私にとっては家族みたいに大事な子供よ。」
様々な話をするが、リツは短く「そう」返すのみ。静かに、家の中を見定めるようにゆっくりと歩き回る。
「ここに来たのは資料の為?それとも私を殺すためかしら。どちらでも責めないわ。私はあなた達を助けてあげることも出来ない頼りない大人だったものね。きっと、あの子も恨んでるわね。」
顔を抑え、鼻声で話す。リツは黙って、こちらに近づき、リツの影がすぐ近くまで来る。顔を上げた瞬間、息が止まるような表情でこちらを凝視するリツの姿があった。
「…私が何も知らないとでも思ってるの?ふん…滑稽ね。元施設長のナツメさん。」
「な、何を言ってるの?施設長だなんて、私はただのカウンセラーで…そうだ!きっと騙されているのね。」
「聞くに耐えないわね。あなたのお仲間さんのみんなが話してくれたわよ。ただ…そうね、確かに騙されているのかも。じゃあ、これはどう言い逃れするの?」
リツが投げた2つの顔写真付きのカードが足元に転がる。
それは、『カウンセラー担当 ナツメ』と『開発部施設長 ナツメ』と書かれた2つの証明書だった。
「はは…」
腰を抜かし、這って逃げようとするナツメの両手両足を地面から生えた黒槍が貫く。さらにそれらは鎖で繋がり、顔を固定するように首輪が作成される。
「違うの、お願いよ聞いて。わ、私は!」
リツはナツメをそのまま放置すると、引き出しから資料を取り出し、目を通していく。やがて一つの手帳を発見する。
「…っ。」
その1ページ1ページを忘れないように、必死で読み進める。
「…ほんと馬鹿ね。でも、無理よ。あなたはお人好し過ぎて、悪い人にはなれない。だから、あなたの次の世界は私が守るわ。」
「そ、そうよ。こんな事しても何にもならないわ。だから落ち着いて話をしましょう。ね?」
「悪い人、良い人って何かしらね。人殺しは悪い人。これは単純で分かりやすい。けど、国のための行いが良い行為なら、あなたは良い人なのかしら。なら、そのせいで不幸になったアサは?」
「あなたが言いたいことも分かるわ。けど、あさちゃんもこんな事望んでなー」
そこでリツは妖精具を引き抜き、ナツメの眼前に振り下ろす。
「し、知ってるわよ。人を殺さないんでしょ。ひっそり暮らしてる私でもね、それぐらいの情報は知ってる。襲撃された人達は誰も死んでない。アサちゃんの事でトラウマになったのかしら?」
壊れたように、歪な笑顔を浮かべるナツメにリツは思わず笑い出す。
「ぷ…あはははっ!殺さなくなった?違うわよ。散々殺した私が今更…何を躊躇すると思ってるの?…そんな訳ないでしょ。」
「じゃ、じゃあどうして?」
「あんたらクズには生きて私と一緒に次に生まれてくる、あの子達の為に良い世界を作る義務がある。…けど、罰は受けてもらうわ。あなたの首から下は必要ないわ」
「ど、どう言う意味!ちょっと!」
リツはゆっくりと首根っこを掴むと、体内にある脊髄のみを正確に破壊した。
「ハッ…ガァァァァァァ!」
ばたりと力なく倒れたナツメを他所にリツは静かに立ち上がる。
「まさか、私と同じ人間の特殊個体が居たなんてね。もう一つ仕事が増えたじゃない。」
外に出ると、いつの間にか雨は止み、太陽の光が雲の隙間から差し込んできていた。
リツはその光を掴むように空に向かって手を伸ばした。
「さぁ…私の一人ぼっちの革命の始まりよ。」
「ふぅ…ふぅ…。準備はいいか?最強。」
荒い呼吸に震える足。どう見たって限界だ。戦う前から勝敗は分かっている。
「何を考えてるか知らないけど、私口先だけの人って嫌いなのよ。ぶつぶつ言ってないでさっさと来なさいな。」
いつでも飛び出せるように、前傾姿勢になっているシュウと、腕や足を伸ばし、準備運動をしているリツ。
一見隙だらけなはずなのに、一歩踏み出すと途端に蛇に睨まれたように緊張が走る。
汗が頬を伝い、床に落ちる。シュウは大きく息を吸い込むと、覚悟を決めたように歯を食いしばり、リツに一気に接近する。
「んぐっ!?」
素早く詰めた直後、視界がぐるりと動き、天井を見上げる。接近してくるシュウの額をリツが裏拳で弾き飛ばしたのだ。
「グガァァァァァァ!!」
獣のような雄叫びと共に体を力で引き戻す。
刹那、視界に黒い影が浮かび上がり、両手で顔をガードするが、左脇腹に痛みが走る。
「突っ込むだけしか脳のない獣かと思ったら、反応できてるじゃないの!けど、それだけで勝てる程甘くないわよ!」
シュウは激しく、飛ばされながらも受け身を取り、素早く起き上がる。
「まだまだァ!」
「当たり前よ!こんなもので私の鬱憤が晴れるとでも思ってるの!」
近づこうとする、シュウにリツは素早く、攻撃を繰り出す。それも一度や二度ではなく、何度も。
ー分かっている。自分の身を守りながら彼女を相手にするには明らかに技量が足りない。それは、最初の一撃で分かった。だから、防御を最低限に、僅かに重心をずらし、急所への直接的な攻撃を避けるのみに留める。後は体を、手を前に。
「サンドバッグがお好みかしらッ!」
鳩尾を狙った右ストレートの重い一撃を逸らし、右胸で受ける。だが、その衝撃が内部で膨張するように破裂し、体が動きを止める。
伸ばした手が反射的にリツの右手首を掴むも、それまでだった。
「これで…終わりよ!」
リツは左手を引き、溜めを作る。しっかりと腰を落とし、体重の乗った容赦ない一撃をシュウの顔に打ち込んだ。
「…ァ…ァ……」
シュウの体はぐらりと揺れると、その場で膝をつく。
「…終わりましたね。」
「いや、待て。」
妖精具を構えるクロエをカブトは手で制止する。その視線の先にいるシュウの手はまだリツの右手を掴んだままだった。
「は、はは。結構…効いたぜ。けど、あんたと俺もしかしたら、そんなに差がないのか?なぁ、最強さん?」
上体を後ろに倒しながら、体のバネを使ってリツに頭突きをすると、リツは数歩よろめきながら下がる。その額も額からは赤い血が流れていた。
「ここ…からだぞ。」
「ここから?…調子に…っ乗んなぁ!」
リツの左足での蹴り飛ばすもシュウはそれを受けながら、後ろに飛ぶどころか、その場で踏みとどまり、さらに前へと足を進める。
「…んグッ…ガァァァァァァ!」
「忘れてたわ。あんたのそのしつこさを。上等よ!」
目まぐるしい乱撃を受けながらシュウの心はどこか別の場所にあるような感覚だった。俯瞰的に自分を眺めながら首を傾げる。
ーあれ?今何で立ってるんだっけ。このままだったら絶対先に死ぬ。ならどうして?…あっそうだ。この人に勝たないといけないんだ。でも何でそんな事を。
『お願い…誰か…』
(そうだ、お願いされて。でも誰に。そもそもそれを叶える必要が…。)
『…必要なんです。』
(…必要って?何が?)
『彼女にはお節介なヒーローが絶対に絶対に必要だ』
(…)
眩い光に祈りを捧げる女性がいた。顔は見えない。だけど、同じ言葉を何度も唱えている。
『あなたの未来が幸せで溢れますように』
(そうだった。助けを求められたら、一番に駆けつけるのが俺がなりたいヒーロー像だ。)
笑顔で踏み出すシュウの景色は変わり、見覚えのない建物の中にいた。
「ねぇ…あんた誰よ?」
背後から10歳程のショートヘアの子供に声をかけられる。うっすらと黄色味が残った白金のよう髪色をした女の子だった。
「俺は…正義のヒーローだ。」
少し考えて発した言葉に少女は身震いする。
「うわー痛い人ね。気持ち悪すぎ…おえー」
苦々しく顔を歪めながら、舌を見せる少女は、踵を返して窓から下を眺める。
「あれは…何をしてるの?」
シュウの問いに少女は素っ気なく答える。
「別に…ただの公開処刑よ。妖精具を使っててすぐに分かったわ。誰も私に勝てないって。」
「ふーん。俺はそっち側になった事ないから、よく分かんないや。」
「でしょうね。」
そのまま風景は変わり、暗い一室の前に立っていた。中には、小さな少女が丸くなり、寒さに抗っていた。
「ここは部屋?」
「そうよ。見れば分かるでしょ。」
「それもそうだね。」
生返事をするシュウに少女は軽蔑の瞳を向ける。
「自称ヒーローが聞いて呆れるわね。ごっこ遊びがしたいなら他所でやって。助ける気なんて初めからないくせに。」
「うん、ずっと考えてたんだ。どうやって助けようか。でも無理だ。俺、柵とか物に触らないし…。いや、そうか。やっと分かった。助ける方法。…えい。」
シュウは隣に立っている少女の手を握る。
「…殺されたいの?」
「だって…寒かったんだろ?俺人よりも体温が無駄に高いんだけど、良かったよ。やっと少しは役に立った。」
「はぁ。呆れた。ヒーローだなんだの言って、ただのロリコンじゃない。」
チクチクと文句を言う彼女だったが、小さな手は、シュウの手を振り払うどころか、か弱い力で握り返してきた。
「よし。次も行こうか。」
「次なんてないわよ。ずっとこの繰り返しよ。何度も何度も何度も何度も。ずっと終わらなかったわ。」
そして、彼女の言葉通り、幾度も見た。毎日毎日毎日。その度に悲しみ、傷ついて、けど誰にもそれを話さない。
「あれは…何をしてるの?」
「…」
部屋で必死になって顔を抑える少女。少女は時折、嗚咽を漏らしながら、必死に何かを飲み込んでいた。
「どうでもいい…って今更見栄を張ってもしょうがないわね。吐くのを我慢してるの。」
「なんで?」
彼女の握る手がピクリと反応した後、力が強くなった。
「だって…吐き出してしまったら、何もかもなくなってしまうみたいで、逃げたくなかったのよ。全部、私のものだから。」
(そっか。そうだったんだ。彼女にとって彼らとの繋がりは傷でしかない。だから、傷ですら大切にしていたんだ。どれ程心がボロボロになってもそれでもと前に進んでいたんだ。)
「優しいね。」
「どうかしら。ただの自己満かもね。だって、あの子を助けようって勘違いして、国に革命を起こすぐらいだもの。酷い悪人よ。」
「ううん。凄いと思うよ。」
「ほんと何でこうなっちゃったのかしらね。けど良い思い出になったわ。まだこうして話していたいけど、どんな物事にも終わりは来る。」
「…」
目を細め、自虐的に笑う彼女をシュウは見つめる事しかできなかった。だってその続きを予測できてしまったから。
「…私を殺して。もう満足よ。十分楽しめた。名残りがある方が、終わり方としては綺麗なものだし。」
「…」
「それが私からのお願い。それにヒーローなんでしょ。悪を倒すのが仕事なんだから一石二鳥じゃない。良かったわね。」
何でもない事のように笑う。わざわざこちらにとって都合の良い言い訳まで用意して。だが、確認しなければならない。いや、尋ねずにはいられなかった。
「願いを叶えて欲しい。 それで良いの?」
シュウのその言葉を聞いて、彼女は満足したのか、いつの間にかその姿は数年後のリツと同じ背丈になっていた。
「えぇ。ありがとう。」
「分かった。君の願いを叶えるよ。」
リツは満足気に微笑むと、掴んでいた手を離し、楽しそうに歩き出す。
世界もリツに合わせるように、空に無数の星が輝いていた。
「喜びを分かち合って♪時は流れる♪寂しい時は♪思い出せば良い♪今日も星を♪探しに行こう♪今でも歌を♪思い出している♪」
「リツさん…」
「なに?」
「もしかしてリツさんが作っーゴフッ!?」
言い終わる前に蹴りをお見舞いされ、膝をつく。見上げると、リツは楽しそうにこちらにピースを向けてきた。
「あなたの未来が幸せで溢れますように。と言うわけでーはい、おしまい!後は任せたわ。…じゃあね。」
その瞳から光り輝く雫がこぼれ落ちる。
「うん。ありがとう。」
シュウとリツが互いに握手を交わし、世界は再び白い光に包まれて行った。
目の前の男はもう、白目を向き意識はない。なのにその足は止まらない。
「どんなにしつこくても急所は同じでしょ!」
リツは喉仏目掛けて拳を構える。しかし、その瞬間、彼の意識が戻るように、黒目が正確にこちらを捉えた。全身に悪寒が走るが構わず、全体重を込めて放つ。
『…リツ!』
呼ばれた。幻聴ではなく明確に。聞けるはずのない声で。その名前を。混乱が訪れるが、眼球があるものを捉え、その可能性に行き着く。
「あんた…その妖精具、もしかして…アー」
「…ッ…ハァァァァ!」
ここしかなかった。初めから使える技と呼べるものは一つだけ。だからここまで無謀な作戦に出た。相手に技という連想をさせなずに耐えた。
シュウは素早く、放たれた拳の手首を掴み、自分に引き寄せると同時、懐に潜り込む。そして、唯一の勝利のイメージを掴まえ、握る手を強く締める。
「俺にはこれしかねぇんだよ!」
ニールに幾度となく喰らった投げ技。彼女の重心がずれ、シュウの背中に乗った瞬間、世界はひっくり返る。
訳もわからず、気づけば目の前に拳が構えられていた。互いに肩で息をしながら今の状況を理解する。
「はぁはぁ。…俺の勝ちです。」
「見れば分かるわよ。悪趣味な人ね。」
互いにそのまま見つめ合い、リツは降参とでも言うように体の力を抜いた。
「気が済んだなら、早く殺して。ーあっ!ちょっと!」
リツの言葉の途中で一点を見つめていたシュウの眼球が揺れ始め、それに伴い体がぐらりと傾く。
それもそうだ。本来なら動ける筈がない体に鞭を打ち、ここまで這い上がって来たのだ。目的を果たした事で必死に体を動かしてきた精神が今の状態を保てなくなったのだ。
「ーいいえ、まだよ。あなたの仕事はまだ終わってないでしょ、シュウ。」
倒れそうな体を支えるように、キョウカが横からシュウを受け止める。
「あぁ。悪いなキョウカ。助かったわ。」
青白く死人のような顔色をしたシュウに肩を貸しながら、目当ての人物の所まで連れて歩く。
「か、カブトさん。俺が捕まえました。」
「あぁ、見ていた。」
カブトのその言葉を聞き、シュウは勝ちを確信するように口角を引き上げた。
「捕まえた者に権利が与えられる。あなたが俺に教えてくれた事です。彼女の権限は俺にあります。何か問題はありますか?」
勝ちを確信するシュウにカブトは冷たい微笑で返す。
「ほぉ?捕まえたものに権利がある。確かに俺が説明した事だ。確認だが、軍に入るという事でいいのか?」
「ーえ?」
悔しがる姿や「好きにしろ」と言い捨てるカブトを想像していたが、返答は斜め上からのものだった。
「そ、そんな事言って…いやでも、民間人が捕まえて権限とかって言いだしたら変だし、それもそうなのか?」
ぶつぶつと必死で考えるシュウだが、ダメージのせいで考えれば考える程吐き気が込み上げてきた。だが、そこで、インカムから救世主の声が聞こえた。
『おい。騙されるな。その性悪は軍でなければいけないとは言ってないぞ。囚人の管理責任者は誰だと思ってるんだ。なぁ助手。』
「ーはっ!そうか、シキさんが責任者だ。じゃあ、助手である俺もいい気がしてきた。」
「ーダメだったか。仕方ない。君の言う通り、権利は俺にない。したがって、俺から言う事は何も無い。」
その会話に背後から怒号が聞こえる。
「耳がイカれてるのかしら。殺してと言ってるの!捕まるぐらいならここで死ぬ!あんたのお節介な偽善に私を巻き込まないで!迷惑よ!」
そう彼女は殺してと願った。だが、確かに言ったのだ。『まだこうして話していたい』と。
あの夢のような世界はただの幻覚かもしれない。それでも、少しでも幸せになる道への可能性があるなら死に物狂いで掴みに行く。
それがあの時妖精獣に立ち向かった俺の憧れのヒーロー像だから。
「あんただって…何か成すことがあってここまで来たんじゃないのか!」
キョウカから離れ、朧げな足取りでリツに向き直る。
「何を言い出すかと思えば…。邪魔したあんたが…っ!それを否定したお前に言われる事じゃ無いわ!ふざけるのも大概にしなさい。!」
「ふざけてなんかない!今回は方法が間違ってた!だから止めた!1人で何でもかんでもしようとするな!そのやり方はな、たった一手で道が閉じちゃうんだよ。」
討伐隊に入りたくて、何でもかんでも取れる手段を取ろうと駆け回った時期がシュウにもあった。だから分かる。今の彼女の立場が。
「だからっ!それを潰したあんたに言われる筋合いないんで無いわ!私は負けたの!その後なんて私には無い!」
怒鳴る彼女にシュウも負けじと、歯を食いしばり、リツの胸ぐらを掴み、怒鳴り返す。
「いちいち自暴自棄になるなよ!たった一度や二度の敗北が何だ!あんたは何をする為にここまできたんだ!理想があったんじゃ無いのか!」
「それは…。わ、私は…」
「アサさんを助けたかったんだろ!友達だったんだろ!だから、彼女のような人がいなくなるように行動しようとしたんじゃないのか!あんたは悲しむ全ての人を助けようとー!」
「違う!!」
リツの怒号が広大な部屋の中にこだまする。
「あんたもアサも私に期待しすぎよ。理想なんて…ないのよ。私はただ、同じ特異体質の子が苦しんでるなら助けてあげたかった。それだけなの。大きな力を持っていても思いつくのはそんな事ばかりな…小さな人間。それが私よ。」
膝から崩れ、瞳に涙を浮ばせ、どんどん縮こまっていく。
「私はどうすればいいのか分からない。傷ついて欲しくない。不幸になって欲しくない。どんな攻撃だって私は耐えてみせる。でも、手を拒まれるのが怖い。大切な人を壊すのが怖い。知ってたわよ。私の夢物語は、叶わないって。」
俯きながら、どんどん殻にこもっていくリツの両肩に手を置き、彼女の瞳を見つめる。
「まだ、終わってないだろ。まだ何も終わってない。1人でダメなら2人で考えればいい。それでもダメならもっと沢山の人で。あんたの夢物語はまだ壊れてない。」
「さっきから何なのよ、あんた。知った風な口を聞かないでよ、偽善者の癖に。」
悪態をつく彼女がだが、そのどれにも先ほどまでの強さは感じなかった。
「俺も何でもない、ただの人だ。あんたと同じように夢を追いかけて失敗した。けど、ある人が橋渡しになってくれた。だから、今度は俺があんたとこの国の橋渡しになる。」
「意味分かんないわよ。出会ったばっかの癖に!…何で私にそこまでするの?」
何でか?正直自分でも分からない。あの夢のせいなのか。いや違う。ただ、あの光景が忘れられない。星空の下歌う彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。
「"また"歌が聴きたい。あの時の歌は…リツさんの歌は喜びに満ちたものだった。だから…俺も…」
そこで突然シュウの体はよろけ、リツにもたれかかるように倒れた。
「こんな途中で…倒れてんじゃわないわよ。全部、全部途中じゃない、馬鹿。」
倒れたシュウの頭を自分の膝の上に移し、その髪にそっと指先で触れる。
『あぁー。スピーカーにしたが聞こえているかな?聞こえたらこのまま耳に付けてくれないか?』
「付けたわよ。…で、あんたは?」
警戒なく、あっさりとインカムを耳に付けたリツにシキはスピーカーをオフにする。
『私はシキ。これでもそこで寝てる男の上司でね。私も彼が信じた君を信じよう。いいかい、よく聞きたまえ。ーーー。』
「は?…本気なの。」
信じられないとでも言うように、リツは立ち上がり、何も無い壁に向かって歩き出す。その様子を見ていた他の特使はその光景を見つめ、やがて顔色が変わっていく。
『…止めるな。これは私が勝手にする事だ。』
「正気か?そこまでするメリットがあるのか?」
『損得など誰にも分からん。結局選ぶのは自分自身だ。であるならば、私が信じたいものを私は信じる。そうやって私は道を切り開いてきたのだから。その産物の一つが君たちが手にしてるものだが、信じられないかな?』
何も無い壁の光学迷彩が破れ、大きな扉が現れる。シキは遠隔で操作し、指紋認証や幾度ものパスワードを入力していく。
そのどれもが面倒ではあるが、そうせねばならない理由が中にはある。
「ここが…」
暗い部屋の中に入り、幾つものパイプや様々な線が沢山の箱と繋がっている。
『そのまま直進だ。それが君の求めた答えだ』
シキの指示に従い、たどり着いたのは一際大きな箱の前だった。外装は硬く閉ざされ、中には光り輝く薄い水色のような液体で満たされていた。
「そう…。やっぱりそうだったのね。薄々気付いてはいたけど、良かったわ。」
箱の中で眠る彼女の顔を見て、リツは満足したようにその場を離れる。
『もういいのかな?』
「えぇ。あんな寝顔を見せられたら難癖の付けようがないじゃない。」
部屋から出ると、血だらけのニールがじっとこちらをいや、正確には奥を見つめていた。
「あんたも、あいつも早く病院にでも行きなさいな。もう、お仕事は終わりでしょ?」
リツはカブトの前に立つと、少しの間の後、意を決したように話し出した。
「何してるの?私を捕まえるんでしょ?早く護送して。」
「…理由を聞いても?」
「少しだけ信じてもいいかもって思ったのも嘘じゃ無いわ。けどね…私は途中で辞めるのって凄く嫌いなの。だから、そこで寝てる奴に伝えといて。まだ話は終わってないから、起きたらちゃんと来てって。」
リツの回答に、カブトは薄く笑うと、妖精具を鞘に戻し、踵を返す。
「どうやら彼にしてやられたようだな。」
「認めたく無いけどね。業腹だけど負けは負けよ。けど…これで良かったんでしょ?アサ。」
名残惜しそうにシュウを見つめた後、リツもカブトの後を追いかけた。
「えーじゃあ、定期面会をしたいと思います。」
「はぁ。本当に毎日来るのね?よっぽど暇なのかしら?」
「いや、そんな事ないですよ!って言うかリツさんも時間遅れたら拗ねるじゃないですか!」
「違いますぅ!拗ねてませんー。怠慢が嫌だっただけですぅ。勘違いしないで下さーい。」
「ぐぬぬ。」
いつも通りとでも言うようにお互いに軽口を叩きながら、彼女は強化ガラスに体を近づける。
「それで?今日はどんなお話を聞かせてくれるのかしら。退屈しのぎに聞いてあげるわ。」
「ふふん!今日は俺のヒーロー像についてです!」
「あほくさ。どうせ物語に憧れましたーとかそんなオチでしょ。」
「ち、違いますよ!いいですか?俺はー」
毎日16:00から17:00までの1時間がリツと話す貴重な時間だ。いつも話し過ぎて、顎や頬に疲労を感じながらモニタルームにいるシキの元に向かう。
「あ、シキさん。これ報告書です。」
シキはそれを一目見ると、ため息を溢しながら紙を叩く。
「…はぁ。何度も言っているが、これは報告書ではなく感想文だ。上層部には一週間に一度、適当に私が書いたものを提出しているからいいが…。そのせいでと言うのも何だが…上は君と彼女が会ってる事すら知らない現状だ 。」
「はい。すみません。リツさんもいつもと変わらず…。ほ、本当に俺でいいですかね。」
いつもの悪態には正直慣れたが、人の心は見えにくいもの。もし、本当に彼女が嫌がっているならそれを進んでやるのはどうしても気が引ける。だから、少し弱気になってしまう。
「それも前に言っただろ。…毎日来たまえ。今現在、彼女の生活の質を上げているのは間違いなく君だ。今日も、君に会う前に鏡の前で必死に前髪の調整をー」
『ちょっと!余計なこと言ってないでしょうね!』
聞こえる筈が無いにも関わらず、モニター越しにリツが講義するように怒鳴る。その顔をみて、シキは鼻で笑う。
「俺でいいのかだって?随分と罪作りな男じゃないか。」
シキに言われ、モニターに映るリツに目を向ける。確かに、鋭い目つきだが、その頬や口元は少し緩み、ほんのり赤くなっていった。
「君は立派にヒーローをやれているよ。」
揶揄うように笑うと、シキは仕事の邪魔とでも言うように手を振った。
今でもたまに考える。本当にこれでよかったのかと。だが、それも今の彼女を見ていれば少し救われたように思える。
「救って貰ったのは俺の方かもしれません。」
ボソリと呟いた後、シュウは部屋を出て行った。
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