第11話 事務所で

 日曜日の人狼配信は結局炎上することはなかった。たった一回きりの狂人プレイ、そういうことをしそうなキャラだと思われていたのか他の先輩方のコメント欄も別に荒れなかったらしい。むしろ音無先輩のコメント欄は拍手喝采だったとか。


 宇宙人狼で敵の時に初めて勝った記念だと、たとえヨイショされた結果でも推しが勝ったことを喜んでいたようだ。やっぱりVtuberのコメント欄は些か特殊だと思う。


 次の日の朝配信で狂人プレイをしてみたかったという趣旨の話をして一応の言い訳は終わり。それ以上宇宙人狼については語らなかった。朝の配信ではお決まりになり始めた音源作成配信をして、夜にはゲーム配信をするように予定を組んでいた。


 そして水曜日。この日は朝の配信をしなかった。事務所で用事があったので配信をした後だと間に合うかわからなかったのでこの日は休みにさせてもらった。夜は普通に配信するつもりだ。


 エクリプスの事務所は小岩にある。東東京な訳だけど、今俺は八王子に住んでいるのでちょっと遠いのだ。十時に来てくれと言われてしまっているのでそれより前に着くように九時半前には駅に着いた。駅から事務所は十分ちょっとなので余裕を持って事務所に入る。


「お疲れ様です」


「あ、絹田さん。おはようございます」


「おはようございます、五反田ごたんだマネージャー」


 一番近くの作業用じゃなくて話し合いをするための丸テーブルにいた人に挨拶をすると自分の担当マネージャーである五反田さんがいらっしゃった。二十代後半でちょっと小太りの人だ。別に不衛生とかじゃないから気にならない。ぽっちゃり系男子って奴だ。正直愛嬌がある方。


 他の男性ライバーのマネージャーもしているらしいけど、それが誰なのかまでは把握していない。


 今日はコウスケ先輩とゴートン先輩が持っている番組にゲストとして出る。収録かつ食べ物系の企画なのであまり気負わずに参加できる。食レポ的なものを求められるだろうけど、そこはリスナーの評価を待つしかない。


 その企画の打ち合わせと、今後やろうとしていることを五反田さんに相談して沙汰を待つ。やっていい企画とダメなことを確認して来月の動きを決める。企画書を提出なんてライバーになってから初めてだったけど、デビュー前から続けていたおかげで理由のあるボツ以外はどうにかなった。


 俳優なんてやってると企画書とかと全くの無縁だから、パソコンでカタカタと文章を書くことがまず慣れなかった。台本を作ることはあっても、書類を作ることなんてなかった。会社員でもないと企画書なんて作らないんじゃないだろうか。


 参考になる資料はもらっていたのでそれを基に作った。それで文句を言われていないんだから大丈夫なんだろう。


 企画書とこれからの番組についてはひとまず置いておく。気になるのは霜月さんのこと。


「あの、霜月さんのことって社内で共有されていますか?」


「日、月と連続で配信を休んだのは初めてですからね。昨日は短い時間とはいえ配信をしていたので、一応無事だというのは社内で共有されています。ただ今までの配信頻度とか、休んだ前の日がコラボだったこともあって今日に社長が直接確認するとのことです」


「社長が?それって事務所に呼ぶってことですか?」


「はい。無理をされても困りますから」


 面接を担当することもあってライバーをかなり大事にしているのがわかる社長だ。


 電話じゃなく顔を見ないとわからないことがあるってことだろうな。リモート会議とかよりも実際に出社して話し合ったほうが建設的な意見になったとかいう統計もあるみたいだし。


「霜月さんはいつ事務所に来られるんですか?」


「十三時に来るみたいです。なのでちょうど撮影が終わった後に会えると思いますよ。会いますか?」


「はい。会っておきたいです。大事な同期ですから」



 昨日はなんとかキャラを保てた。けど今日の社長との面談ではしどろもどろだった。何を言ったんだか、あまり覚えてない。ライバーを続けたいのかどうかさえよくわからないまま、面談室から重い足取りで退室する。


 今日はどうしよう。まだ所属しているんだから配信はしないと。何のゲームをやるか決めてないや。歌枠は事前申請をしてないからダメ。雑談は、何を口走るかわからない。だからやるとしたらゲームだけど、そのゲームだってゲーム会社に申請を出さなくちゃいけないからやったことあるゲームの続きくらいしかできないよね。


 ずっと頭の中をぐるぐるしていると、見知った顔がいた。その子は気軽に手を挙げてこっちにやって来る。


 俳優だっただけあって顔が整ってる。美容に気を遣ってただけとは言うものの、天然物の美貌だってあるはずだ。イケメンっていうのは産まれた時から最低限の下地がないと意味をなさないだろう。


 夏希ちゃんも彼のことイケメンだって電話でしょっちゅう言ってるから、なおさら意識してしまう。わたしのしょうもない人生の中では一番のイケメンさん。詳しくは知らないけど俳優としてプロにもなって、その上で配信者になってもやっていける才覚のある人。


 殿上人。


 それがわたしの、リリ君に対する評価だった。


「霜月さん、お疲れ様です。この後ってお時間ありますか?」


「お疲れ様、リリ君。この後は配信のための申請を出さなくちゃいけなくて……。スケジュールが結構ギリギリなんだよね」


「それって、配信で何をやるか迷ってるってことですか?」


「有り体に言っちゃうとそうだね」


 リリ君はきっとわたしの状態を知っている。この事務所の中で一番話しているのは夏希ちゃんだけど、一番関わりのある異性となるとリリ君だ。


 わたしは過去について話したことはない。けど、何で見透かされているような気がするんだろう。話していて感が鋭いなと思うことはあった。俳優をやると行間を読む関係で空気を読んだりしないと生き残れないんだろうか。芸能界って怖い場所だっていうのはよく聞く話だし、そんな場所で仕事を手にしていたリリ君が普通なはずないんだよね。


 リリ君はちょっと考え込むと、こんな提案をしてきた。


「今日、このまま事務所のスタジオで俺と一緒にカードゲームのパック剥き配信しませんか?」


「……え?カード?」


「はい。ウィザーズ&モンスターズってカードです。ちょうど月曜日に新弾が出たんですよ。急いでスケジュールを組むよりは俺にのっかかってくれると俺としても霜月さんのリスナーを牽引できるので嬉しいんですよね。さっきマネージャーさんに確認しましたけどスタジオは夜空いてるみたいですし。どうです?」


 わたしはカードゲームをやったことがない。女子向けのカードゲームがあまりないことと、わたしは親にカードどころかオモチャをまともに買ってもらったことがないから正直わからないことばかり。


 そんなわたしがやったとしたら悪評がつくんじゃないかって思っちゃう。特に今はちょっとしたコメントが怖い。


「ミリしら企画って結構伸びやすいってコウスケ先輩とゴートン先輩に教えていただいて。完全初見とかつけてると食いつきがいいじゃないですか。そういうのと同じだと思ってください」


「確か結構有名なカードゲームだよね?古参の人とかが暴れたりしないかな?」


「俺がそもそもコレクターだって配信で言ってるので大丈夫だと思いますよ。それにウィザーズ&モンスターズ側が初心者勧誘のための施策をしているので初心者を排除しようとする人の意見は封殺されますよ。運営との方針が合ってないんですから」


 シリーズ物のゲームとかでもそう。昔の作品を知らないと叩いて来る人がいるけど、エクリプスのファンの方々は初見でも叩いてきたりしないとは先輩方からよく聞く。業界の中でもかなり民度が良くて有名な箱だ。だからこそリリ君の初配信や女性人狼、男子宇宙人狼で荒れたのは珍しいことだった。


 土日とちょっと騒動になってしまったわたしとリリ君だけのコラボ配信って、それで何か言われないだろうか。


 本当に最近は、ちょっとしたことを何でもかんでも確認しないと怖くて仕方がない。


 でもそれが、元々のわたし。小心者で、言われたことに二つ返事をするしかなくて。きっとそれが楽な道だと逃げ続けてきた人生。


 逆らったのは一度だけ。勇気を出したのも一度だけ。


 今回は、歳下に甘えちゃおうかなという逃げ、つまりはいつものわたしだった。

「……わたしとしてはとても助かるけど、いいの?」


「いいですよ。一人でやるのは味気ないですし、旬のうちにネタ消化はしておきたいので」


「それもそっか。じゃあやろうか、カード配信」


「わかりました。スタッフさんたちに確認をしてみますね」


 リリ君が色々な大人に話を通し始めてから気付いた。これってブツ撮りスタッフやわたしたちの代わりに配信画面を操作してもらうスタッフさんに仕事を増やしたってことじゃないかって。


 即日の仕事なんて前職の緊急対応みたいなものだから胃が痛くなってくる。


 ごめんなさい、スタッフの皆さん。


「霜月さん、許可が取れました。スタッフの皆さんもウィザーズ&モンスターズのファンが多かったみたいでやりたい企画だったからって乗り気でしたよ」


「そ、そうなんだ」


「一応二箱買ってありますけど、足りるか微妙ですね。カード屋に追加で買いに行こうかなぁ。夜まで時間がありますし、カードを買いに行くついでにカラオケでも行きませんか?」


 その誘いが、わからなかった。


 カードが足りない事態って何だと思ったし、カード初心者のわたしからすれば適量がわからないからどう答えたらいいかわからないし、カードのついでにカラオケに行くというのもよくわからなかった。


 わからなかったからこそ、よくわからない思考回路でこの歳下を揶揄ってみようなんて思ってしまった。歳下の男子という相手が未知の存在すぎて対応の仕方がわからなかったなんて後から言えることだけど。


 この時は、本当に何かの歯車がおかしかった。


「リリ君、歳上のお姉さんをデートに誘いたかったの?」


「──ええ。デートに行きましょう。もっと霜月さんと距離を詰めたいですし」


「…………っ⁉︎⁉︎⁉︎」


 こっちは揶揄うつもりだったのに、微笑みを浮かべた整った顔から真剣な声色が返ってきたことでわたしは口を抑えながら照れてしまった。まさかデートを肯定されるなんて思ってもいなかった!


 というかデート自体も初めてで、というか異性と二人っきりで出掛けることすら初めてなのに真面目に返されたら経験がないわたしはどうしろって話で!


 わたしの心情もそうだけど、リリ君の真意もわからなすぎてわたしの頭はバグった。


「霜月さん、お昼はまだですか?最近のカラオケはご飯も美味しいみたいなのでご飯も一緒に済ませちゃいません?」


「え、う、うん?」


「良かった!じゃあ行きましょうか。思いっきり歌いましょう。カード屋にも行くのですぐにでも行きましょうか!」


 何でリリ君はテンションが上がってるの⁉︎


 このまま本当に二人で出かけるの⁉︎


 というかこのやり取りを事務所でやってたから、スタッフさんが全員わたしたちの方を見てるんだけど⁉︎社長なんてめっちゃにやけてるし!


 リリ君が行くからついて行くしかない!なんか今日のリリ君、ちょっとおかしくない⁉︎


 二人で並んで街を歩いて。同じ場所を目指していて。カラオケなんて来るのも初めてで。そこに異性と二人っきり。何だかリリ君はカラオケの受付に慣れていたし、会員にもなっていたようで割引が効いていた。受付の近くにドリンクサーバーがあるんだ。ソフトクリームも食べ放題って凄いなぁ。


 受付が終わったようでリリ君が前を歩いて部屋に向かう。カラオケって結構五月蝿いんだなあとか、歌ってる声って結構外まで漏れてるんだなとか思いながら部屋に入って扉を閉める。


 い、異性と個室に二人っきりとか、どうしろと⁉︎いや、こういう場所には監視カメラがあるっていうのは知ってるんだけど!


 リリ君に限って何かしてくるとは思えないんだけど、一応ね⁉︎何が一応なの⁉︎


 リリ君と不自然に距離を離して座ると、リリ君はデンモクと呼ばれる機械で曲を入れていく。歌いたかったんだなあと思ったら五曲くらい一気に入れていた。


 あれぇ?そんなに一人で歌いたかったの?


「これだけ入れておけば大丈夫かな。うん、というわけで霜月さん。話しましょうか。ご飯でも歌ってストレス解消でも、愚痴を言っても大丈夫です。ここには俺しかいませんから。……無理して配信をしても、霜月さんが苦しむだけです。ライバーが嫌なら、やめたっていいんですから」


「……え?」


「最初に違和感があったのは人生ゲームです。その時俺が楽曲を提供するって言った時、霜月さんは嫌な声をしていました。嫉妬かな。多分俺が楽曲を提供することが生理的に受け入れられなかったんでしょう。それに女子人狼も配信を見ていました。途中から霜月さんはゲームを楽しんでいなかったように見えました。そこから告知もなく配信を休んで。体調不良って言ってましたけど、流石にわかりますよ。心身がおかしくなる前に決めた方が良いと思います。これからのこと」


 あれほど五月蝿かった音が。この部屋のスピーカーから大音量で流れるロックの音が。


 何もかもを流し去ったかのように、目の前の男の人の声しか聞こえないほどこの空間は白く、静謐だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る