第6話

「はっ」


 意識が戻った。

 慌てて見回せば、灰色のオオカミはいない。

 そして私は、もうオオカミに乗ってはいなかった。

 鞄もちゃんとあって、心底ほっとする。


「……あれは、夢?」


 周囲にちょっとした茂みがあって、細く密集した草の上にいるとわかった。

 藁のベットみたいに柔らかい。

 見回しても、オオカミの姿はない。


「うん、夢よ夢」


 眠った場所とは違うけど、そこは考えないことにしよう。

 とにかく出発だ。

 水を少し飲んで、多少は食べ物を口に入れて行こう。

 思った以上に喉が渇く。だけど水が無くなってしまった。


「水の……代わりになる植物とかがあれば」


 ハンナが、植物の本を荷物に入れてくれていた。

 本を開いて、水分が多い植物を探す。

 実の生る木があればいいけど、ここまであまり見かけなかった。だから、水分が多くて、口に入れても毒じゃないものがあれば……。


「ん、『風露草ふうろそう』ってのはどうかな?」


 空気中の水分を集めて、小さな袋のような白い実にためておく草らしい。描かれている絵は、鈴なりになった白い実が可愛いので、探すのも楽しそう。


 そうと決まれば探索だ。

 探しながら、そろそろ白の領域を通ってどこまで来たのかを確かめるためにも、近くに村がないかを探そう。

 水の多い草か、村か、どっちかが見つかればいい。


「日数的には、国境を越えていてもおかしくないくらいだし」


 それに、ちゃんとガルシア皇国に入ったのかが知りたい。

 国境近くなら、ロイダールとは紛争状態なので砦を置いているだろう。旗でどちらの国の砦かわかるはず。


 しばらく進むと、横から交わる踏み固められた道を見つけた。

 その道を確認できるあたりで、『風露草』を探した。

 無かったら、ますます白の領域からすぐに出なければ。

 歩き始めてしばらくすると、鼻をくすぐる匂いがした。


「甘い匂い……」


 どこからかと思えば、近くの茂みの中にあった、淡く光る花からだった。

 フリージアのように小さなつぼみのようにふくらんだ花がいくつもついていて、黄色く光っている。周囲が白いので、暖かそうに見えた。


「んー、光ってる色さえなければ、風露草にそっくりなんだけど」


 葉の形も茎も、水を貯めた花の部分も。

 近づくと、やっぱりこの花から匂いがしているようだ。


 ……食べられるだろうか。


 一個、ふくらんだ花をつぶしてみる。中の甘い蜜が果汁みたいにはじけた。指についた分をちょっとなめてみたけど、しびれる感じも変な苦みもない。


「もしかして、白の領域だとこんな感じになっちゃうのかな?」


 一個食べてみたら、しっかりと一口水を飲んだような感覚があった。

 ふくらんだ花は小さいのに、不思議だ。

 飲んでしばらくしても、特に問題はなさそう。


「よし、当面の水確保」


 五本生えていたので、三本だけ摘んだ。

 パキっと瑞々しい音がして、茎が折り採れた。


「あれ?」


 摘んだのに、草はまだ淡く光っていた。すぐ光が消えると聞いたのに。


「ゆっくり消えていくのかな?」


 よくわからないので放置する。とりあえず水分をとれるだけで十分だ。

 だけど水を節約していたせいか、ついつい一つ、また一つと食べてしまう。

 最後の一本になったところで、鞄の中につぶれないように入れておく。次もすぐに見つからなかったら、本当に生死にかかわるので確保しなくては。


 そして、たぶん東へ伸びる細い道へと歩き出す。

 この踏み固めたような土がむき出しの道は、近くの村から人が通ってできた物のはず。

 たどっていけば、必ずどこかの村か町にたどり着ける。


 見通しが悪いけど、白の領域の端にはもう魔物なんて出ない……。

 出ないと思っていたのに。


 足音がした。

 走っている人が来たらしい。

 つい私は、今までの癖で道を外れて息をひそめてしまう。


 通り過ぎたその人が誰だったのかはわからない。

 やたらと必死に走っているような気がしたその時、私も走るべきだったんだと思う。


 地の底から響く唸り声が聞こえて、初めて「まずい」と思った。

 慌てて私も道に戻って走る。でなければ、自分のいる場所が後でわからなくなると思ったのだ。


 だけど気づいたのが遅かったかもしれない。

 唸り声がだんだんと大きくなっていく。


 思わず振り返って、「ひぃっ」と息をのんだ。

 赤黒い陽炎をまとった、何か大きな黒い生き物が見えた。

 叫ぶことも忘れてただひた走る。でも私の足はそんなに速くない。

 地響きのような魔物の足音が、すぐ近くまで迫ってきていた。


 死にたくない!

 痛いのも嫌。怖いのも嫌!


「ここまで、逃げてきたのに」


 思い出すのは、時折継母がしつけだと言って鞭を打つ時の顔。

 継子を虐待したと言われたくないのか、やりすぎないように足に鞭を数回打つだけだったけど、その瞬間にちらりと、愉悦の表情がのぞいていた。


 ――この人に、黒魔女だとバレたら、こんな顔をして処刑台に突き出される。


 瞬間的にそう悟った。

 ただでさえ、母という最大の庇護者を失ってから処刑に怯えていたのに、一瞬でも隙を見せてはいけないと思ったのはあの瞬間だ。


 それから今まで、ずっと耐えてきた。そして運良く国外脱出の機会がめぐってきたから、がんばって歩いてきたのに。


「あともう少しだったのに」


 もちろん、この先が平坦で幸せな道だとは思っていないけど。毎日処刑に怯えて過ごすよりは、ずっと自由に生きられるはず。

 でも、その自由に届かないまま終わりそうだ。

 そんな自分がかわいそうで。こんな人生の終わりだなんて、悔しくて。

 涙が出そうになったその時だった。

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