第4話
遠くからは、山脈の頭の方だけが白い霧から顔を出しているような、そんな風に見えた。
山のふもとには深い谷があるらしい。
私はこれから、谷を囲むように広がる森をぐるりとめぐっていくことになる。
見上げると、まだ空に太陽が出ているはずなのに、見上げて探すと、雲の向こうの月のようにかすんでいる。
白い霧が濃くて、道があるのはわかるが、せいぜい五十歩先までしか見通せない。
おかげで御者からあっさりと隠れられたのだけど、一人きりになると、先が見えない風景は私の不安を掻き立てる。
「私も、早くここから移動しなくちゃ」
私は歩き始めた。
進んでしばらくすると、白い霧は濃くなったり、薄くなったりとわずかに変化していた。
風景は少し先で白い霧に沈んで見えなくなるけれど、しばらくすると、ぽつぽつと青白く光る草を見るようになった。
「不思議」
近寄って触れてみるが、暖かいわけではない。
青白い花が、白々とした月のような光を放っている。茎も葉も光っているので、特定部位だけが光るわけではないみたいだ。
「噂には聞いていたけど、これが白の領域の植物なんだ」
しばらく進むと、少しずつ暗くなっていく。
白い霧のせいなのか、真っ暗にはならないけれど、視界は悪い。
そんな中、遠くにランタンの光を見た。
採取のためにここへ踏み込む村人が、仲間の姿をお互いに確認しやすくするためにランタンを持っているのだろう。
だから、私はすぐに隠れた。
たまにそのまま足音が近づいてきて、私が隠れた場所をランタンの光とともに人が通り過ぎていく。
息をひそめてやりすごした後は、物音がしないのを確認して、また道を進むことにした。
ずいぶん経ったけれど、今が真夜中なのかどうかもわからない。
太陽が隠れてかなり時間が経ったので、夜なのは確かだ。
普通なら夜の森を歩けば怖くなるはずだけど、なぜか私はそんな感じがしなかった。
「……万が一の場合には、黒魔女なら魔物を操れるから、なのかな? 私は弱すぎて、そんな真似はできないけど、少しだけ普通の人よりは魔物気配が怖くないのかもしれない」
誰もいない場所だからと、私は独り言を口にした。
ロイダール王国で迫害されている黒魔女。
魔物を操る術を持つからこそ、黒魔女は、人間の敵だ、と神教は教えている。
私はふと、幼い頃の黒魔女の素質がわかった時のことを思い出す。
母と二人だけで馬車で出かけた時、雷が近くに落ちて……落雷を受けて折れた樹が、私と母の方へ倒れてきたのだ。
その時、無意識に黒魔術を使ってしまった。
黒い影のようなものが現れて、樹の落下する方向をわずかにそらしてくれたらしい。
目撃してしまった母は真っ青な顔で私を抱きしめ、二度と人前では使ってはならないと必死に言い聞かせた。
そして帰宅した後で、私と二人で眠る時に詳しい話をしてくれた。
黒い靄を操る魔術は、黒魔術だ、と。
そして魔術を使える人は、前世でも魔術師だった可能性が高いという、神教の唱える話や、神教に引き渡された黒魔女は、殺されたりもするのだという話を。
私を大事に思ってくれていた母は、黒魔女であることは秘密にして隠し通すように言い、母自身も秘密を守り通してくれた。
でも母が亡くなり、継母が家にやってきてしばらく経った頃からだろうか、黒魔女への迫害がさらにひどくなった。
黒魔女狩りの話は、楽しい娯楽になっていった。
そして半年前には、とうとう黒魔女が王都で処刑された。
私はおびえた。
黒い靄を出すことしかできない私では、逃げようにも、神教や王国の騎士とか魔術師が追って来たら殺されてしまう。
「でも、希望が見えてよかった」
あの神教騎士に殺されるかと思った時には死を覚悟した。
そのおかげで命拾いをしたので、バカにしてくれても腹は立たなかった。
「感謝はしないけど、運は良かった……のかな?」
自分を励ますようにつぶやく。
「それにしても、どれくらい歩いたら着くんだろう」
幸い、旅行用の靴は丈夫で歩きやすい物だ。
ハリエットがこの一週間のうちに、ひっそりと入手してくれていたので、初日のうちに履き替え済み。
おかげでこの日、私はけっこうな距離を一人で歩き続けられた。
衣服も、町や村に入っても目立たないよう、あせて薄赤い色のコルセットとスカートの上から、灰色のコートを着ていたから、大きな商家のお嬢さんという服装より歩きやすい。
幸い、旅行用の靴は丈夫で歩きやすい物だ。
ハンナが馬車の旅のうちに、ひっそりと入手してくれていた。
おかげでこの日、私はけっこうな距離を一人で歩き続けられた。
衣服も、町や村に入っても目立たないよう、あせて薄赤い色のコルセットとスカートの上から、灰色のコートを着ていたから、大きな商家のお嬢さんという服装より歩きやすい。
休憩のため、道から少し離れた場所で岩の上に座った。
そうすると、根が生えたようにもうそこから動きたくなくなる。
「持久力が、足りない……」
歩き続けていたら、さすがにくたびれた。
今日はいよいよ白の領域に入るのだと思うと、夜も深く眠れなかったし妙に疲れを感じている。
「少し……少しだけ休もう」
岩から一度降りて、背もたれにする。座って目を閉じただけなのに、いつの間にか意識が遠ざかって……。
ふと眠りに落ちてしまったみたいだ。
実父の冷たい表情に、継母の恐ろしい顔。
二人とも私をののしって、その言葉が重なるたびに体が冷たくなっていく気がした。
けれど、ふいに体が温かくなって、ほっとする。
そしてハンナの声が聞こえた気がした。
――お嬢様、次の村に着きますよ?
「はっ」
うたたねをしていた私は、ふっと起きた。
どれくらい眠っていたのかはわからない。白い霧の中にいると、外の暗さがよくわからないから。
明るくても見通しは良くないので、まぁ微妙なのだけど。
それに、なんだか温かくてふわふわする……。
「……え?」
私は目を丸くした。
体にまとわりつくように、白灰色のイタチのような生き物が何匹もいたから。
ふわふわで温かかったのは、彼らがくっついていてくれたからみたいだ。
「きゅっ」
小さく鳴いて、灰色のイタチは黒くて丸い瞳で私を見上げる。
そしてさっとどこかへ走り去ってしまった。
急に感じる外気の冷たさに、私はようやく目が覚めたような気がした。
「……今のは、何?」
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