第2話

 馬車が出発して間もなく。

 一緒に乗ったメイドのハンナが私の縄を解いてくれた。


 ハンナは私が幼いころから、うちで働いていた人だ。

 年齢はもう四十も半ばを過ぎていたはず。


 メイドは長時間の労働のせいか、老け込む人が多い。だからハンナも、目じりや頬のしわのせいで五十代くらいに見えてしまう。

 そんな大変な中でも、ハンナは私のために尽力してくれていた。


 実母が「信頼できる人だから」と、亡くなる前に私のことを頼んでいたからだ。

 ハンナは昔、王家に連なる貴族家に勤めていたので、継母も彼女の人脈をあてにしてメイド長にしていた。その地位のおかげで、私が叱られたり理不尽なことをされないよう助けてくれていたのだ。


 継母の指揮下にあるメイドとして、彼女はいつも私の側にはいられなかった。けれど上手く継母の信頼を得て、私が叱られたり理不尽なことをされないよう助けてくれていた。


 そんなハリエットは、継母に『奥様が安心できるよう、私が最期を見届けてまいります』と言って、この道行きに立候補してくれた。


『黒魔女を怖がるあまり、白の領域へ着く前にどこかの村に捨ててお茶を濁しては困ります。それにどこかの村に置き去りにした程度では、涙ながらに若い娘が訴えれば、助ける人もいることでしょう。そうならないようにしなければ』


 ハリエットの説得に、継母は一も二もなく飛びついたのだ。

 確実に、私が死んだことを確認したかったみたいだ。継母はそのために、最初は自分の小間使いに付いていくように指示したぐらいだ。

 立候補したタイミングも良かった。行きたくなさそうな小間使いをかばっての行動に見えただろうから。

 継母も、まさか私のためだとは思わなかったに違いない。


 死んだか確認はしたくても、自分がついて行きたくはなかった継母は、喜んでハンナを送り出したのだった。


「大丈夫でしたか? お嬢様。お怪我の方を、改めて治療いたしましょう」


 ハンナが持ってきていた包帯や消毒薬を使ってくれる。

 それが終わると、私はさっそく今後のことを話しておいた。


「ハンナ、この後は話をしていた通り、私は『ガルシア皇国』へ行くわ。黒魔女が迫害されないのでしょう?」


「はいそうです」


 ハンナがうなずいてくれる。

 大陸の中央にある白の領域。その向こうにある北の国『ガルシア皇国』では、黒魔女への迫害がない。

 神教が根を張っている限り、このロイダール王国ではいつ黒魔女だと露見するかわからないので、この国にいるのは危険すぎた。

 そしてハンナがそれを教えてくれたのには、理由がある。


「お仕えしていた公爵夫人が、死の間際までそうおっしゃっていました。まさかロイダールに嫁いで生まれた我が子に、黒魔術師の素質があるとは……と。故国で結婚していれば、こんなに不安になることはなかったとおっしゃって……」


 ハンナが以前仕えていた公爵夫人は、ガルシア皇国から嫁いだ人だった。

 そして子供は男の子だったのに、黒魔術師――女性ではないので魔女とはいわないだけで、私と全く同じ、闇を操る魔術の才能を持って生まれてしまったのだ。


 結果、公爵夫人が亡くなった後、その子はガルシア皇国へ移住したそうだ。

 公爵夫人と少しだけかかわりがあった私の母は、黒魔女を捕まえる風潮に不安を感じることで公爵夫人と仲良くなっていた。

 その関係で、公爵夫人が亡くなった時にハンナは私のところへ勤め替えしてくれた。


 すべては、逃げ出せる状況になった時に、その手助けをしてもらうために。


「白の領域からの方が、ガルシア皇国は入りやすいので、お嬢様の計画はとても良かったです」


 父に『貴族出身の黒魔女は白の領域行き』を吹き込んだ作戦を、ハンナは高く評価してくれた。


「私も上手くいってほっとしているの。そうでなければ、不自然な家出の仕方をするしかなかったし、途中で追いかけられたら大変だったもの。ただ白の領域からガルシア皇国へ行く道順がよくわからないの。どんな本にも書いていなくて」


 数百年前に現れた白い霧で覆われた領域だ。

 それ以前は森を囲むように道があったはずだが、それが今も残っているかどうか。

 ハンナはうなずいた。


「端の方には、付近の住民などが出入りしているので、何らかの細い道があると思います。三百年前に存在していた街道も、珍しく石畳のものだったので、まだ残っているのではないでしょうか。木や草も石畳を覆い尽くしていないことを期待していますが……」


「白の領域って、人が多少は出入りできるって聞いて驚いたわ」


「端の方はあまり魔物が出没しないそうですね。住民は、内緒であそこに生える特殊な草などを採っては、お金に換えているそうですよ」


 近辺の村人が入れる程度には、白の領域の端は安全みたいだ。


「なので、道がわからなかったとしても、白の領域の端をぐるりとめぐるようにして、北を目指してください。国境近くにある砦からも見えないように」


 私はうなずく。


「ありがとう、ハンナ。こんなにしてくれて……」


 感謝しきれない。

 でもどうやってお返しをしたらいいのか……。


「いいえ、御恩を返しているだけですよ。それに、この国の中心に居続けたら、公爵家が後になって何か気づいて、私の口封じをするかもしれなかったのです。でも奥様のところで勤めることで、助けていただいたのですから」


 昔、ハンナがそのことについて説明してくれていた。

 亡き公爵夫人と仲が良かった分、公爵家の人が公子の黒魔術に気づいた場合、ハンナも何か知っているのではないかと思われて、『念のため』で殺されていただろうと。


 けれどこうしてよその貴族家に勤めて、長年問題もなく過ごしていたり、公子のことも何の話も広まらなければ、ハンナは何もしらなかったのでは? と考える。

 すると、疑われそうな状況になった時に、逃げる隙ができるのだと。


「しかもお嬢様のことをきっかけに、このまま姿をくらませれば、公爵家はもう私を探したりしません。お嬢様と一緒に白の領域で魔物に襲われたと思うでしょうから」


「ハンナも、このまま家を出るのね。この後は……旦那様の故郷へ?」


 ハンナはうなずいた。

 白の領域の西の方、王都から離れた場所に、ハンナの亡き夫の故郷があるらしい。そちらへ引っ越すようだ。


「お嬢様を送り届けた後、旦那様に口封じされるかもしれませんから。それに私の夫の故郷は遠くて探しに来ないでしょうし、場所も嘘を教えていますからね」


「それでも、気を付けてね」


 ハンナに言えば、彼女は優しい笑みを浮かべてうなずいてくれた。

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