この世界で一番弱い黒魔女は、愛され過ぎています

佐槻奏多

第1話

「……で、それが黒魔女だって言うのか?」

 金髪の青年の、見下すような視線。

 白い鎧と浅黄色のマントは、アルテラ神教所属の騎士の証明だ。

 青年騎士と一緒にいるのはアルテラ神教の白い法衣を着た壮年の男だったけど、判定を下すのは騎士の方らしい。

「はい。たしかにこの目で見ました! 黒魔女と疑われたメイドが蹴り飛ばされた時、なぜかしゃしゃり出てきてこの娘とぶつかった瞬間に、黒い靄が!」

 目をぎらぎらさせて答えたのは、私の継母だ。

 やや大きな商家の妻として、いつも見た目に気を使い、冷静なふりをしていた継母。だけど今は、その感情をすべて解き放ったように嬉々として叫んだ。

 応じる神教騎士は「ふうん」と素っ気ない態度だったけど。

「そのメイドは黒魔女じゃなかったのか?」

「司祭様が、念動魔術師だろうと……」

 継母がちらりと、神教騎士の後ろにいる法衣の男を見る。

 やや残念そうなのは、最近の継母の娯楽が、黒魔女の処刑だからだろう。

 使用人に両腕を掴まれ、床に座らされた私は唇を引き結ぶ。

 ……黒魔女だということは、ずっと隠してきた。

 私が黒魔女の素質を持っていると知っていたのは、五年前に亡くなった実母だけだ。

 実母の助けがなくなった後も、能力がごく小さなものだったせいか、比較的たやすく隠せていたのだけど、とっさの時に飛び出てしまうのだけはどうしても制御できなかった。

 だから慎重に生きてきた。

 あまり驚いたり、ショックを受けたりしないようにと危ないことは避けたり、心の動きを小さくするようにして生きてきたのだけど。

 継母の命令で、メイドは力自慢の使用人に壁に向かって投げ飛ばされたのだ。

 身体の危機になれば、正体を現して黒魔術を使うだろうと。

 その時に使用人が足を滑らせたせいで、立ち会うように強制されてその場にいた私の方に飛んできてしまった。

 避けられないのと、メイドがこのまま壁にぶつかったら大けがを負うと思ってしまい、私はその場から動けなくなり――メイドとぶつかってしまった。

 その衝撃を和らげたのは、私の中から湧き出した黒魔術の力だ。

 黒い靄は、私もメイドも守ってくれた。

 ほんのわずかに。

 おかげで大怪我はしなかったけど、腕や肩が痛い。きっと痣になってるはず。

 そして私をひそかに邪魔に思っていた継母は見逃さなかった。

「黒い靄……まさかリーザ、あなたまで黒魔女なの!?」

 悲鳴のようなのに、どこか楽しそうに聞こえる声で叫び、すぐに神教の司祭や騎士が呼ばれた。

 この神教騎士と司祭は、たまたま近くを通りがかったらしく、間もなく家にやってきた。

 そしてメイドは継母の言いがかりだったことがわかり――私は今、神教の人間による判定を受けようとしている。

(でも、どうやって判別するの?)

 そう思っていたら、神教の騎士がすっと剣を抜き放つ。

 部屋に差し込む陽の光の中、銀色の刃が白く輝いた。

 まさか、私は斬り殺されるのでは?

 継母が期待の眼差しを神教騎士に向ける。

 神教騎士はなんでもないことのように私に近づいた。

 思わず避けようと身動きしていた私を、左右の使用人がぐっと抑えた時だった。

「捕まえなくてもいい。逃げる獲物を追い回すのもまた一興だからな」

 その言葉に使用人が離れたとたん――。

「いっ……!!」

 左肩を剣が切り裂いた。

 熱い。熱湯を触った時のような熱さと、痛みがわずかに遅れてやってくる。

 思わず抑えた左肩は、手の隙間から黒い靄がこぼれるように覗いていた。

 だけど傷口に張り付くようにもやもやしているだけ。血を止めようとして苦心しているような頼りない動きだ。

(もう、これで、処刑が決まってしまった……)

 どんなに攻撃の役にも立たない力でも、黒魔女の素質があることが神教騎士に知られてしまった。

 見逃されることはない。

 このまま、神教の牢に入れられて、間もなく王都の広場にある処刑台に引きずり出される。

(でも、逃げる力なんて……)

 弱すぎて、私の黒魔術では誰かを攻撃することすらできない。逃げるのは不可能だ。

 痛みに涙しながら私は全てを諦めたのだけど。

「……うっわ。こんな弱い黒魔女、見たことない」

 神教騎士の、意外そうな言葉が聞こえた。

「え、ほんとに靄だけですかな? ちょっと良く見て……いや、ほんとにすこーし靄がにじんでるだけで、剣の防御すらできないとは」

 司祭の方も、自分の目を疑うように戸惑っている。

 そして神教騎士が嫌そうに言った。

「抵抗もできないカスなんて、処刑したらボクの名前が汚れるんだけど。だって見つけた人間が処刑する決まりでしょ?」

「しかし騎士様、相手は黒魔女ですぞ。忌むべき魔王の手先です」

 苦言を呈する司祭に、神教騎士は肩をすくめた。

「ボクはもっと強い黒魔女を自分の力でねじ伏せるのが好きなんだよ。だいたいこんなカスみたいな、三流以下の黒魔術を処刑したら、他の奴らに絶対からかわれるじゃないか。……あ!」

 そこで神教騎士は何かを思いついたらしい。

「こないだ、黒魔女の子供を白の領域に捨ててきたって話を聞いたんだよね。アレ、この子供にも使えないか?」


(捨てる?)


 しかし捨てる先がとんでもない場所だ。


(白の領域って、魔物の巣窟……。私程度の黒魔術じゃ、魔物を使役するような魔術は使えないから……食べられて死んでしまうわ)


 昔、大陸全体で魔物との戦いが起こっていた頃、神が魔物を封じ込めたというのが、大陸の中央部にある白の領域だ。

 常に白い霧に覆われて、植物は不思議な色に発光しているらしい。それだけを聞くと不思議で綺麗そうだと思うが、いつどこから魔物が出てくるかわからないうえ、白の領域に居続けると魔物たちの怨嗟の声に影響されて心が壊れてしまうのだとか。


「子供はまだ魔力が弱いからと、離れた場所から魔物に食われるのを眺めることにした、というお話ですな」


 司祭の方も、それならとうなずく。


「こちらの家としても、商売上、お身内から黒魔女が出たと知られるのは困るでしょうし……ねぇ?」


 司祭に視線を向けられた継母は、困った表情になる。


「あの、ワタクシとしては恐ろしいので処刑していただいても……」


 恐ろしいことを言い出す継母に、痛みで目がかすみそうになりながら、継母の後ろにいたメイドがぐっと口を引き結ぶのを見た。

 ……継母が品行方正で優しい人だと信じていたメイドだ。

 まさか表面上は実の娘のように配慮をしていた私の、処刑を勧めるとは思わなかったに違いない。


(どうせ、私のことが邪魔だったんだから)


 母が生きていた頃から、父の愛人だった人だ。

 だから私が十三歳なのに、異母弟はもう八歳になる。父は男子の跡取りが欲しいために、継母を愛人にして、私の実母がなくなったとたんに継母と再婚したのだ。

 そこに、慌てて広間に入ってきた人物がいた。


「いえ、白の領域行きとさせてください」


 扉は開け放たれていたので、会話が聞こえていたのだろう。

 そう返事をしたのは、商談先から走って帰ってきたのか、息を切らせた実父。

 私と似てない黒髪。青い目の色も私とは違う。私は母に似た赤紫色をしているから。

 父は私の処刑には反対らしいが、この人に優しさを期待してはいけない。


(お父様は、異母弟さえいればいいんだから)


 娘しか生まなかった母にも義務的に接するだけ。私にも親としての情があるのかわからない人だった。あれほど望んだ異母弟にでさえ、世の親のように愛情深い言葉をかけたことがないから、元々家族の情が薄いのだと思う。


「我が家から黒魔女が出たとわかれば、商売ができなくなってしまいます! それでは教会への寄進もできなくなりますし。だから内密に白の領域の、なるべく奥に捨てさせます。対外的には、療養後に死んだことにさせてください」

 しかし、父は上手く私の思惑に乗ってくれた。


「娘が黒魔女だったとわかれば、我が家の恥になる!」


 そう叫んだ父は、私に愛情を持っていたから、そう言ったわけではない。

 私の実母とも継母とも、商売に必要だから結婚しただけで、子供にも関心はあまりない人だっただけ。


 そんな父は、とにかく家の名誉と商売に問題が出ることが嫌だったのだ。

 だから処刑ではなく、私を誘拐されて行方不明になったことにしたがり――司祭は教会への寄付と引き換えにそれを了承した。


 父の依頼を、司祭は多額の寄付の約束と引き換えに了承した。


 そうして私は、すみやかに古い馬車に乗せられた。

 一緒に行くのは御者が一人と、年老いたメイドが一人。


 縄で手を縛られた私とともに、メイドは馬車に乗り込んだ。

 見送りは、継母だけだった。

 ハンカチを押し当てた口元が、うれしそうに口角が上がるのが見えたのが悔しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る