第2話

 その雪の精霊のお話は嘘だ! とペールは主張したが、その訴えは一門の長老たちには取り合ってもらえず、彼は大変に不服だった。それはある冬の日、暖炉の側で、長老たちが一門の子どもたちに伝承を語って聞かせていたときのことだった。

 もともと、ペールはこの一門の生まれではなく、とある材木商の息子だった。運悪く魔術師としての能力に覚醒してしまったこの少年は、オルゴニア皇帝と呪い師一門の協約に従い、生家から引き離されてこの地を縄張りとする一門に引き取られていた。──このオルゴニア帝国においては、魔術師は生存と身体の安全を認められており、呪い師を生業とすることを許可されている。

 名うての商人であった実父の知性を引き継いでいたのか、このペール少年は幼くして利発であり、知恵が回る子供だった。彼は実際的なイボ取りの呪いや獣除けの魔法花火なんかを覚えるよりも先に、魔術理論の方に興味を示し、そしてそれを理解していった。彼は田舎呪い師の一門が持ち得る程度の学問書はすぐに読み終わってしまったが、一門の長老たちはそれを大いに喜び、ペール少年を褒めたたえ、より高度な書物を帝都やほかの一門から取り寄せてペールに与えた。

 さて、そんなペール少年にとって、長老たちが語ったこの『雪の精霊のお話』は、迷信深く非合理なものだった。

 そもそも、雪の精霊というものは、マナの極光の残滓によって動かされているにすぎず、高度な知能も持っていない。それが天候魔術などという大それたものを実行できる道理はないのだ。

 ペールはその持論をぶつけたが、長老たちは、否定も肯定もしなかった。

 無論、大人たちにとっては、お話はお話だ。それの真偽などというものはそもそも問題でなく、ただ、ませているペールが賢しらに主張するのをみて、ほほえましく思っていたのだ。

 けれど、当のペールとしては、その長老たちの反応は、ペールを軽んじていることの現れに思えてならなかった。何分、お話はお話でしかないなどということは、子供には通用しない。その意味では、天才少年ペールもまだ子供であった。子供にとっては、お話というのはすなわち大事である。人生経験が少ない子供にとってのお話の比重というものは、大人からすると理解できないほどに重いものなのだ。

 だから、ペール少年はこう考えた。

 大人たちがぼくの話を聞いてくれないのは、カタギ出身のぼくを疎んでいるからに違いない──。

 彼は悔しくて、苛立たしくて、悲観的な気分だった。



 その夜、ペールは部屋を抜け出し、森に分け入った──信じられないくらいの寒さだった。容赦のない底冷えだった。身体の全部が凍り付いてしまって、体熱は夜の闇の中に消えていったようだった。

 それでも彼はただ一心になって歩いた。本当のことを確かめてやると、その一心だった。

 そしてそんな少年の後から、姉弟子がべそをかきながらついてくる。彼女は一緒に引き返そうとペールの裾を引っ張るが、ペールは目的を果たすまで帰ろうとは思わなかった。

 この姉弟子は、その名をカーステンといい、一門の生まれであった。このカーステンの方は、雪の精霊のお話をすっかりと信じ切っており、ひどくおびえていた。

 森の中の湖のほとりにたどりついたとき、ペールの手足は寒さにしびれきっていて、感覚もなかった。

 そこでは木々も開けており、空には一面にマナの極光が広がっていた──宇宙のそのものの夜空を背景に、薄緑色の光の襞が、その現象の大きさを考えると目眩がするほどの恐ろしい速度ではためき、翻り、波打っている──

 凍った湖の上では、雪の精霊たちが空を見上げていた。

 縋りつく姉弟子を振り切って、ペールはそこへと踏み入った。そして大きな声でまくしたてる──あのお話の若者のように、死にまつわることを、雪の精霊たちに言い聞かせるために。あとから言い方が悪かったのではないかと疑義が出ないように、何度も繰り返したり、言い回しを変えたりして、とにかく雪の精霊たちに聞かせて回った。

「おまえたちは春になったら溶けて消える! 存在しなくなる! すなわち、死だ! 死ぬんだぞ、雪の精霊!」

 雪の精霊たちは不思議そうにペールのことを見下ろして──それだけだった。ペールが予期していたことであるが、本当にそれだけだった。雪の精霊はあくまで単純そのもので、死の恐怖に狂ったりなんかしなかった。急にやってきて大声を出しているペールのことを興味深そうに眺めはしたが、それは他人の言葉を解しているわけではなく、単にその音に反応しているにすぎなかった。

 ぼくは正しかったんだ──と、ペールの胸は高鳴った。身体は震えていたが、それは歓喜からくるものだった。寒さはもう忘れていた。

 つまり、あのお話は迷信だったわけだ。それを、打破して見せたのだ!

 ペールは喜び勇んで、湖のほとりの姉弟子に駆け寄った。勝利の喜びを分かち合おうとした。

 ──しかし、姉弟子はその勝利を理解していなかった。それどころか、なんてことをしてくれたんだと、ペールを泣きながら罵った。ペールが戒めを破ったことで、これから酷いことが起きると、姉弟子はそう信じ切っていたのだ。

 ペールの高揚していた気分は、途端に消え失せて、虚しくなった。思いだしたように夜の寒さが体に沁みた。この上なく惨めだった。 

 帰り道の沈痛……。


 結局、その年の冬はいつも通りの冬だった。当然、冬が長引くこともなかった。

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