第8話 魔法使いの死

 体から直接魔法花が生えてくる現象。これは間違いなく、魔法花の侵食だった。

 魔法花は顕現するだけなら人体に何ももたらさないが、このように肌から直接生えてくるようになると違う。

 そもそも魔法花とは、魔法使いが一定以上のエネルギー……エネルギーといっても、魔力といったファンタジー世界に出てくるような概念はこの魔法にはない。魔法使いの意志だとか祈りだとか形のない力だとかが固まって魔法花になる。杉原の場合は生まれて間もなくして魔法花を出せるようになったため、天性の才能だろう。他にも桜の魔法少女などは魔法使いとして覚醒したその瞬間から魔法花を出すことができるようになる。

 要するに、魔法花も魔法と同じく、正体不明の曖昧なものなのだ。魔法の発症者にしか魔法花の現象は起こせないため、魔法花と呼ばれている。

 しかし、この魔法花が体から直接生えてくる現象はただ魔法花を出すよりも希少な現象で、恐ろしい現実をもたらす。

 体から直接生えてくる魔法花には、顕現するだけの魔法花と違い、エネルギーとなるものが明確にある。それは人体が保有する栄養素などだ。体から生えた魔法花は次第に栄養を求めて体の至るところに侵食していき、宿主の体からエネルギー源を奪っていく。そうしてすくすく成長し、やがて立派な木になった魔法花は宿主を押し潰すのだという。

 つまり、体への魔法花の侵食が始まったものには、絶対的な死が約束されるというわけである。

 桜の魔法少女は発症した瞬間から侵食され、年若くして死ぬから「幻」なのだと言われているくらいだ。そもそも魔法は自然治癒以外治る方法のない不治の病。そんな病が更に「侵攻」した状態をそんじょそこらの医者が治せるわけもない。

 生まれながらにして魔法使いとしての才に恵まれていた杉原だからこそ、齢十一にして知っていた事実だ。

「健くん、大丈夫?」

「ぼくの、せいだ……」

「健くん?」

「あああああああああああああああっ!! 僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ!! 僕が間に合っていれば、僕がきょーやくんから離れなければ、きょーやくんがあんな魔法使うことなかったのに。あの魔法を使ったから、魔法花が発芽しちゃったんだ!! うあああああっ!!」

 杉原は己を呪って泣き叫ぶ。いくら叫んだところで、現実は変わらない。後悔は先に立たないのだ。

「健くん、健くん、落ち着いて」

 杏也は戸惑いながらも杉原に寄り添い、宥めた。杏也は魔法使いになってから杉原ほどの年月は経っていない。だから杉原ほどの知識もない。けれど、杉原の様子を見ればすぐにわかった。自分によくないことが起きたのだ、と。

 それがどんなことであれ、杉原のせいなどとはこれっぽっちも思わない。いくら長年ロストと戦っているからって、初めて見るロストがどんなことをするかなんて予想できないだろう。こんなことになったのはほんの偶然で、自分たちではどうしようもないような超次元的な現象なら、そこまで面倒は見られないのだ。

 仕方のないことなのだ。

 杏也は優しく杉原を抱きしめた。

「大丈夫だよ、

 名前を呼ぶと、泣き叫んでいたのがびくりと止まる。杏也はそんな杉原の頭を撫でた。

「僕は大丈夫だから。今日も、明日も、明後日もずーっと、健が友達でいてくれたら、それだけで嬉しい」

「きょーや、くん……」

「杏也でいいよ。僕も健って呼ぶから。これからもよろしく」

 君の言う「これから」なんて、あと数年しかないかもしれないのに、と杉原はくしゃりと顔を歪め、静かに嗚咽した。


 二人で役場に報告に行き、そこで休ませてもらいながら、杉原は杏也の身に何が起こったのかを説明した。

 杏也は自分が「死ぬ」という話をされているのに、自分でも驚くほどに冷静だった。なんとなく、わかっていたのだろう。銀杏の葉が生えたその瞬間から。

 この侵食する魔法花は、患部と思われるところを取り除いてもすぐにまた魔法花が生えてくるらしい。魔法そのものより厄介なものだという。

「あ、桜の魔法少女のお話なら聞いたことがあるかも」

 杏也は自分が魔法を発症したときに見たことを話した。

「ここからは少し離れてるんだけど、魔法の専門病院があって、そこで診察してもらったんだ。でね、僕が行ったときは秋の終わり頃だったんだけど、病院の近くにある桜並木が満開で、なんだか不思議な感じがしたんだ。普通の桜じゃないみたいって。

 それで、お医者さんに聞いたら、そこは桜墓地って言って、桜の魔法少女の亡骸がある場所なんだって。桜の魔法少女は必ず木になるから、それを伐採して火葬するのは罰当たりだと考えられていて、そのままにしてあるんだって。魔法で咲いた花だから、年中狂い咲きしてるって聞いたよ」

「へえ。魔法専門っていうと、やっぱり紅葉寺さんかな」

 この頃にはもう魔法といえば紅葉寺、といった感じの印象が世間に根づいていた。

 落ち着いた杉原は役場の人が厚意で出してくれた堅煎餅をかじり、ずずーっとお茶を飲んだ。

「あー、美味しい」

「健って趣味渋いよね……」

 杏也が苦笑いする。確かに、堅煎餅かじって、お茶を一口飲み、しみじみと味わう小学生というのは渋いかもしれない。好みが大人を越えておじいさんおばあさんのような。

 杏也は丸かじりはせず、手でぱきぱきと手頃な大きさに砕いて食べていた。

「そういえば杏也は何が好きなの?」

「んー、あんころ餅かなぁ」

「あー、あんころ餅美味しいよね」

 そこからは魔法なんて忘れたほのぼのとした会話を楽しんだ。友達なのに知らなかった互いの好みとか、誕生日とか、行きたい場所とか。

 その希望に溢れた時間が過ぎるのを惜しむようにずっと二人は話していた。


 魔法花の侵食現象は魔法に理解のない学校ではいじめにもなりやすいのだという。

 そんなことになったら、僕が杏也を守るから、などと杉原は約束していたが、杉原がずっと活動していたこと、舞桜や美桜もいたことから、この学校では魔法というものが普通に受け入れられていた。

 ただ、時々女の子なんかが、杏也の首に徐々に根を張っていく銀杏を見て、痛ましげな顔をしていた。

 実際のところ、痛いのかというと、そういうわけではなく、「侵食されている」という実感の湧くような違和感もないらしい。

 そうして恙無く二人は小学校を卒業した。

 その段階で、杏也には魔法科高校付属中学への入学が勧められていたが、杏也は「友達と一緒にいたいから」と断ったのだという。どうせ治る保証もないのだ。どこにいたって一緒だろう。

 中学に入ってからも杉原と杏也は一緒に活動していた。日に日に杏也の肌を侵食していく魔法花をどういう目で見たらいいかわからないという顔をする者が多かったが、杏也の人のよさと杉原のコミュニケーション能力でクラスメイトとは親しく話せる仲にまで至った。

 中には、魔法でロストという敵を倒すというところにヒーロー性を見出だして、二人を応援してくれる人までいた。

 魔法花が杏也に芽吹いてから変わったことといえば、杏也の鎮魂の威力だった。何故かわからないと本人は言っていたが、短い樹文で鎮魂を発動させられるようになったという。おそらく、魔法花との一体化によって、魔法の植物性に寄り添うことにより、魔法の本質を無意識に理解しながら魔法を行使するからだろう。そういう説があった。


 二年生の夏のこと。棒アイスを食べながら、杏也がふと言った。

「ねえ、健」

「ん?」

「もし、僕が死んだらさ」

「うん」

「泣いてほしいな」

 つ、と溶けかけたアイスが表面を滴る。

「当たり前だろ」

 杉原は反射的に返した。

「友達が死んで悲しくないわけあるか」

「ん、健ならそういうと思ってたけど、なんかね」

 アイスの残りをぱくりぱくりと食べてしまい、杏也は続けた。

「最近、不安なんだ」

 その顔面の左半分を、もう銀杏の木が覆っていた。黄色く染まった葉からひらりひらりと落ちていく。夏服のシャツは左半分がはだけられ、太い根が張った肩が露になっている。通常なら、こんな格好は校則違反だが、魔法のための教育改革などによって、魔法花の侵食が進んだ者が制服を着崩すのは認められていたし、杏也のこの状態を見て、反論できる者などいなかった。

「だんだんね、わからなくなっていくんだ。当たり前だった夏の暑さ、アイスの甘さや冷たさ、母さんの味噌汁の味、自分が好きだって言ってたもの……忘れるのが怖くて仕方ないのに心のどこかで『どうでもいい』とか思っちゃう自分がいるんだ。どうでもよくないのに、大事なことなのに」

 まだ侵食されていない右腕が、杉原の肩に触れる。その手はおよそ、生きている人間のものとは思えないほどに冷たく感じられた。

「ねえ」

 杏也の声は震えていた。

「これが魔法花に侵食されてるってことなのかなぁ? それじゃあ、最期には全てがどうでもよくなって死んじゃうのかなぁ? 怖いよ。僕、怖い。死ぬのが、怖い。でも」

 杏也はすがりつくように、杉原の服をぎゅっと握りしめた。

「最期まで、傍にいてね、健」

「うん」

 杉原はすがりついてくる杏也の震える右手にそっと自分の右手を重ねて、頷いた。


 翌日のことだった。

 朝から頭がガンガンと痛く、耳鳴りがして、つんざかれるような感覚で目が覚めた。最悪の目覚めだったと言っていいだろう。

 母が普段は朝に強いのにのそのそと起きてきた杉原を見て、あら、と声をかけようとした。

 が、そのとき杉原の耳にやたら明瞭に入ってきたのは、いつもなら聞き流しているテレビのニュースだった。

「速報です。本日深夜、突如として出現した台風がものすごい速さで本土に接近しております。多大な被害が予想されるため、推測避難区域にお住まいの方は速やかに避難できるよう、準備を整えてください。

 現在、予想到達時間は本日の正午となっております」

 その情報を聞き取った瞬間、いてもたってもいられなかった。

 朝ごはんも食べずに学生鞄をひっ掴んで、向かう先は学校ではなかった。

 持てる力の限りで空を飛び、頭痛と耳鳴りがひどくなる方角へと飛んでいく。

「健」

 途中、杏也に呼び止められた。

「連れてってよ」

「でも……」

 杏也は、これ以上魔法を使えば魔法花の侵食が完全なものとなる恐れがある。

 それをわかっていて尚、杏也は懇願した。

「最期まで一緒にいて」

「……」

 その言葉に逆らえずに、杉原は杏也を抱き抱え、飛んだ。

 今までで一番離れた場所に来た。隣県とかそういうレベルでは済まないくらい遠くに。

 けれど、「台風」と呼ばれるそれは腕が何本も生えて周囲のものを巻き添えにしてやろうという悪意の塊でできたロストだった。

「これは、直撃したらただじゃ済まないだろうね」

「風なら僕の領分だよ」

「うん、じゃあ雨の分は僕が鎮魂するよ。……僕のこと抱えたまんまで大丈夫?」

「誰に物を言ってるのさ」

 そうして、戦いが始まった。

 杉原はまず、魔法花の杉の葉で、杏也を守るためのバリアを作った。それから杉の葉を風の刃に乗せて飛ばし、腕を切り落としていく作戦だ。

 台風ともなると、風は凄まじかった。風を扱うから、空中戦なんていつものことなのに、いつものように思ったようには動けなかった。

「鎮まれ、切り裂け、凪げ」

 次々と樹文を投げていき、力業でくるロストの腕をいなして切り落としていく。ロストの嘆くような悲鳴が耳をつんざくが、ここで態勢を崩してはいけない、と歯を食い縛った。

 杏也は丁寧に樹文を連ねているようだった。こんな大物が相手なのだ。短い樹文だけでいなしている杉原が異様なのである。

 本来ならこんなできたての台風の中に人間が入ったら、吹き飛ばされるだけでは済まず、体が千々に引き裂かれてしまうのではないかというほどの暴風だが、杉原は少し辛そうながらもあっちこっちに飛び回っていたし、杏也は健の魔法花に守られていた。

 やがて、とんとん、と杏也から合図があり、杉原は杉の葉のバリアを解く。

 そこからは目を開けていられないほどの閃光が広がった。


「……ん、健?」

 杏也が気づいたのは夕方。見慣れた街で、杉原におぶられていた。

「杏也、気づいた?」

「台風、は?」

「杏也のおかげで消えたよ」

「よか、た」

「杏也」

 どこがいいかな、と震える声で呟きながら、杉原はよたよたと歩いた。いくら杉原が頑丈とはいえ、相手は自然災害である。とても疲れていた。

 ここは杉原たちが住む街の外れ。人気の少ない中、雑木林を縫って歩く。

「緑があると、落ち着くね。やっぱり僕ら、樹木魔法使いだからかな」

「そ、だね」

 少し、拓けた場所に着くと、杏也は下ろしてくれ、と頼んだ。

「……」

 杉原は、躊躇った。

 本当は、見たくはない。友達が木に押し潰されて死ぬところなんか。

 でも、杉原も杏也もわかっていた。

「じゃあ、座って話そうか。疲れたろ?」

「健、こそ」

 杉原が杏也を下ろして振り向くと……そこにはとても座っているとは言えない姿勢の何かがあった。かろうじて人間だとわかるのは、右腕だけ。

「健、いる?」

「いるよ」

 その右腕に触れる。体温はやはり、失われつつあった。

「わがまま、聞いて」

「なぁに?」

 少し躊躇った後、杏也は言った。

「しにたく、ないよぉ……」

 ずどん。

 それが、白銀杏也の最後の言葉だった。

 直後に杏也を蝕んでいた銀杏は土に根を下ろし、杏也の体は押し潰された。右腕だけが、掴んでくれ、とでも言うように、地面から生えていた。


 これが、杉原の知っている魔法使いの末路である。

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