第9話 勿忘草の魔法少女

 混乱しながらもなんとか終わった入学式。生徒会室には明葉と青髪の少女がいた。

「首尾はどうだ?」

「はい、滞りなく。ご覧になりますか? 杉原健の記憶」

「ああ、興味がある」

 すると青髪の少女は右の掌を見つめる。そこには最初、何もないのだが、徐々に青色で勿忘草を象った紋様が現れる。彼女の花紋だ。その上にうっすら青みがかったパネルのようなものが現れた。次第にそこにもやのような映像が流れ出し、その映像は徐々に明瞭になっていった。

 その画面に浮かび上がったのは、小学生くらいであろう杉原の姿ともう一人の男の子。明るい茶髪で少し気弱そうに見受けられる。

 画面が様々な映像を映す中、明葉が注目したのはやはり茶髪の男の子だった。

「銀杏の魔法使い……やはり存在したか。どうやら杉原と同級生のようだな」

「そのようですね。けれど、二年ほど前に亡くなっているようです」

 青髪がパネルをスライドすると映像の時間が飛び、雑木林を歩く杉原の姿が映った。その背中に背負っているのは、ほとんど全身が銀杏の木に侵された少年。もはや人間と形容していいのかすらわからない。

 それが土と結合し、少年が息絶えるところまで、映像がまとまっていた。

「ふむ……おそらく、以前こちらに来ないか勧誘した白銀杏也だな。魔法花の侵食にはやはり抗えなかったか」

「理由にしていた友達というのは杉原健のことだったようですね。彼がこの学校に今更入学するなんて、皮肉な話です」

 明葉は考える。杉原について。

 自分が目をつけている桜の魔法少女、夜長美桜とも知り合いであったし、彼女の兄である舞桜とも親しい仲のようだった。それに付け加え、今回の銀杏の魔法少年との繋がり。

「もしかしたら、杉原はもっと面白いネタを抱えているかもしれないな」

「では、調査を続行されますか?」

「ああ。だがお前の能力は警戒されるだろう。まずはこの白銀杏也の情報から調べてみることにしよう。あちらには桜と桜草がついているからな。贅沢な話だ」

「かしこまりました」

 明葉は考える。魔法使いたちのために何ができるか。紅葉寺家の者としてどれだけのことができるのか。

 それを示すために、明葉は生徒会長になったのだ。生徒会長になれば、学内の生徒の把握がしやすい。今の勿忘草の魔法少女のように、付き従う者を潜ませることもできる。

 舞桜と美桜はそれをよく思っていないが、杉原を手中に収めることができれば、その二人についても解決できそうだ。

「ふふふ、本当に面白いやつが入学してくれた」

 勿忘草の魔法少女が去った後も、明葉は笑っていた。自分の手で魔法の世界が変わっていく様を想像して。


 保健室。

「まさか早速使うことになろうとはな」

 舞桜が運んできた杉原をベッドに横たえる。

 美桜が心配そうに杉原の顔を覗き込む。先程桜のところで会った青髪の少女は「辛い記憶を忘れさせた」と言っていた。けれど、杉原の表情は歪んでいて、今にも涙を流しそうである。

「はーっ、紅葉寺の野郎、何を企んでやがるんだか」

「お兄ちゃんはさっきの人、知ってるの?」

「お前も知ってるはずだぞ。あの青髪は中学からの繰り上がりでこの高校に入学したんだ」

 えーっとな、と宙に無意味に丸を書きながら舞桜は記憶を辿る。話したことはないのだが、あの勿忘草の少女は紅葉寺をかなり慕っているようだったのをよく覚えている。

「確か、玲奈。夏森かしん玲奈れなっていう名前だ」

「あら、名前を覚えていただいていたんですね。光栄なことです」

 その声に舞桜がばっと振り向く。そこには青髪の少女、夏森玲奈が立っていた。舞桜は杉原を庇うようにベッドを背にして立つ。美桜も玲奈を見据えながら、杉原の手をぎゅっと握っていた。

 そんな二人の様子に玲奈はくすくすと笑う。

「まさかそんなに警戒されるとは。私はこれ以上は何も致しませんよ」

「どうだかな。紅葉寺の命令次第だろ?」

「当たり前じゃないですか。お忘れですか? 我々魔法使いが今こうして一般人と変わりなく生活を送れているのは、紅葉寺家の尽力があったからこそなのですよ?」

「だからって紅葉寺の悪趣味に付き合う気にはならねぇな」

 三白眼で見下すように玲奈を睨む舞桜。玲奈は首を傾げる。

「悪趣味、でございますか? 明葉さまはどこで虐げられているとも知れない魔法使いたちを保護しようとなさっているだけですよ?」

「どうかね。お前、紅葉寺に夢見すぎだと思うぜ」

 舞桜の言い切り方には美桜も疑問を抱いたが、それ以上に玲奈が憤慨した。

「明葉さまを侮辱するな! あの方は崇高な理念の下に行動をなさっている。所詮明葉さまに従ってこの学校に入るより他なかったお前ごときに明葉さまを否定する資格などない!」

「それ、どういうことかな?」

 舞桜は後ろから介入してきた声に驚く。美桜が健くん、と声を上げた。

「まだ寝てなきゃ駄目だよ」

「大丈夫、僕体が丈夫なのは昔からでしょ? それより、聞き捨てならないね。その言い方だと、まるで紅葉寺先輩が舞桜さんを『脅して』この学校に入学させたみたいじゃないか」

「あら、随分な言い様ですね。言いがかりです」

 玲奈がいけしゃあしゃあと言ってのけるが、杉原は退かない。

「馬鹿にするなよ。ロスト討伐で授業を休みがちだったとはいえ、ちゃんと勉強はしているんだ。言いがかりだとか何だとかは自分の発言を振り返ってから言うんだね。……それと」

 ぶわり、と杉原の周囲に何かが浮き上がる。それは刺々しい杉の葉たちだった。杉原が出した魔法花だということは容易に想像がついた。

「僕の大切な友達の記憶を奪った君のことは、許さないから」

「た、大切な友達って、何故覚えて」

「先天性の魔法使いを甘く見るなよ。何年魔法というものに触れてきてると思ってるんだ。対策の一つくらいはしてるよ」

 杉原はただ無為にこれまでの十五年間を過ごしてきたわけではない。他の魔法の知識だって、少なくはあるが、持っている。

 熟練の魔法使いであれば、完全に弾くことができたかもしれないが、錯乱状態でもあった杉原は記憶の一部を守るので精一杯だった。こうは言っているが、杉原が覚えているのは「大切な友達がいた」ということくらいだ。そこまで覚えているのに、思い出だけ消えてしまったことが、どんなに悔しいことか。

 玲奈にどんな理由が理念があろうとも、それだけは絶対に許せなかった。譬、記憶を取り戻す方法があるとしても、だ。

 そんな強い意志の宿った杉原の目に、玲奈は気圧される。魔法使いとしての能力値の圧倒的な差を見せつけられたようなものだ。

 だが、考えてみれば、杉原の言う通り、玲奈は杉原の記憶を奪いきれていない。今回忘れさせた記憶の中に舞桜や美桜とのやりとりは一切入っていなかった。これは杉原のみが知る話だが、姫川の秘密についての情報も、一つも玲奈の手には渡っていない。必然的に明葉も知ることができないのだ。

 舞桜も正直驚いていた。舞桜の知る杉原は小学生の頃の無邪気な様子の男の子だ。それが、ここまで変わるなどとは思ってもみなかった。

「明葉さまに、相談しないといけないみたいですね。……ごめんあそばせ」

 玲奈は神妙な面持ちで保健室から出ていった。

 そこから数秒、張り詰めた空気が続いたが、杉原がふう、と脱力し、魔法花が消えたことで緊張が途切れる。

 ベッドに沈んだ杉原を心配そうに美桜が見つめ、杉原の前髪を払って、額に手を当てる。じんわりと熱が伝わってきた。

「健くん、熱があるんじゃないの? 無理はよくないわ」

 妹の言葉を受け、舞桜が体温計を探しに行く。

「大丈夫……たぶん、久しぶりに怒ったから」

「確かに、健くんが怒るのはあんまり見ないけど……というかまさか、相手の魔法に抗ったなんて思ってなかった。なんでそんな無茶するの?」

 杉原は目を伏せる。

「……あんずちゃん」

「え?」

「記憶が曖昧だからわからないけど、杏ちゃんっていう子を守らなきゃ、と思ったんだ。僕の友達は死んじゃったから紅葉寺だってどうしようもないと思うけど、杏ちゃんは生きてるから……」

 美桜は考え込んだ。というのも、「杏」という名前に聞き覚えがあったのだ。自分の知っている人物なのだろうか。

 と悩んでいると、体温計を持ってきた舞桜が口を挟んだ。

「もしかして、白銀杏のことじゃないか? 美桜、覚えてるか? お前の同級生でやたら元気でフランクな性格の女の子」

「あっ」

 そこまで言われればわかる。白銀杏は銀杏の魔法少年、白銀杏也の妹だ。明るいオレンジ色の髪に日の光を映したような目映い金色の目が特徴的だった。笑うときに八重歯が見えるのがチャーミングだった記憶がある。

 話の流れからすると、杉原は杏也との記憶は奪われたものの、妹の杏のことは覚えており、杏を守らなければならない、と思っている。

 魔法に遺伝性はないが、舞桜と美桜のように兄妹で魔法にかかる例は少なくない。美桜が一緒に過ごしていたときはそんな素振りはなかったが、もしかしたら、後々何か兆候が表れていたのかもしれない。

 何の魔法かによっては、紅葉寺は手に入れようとするだろう。

「でもまずは、失くした記憶を取り戻さないと。杏ちゃんの安全のためにも、わたしたちが知らない間に杏ちゃんに何があったのか知らないといけない」

「同感だ」

 熱を測った結果、三十七度台、と微熱といった感じだ。

「少し長距離の移動になるが、動けるか? 健」

「ええ。宛てがあるんですか?」

「まあな。樹木草花魔法使いの力のほとんどは花言葉に由来するのは知ってるだろ? 勿忘草以外にも、記憶に関わる花言葉を持つ花はある。まあ、そいつと知り合ったのはたまたまだが。

 もう放課だし、学校から出てもかまわないだろう」

 そう言って、舞桜は身支度をするよう指示した。

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