第7話 銀杏の魔法少年

 小学校も最終学年の頃。杉原は舞桜に会えなくなって退屈していた。舞桜は上級生だけれど、気取っていなくて話しやすく、幼なじみであったから。

 それでも、魔法使いである以上、ロストと戦わねばならなかった。前までだったら、舞桜や美桜と一緒だったのだが、今は一人だ。

 とはいえ、ロストとの戦いには既に慣れきっていたから、杉原にとっては朝飯前。故に何もない学校の時間が退屈で退屈で仕方なかった。

「やあ」

 そんな杉原の前に現れたのが、席替えで隣同士になった男子の白銀しろがね杏也きょうやだった。

 杉原は腫れ物扱いされているわけでもなく、クラスメイトとは人並みに上手く付き合っていたが、ロストとの戦いも多く、改まって同級生と会話する機会というのが減っていた。

 白銀杏也は、何年か前までは同級生のうちの一人でしかなかった。けれど、杏也はある日突然、魔法を発症したのだ。それから、銀杏の魔法少年として一緒に戦うことが度々あった。けれど、彼はあまり体が強くなく、ロストが起こす自然災害の中で立っているのがやっとというくらいだった。いつだったか、鎮魂の祈りを捧げながら気を失っていたときは慌てて運んだ記憶がある。

 以来、あまり彼を連れて行かないようにしていた。杉原は体が頑丈で、天候の一つである風を操れるからこそ、立ち向かえるのだ、と実感した話でもあったからだ。

「なんか、こうして話すのは久しぶりだね」

「そうだね。体はどう?」

「あれからちょっと体鍛えたんだ。能力が覚醒したてだったのもあって、体がついていっていないのかもしれないってお医者さんに言われたよ」

 先天性と後天性の違いである。

 実は、先天性の魔法、つまり、杉原のような例は少なく、多くの魔法使いは小学校低学年から中学年の間くらいに魔法を発症して習得する、といった感じになっている。そのことから、先天性と後天性では体の作りが違うのではないか? という説が唱えられているが、それが本当かどうかは定かではない。

 ただ、杏也を見ていると、そうなのかもなぁ、と思う。

「って言っても、妹と遊んでいるくらいなんだけどね。二年下に妹がいるんだ。もう元気を形にしたんじゃないかってくらい元気が有り余っててさ、性格も男勝りだし、運動神経抜群だし……最初のうちはくったくただったよ」

 今はそれを毎日続けた甲斐あってか、長時間妹と遊んでも息が上がらない程度にはなったらしい。

 そういえば、以前は体育の授業を休みがちだったが、最近はみんなと一緒に走り回ったりしているな、と思い返した。

「健くんが言ってた、ロストが出た感覚っていうのも掴めるようになってきて。だからさ、今度は足手纏いにならないから、一緒に戦おう」

 杉原は杏也からの提案にきょとんとし、それからにかっと笑った。

「ん、ありがとう」

 一緒に戦おう、か。

 舞桜たちがいなくなってから、自分は一人だと思っていたけれど、ちゃんと、歩幅が合うように追いかけてきてくれる人がいる、ということに、心が温かくなるのだった。


「杏也くん、ロストが出た。行こう」

「うん」

 二人は魔法少年の二人組として認識され、一緒に行動することが多くなった。

 杉原の風の魔法で目的地まですっ飛んでいき、杉原がロストの風を抑える間、杏也が鎮魂の祈りを捧げる、というのが定着した動きだった。子どもながらに考えて戦っていたのだ。

 杏也は言っていた通り、体力が以前よりついたようで、以前のように祈りを捧げながら気を失うなどということはなくなっていた。それどころか、鎮魂の魔法がより強力になったようにすら思える。

 ロストを倒せば倒すほど、杏也は強くなっていった。RPGでレベルアップをしていくような感覚で、強くなっていくのが楽しかった。

「今日は数が多いな……僕たちちゃんと卒業できるかなぁ?」

 その日、何度目かのロスト討伐だった。浄化の力を使える舞桜がいなくなったことにより、ここら一帯のロストは杉原と杏也の二人で対処しなければならなくなっていた。

「大丈夫でしょ。確か教育の決まりがあるらしいから。それにちゃんと役場にも報告してるし」

 報告義務はこの頃からきちんとやっていた。ロスト討伐については何人でやったかも証明する必要があるため、討伐に加わったメンバーは全員報告に行かなければならない。杉原は役場慣れしてきていた。

 確かに、授業中に出ることが多いため、勉強面が心配である。しかし、二人共魔法使いとして役場で認められているため、そこのフォローもしっかりある。

「大丈夫だよ。先生が宿題ちゃんと全部やればいいって言ってたから」

 そう、授業に出席できない分、課題を多くするというものだった。魔法使いの生徒だけ居残りにすると教師の負担が増えるからだ。魔法使いも人数がいれば話は変わるが、彼らの学校には今杉原と杏也の二人しかいない。

 小学生で習う内容くらいなら親でも教えられるだろう、というのもある。これが中学、高校と上がっていくにつれて変わるらしいが、そんなに細かいところまでは杉原も知らない。

「よし、見えた」

「便利だよね、空飛べるって」

 目的地には枯れ木がいくつもあった。そこを黒い淀みが包み込み、雨を降らせている。

 雨が当たったところから木が朽ちていっているため、普通の雨ではないことがわかった。ロストの淀みも通常より濃い。

「範囲が小さいうちに片付けないと。雲を散らせるかやってみる」

 まずは杉原が風の刃を丸めた塊を上空の雲に投げてみる。が、雲は濃く、手応えも感じられなかった。

「うーん、やっぱりロストをどうにかするしかないか」

「じゃあ鎮魂やるね」

「うん、僕が牽制しておく」

 黒くここまで人型に近いロストは初めて見た。杉原は杏也に被害が及ばないように慎重に風を飛ばす。お互い探り探りといった感じだ。

「鎮めや鎮め、無念なる魂よ……」

 杏也はまだ鎮魂のための樹文を省略することができない。だから、時間稼ぎが必要だった。

 人型のロストは何度か攻撃を受けるうちに完全に杉原を敵と認識したらしく、杉原に向かって雲のようなものを投げてきた。黒い雲の塊。野球ボールほどのサイズのものだが、念のため避けないで受けてみる。杏也に当たるといけないからだ。

「っい……」

 当たった部分がじゅわっと蒸発するように音を立てる。手の甲が軽い火傷のような状態になっていた。

 これは上空の雲と同じ、物を溶かす水分でできた雲だ。そう判断した杉原は人型の方に踏み込み手に風の刃をまとわせて振るうことで、ロストの注意をより惹き付けることにした。

 なるべく、杏也から引き離すように。

 その動きは踊りを踊っているかのように見えた。軽やかなステップと時折混じるアグレッシブな動き。ロストと魔法使いの戦いは端から見ると奇妙なほどに華麗に見えるのだ。戦いというより芸術的な舞台を見せられているよう。

 戦い慣れている杉原の動きは目的が達せられているように見えた。

 が、鼻先にぽつり、と雨が当たり、焼けるような痛みが走る。

 見ると、上空の雲が広がり始めていた。このままでは杏也まで雨に晒されることになる。

「集え」

 杉原は樹文を唱え、自らの魔法花である杉の葉を大量に放出した。傘になるように、隙間なく寄せ集めて、杏也を守ろうと。

 だが、ロストへの攻撃が疎かになったことにより、ロストが新たな一手を放つ。空に人間の言語にはとても聞こえない何かしらを咆哮した。

 途端、雲から雨粒がわっと湧き出てくる。

 杉原は焦った。自分は風で弾けるが、杏也とは距離が離れすぎている。間に合わない。

 どうすることもできない現実から目を逸らしても仕方ないのに、杉原は次に来るであろう絵に備えて、思わずぎゅっと目を閉じた。

 しかし。

「あ、れ……? 痛くない……?」

 雨が当たるはずだったのに、当たった感覚がない。だが、雨は降り注いでいた。──大量の銀杏の葉と共に。

 銀杏の黄色い葉が、天からはらり、はらり。よく見ると落ちてくる最初は緑だが、雨に当たると鮮やかな黄色に変化していた。

 とても幻想的な光景で、優しい雨に変化していた。

「その御魂、浄めたまえ」

 樹文は今、完成したというのに、これは一体、と辺りを見回す。鎮魂は成功し、あれだけ色の濃かったロストは跡形もなく消えていた。

 銀杏が雨を柔いものに変えて、降り注ぐ。それは間違いなく、魔法花だった。銀杏の魔法花を出せるであろう人物はここには一人しかいない。

「きょーや、くん……?」

「健くん、無事? あ、手と鼻、怪我してる」

「銀杏、君が……?」

「そうみたい。健くんが声のない悲鳴を上げるのを聞いてたら、祈りの力がなんだか強くなったみたいで……」

 祈りという奇跡の顕現。その言葉に見劣りしない光景であった。次第に銀杏が雲からも毒性を吸い取り、晴れやかな空を明かしていく。

「きれい……」

 そうとしか言い様がなかった。銀杏により晴れた空は、今まで見たどんな空より鮮やかで眩しい色をしていて、雲が崩れた水滴が、きらきらと光を反射する。うっすらと虹が生まれていた。

 息を飲むような光景にしばらく魅入っていたが、杉原は慌てて杏也を見た。

「杏也くん大丈夫? 具合悪かったりしない?」

 そう、突然魔法花を具現化したのだ。体に変調が起きやすいことは聞き知っていた。

 杏也はにっこり安心させるように、大丈夫だよ、と言った。

 そっか、と杉原も微笑み返すと、ふと気づいたように手を伸ばす。

「あ、肩に銀杏乗ってる」

 何気ないことだった。落ちてきたのが乗ったのだろうと思っていた。

「痛い!」

 杏也の悲鳴に、杉原は目を丸くした。

 まさか、と思った。

 服の襟を除けて、髪の襟足を除けて、呆気にとられた。

 ──その葉は、杏也の首筋から直接生えていたのだ。

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