第7話


   9


 司と共に宝泉家の屋敷へと戻った龍一だったが、別段二人は共に過ごすわけでもなかった。龍一は本来はS市へと戻ってラボで研究作業に取り掛かる予定だったが、霧子の成人の祝いが二日後にあるためにまだ屋敷に残っていた。そのため、昼間は自室にこもりラップトップと向かい合わせだ。一方の司は、龍一に二階の客室をあてがわれたが、気ままに屋敷内を探索し、家政婦たちと談笑している。栄太郎は度々龍一の部屋に顔を出しては、司について何か炙り出そうとしていたが、龍一はまともに取り合わなかった。

 しかし夜になると話は別だ。

 家族が寝静まった頃になると、司はこっそりと龍一の部屋へ向かった。二階には龍一の部屋の他にも、もちろん両親の寝室や栄太郎に貸している部屋もある。彼らに見つかれば面倒ごとが増えるだけだ。

 部屋に鍵をかけてベッドの上で抱き合いながら何度もキスを交わす。龍一の広いベッドの上でころころと体勢を変えながら交わりを楽しむことが出来る。

「龍一のベッドは広くていいね」

 キスの合間に司がそう言って微笑んだ。

「ゲストルームのベッドはシングルだったか?」

「ううん、セミダブルだったけど……龍一のベッドの方が好き」

 その『好き』という単語が発せられると胸がきつくなる。

「明日はお前の部屋でやるか」

「どうして?」

「お前のベッドも使わないと、家政婦たちが怪しむだろ」

「終わったら向こうの部屋に戻れば大丈夫だよ」

「ダメだ」

 そんなこと許すはずがない。朝までこのベッドの中で二人で過ごすと龍一は既に決めていた。

 司がパジャマ代わりのロンTを脱いでいると、それを最後まで待たずに龍一が司の脇腹に手を伸ばす。

「やっぱり痕になってるな」

 鱗のタトゥーが赤橙色に染まって、まるで本物の熱帯魚のヒレのようになっている。

「龍一のせいじゃないよ、俺が一人で転んだんだ。気にしないで」

「あぁ、確かに俺のせいじゃねえしな」

 その言いぶりに司は苦笑いを浮かべて、

「龍一らしいね」と龍一の髪に指を通した。

「風呂の後軟膏は塗ったのか?」

「ううん、だって……塗ったら龍一がべとべとになるかと思って」

 龍一が司の顔を見ると、彼は少し照れたように目に下にしわを作って微笑んでいた。

「後で俺が塗ってやるよ」

 そして鱗の部分に唇を這わせると、火傷した後を慰めるように優しく舐めた。まるで犬か何かの様だと自分で思ったが、それでもそうしたかった。この白い肌に傷を作ってしまったのだから、少しでも痕が消えればいいと思いながら。

「あんまりかまってやれなくて悪かったな」

 司の上に体を重ね合わせ、その頬に手を当てながら呟くと、

「いいんだ、それにおばさんたちみんな親切だし」とキスを顔に受けながら司が答える。

「屋敷のどこを見て回った?」

「色々。あの仏壇大きくて豪華だね」

「あぁ、婆さんのあれか。ちゃんと綺麗にしとかないと爺様がうるさいからな、母さんがいっつも張り切ってやってるみたいだ」

「おばあさんも喜んでると思うよ」

 龍一が司の中に挿入すると、司は言葉を発する余裕がなくなってきた様子だった。長い脚を龍一の背中に絡ませて、甘えるような声を出す。そして熱を帯びていくほどにじんわりと発する司の香りにまたしても龍一は引き込まれた。腰を突き動かしながらその首筋に顔をうずめる。

 たまらない……頭がどうにかなってしまいそうだ。

 司にキスをしながら彼の中心を握ってやると、びくっと体が震えた。

「んんっ……」

 龍一の口の中で嬌声を上げながら、先の方を指で刺激してやると司は大きく体を痙攣させて白い液を吐き出した。そして一段と激しく腰を打ち付けながら、龍一も絶頂に達する。肩で大きく息をしながら司に身を委ね、その首に吸い付いた。すると、臀部に違和感を感じて顔を上げると、司が何も言わずに龍一の尻を揉んでいた。

「何してんの……?」

「俺龍一のお尻好きだよ。筋肉ついててプリッとしてるから」

 笑いながらそう言った司の手はまだどこかひんやりとしていて。

「よおし、二回戦だなこの野郎」

 龍一は司の両手を握ると、そのままシーツの上に押し付けて再び体を繋げた。

 翌日の夜も、同様に龍一は司を抱くつもりだった。予告通り司の部屋で抱いてやろうと遅くに客室のドアを開けてみると、そこにはいるはずの司の姿はなかった。

(おかしいな、もうとっくに風呂は済ませていたはずだが)

 そこに、背後から司が現れる。

「どこに行ってた?」

 龍一に問いに、「ちょっとトイレだよ」と何事もなかったように司が答える。龍一は部屋のドアを閉めると、

「今夜はこのベッドを使ってやらないとな」といやらしく笑った。

「いいけどあんまり音立てないでよね、この部屋は龍一の部屋と違って鍵が無いんだから」

 ベッドに腰掛けた司の上に伸し掛かりながら、

「それはこっちのセリフだろ。お前が大声出さなきゃ平気だ」と唇に噛みついた。

 蛍光灯の電気をつけたまま二人は体を重ね合わせる。セミダブルとは言えども、成人男性二人が寝るにはやはり狭い。けれどそこがまたいい。白い絹のような司の背中はほどよく筋肉がついていて実に綺麗だ。その上に自らの体を重ねて、繋げた下半身をゆっくりと堪能するように突き動かす。背丈はほぼ変わりないが、こうして包み込むような体勢になると司の背中が龍一のものより一回り細いことが分かる。伊達に空手で鍛えた肉体ではある。司には尻しかお褒めの言葉は貰わなかったが、背筋も胸筋もそれなりにはあると自負していた。ただし最近はその上に柔らかい肉が乗ってきたが。

 シーツにしがみつく司の手を握りこみ、そのひんやりとした体温を徐々に上げていく。香しいその肌がまるで媚薬のように龍一を誘い込む。左手で司の顔を上に向かせると、何度も深く唇を合わせた。もはやこのキスは何の意味があるのだろうと考えるほどに龍一は夢中になっていた。セックスをしているからキスをしているのか、それとも司に対して想いがあるからキスをしているのか。ただ言えることは、彼とキスをしていると体がデンキブランを飲んだ時のように熱くなって、そして感じる。

 自分の吐く息と司の嬌声の合間に、何か背後で物音がしたような気がした。体を繋げた状態で後ろのドアの方を振り返るが、もちろんそこは閉じられたままだった。

(またジロウか?)

 今はそんなことに構ってられない。タロウだったら勝手にドアを開けて侵入してくることもあったが、ジロウには不可能だ。司の前に腕を忍ばせ、そこを握るとまた高い嬌声が司から漏れた。

「あぁっ……もうやだっ……ああっ」

 扱いてやると泣き声に近いような喘ぎを出す。またそれが龍一を刺激し、動きを速めていく。司が泣きながら達すると、ほぼ同時に龍一も司の中で果てた。

 司の体を反転させてその体を抱きしめる。唇にキスを落としながら、龍一からある言葉が漏れ出そうになった。

 けれどもまだ、その言葉は言うべきではないということも、龍一は知っていた。



   10


 その翌日の夕刻に、霧子は再び宝泉家の屋敷へ訪れていた。初めて顔を合わせる司に、龍一は霧子を紹介する。

「司、いとこの小野里霧子だ。霧子、こっちは俺の友人の波多司」

 もちろん霧子は以前龍一から相談されていたので、司が例の謎の美青年だということに気付いていたが、そこは顔に出さずににこりと優美な笑顔を見せた。

「はじめまして。いとこの霧子です。こんなイケメンが龍一の知り合いにいたなんてびっくりだわ」

「はじめまして。こちらこそ、可愛いいとこさんに会えて光栄だよ」

 司がイケメンオーラ満開で微笑みながら霧子の手を取り握手をした。霧子の顔がパッと桃色に色づき、急に女の顔になった。

(この野郎、こういう風に女どもを手懐けてきやがったのか)

 面白くない龍一は二人の握手を早々に打ち切り、

「おい、俺のいとこを口説くんじゃねえよ」と司に突っかかった。

「別にそんなつもりじゃあないよ」

 霧子は龍一の表情を見て天を仰いだ。

「はいはい。そこまでにして。それより栄太郎は?」

「さあな。ダイニングにでもいるんじゃねえか。そう言えば霧子が来たら開けたい酒があるとか何とか言ってたし」

「まったく。今年もろくに仕事しないつもりなのかしら」

 そう言うと霧子はダイニングルームの方へと姿を消していった。

 夕食を終えて夜も更けた頃、龍一と司は霧子と栄太郎に呼ばれてリビングに入った。何やら明日の成人の祝いの前に、若いメンバーだけで飲みたいのだそうだ。栄太郎が用意した金箔入りのシャンパンがあった事は、夕食の際に視界に入っており気付いてはいたが。

「どうせ明日は年寄り臭くてストレスが溜まるだけだし、本当のお祝いパーティーを今やっておきたくてね」

 誠二もいたら良かったんだけど、と霧子が付け加えた。

「でも代わりに司君がいるから問題ないでしょ」

 栄太郎が奥のテーブルの上でシャンパングラスを四つ用意している。

「問題ないどころか満点だわ」と霧子が司に笑いかけた。

 司もさっと霧子の方へ寄って行き、隣の席に腰掛けると楽し気に会話しだした。その笑顔が龍一と話している時の笑顔とは違うような気がして、実に面白くない。龍一は二人が腰掛けるソファの横の一人掛けの椅子に腰かけた。テーブルの上にあるクラッカーに手を伸ばして、ぼりぼりと音を出して食べていると、霧子が軽蔑するような視線を送って来た。

 くそ、女のオーラ出しやがって。猫かぶってんじゃねえよ。

「はいはい、お待たせちゃん」

 栄太郎がそこへトレイに乗せたシャンパングラスを運んでくる。

「すごい、本当に金粉が入ってるわ」

「どうせ何の味もしないだろうが」

 霧子の言葉に毒を吐いて見せると、

「お祝いだからいいんだよ」と栄太郎がウィンクをした。

「はい、霧ちゃん」

 栄太郎が霧子にグラスを渡す。そして次に龍一の方へ「ほい、龍ちゃん」とトレイを差し出すと、司が立ち上がって二つグラスを手に取り、自分と龍一の前に置いた。

「はい、龍一」

 たったそれだけの気遣いに嬉しくなる自分はバカなのではないかと疑った。

 そして栄太郎が霧子と司の正面の椅子に腰かけ自分の分のグラスを手にすると、

「じゃあ乾杯」

 龍一もグラスを持った右手を上げる。

「と言いたいところだけど、普通に乾杯しても楽しくないからさ、ここでいっちょゲームでもやらない?」と栄太郎はウィンクをした。

「ゲーム?」

「何の?」

 龍一と霧子から同時に疑問の声が上がる。

「ドンピシャゲームだよ」

「何それ?」

「俺が考えた」

「ネーミングセンスねえな」

 そして栄太郎が楽しげな顔で説明を始める。

「例えば俺が霧ちゃんと対戦するとするね。まず俺は霧ちゃんの本当のことを一つ喋るんだ。例えば、霧ちゃんの体重は五十キロ以上ある、とかね」

「ほんとデリカシーがない男ね」

「しかも微妙な数値を言ってくるあたり憎いな」

「それでもし当たってたら霧ちゃんがシャンパンを飲む、外れなら俺が飲む」

 龍一は霧子と顔を見合わせる。

「別にやってもいいけど」

「何か罰ゲームみたいだな」

 司はずっと黙っていた。

「じゃあまずは俺から行くよ。半時計回りで霧ちゃんに真実を話す」

 栄太郎がシャンパンを持って霧子の方へ体を向けると、

「待って」

 と今まで黙っていた司が急に声を出した。驚いて龍一が彼の方を見ると、司は栄太郎に

「霧子ちゃんは今聞かれたばっかりだから、今度は逆に霧子ちゃんが君に聞いた方がいいんじゃない?」と言った。

 栄太郎は一瞬目を丸くして驚いたが、すぐに面白そうに笑みを浮かべる。

「ちゃんと話したのは今夜が初めてだけど、あんた意外と面白いかも」

 その言い方に龍一は何か引っかかるものを感じた。

「じゃあさ、俺と司君でやってみようか。俺、どうしても聞きたいことがあるんだ」

 司は緊張した表情を浮かべると、小さな声で「いいよ」と返事した。

 龍一はどこか空気がおかしくなっているような気がしたが、何がおかしいと聞かれるとそこまでは分からない。

「じゃあまず司君が俺に真実を言ってみて」

 栄太郎は背もたれに深く腰掛けて、足を組んで司を見やる。

「じゃあ……」

 司は何か考え込むと、しばらくしてから口を開いた。

「このシャンパンは……本当にシャンパンなのか?」

 その言葉に、龍一と霧子はハッと息をのんだ。

「ちょっとちょっと! 形式が違うじゃない、質問形式じゃなくて言い切るんだよ。このシャンパンは本物のシャンパンではない、ってさ」

 そしてウィンクする栄太郎の顔を食い入るように龍一は見つめた。

「さすがだね……」

 そう言って栄太郎は自分のグラスを口元に近づけると、一口飲み込んだ。

「実はこの中に一つだけシャンパンじゃなくてデンキブランが混ざってる」

「は?」

「嘘でしょ?」

 龍一と霧子が顔をしかめた。

「あ、だめだめ匂いは嗅がないで。デンキブランと炭酸水とお酢のミックススペシャルだからさ」

「うげえ」

「完璧罰ゲームじゃない」

 龍一は霧子と顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。まぁ、何とも栄太郎らしい趣向だ。

「ちなみに俺のはセーフ」

「自分で入れたからでしょ」

 霧子から不満の声があがった。

「まぁまぁゲームですから」

 そう言って栄太郎はまたごくごくとシャンパンを飲んだ。

「じゃ、次は俺の番だね」

 栄太郎が挑戦的な目つきで司を見た。

「俺が初めて君に会ったのは、龍一と君が海で出会った夜だ。この部屋で体を温めてるときに二人が交わした話の内容を俺は聞いていた。それでここからがゲームの真実だ」

 栄太郎は姿勢を司の方にぐっと前のめりに寄せると、こう言い放った。

「あの夜君が龍一に話した内容は全て噓だ。君は波多司ではない」

 その言葉に、龍一は目を見開いた。そして司の顔を見ると、彼は真っ青になって震えていた。その震えのせいで持っていたグラスの液体が波打つ。彼の薄い唇はわずかに開いてはいたが、次の言葉は出てこなかった。

 嘘だろ、嘘だって言えよ!

 龍一は心から願った。震え出しそうなのは龍一も同じだ。ただ一言、その柔らかい声で、「違うよ、本当に魚なんだ。男になったんだ」と言えばいいんだ。

 司は今にも涙が零れそうな瞳で、震えたグラスを口元に近づけた。

(そんなはずない! だってこんなにも顔が似ているのに! その瞳は司のものなのに!)

 三人が見つめる中、意を決した様に司はグラスのシャンパンを一口飲み込んだ。

「司……?」

 龍一が思わず声に出すと、司はそのまま口元を手で押さえて俯いた。そして次の瞬間、ゴホッとシャンパンを少し吐き出した。

「司?」

 そのまま咳き込むように司は何度か咽る。

「それがデンキブランだったの? 私のはセーフかしら?」

 霧子が司がデンキブランを飲んで咳き込んだのだと思って、自分のシャンパングラスを口元に近づけた。

 しかしおかしい。

 司は以前デンキブランを飲んだ時はこんな反応をしなかった。むしろ龍一よりも量的には飲めていた方だ。たかがお酢が入っているからと言ってこの反応はおかしい。

「司? 司?」

 すると、司は口元を押さえたまま床に崩れ落ちた。

「司! おい、大丈夫か? 司!」

 司はぐったりとしたまま動かない。龍一は全身の血が沸騰しそうな感覚に陥る。

「お前、何を入れた?」

 栄太郎を見上げると、そこには冷たい目をした男が這いつくばる司を見下す様に立っていた。

「龍一のグラスに毒が入ってると思って自分のと交換したんだろうけど、残念。毒は両方に入ってたんだよ」

 栄太郎の言葉に耳を疑った。そして司は最後の力を振り絞るように霧子の方を見た。

 龍一は気が付く。毒は自分と司ではなく、自分と霧子に入れられていた事に。

「霧子! 飲むな、吐き出せ!」

 龍一の叫びに霧子は驚いて口に含んでいたシャンパンをグラスに吐き出した。

「吐き出せ! 司! おいっ、吐き出せ!」

 司は既に気を失っている様だった。

「吐き出せよ! 誰か! 誰か!」

 龍一の悲鳴を聞いて、何人かの家政婦がリビングに駆け付けた。

「胃の中のものを吐き出させて洗浄して」

 霧子が家政婦らに告げると、ぐったりと動かなくなった司の元へ家政婦らが囲んだ。

「司っ……司……」

 とてつもない恐怖が龍一の体を襲う。

「余計な事しやがって、バケモノが」

 栄太郎が呟いた瞬間、霧子は怒りに任せてグラスを手にしたが、その前に龍一が栄太郎の顔を殴り飛ばしていた。そのまま栄太郎も気絶したようで倒れたまま動かなくなった。


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