第十六話 奮闘するアグネスタキオン
〜アグネスタキオン視点〜
僕は騎乗する騎手の言葉に、一瞬だけ頭の中が真っ白になった。
こいつ、レースで勝つつもりがないのか?
騎手はどんな時でも全力で挑み、騎乗する馬を勝たせるために必死になるものではないのか?
馬にも様々な性格があるように、人間にも色々な性格の者もいるだろう。だけど、こんな性格の騎手は初めてだ。
この男に頼ってはダメだ。例えとんでもなくデカいハンデを背負ったとしても、僕は全力を出して走ってみせる。
『先頭ダイワメジャーですが、2番手との差は半馬身。ここで更に後続が距離を詰めにかかる。坂を駆け登って第3コーナーを曲がって、第4コーナーへと向かっていきます』
くそう。坂がきつい。ムキになって速度を上げすぎてしまったか。ペース配分を間違えてしまったみたいだ。
『ここで先頭はメイショウサムソンに変わりました。その後をダイワメジャーとビートブラックが追いかけ、1馬身差でトウカイトリック。その後をジャングルポケットとリンカーン、マンハッタンカフェ、スピードシンボリが控えている形です。先程5番手だったアグネスタキオン、次々と追い抜かれていきます』
『ヒュー、ヒュー、ゼイ、ゼイ』
息が苦しい。呼吸が満足にできない。もしかして、無理に走ったせいで喉鳴りの病気が発症してしまったのか?
霊馬となった今では、病気などにはかからないが、バッドステータスと言うものが存在する。史実通りのその馬特有の病気や怪我が条件を満たすと発動する場合や、競走を無理にした場合に誘発的起きる場合もある。
僕は喉鳴りを経験したことがない。おそらく後者だろう。
呼吸が悪くなったことで、頭がぼーっとするし、体に倦怠感を覚える。このままではまずいな。最悪競争中止をしなければならなくなるだろう。
でも、僕はこんなところで諦める訳にはいかない。僕の勝利を信じて応援してくれている人もいるんだ。そんなみんなの期待に応えられなくって、何が無敗の幻の馬だ。
「アグネスタキオン、辛そうだね。回復はまだあるから、いつでも使ってあげるよ」
騎手が回復させてくれると言うが、心から信じることはできない。だって、さっきも回復させると言いながら、速度低下のおまけ付きのアビリティを使ってきた。
競走馬が騎手を信じられないなんてことは、あってはいけないことだ。でも、この男はこのレースで勝つつもりはないと言う。なら、僕は僕の力を信じて、全力で走るだけだ。
きっと、このレースを走り切った頃、僕はこの世から消えるかもしれない。全力を出しすぎたために、僕の史実にあるバッドステータス【燃え尽きた高速粒子】が発動して、肉体が維持できずに消えることになるだろう。
それでもいい。だって僕は当時世代最強馬だったんだ。その力に恥じない走りで、みんなの期待に応えてみせる。
最後まで走りきる。例え最下位でゴール板を駆け抜けることになったとしても、僕は僕の全力を出すだけだ。
『ヒュー、ヒュー、ゼイ、ゼイ……はぁ、はぁ、ふぅふぅ……よし……競走馬の先輩方! 後輩たち! この僕、アグネスタキオンがこの長距離でどこまで通用するのか、試させていただく!』
僕は呼吸を整えた後、思いっきり叫んだ。これ以降は競争中に声を出すことはできなくなるかもしれない。最後の力を振り絞って出した声だ。
「なぁ? どうして、そんなに食らいつこうとするんだよ。全力で走って負けたら嫌じゃん。それだったら、最初から頑張らない方が良いに決まっている。それなのに、どうして君は、そんなに諦めないで全力で走ろうとするんだよ。僕がわざと勝たないようにしていることくらい、分かっているだろう?」
僕の言葉に何か感じるものがあったのか、騎乗する騎手が声をかけてきた。
そんなの決まっているじゃないか。競走馬である以上、走って勝ちたい。勝って応援してくれているファンのみんなを笑顔にしたい。それが競走馬の呪いとも言えるかもしれない宿命なんだ。
僕は心の中で叫ぶ。もう、声に出して言う力は残されていない。
横から次々と後続の馬が追い抜いていく。追い込みを得意とする馬たちが、追い抜き体勢に入っていることが分かった。
「おい、
急に僕の名前を呼ばれてハッとする。エアシャカールに騎乗する騎手が、僕の名前を叫んでいた。
しかし、彼は僕のことを見てはいない。彼の視線は、僕に騎乗する騎手に向けられている。
「お前がそんなんでは、アグネスタキオンが可哀想ではないか! 確かに、子どもは親に名前を名付けられ、自分で決めることはできない。名にかかる重圧はとんでもないだろう。だけど、逃げるな! 己の名前と立ち向かえ! でないと、お前はこれからも逃げ続ける人生を送ることになるぞ!」
エアシャカールに騎乗する騎手が声を上げると、彼は正面を向いた。
「俺にできるのは、お前の尻を叩いてやることだけだ。最終的には、判断するのはお前だ。でも、少しでも今の自分を変えたいと思う気持ちが心の片隅にでもあるのなら、抗ってみせろ。本当のお前は凄いんだってこと、俺は誰よりも知っているつもりだ。俺は先に行く。最終直線でお前が這い上がってくることを信じているからな」
そう告げると、騎乗した騎手はエアシャカールと共に走り去って行く。
名前の重圧? 逃げている? 立ち向かえ? なにを言っているんだ? 騎乗する騎手は、過去に何かあったとでも言うのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます