第3話

「そ、そんな……どうして……」


 千尋(騎士)の声が震える。


「それにあの高さまで普通の『私』が跳ぶなんて……もしや彼は今覚醒を?」


 果歩と千裕の身体が落ちた。その際に彼らはそれぞれ腕や足を負傷した。それでも果歩は這いずりながら兄の元へ。


「お兄ちゃん、どうして……」

「果歩、大丈夫か……? って、大丈夫じゃないか……」

「待ってて! 今救急車を呼んでくる!」

「その必要はないよ……僕のことは僕が一番分かっている。もうすぐ僕は……。だから最期に聞いて欲しいことがあるんだ」

「……」

「友達を沢山作って楽しく生きて……。それとね、なんとなく分かるんだ。果歩が力に目覚めることが。根拠はないけどね、はははっ……。もし本当に力に目覚めたらみんなを助けて……僕たちみたいな人を一人でも救って…………」

「お兄ちゃん?」

「……」


 返事はない。

 雨が降り始めた。


 別世界の千裕たちは彼女たちを見ていない。この世界の行く末を議論している。


 雨が降り続けている。


 果歩はもう兄に呼びかけていない。彼がもう絶えたことが分かっているから。そんな彼女の心を満たしているのは復讐心。未だに誰も果歩たちを見ていない。彼女はゆっくりと立ち上がると空を見上げた。果てのない青は閉ざされている。そのとき彼女は自分に異変が生じたことに気が付いた。手のひらを広げればそこには淡く光る糸。それの扱い方を知っている果歩は意識を集中させた。すると糸は動き出した。


 一方で別世界の千裕たちはというとこの世界を放置するべきか否か言葉を重ねていた。眼中に果歩たちはない。だが英雄としての経験が「それ」を感じ取った。


 殺気。


 この場に流れるそれの源を見ればそこには果歩と千裕(?)が立っていた。項垂れて立っている彼の胸元には矢が刺さったまま。首に巻き付いた糸の端は果歩の手の中。


「何が……何が起きてんだよ!」


 千裕(弓)が叫んだ瞬間、千裕(死体)はすでに彼の真横に立っていた。そして顔面を掴むと地面に叩きつけた。後頭部が割れて血が弾む。眼球はぐるりと回り白目。瞬殺。彼は息絶えた。


 常人ならば目の前で起きたことに呆然と立ちすくむかパニックになるかどちらかだろう。

 だが彼らはヒーロー。一瞬で状況を把握し、一斉に千尋(死体)に挑む。

 対して屍はひとりひとり相手をした。目にも止まらぬ速さで。


 千裕(蜘蛛)はすべての腕を引きちぎられた。

 千裕(魔女)は奪われた杖で喉を貫かれた。

 千裕(機械)は胸元の重要なパーツを破壊された。

 千裕(拳法)は両腕を折られたうえに顔面に膝蹴りを受けた。

 千裕(双子)は手刀でそれぞれ真っ二つにされて四つになった。

 千裕(狼男)は耳と尾をちぎられ、折られた牙で刺された。

 千裕(高速)は逃げようとしたが両足を折られ、奪われ、それで殴られた。

 千裕(軟体)は首を掴まれると振り回され、首から下が千切れた。

 千裕(松明)は松明を奪われ、口に押し込まれ、凍った。

 千裕(騎士)は千裕(死体)の拳を盾で受け止めた。


「果歩! 君が彼の死体を操っているんだろう!? やめるんだ!」


 だが果歩は返さない。

 代わりに屍が拳で応える。

 騎士は再度盾で受け止めると彼女たちに体の正面を向けたまま後方に跳んだ。


 千裕(死体)が消える。


 そして騎士は殺気と腐敗臭を背後に感じた。

 振り返るとそこに屍がいた。


 それが放った拳が千裕(騎士)の背中に当たる。

 吹き飛び、地を転がる騎士。転がりながらも盾で地面を押して宙へ。吹き飛ぶ勢いは殺せていない。だが空中で体制を整え、着地。剣を地面に突き立てることでなんとか止まることができた。


 しかしまたしても屍は千裕(騎士)の背後に回り拳を放ったが、彼は冷静だった。今度は受け止めるのではなく、伏せて拳を回避。そして拳を突き出したことに伴って露わになった脇腹に伏せたまま剣を突き刺す。


 屍はそれでも変わらず動いた。脇腹に剣が刺さったまま拳を騎士の顔面に繰り出した。


 吹き飛ばされる騎士。


 屍は飛ばされている騎士に追いつくと回し蹴りをこめかみに放つ。


 木々や街灯をなぎ倒し、公衆トイレを突き抜け、海沿いのフェンスにぶつかってようやく騎士が止まる。

 立ち上がろうと片膝をつくが、恐怖と痛みに足が震える。

 そんな足を僅かに残っている闘争心で殴ることで強引に震えを止めた。


 だがそれは果歩たちの前では無意味だった。


 果歩と千尋(死体)が騎士の前に立ち、見下す。騎士たる者が敵に膝をつき、見上げることは屈辱でしかない。それでも彼は嚙み殺して果歩に問う。


「君は何をしたのか分かっているのか!? 別世界の私たちを殺したということは各々がいた世界から戦士がいなくなったということだ!」

「だから?」

「それらの世界はヴィランに支配され、悲しみにくれる者で溢れるぞ!」

「だから?」

「君は責任をとるべきだ!」

「知らないよ、そんなこと」


 果歩の意思に従って屍は騎士の首を掴んで持ち上げた。


「確かにね、私の命一つでお兄ちゃんが覚醒して多くの人が助かるならそれが正しいのかもしれない。けど私は生きていたいよ。お兄ちゃんとさ」

「……」

「別世界がこうだからってこの世界にも押し付けないでよ」

「……」

「もしかしたら別世界の私も生き続けたかったんじゃない?」

「……」

「…………あっ、しまった。強く握りしめちゃってた」


 手足がだらんと垂れ下がった騎士に反応はない。

 動く屍は動かない屍を海に放り投げた。


「さよなら、別世界のお兄ちゃん。……さぁ! 帰ろう! お兄ちゃん!」


 果歩は買ってもらった服が入っている紙袋を拾うと、兄と手を繋いで帰路についた。

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