5 偉い人③

 こんなことで悩む俺もバカみたいだけど、それでも……綾のことを諦めるのはできなかった。一緒に過ごしてきた時間を俺は否定できない。好きだったから、楽しい思い出もたくさん作りたかったから……。そして「連夜くんと一緒にいる時が一番楽しい!」って、そんなことも言っただろ……! 綾。


 この状況は、とてもつらい。

 俺は先輩にもらったジュースを見つめながら、冷静を取り戻し、教室に戻った。


「…………」

「どこ行ってきた?」

「ああ……、ジュースを買いに…………」

「はあ? さっき飲んだだろ?」

「まあ……」

「あ、そうだ。お昼、一緒に食べるよな? 彼女と」

「うん」


 先に彼女ができたのはいずみの方で、俺と綾が出会ったのはその後だった。

 一年生の時「一緒にお昼食べよう」と、吉岡の友達を呼んだのがきっかけになって俺たちはそこで仲良くなった。いつもテンションが高いいずみとは違って、俺は女の子の前ですぐ緊張してしまうから友達以上は無理だと思っていた。でも、綾はそんな俺を理解してくれる優しい女の子だった。


 俺のそばに座って「緊張してる?」って言ってくれたのをまだ忘れていない。

 恋に落ちるのはあっという間だった。


「昼休みー! お弁当食べよう!! いずみくん!」

「るみちゃんだぁ! 行くかぁ!」

「おう!」

「連夜くん、お昼食べよう」

「うん」


 綾と付き合ってからいつもこのメンバーでお昼を食べている。

 場所は眺めのいい屋上。

 そこで俺たちの青春物語を作っていた。


「どうしたの? なんか、疲れてるように見えるけど。連夜くん」

「ううん。なんでもない、ちょっと寝不足かな」

「あっ! ご、ごめんね。…………心配してたよね?」

「…………」


 いつもの笑顔で俺の頭を撫でてくれる綾、すごく幸せだった。

 やっぱり、俺には綾しかいない。この人じゃないと……俺は生きていけない。綾と話してみればきっと……、きっと誤解だったと言ってくれるはず。俺は最後まで綾のことを信じようとしていた。


 そして、自分の目を疑ってしまう。


「ひひっ。心配かけてごめんね」


 なんだ……? 綾の首にわけ分からない赤い痕があるけど、それはあれだよな?

 いくら女子経験がゼロだとしても、それくらいは知っていた。首筋に残っている赤い痕……、それは「キスマーク」だろ。でも、朝までなかったはずのキスマークがどうして今……。


 まさか、まさか……、本当に…………? えっ? あの先輩と学校で?

 生徒会室で……? あんなことを?

 付き合ってからけっこう時間が経ったけど……、俺たちはまだキスもしてないカップルだった。なのに……、知らない男にキスマークをつけてもらったのか。そして、綾はそれを許したのか? 本当に信じられない。


 嘘だよな? 嘘だよな…………。


 俺の世界が完全に壊れてしまった。

 あまりのショックに涙が出そう。それでも、我慢しないと……。


「あれ?」

「うん?」


 そして屋上の扉を開けた時、朝比奈先輩と月島先輩が向こうのベンチでお昼を食べていた。

 なんで、こんなタイミングに……。

 しかも、俺……朝比奈先輩と目が合った気がするけど、気のせいだろう。


「あっ。し、失礼しました! 他の場所に行こう、るみちゃん」

「うん」

「待って、ここで食べてもいいよ」

「い、いいですか? 邪魔だったら他の———」

「いいよ」


 この威圧感……。


「は、はい……」


 ちらっと先輩の方を見たけど、やっぱり……こっちを見てる。

 それに陽キャのオーラがすごい。声をかけることすら許してくれないような、そんな雰囲気を出していた。


 そして朝比奈先輩は彼氏の浮気を知ってるはずなのに、普通にお昼を食べてる。

 先輩……大丈夫かな。


「うわぁ……、怖かった。朝比奈先輩の顔見た?」


 小さい声で話す吉岡は、先輩の冷たい声と表情にすごく怯えていた。

 やっぱり、そうなるよな。分かる。


「大丈夫、俺たちは普通にお昼を食べるだけでいい!」

「うん! そうだよね」


 朝比奈先輩と月島先輩の間に何があったのか、俺は分からない。

 でも、浮気をしたのは事実だから……。今、ベンチで一緒にお昼を食べてる先輩も俺と同じことを感じてるはずだ。それになぜ浮気をした人とすぐ別れないのか気になるけど、確実な証拠が欲しいって言ったから、選択肢は一つしかない。最初からこうなるのを知っていたけど……、俺はずっと迷っていた。


 知らない男に抱かれた彼女を、俺は……一体どうすればいいんだ。


「あーん」

「食べさせてくれるのか! るみちゃん!」

「そうだよ〜。あーん」


 なんか、羨ましい。俺もいずみみたいに普通の恋がしたいな。

 でも、頭の中には綾のキスマークでいっぱいだった。


「連夜くん? あーん」

「あっ、う、うん!」


 普通の関係だったら喜ぶべき状況だけど、心がすごく痛い。

 何を考えてるのか全然分からない……。

 そして月島颯太とあんなことをしたのに、いつもの自分を演じる綾。それが怖すぎて俺は耐えられなかった。


 俺、本当に裏切られたんだ。

 今更……、だけどな。


 ……


「あ、あの……朝比奈先輩……」

「うん。柳くん」

「何をすればいいんですか? 俺は……、何をすればいいんですか? 綾の首にキスマークが……。知らない男につけてもらったキスマークがぁ……。朝比奈先輩……俺は一体どうすれば…………」

「柳くん。まずはリラックスしよう……」

「す、すみません……。誰にも相談できなくて……、つい。本当にすみません」

「ううん。それは、柳くんのせいじゃないから」

「はい……」


 家に帰ってきた俺はすぐ先輩と電話をした。

 そして、一つ気になることがある。なぜ、先輩は冷静でいられるんだろう?


 先輩はすべてを知ってるはず。

 でも、俺と違って全然動揺しなかった。


「…………」

「落ち着いたみたいだから、外で会おう。今から場所を教えてあげる」

「は、はい……」

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