知らないフリ

トモユキ

第1話 知らないフリ

 母さんは、俺が六歳、妹が二歳の頃に病死した。

 美人薄命。綺麗な人だったけど生来身体が弱かったと、父から聞かされた。

 確かに、遺影写真に映る母は細く儚い。まるで映画ポスターの主演女優のように、憂いた視線を送っている。


 でも、俺の記憶の中にいる母さんは、そんな儚げな姿とは正反対だった。

 強くて優しくて、叱る時は滅法怖い。いつも笑顔で家事に動き回っている姿……病弱だったなんて、まるで知らなかった。


 だから四つ下の妹――元気いっぱいの十四歳、紗理奈さりなに、母さんの面影を見つけてしまったのかもしれない。


「なに? 鮭フレーク欲しいの?」


 テレビのお笑い番組に笑ってた紗理奈は、じっと見つめてくる俺の視線に気が付くと、サーモンピンクの小瓶を突き出した。


「いや……お前最近、母さんに似て来たなって」

「えー嘘だよ、あんな美人じゃないもん、私」

「普段の表情は違うけど、笑った時の顔がやっぱ母娘おやこだなって、今ふっと思ったんだよ」

「何よそれ。遺影の写真、全然笑ってないじゃん」

「だから、俺が覚えてる母さんに、って事」

「へ~、そう……」

「うん」

「お母さんって、よく笑ってたんだ」


 紗理奈はそうつけ加えると、にへらっと笑った。

 茶碗に盛った卵かけごはんと、お箸を持って。


 父さんはいつも帰りが遅い。だから夕飯は、兄妹二人で食べる事が多かった。

 とはいえ、高校生の兄と十四歳の妹では大した料理は作れない。何度も挑戦しては失敗して、さすがに懲りた。

 だからいつの間にか、俺達の夕飯は卵かけごはんになった。


 作り方は至極簡単。

 箱で買ってるバックのごはんをチンして、茶碗によそう。

 あとは溶き卵に醤油と味の素をちょっとずつ垂らし、そのままぶっかけて出来上がり。失敗知らず手間いらず。

 テーブルには他にも、梅干し、海苔、しらす、鮭フレーク、納豆、とろろ、各種ふりかけ。毎日食べても飽きないように、色んなトッピングを用意している。

 寂しい夕飯に見えるかもしれないけど、俺達はこの献立を結構気に入っていた。

 用意も後片付けも簡単だし、お笑い番組見ながら食べても零さない。

 それに、卵かけごはんは大体何を乗せても美味しいので、全然飽きない。

 ポテチや柿の種を乗せても美味しくて、二人で競い合うようにお菓子を試した。チョコレート以外は大体イケた。


 俺達は二人で食卓を囲み、卵かけご飯を食べながらお笑い番組を見たり、他愛ない話をした。

 学校の事、友達の事、将来の事……今日は珍しく俺が母さんの話をしたので、紗理奈は母さんについて色々と訊いてきた。


 紗理奈は小さかったので、母の記憶はない。

 いないのが当たり前だから寂しくもない――とも、よく言っていた。


「そうだなあ。母さんはよく、卵かけごはんを作ってくれたよ」

「それ前も聞いた。病弱だったから料理できなかったんでしょ?」

「俺があまり白飯を食べない子だったから、そうしてくれてたんじゃないかな」

「私はちゃんと、食べてたのかな?」

「その頃紗理奈はまだ赤ちゃんだから、おっぱい飲んでたんじゃね?」

「お母さんの写真、おっぱいおっきいもんね」

「そうだね」

「私にも来るかな? 遺伝的に。おっぱいウェーブ」

「そのうちくるんじゃない?」

「やった!」


 次の日の朝、紗理奈は洗面所でこっそりブラジャーの中にハンドタオルを詰めて、巨乳気分を味わっていた。

 グラビアアイドルみたいなポーズを取って、鏡に向かって笑顔を振りまいている。

 まだ十四歳だもんな、そういう年頃だよなと、俺は知らないフリをしてやった。


* * *


 胸が大きくなる前に、紗理奈は亡くなった。享年十五歳だった。

 遠い親戚がひそひそと、母と紗理奈が同じ虚弱体質だった事を噂していた。

 そんなわけあるかと、俺はずっとイライラしていた。紗理奈は強くて優しくて、怒ると超怖い妹だったから。

 無理に学校さえ行かなければ、紗理奈は元気過ぎるくらい元気な普通の女の子だ。

 そんな事も知らない癖に。


 嘘だ。

 本当は知らないフリをしていたのは俺の方だ。

 母さんも紗理奈も、家族から変に気を遣われたくなくて家では元気に見せてた事を。


『いないのが当たり前だから、寂しくもない』

 

 あの言葉だって本当は嘘だ。

 紗理奈は、母さんの卵かけごはんを食べれなかった。だからそればっかりでも、嬉しそうに食べてたんじゃないか。

 洗面所で胸に詰め物して笑顔を作ってたのだって、そうやって鏡の中の母さんに会っていたんじゃないか。

 

 葬儀が終わると俺は一人、夕飯に卵かけごはんを作って食べた。

 テレビでは、紗理奈とよく見たお笑い番組が流れている。


 この番組、こんなにつまんなかったっけ。

 卵かけごはんも、ちっとも美味しくない。

 そうか。

 紗理奈と二人だったから、嘘みたいに美味しかったんだ。


 俺はテレビを消して、冷蔵庫にある食材でレシピを検索し始める。

 どんな豪華な料理だって、紗理奈と食べた卵かけごはんより美味しいものはないだろうけど。


 二人が心配しないように。

 もう知らないフリは、いらないから。

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知らないフリ トモユキ @tomoyuki2019

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