第19話松永智也「二重人格!?~智也side~」

 思えば、俺は女性に対して良いイメージがあまりない。姉は横暴な性格なので頭が上がらないし、これまで付き合った女性達も姉と似たようなタイプが多かった。俺に対して好意を抱いてくれるのは、素直に嬉しい。でも、勝手なイメージを俺に当てはめて、俺が少しでもそのイメージと違う言動や行動をした時に幻滅するのは勘弁してくれ。『智也はそんなことしない』『私のイメージと違った』こんな言葉達を何度言われたことか。そんなことを言われると、もちろん俺は傷つくし余計に本音なんて出せなくなるだろ。普段は、割とみんなの前でニコニコして平和に過ごせるように努めてるけど、普通にムカつくこともあれば毒を吐くこともあるんだ。


 それにしても今日は朝から散々な一日だ。社有携帯は取引先からの電話が鳴りやまず、生産会議が長引いたから昼食も取り損ねた。せめて午後は平和であってくれとの願いはむなしく、鳴り響いた一本の電話……クレームだ。


 先方が言うには、納品した製品の中に異物が混入していたとのこと。俺は、この連絡を受けてすぐに品質保証部に連絡を入れた。状況説明と現場の確認を依頼するためだ。そして、クレームが発生したことを上司である篠宮係長に報告…っと。クレームはないに越したことはないが、何となくの流れはこれまでの同様の経験から会得している。こんなことに慣れたくはないが。


 今日はクレーム対応で業務が終わりそうだな…。そういえば、夕方から例の件で篠宮係長と尾崎さんとのミーティングが入っていたっけ。参加は厳しそうだな。俺は、クレーム対応を理由にミーティングは篠宮係長に任せることにした。


 午後四時。本来ならば篠宮係長達とのミーティングに参加しているはずだったが、俺は今自分のデスクにいた。クレームの原因はなんとか判明し、品証と話をして再発防止策も講じることができた。あとは……。

「北見、ちょっと良いかな」

俺は営業事務の北見に声を掛けた。

「智也!どうしたの?急ぎの用事?」

北見は嬉しそうに俺のデスク近くにやってきた。

「〇〇堂のクレームでさ。クレーム品の補填のために何ケースか製品を補填しないといけないんだ。いつ製品を出荷できるか、物流と話をしてほしいんだ」

「物流との出荷調整は私がよく担当してるからね、任せて!」

「助かるよ、よろしく。出荷のスケジュールが確定したら俺に教えて。先方に連絡するから」

「分かったわ」

物流との調整は北見にお願いしたし、後はクレーム報告書…今夜も遅くなりそうだ。


 クレーム報告書を書いていると、篠宮係長がミーティングから戻ってきた。嘘だろ…結局ミーティングに一分も参加できなかった。

「篠宮係長!ミーティングに出れず申し訳ありませんでした」

「ああ、大丈夫大丈夫。尾崎には俺の方から話をしておいたから」

「ありがとうございました。あの、それで尾崎さんの反応はどうでしたか?」

「………検討はしてくれると思うぞ」

これはあまり良い返事は貰えなかったとみた。そりゃあそうだよな、こんな他部署の面倒事、首を突っ込みたくないよな。

「それでなんだが。週末にでも俺と松永と尾崎の三人で飯でも食いながら詳しい話をしようと思ってな。予定どうだ?」

「今週末は接待の予定もないので、大丈夫です」

「良かった。尾崎には俺から連絡しとくな。それじゃあこの話はここまで。〇〇堂のクレームの進捗を聞かせてくれ」

俺はクレーム発生の原因と再発防止策、製品の補填に関して進捗を報告した。クレーム報告書に関してはなんとかその日中に作成し終わり、篠宮係長からのオッケーを貰うことができた。週末は例の件を尾崎さんにお願いするための食事会か…あまり気は進まないが、接待以外での外食が久しぶりということもあり少し楽しみな気持ちになるのだった。


 一昨日発生したクレームの後処理にてんやわんやしていたら、あっという間に金曜日になった。企画部に用事があり、フロアに立ち寄った際に尾崎さんの姿を見かけた。この前のミーティングに参加できなかったし、直接謝っておいた方が良いよな。そう思った俺は尾崎さんのデスクに近づいた。

「尾崎さん、お疲れ様です」と声を掛けると、色素の薄い茶色がかった綺麗な瞳が俺の姿を捕えた。瞳の色と似たブラウンの髪は、作業の邪魔だからかひとつに結ばれている。

「松永君、お疲れ様」

篠宮係長はキツめの美人って言ってたけど、普通に美人だよな。

俺は、キョロキョロと周りを見渡して近くに人がいないことを確認してから小声で話し始めた。

「水曜日の打ち合わせ、行けなくてすみませんでした」

「ううん。こっちこそ、待ってなくてごめんね」

「篠宮さんから、例の件を尾崎さんにお願いしたと聞きました。前向きに検討頂けてるみたいで」

篠宮さんは前向きとは言ってなかったけど…まあ、良いだろう。

「前向き…ではないけど。営業部が大変だってことは分かったよ」

「あれ、前向きじゃなかったんですね。今日のご飯も来てくれるって聞いたのでてっきり……」

「あれは、もつ鍋だから。もつに心奪われてるのよ、私は」

尾崎さんが急にもつに対する愛を語りだしたから、思わず声を上げて笑ってしまう。

「分かりました。じゃあ、例の件の続きはもつ鍋を食べながらということで」

「そ、そうだね」

尾崎さんって、ザ・仕事人間って感じでとっつきにくい感じなのかと思ってたけれど、結構面白い人なのかもしれない。


 そうこうしていると、あっという間に終業時間を迎えた。俺は篠宮係長に声を掛け、一緒にフロアを後にした。北見が恨めしそうな目で見られたが、気づかないふりをした。今日も食事に誘われたが、先約があると断っておいたのだ。エレベーターで尾崎さんとも合流し、三人でもつ鍋屋に向けて歩き出した。


 篠宮係長と尾崎さんは仲が良い。俺は二人の会話を聞き流しながら、『ああ…腹減ったな…。それにしても今日の北見の強引さはすごかったな。篠宮係長達との先約があって助かった』と、そんなことを考えていた。


 もつ鍋屋に到着し、個室に通されると俺の携帯が着信を知らせた。大学の友達からだ…出るか。二人に一声掛けてから席を立ち、店の外に出た。

「もしもし」

「お、出た。お疲れー、今何やってんの?」

「今から上司と飯」

「なんだよー、なあ、こっち来れねえ?智也に会いたいって言う女子が何人かいるんだけど」

「なんだよそれ。今日はパス。それに上司と飯だから抜けられねえよ」

こういう類の誘いは本当に多い。俺に会いたいって…なぜ?そもそも一方的に俺の事をしってる状況が少し怖い。こういうのも、最近面倒に感じるようになってきた。男子だけの飲み会は気楽で良いんだけどな。


 それにしても、気を使わないで言いたいことを言い合える友達は貴重だ。他愛もない話をしているだけで、自然と笑顔になれる。社会人になって本音と建て前を使い分けるようになると、余計にそれを実感する。会社でこのキャラ出したら、みんな驚くかな。『らしくない』とか言われるのかもな。

「そういえばさ、この前話してた『智也を巡って職場の女子達が大乱闘!』はどうなった?解決したのか?」

「ちゃかすなよな…ったく、こっちはリアルに困ってんだっつーの。なんか上司とお局っぽい人が対策してくれるっぽい」

「大変だな、お前もその上司も」

「しょうがねーだろ、俺モテるんだから。そろそろ戻るわ。また今度飯でも行こうぜ」

そう言って通話を終了し、友人との楽しい会話に後ろ髪をひかれつつも現実に戻ってきた。さて、行きますか。会社での平和な日々を取り戻すために、尾崎さんにはぜひ偽彼女になってもらわないと困るし。俺は、気持ちを切り替えて店の中に戻っていった。


 「すみません、戻りました」

「おう、おかえり。大丈夫だったか?」

「はい。B社に来週納品予定の製品に関する問い合わせでした」

咄嗟に嘘をついてしまった。でも、素直に友達からの電話だって言う必要もないだろう。必要な嘘ってことにしよう、うん。

「対応ありがとな。優秀な部下がいて助かるよ」

う、篠宮係長が満面の笑みで微笑みかけてくるから、俺の良心が痛む。それに、心なしか尾崎さんがこっちを怪訝そうな表情で見ている…気がする。なんだ、俺何かしたか?…して、ないよな?


 もつ鍋が完成し、ビールが到着し、いざ乾杯…という所で今度は篠宮係長の電話が鳴り、係長は席を立った。社有携帯を持っていたから、俺とは違って本当に会社の用事だろう。もつ鍋を小皿に盛り付け終えても、篠宮係長は戻ってこない。……それにしてもさっきから感じるこの尾崎さんからの視線。俺を探るよな、正体不明のものを見るような…気分が良いものではない。

「?尾崎さん?さっきから何か変じゃないですか?もしかして、具合でも悪いとか?」

「あ、ごめんごめん。意味はないから気にしないで」

尾崎さんは一瞬『しまった!』という表情をしたものの、すぐに笑顔に戻った。…なんだ?何を考えているんだ?まったく読めない。

「でも………」

俺がもう少し突っ込んで聞いてみようとしたタイミングで、篠宮係長が電話を終えて戻ってきた。

「すまん!会社でトラブルがあったみたいで、今から会社に戻らないといけなくなった」

両手をパンッと顔の前で合わせて、篠宮係長が申し訳なさそうに続ける。

「ここの支払いは俺がしておくから、二人はもつ鍋を堪能してくれ。」

「いやいや、だめですよ。」

「僕でできることだったら、僕が会社に戻りましょうか?」

「いや、今日は俺が戻るよ。少しやっかいな取引先なんだ。それに松永には、尾崎を彼女役に説得するというミッションがあるだろ。」

…そうだった。先日のミーティングにも参加できていないし、俺の口から彼女役をお願いしなければ。


 こうして篠宮係長は退席し、俺と尾崎さんの二人きりになったのだった。プライベートの場で話をするの、初めてなんだけど…俺、大丈夫か?まあ、いつものようにニコニコしてスマートに振舞っておけば大丈夫だろう。こんな甘い事を考えていたのだった。





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