第18話松永智也「憂鬱」

 俺は、松永智也二十五歳。社会人三年目。食品メーカーの営業部で仕事をしている。人と話をすることは昔から好きだから、営業部の仕事は自分に合っていると思う。営業部は人とのやり取りが圧倒的に多い部署だが、特に女性に対して『笑顔でスマートに、優しさを持って接すること』これは四つ上の姉が、俺が幼い頃から口をすっぱくして刷り込んできたことだ。それのお陰かは分からないが、学生時代は本当にモテた。その気がないのに好意を持たれて面倒事になることも…まあ、たまにはあったが。この処世術のお陰でそこそこ楽しい人生が送れていることは間違いないだろう。


 『今日はまだ火曜日か…一週間が長いな』通勤途中の電車の中で、つり革広告をぼんやり眺めながら物思いにふける。こういう、何も考えないでぼんやりする時間って大事だよな。電車の窓に目を向ければ、景色がどんどん流れていく。『ああ、どんどん会社に近づいてる…』。四月に入って、また新しく色々なことがスタートする時期だっていうのに…最近の俺は会社に行くのが少し憂鬱なのだ。


 実は、順調な社会人生活を送っていた俺だったが、少し面倒な事が起こってしまっている。姉から刷り込まれた人生の処世術である『女性には笑顔でスマートに、優しさを持って接すること』。学生時代と同じように、この心情を以って会社の女性に接していたら、俺の仕事を巡って、営業事務の女性陣が争うようになってしまったのだ。営業部の先輩である中田さんや佐々木さんは、初めの内は『さすが松永だなー』なんて言って茶化していた。しかし、俺の仕事を取り合うせいで自分達の仕事がおざなりにされている事に気付き、声には出さないが内心イライラしているのが伝わってくる。これは非常にまずい状況だ。


 「松永、お疲れ」

会社に着いてデスクに座ってしばらくすると、肩をポンと叩かれながら後ろから声を掛けられた。この声は…篠宮係長だ。篠宮係長は、二年前までは企画に所属していた所謂研究畑出身の営業マン。製品の知識だけでなくチョコレートの技術的な知識も持っているから、取引先からの信頼も厚い。ひそかに俺が憧れている人だ。

「篠宮係長、おはようございます」

「ああ、例の件なんだが…今少し時間あるか?」

例の件…とは件の営業事務の女性陣に関する件だ。一人で解決するのが難しそうだと判断した俺は、何日か前に篠宮係長に相談していたのだ。

「もちろんです」

そう言って俺は席を立ち、篠宮係長と共に空いているミーティング室に入っていった。


 「尾崎さん…ですか?」

「ああ、企画のな。何度か営業に同行したことあるだろ。今回の件は、あいつに協力を仰ごうと思っているんだ」

篠宮係長の真意を測りかねた俺は、きっと微妙は面持ちだったのだろう。何で尾崎さんなんだ?素直に疑問だった。

「ここ数日、営業部の仕事を見ていたが…以前よりひどくなっている」

「そうですね」

そうなのだ。三月末までは山崎さんというベテランの事務員さんがいて、彼女達の抑止力になってくれていた。しかし山崎さんは退職し、現在いる営業事務は四名。一名は俺より先輩で七瀬桜さん。小柄で可愛らしい雰囲気の女性で、どちらかというとおっとりして優しいタイプに見える。ちなみにこの人だけ、今回の件とは無関係だ。他の三名の内一名は、俺の同期で北見玲奈。思い込みの激しいタイプで、どうやら俺に好意を持っているようだ。正直タイプではないから、時々面倒に思うこともある。それでも俺が笑顔で北見に接するのは、ひとえに姉からの刷り込みの賜物なんだろう。他の二名は俺より年下の日高さんと葉山さん。彼女達も俺に好意を持っているように見える。


 この、七瀬さん以外の三名が俺の頭痛の種だ。この三人を尾崎さんにどうにかしてもらうということだろうか?俺が考えを巡らせていると、篠宮係長が口を開いた。

「現状の問題は、松永の仕事を巡って親衛隊が争うことだ。それに伴い他の営業陣の仕事がおざなりにされていること。更には親衛隊の暴挙のために、七瀬さんにも負担がかかっている」

「はい、そうですね」

篠宮係長は、あの三人のことを『親衛隊』って呼ぶんだよな。まあ、俺は呼ばないけど。真面目な顔をして『親衛隊』と言う篠宮係長はなんだか面白い。上司相手に面白いは失礼か。


 「そこでだ。俺が考えたのは、いかに親衛隊の松永への興味を失くさせるかだ」

「そうですね。俺に対する興味が薄くなれば、こんなことは起きないですから」

「だろ。それには、さっき話した尾崎の力が必要なんだ」

「?どうしてそこで尾崎さんが出てくるんですか?」

ふっふっふ…と篠宮さんは少し悪い顔をして笑いだした。

「それはな…尾崎が松永の彼女役を演じるんだ」

「はい?」

「まず問題は、松永がフリーであることだ。松永に彼女がいないから親衛隊は『仕事で親しくすればワンチャンあるかも』と希望を見出してしまい、結果今の営業部の現状が出来上がってしまったわけだ」

なんだか釈然としないが、自分がフリーであることが原因かも…とは思っていた。

「そんな松永に彼女ができれば親衛隊も少しはダメージを受けるだろう。でもそれだけではおそらく足りないんだ。親衛隊には『この人が彼女だったら適わない』と思わせられるような人物が彼女役でなければならないだろう」

「なるほど。彼女役が必要そうであることは理解しました。それで、どうして尾崎さんなんですか?」

「まず、美人だろ。例えば七瀬さんのような可愛い系の女性だと、親衛隊になめられる可能性がある。だから可愛い系よりはキツめの美人が良い」

「まあ、確かに」

それは同意だ。七瀬さんは優しいから、時には北見の方が圧が強くて気圧されている時があるし。尾崎さんがキツめかどうかは分からないが。

「次に、あいつは何より仕事ができる。これは一緒に仕事をしてきた俺が言うんだから間違いない。親衛隊に『適わない』と思わせるためには、容姿以外にも人より秀でた所が必要だ。尾崎なら、去年社長賞を受賞しているし、社内で知らないやつはいないだろう。知名度もばっちりだ」

確かに、去年尾崎さんが社長賞を受賞した時のスピーチは凄かった。人前で緊張しないタイプなのだろうか、よくあんなに大勢の前で堂々とスピーチできるな…と思ったものだ。

「そして何よりあの性格だ。親衛隊と対峙するには度胸がないとダメだ。それにな、ここだけの話だが、尾崎はお願いされると断れない性格なんだ。困ってるやつがいると手を貸したくなるタイプというか。面倒事に自分から首を突っ込んでいくタイプとも言うかな」

結構な言われようだな、尾崎さん。

「ということで、俺は尾崎に協力を頼もうと思うんだが…松永はどうだ?他に何か良い案あるか?」

「いえ…係長の話を聞いて、尾崎さんにお願いできるのであれば協力してほしいです」

営業部の恥をさらすようなものだから、他部署の人間という点は若干引っかかるが。他に彼女役を引き受けてくれそうな人も思いつかない。というか、そもそも尾崎さんが彼女役を引き受けてくれるかも甚だ疑問だ。

「よし、じゃあ早速尾崎と話をしてみよう。明日、三人でミーティングの予定を入れておく。その時に二人で話をしてみよう」

「分かりました」


 尾崎さんか…。仕事の話しかしたことないけど、係長の話ぶりだと結構面白そうな人なのか?まあ、誰でも良いから営業事務の女性陣をなんとかしてくれ…。


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