第17話尾崎梨乃「解決」
私達は坂下君に協力を仰ぎ、北見さんを捕まえる手筈を整えた。その日から一日、二日…と何日か夜間の営業部フロアを見張っていたが、特に何も起こることはなかった。その間、北見さんは出社しているものの特に怪しい動きは見せていない。
そして迎えた三日目・金曜日の夜。坂下君と篠宮さんはシステムで監視カメラを見ながら待機、そして暗くなった営業部のフロアの物陰には私と松永君がそれぞれスタンバイしていた。
「今日も何もないのかな」
「何もない方が良いんですけどね」
「そうだけど…このまま北見さんがお咎めなしっていうのも釈然としないでしょ」
「それはそうですね。特に俺と尾崎さんなんか実害ひどいですからね」
私達は小声でヒソヒソ話をしながら待機していた。
暗闇で松永君と二人きりってやけに緊張するな。昨日は篠宮さんとだったから、余計に。チラっと松永君のことを横目で見てみると、いつも通りの涼しい顔をしている。きっと、私と二人でいても何も感じないんだろうな、緊張したりとかしないんだろうか。狭い物陰に二人で隠れているから、どうしても二人の距離は近くなってしまう。肩とか、当たっちゃいそうなんだけどな。
「尾崎さんて…」
「な、何?」
ただでさえ距離が近いのに松永君がじっと私を見てくるから、なんだか緊張してしまう。
「会社だと小さいですよね」
「へ?あ、靴のせいかな?休みの日はヒールがある靴を履くことが多いから」
「やっぱり。特に一緒にベーグル食べた時が目線が一番近かったような…」
「そうかも。あの時はヒールがあるパンプス履いてた。バーベキューの時はスニーカーだったし、今は社内用の内履きだし」
ほら…と言って足をひょいと持ち上げる。明かりは点いていないが、窓から差し込む月明かりでなんとなくお互いが見えている状況だ。
「ホントだ。ってか足細っ!ちゃんと食べてますか?」
「食べてるよ」
「じゃあ、昨日の夜何食べました?」
「……カロリー〇イト?あ、昨日はたまたまだよ!最近残業続きだから…」
はあ…というため息が隣から聞こえてきた。うう、こういう時に素敵女子だったら『昨日の夕飯はラザニアよ♪』とか言うんだろうなあ。
「じゃあ、お互い仕事がひと段落したら上手いもの食べに行きましょ」
「え、二人で?」
突然のお誘いにドキっと胸が高鳴る。落ち着け、私。
「…何人いても良いですけど。俺が偽彼女を頼んだせいでこんなことになってるんだから、尾崎さんにはしっかり食べて元気でいてもらわないと困るんで」
暗闇にいるせいか、松永君の表情が読めない。なんだか良く分からないけど、私の体を心配してくれてるのよね?なんて返そうかな…そんなことを思っていると、突然『キィー…』という音と共にフロアの入り口が開いた。
「!!!!!」
誰か来た。私と松永君はお互いの顔を見合わせて、息をのんだ。
その人物は物音を立てないようにこちらに向かってくる。私達の存在には気づいていないようだ。そしてその人物は、迷いなくとある人のデスクの前へ。……桜のデスクだ。
その人は桜のパソコンを起動すると、慣れた様子でパスワードを入力し社内システムにアクセスした。もちろんこの様子は、監視カメラを経由して篠宮さん達も見ていることだろう。何やらメールを作成しているようだ。暗闇の中で桜のパソコンだけが煌々と光っているから、少し眩しいけれど目を凝らして書いてある内容を見た。
『企画部・尾崎梨乃は、営業部・篠宮と松永の二人を手玉に取っている。さらに、尾崎が過去にとってきた仕事の成果はほとんどが体を使って得たものである』
何よそれ。誹謗中傷も甚だしい。私が怒りで震えていると、『大丈夫』と言わんばかりに松永君が私の肩をポンポンと優しく叩いてくれた。するとカチカチ、カチカチ…という音が聞こえてきた。どうやら、この人物が何度もマウスをダブルクリックしているようだ。もしかして、パソコンがフリーズしてる?「なんで、動かないのよ…」謎の人物が独り言を呟いたと同時に、フロアの明かりが全灯した。その明かりに照らされた人物は……北見さん。いきなりの事に北見さんは動揺しているようだ。
「そこまでよ、北見さん」
私と松永君は物陰から立ち上がり、北見さんに声を掛ける。
ビクっと体を強張らせ、こちらを見た北見さんは「どうしてあんた達がここに…」と呟き、状況を分かっていないように見える。
そうこうしている間に坂下君と篠宮さんがこちらのフロアにやってきた。
「北見さん、こんな遅くに何をしているんだ」
篠宮さんが北見さんに詰め寄る。北見さんは私、松永君、篠宮さん、坂下君に囲まれて小さくなっている。
「私はただやり残した仕事を思い出しただけで…」
「七瀬さんのパソコンで?」
「そ、それは…」
しどろもどろで、要領を得ない北見さん。
「しかも良く桜のパソコンのパスワード分かったね」
「………」
北見さんは黙って下を向いている。
「残念だが、北見さんがやったことはもう分かっている。取引先に問い合わせ変更のメールを送ったこと、それから松永が担当している取引先の注文数の改ざん。そして、今作成していた文章の内容は…尾崎への誹謗中傷だな」
北見さんはバッとパソコンのマウスを取り、文章を削除しようとした。が、パソコンは文章作成画面のまま動かない。
「なんで動かないのよ…!」
「無駄だよ。システムの方でロックしているから。その文章を消すことも誰かに送ることもできない。」
「くっ……」
「これは尾崎に対する誹謗中傷の立派な証拠になるな。全く…北見さん、一体なぜこんなことを」
「……智也を元に戻そうとしたのよ」
北見さんはボソッと呟いたが、私は発言の真意が分からず頭にハテナマークが浮かんだ。
「私が好きな智也は、いつも優しい笑顔で、お願いすればなんでもやってくれて、礼儀正しくて…私の理想の王子様みたいだったのに!智也に一番近いのは私だったのに。……それをこの女が!」
北見さんはキッ!と鋭い眼差しで私の方を見た。同じタイミングで、北見さんが私に何か危害を加えると思ったのか、松永君が私と北見さんの間に立ち、私を松永君の背中に隠れるようにしてくれた。…もしかして、北見さんから守ってくれてる??
「では、一連の事件は全て尾崎に対する私怨…ということなのか?」
「そうですよ。取引先にメールを送ったのは、いくら仕事ができるって言われてる尾崎さんでも、自分では処理しきれない量の業務が舞い込んできたら混乱して失敗のひとつでもすると思ったんです。そうすれば、きっと智也は尾崎さんに対して幻滅するはずだから。二人の仲が悪くなれば良いって。お陰様で、取引先からの問い合わせが尾崎さんに集中している間は、私の業務が楽になって助かりました」
北見さんは悪びれる様子もなく、話を続ける。そんな理由で…。私に嫌がらせをしたいなら直接くれば良いものを、わざわざ取引先を巻き込むなんて。自分の体の中から怒りがこみ上げてくるのが分かる。
「わざわざ七瀬さんのパソコンを使用した理由は?」
坂下君が北見さんに問いかける。
「……別に。自分のパソコンじゃなければ何でも良かったから。七瀬さんって結構抜けてるから、パスワードを盗み見るとか余裕だったんで。まあ、これで七瀬さんと尾崎さんが仲違いでもしてくれれば良かったんですけど…さすがにそこまではいかなかったみたいですね」
「…取引先からの注文を改ざんしたのは?」
松永君が、普段よりもずっと冷たいトーンで北見さんに問いかけた。よく見ると固く握りしめた左手が、怒りで震えているように見える。いつもとは明らかに異なる様子の松永君に、流石の北見さんも動揺しているようだ。
「それは…。智也が困って、私に頼ってくれば良いと思ったから。ほら、いつも物流と出荷に関して調整してたのは私だし。それで、私が智也のピンチを救ったら、尾崎さんより私の方が仕事できるし信頼できるって思ってもらえると思って」
「…なのに、俺が頼ったのが篠宮さんだったから当てが外れたって?しかも、俺と篠宮さんがあっさり問題を解決してしまった。だから今日、また七瀬さんのパソコンを使って尾崎さんに対して嫌がらせをしようとした…と」
「………」
北見さんは何も答えない。答えないというか、松永君が言ったことが全てなのだろう。何も答えられないという様子に見える。
「あのなあ!いい加減にしろよ。こんなことして、陰でコソコソ嫌がらせするような人間を好きになるはずないだろ。どれだけ周りの人間に迷惑かけてるか分かってるのか。俺の事は良いよ、何でも。でも尾崎さんと取引先を巻き込むのは違うだろ」
松永君は怒りを露わにして北見さんに詰め寄るが、篠宮さんと坂下君に制された。
「ま、まあまあ松永。尾崎のメールの件も、納品ミスの件も一応は解決している。そして今回の尾崎に対する誹謗中傷文は、坂下の機転でまだどこにも発信されていない。どうだ、北見さん。松永と尾崎に対して謝罪する気はあるか?」
「………」
北見さんはプイっとそっぽを向いて、誰とも目線を合わせないようにしている。子供か。
「……謝罪する気はないみたいだな。では、仕方ないな。度重なる業務妨害と、特定社員に対する誹謗中傷未遂で何かしら処分を下すことになる。それまで出社はせず自宅待機だ」
「え、クビってことですか?」
「最悪そうなるだろうな」
「そんなバカな!こんな事くらいで!?冗談じゃない。ちょっとした悪ふざけじゃないですか。ねえ、智也!智也には謝るから、篠宮さんに何とか言って!」
北見さんは松永君の腕をつかんで叫んだが、松永君は表情を変えずにこう言い放った。
「この期に及んでもまだ尾崎さんに対して謝罪できない人間と、誰がこれからも一緒に仕事したいと思うんだよ。自業自得だろ」
松永君に冷たくあしらわれた北見さんは「…何よ!もうあんたなんか、私が好きになった智也じゃないわ!」と怒りを露わにした。
はあはあ…と息が上がった様子の北見さんだが、呼吸を整えている間に何かに気付いたようだ。さっきとはうって変わって自身に満ちた表情で篠宮さんに問いかけた。
「篠宮さん、良いんですか?本当に私をクビにして。営業事務の仕事、今の人数で手一杯ですよね。私がいなくなったら困るんじゃないですか?」
北見さんはニヤニヤしながら篠宮さんを見た。形勢逆転、といったところか。
「七瀬さんはキャパが少なくてすぐいっぱいいっぱいになるし、葉山と日高の二人はまだまだ半人前。私がいなくなったら困りますよねぇ。だから、仕方ないからこれからも仕事してあげま……「その必要はありません」
「!?」
声の主は…坂下君だった。
「な、何よ。システムは関係ないじゃないですか。関係ない人は口を挟まないでください」
「それがそうでもないんだよなあ、坂下?」
篠宮さんがしてやったり顔で坂下君の肩を叩いた。
「実は俺と坂下、そして七瀬さんの三人で営業事務の業務をシステム化できないか検討していたんだ。このシステムが完成すれば、営業事務の業務はかなり簡略化できる。つまり、四人も人数はいらない…ってわけだ」
「内容が盛りだくさんだったのでシステム構築に時間がかかりましたが、やっとリリースできる状態までこぎつけました。早ければ来週にはリリース可能です」
話が急展開すぎてついていけないけど…つまり、篠宮さんと坂下君、桜の三人ですごいシステムを作ったってことだよね?篠宮さんが前に『業務改善のために考えていることがある』って言ってたのはこのことだったんだ。
「何よそれ。それじゃあ私はもういらないってことですか!?」
「最終的な判断は上がすることになると思うが、俺としては営業部にいてもらう理由はないな」篠宮さんにはっきり言われた北見さんは「何よ…こんな会社、こっちから辞めてやるわよ!」と叫んでフロアから出ていってしまった。
後日、北見さんは懲戒解雇となり会社から去ることになった。坂下君が作ったシステムは無事リリースされ、営業事務の業務は大幅に改善し、営業部全体としての業務は円滑に回るようになったのだった。
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