第15話尾崎梨乃「異変」
六月某日。この日の私は、朝からイライラしていた。
「尾崎さん、〇〇堂から外線です」
また!?
「……はい。お電話代わりました、企画部の尾崎です」
「お世話になります、御社の製品に関する問い合わせなのですが………」
今日は取引先からの問い合わせが多い、非常に多い。通常、取引先からの製品に関する問い合わせは営業事務が対応することになっている。が、営業事務の手が空いていない時などは企画に対応が回ってくることはこれまでにもあった。でもそれだって、一週間に一度あるかないかだ。それが今はどうだ。今日の午前中だけでで五件は私が対応している。……これは一体どういうことだ?営業部の業務は円滑に回ってるはずなのに、どうして私に電話がかかってくるんだろう。
次の日も、その次の日も取引先からの問い合わせは続いた。しかも私指名で。問い合わせ自体はそこまで難しくないが、それまで取り掛かっていた作業を中断して対応するわけだから、当然集中力は切れるし効率は悪い。お陰で業務はスムーズに進まず、私のフラストレーションも蓄積されている状態だった。
連日の電話対応にヘトヘトになっていると、丁度打ち合わせを終えた篠宮さんが企画のフロアにやってきた。丁度良かった、電話の事を聞いてみよう。
「篠宮さん!」
「おう、尾崎お疲れ」
右手をヒョイと上げる仕草を見せて、篠宮さんが私の元に来てくれた。
「ん?何か殺伐としてないか?」
「…分かりますか」
「なんとなくな。トラブルか?」
「トラブルというか…」
私は、ここ数日の電話対応について篠宮さんに話をした。
「営業事務も、ここ数日取引先からの問い合わせが多いですか?」
「………」
篠宮さんは両腕を組んで、何やら考え込んでいる。
「篠宮さん?」
「ん?あ、悪い。実はさっき七瀬さんと『ここ数日、お客様からの問い合わせがないですね』って話をしてたんだ」
「え?私はてっきり、営業事務で対応しきれない程問い合わせが多いから、私の所にも回ってきてるのかと…」
「ということは、本来なら営業事務にくるはずの問い合わせが、なぜか尾崎の所にいってる…ということか」
「そうなりますね」
何?何が起きているの?
「尾崎。ここ数日で尾崎が対応した取引先の一覧、出せるか?俺の方で調べてみる」
「対応一覧ですね。すぐに出せます」
データを出力して、篠宮さんに手渡す。
「よろしくお願いします」
という具合に、篠宮さんに相談したもののすぐに問い合わせがなくなる訳でもなく…その日も就業時間のほとんどを問い合わせに費やすことになった。
次の週、社用携帯に篠宮さんから着信が入った。例の取引先からの問い合わせの件で話があるようで、ミーティング室に呼ばれた。連日の電話対応のお陰で、通常業務は残業して終わらせなければならず疲労の色が濃くなっている。トイレで鏡を見てみれば、そこには疲れ切った顔をした私の姿が。うわー…目の下のクマがひどい。週末はずっと寝てたのにな。
ミーティング室に入ると、篠宮さんと松永君がいた。松永君と顔を合わせるのは久しぶりだから、少し緊張してしまう。
「尾崎、お疲れ。だいぶ疲れてるな。大丈夫か?」
「なんとか大丈夫です」
はははっと空笑いしてみるが、松永君は私の疲れ切った顔を見て心配そうな表情を見せる。
「松永君、久しぶりだね。この件、松永君も絡んでるの?」
「はい、僕というか、僕が担当してるお客様がって感じです」
「そうなんだ。尾崎がここ数日対応してくれている問い合わせだが、松永が担当しているお客様が多いことが分かったんだ」
「あー、なるほど。そういえば地方のお客様が多かったかも」
「だろ、そこでだ。松永からお客様に直接確認してもらったところ、少し前に取引先の所にうちの会社の人間から『問い合わせ窓口変更』に関するメールが送られていたそうなんだ」
「え、何ですかそれ」
「俺も、もちろん松永も初耳でな。で、そのメールには『今後の問い合わせは企画部・尾崎へ』と書いてあるようなんだ」
「それで最近こちらに問い合わせが急増していたんですね、しかも私指名で。でも、一体誰がこんなことを…」
私がそう言うと、二人は黙ってしまった。
「………それがな」
「誰なんですか?こんなことしたのは。業務は混乱しているし、お客様まで巻き込んで、良い迷惑です」
仕事中は冷静でいるように心がけているけど、ここ最近で貯まったフラストレーションのお陰で怒りの沸点は非常に低くなっている。
「………七瀬さんなんだ」
……え?
…七瀬って、桜?
私の予想とは全く違う人物の名前に、頭の処理が追い付かない。
「僕のお客様に『問い合わせ窓口変更のお知らせ』を送ったのは、七瀬さんです」
松永君は、戸惑いながらもまっすぐ私の目を見てそう言った。
「え、で、でも…どうして桜が?桜がこんなことする理由がありません!きっと何かの間違いです」
「分かってる。念のため本人にも確認したが、そんな内容のメールは全く知らないそうだ。七瀬さんには尾崎を陥れる理由もないし、何より七瀬さんがそんなことをする人間でないことは、俺達も分かっている」
「大方、誰かが七瀬さんのパソコンを操作してこのメールを作成したんでしょう。自分の名前が残らないようにするために」
「そういうことですか…」
メールの差出人が桜ということに動揺する私に、二人は冷静に話を進めてくれる。
「取引先には、俺と松永から事情を説明し、問い合わせ窓口は従来通り営業事務という連絡をしておく。そうすれば、尾崎の所に問い合わせはいかなくなるはずだ」
「分かりました。ありがとうございます」
なんだかもやもやするけど、この件はこれで解決…なのかな?そう思っていると、篠宮さんが口を開いた。
「それでな、ここからは大きな声では言えないんだが…」
篠宮さんが急に小声になったので、思わず身構えてしまう。
「防犯カメラに何か映っていないか、システム管理部に調査を依頼しているんだ。メールの差出人が七瀬さんではないなら、七瀬さんの名を語った人物がいることになるからな。今後何をするか分からないから、野放しにもできないだろう」
「確かに、そうですね。というか、うちの会社に防犯カメラなんてあったんですか?」
「一応な。設置場所は役職者以上の限られた人間しか知らないんだが」
知らなかった。そりゃ、防犯のためには必要だろうけど。入口のセ〇ムくらいしかないだろうと思っていたから驚いた。うちの会社、意外とちゃんとしてたのね。
「ただ、システムによると映像の解析に時間がかかるらしいんだ。結果が分かり次第、二人にはまた報告するな」
「分かりました」
その日も結局、就業時間いっぱいは問い合わせの対応に追われ…今日も残業が確定した。誰もいなくなったフロアを恨めし気に見つめ、ふと時計に目をやると短い針が九の数字を指すところだった。
ああー、終わらない。今日は後、来週のプレゼンの流れを大まかに考えて終わりにしよう。長時間のパソコン作業で凝り固まった体をほぐそうと、両腕を思いっきり上に伸ばす。あー、伸びるわあ……。すると企画部のフロアの扉が開き、見知った人物が顔をのぞかせた。
「お疲れさまです」
「え、松永君?松永君も残業?」
もう誰も残っていないと思っていたから驚いた。
「まあ、そんなとこです。ってか、そんな鬼の形相で仕事しなくても」
う…私、そんなにひどい顔してる?
「はいこれ、差し入れです」
そう言って私に缶コーヒーを手渡して、隣の空いている席に座った。
「ありがとう」
「あとどれ位かかるんですか?」
「うーん、あと十分くらいかな。今日はもう疲れちゃった。お腹も空いたし」
貰った缶コーヒーを一口飲みながら答えた。
「…俺もその位で終わるんで、飯行きません?」
「…おごり?」
「高級フレンチでなければ」
松永君と顔を合わせるのは久しぶりだけど、やっぱり話をしてると楽しいな。
「ラーメン食べたい!味噌!」
「ラーメンで良いんですか?せっかくおごるのに」
「良いの良いの。一人じゃなかなか入りずらいから」
「じゃ、ラーメンにしますか。俺、営業部のフロアにいるんで帰る時声掛けてください」
「分かった」
「じゃあ、また後で」
松永君に貰った缶コーヒーとラーメンパワーのお陰でなんとか仕事を終え、二人でラーメンを食べに行った。なんだか、普段食べるラーメンよりも美味しく感じた。
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