第13話尾崎梨乃「気付かされた気持ち」
バーベキュー会場に戻る道中、私は心ここにあらずだった。もちろん、私の右手と松永君の左手が重なり合っていることが要因の一つではある。でも、この時の私の思考のほとんどはそれとは別の事に支配されていた。
「…………」
「どうしたんですか、何考えてます?」
黙ってうつむく私を、松永君は心配そうに見つめている。
「うん…さっきの北見さんの事考えてた」
私達の元から走り去っていった北見さんの後ろ姿が思い出される。
「というと?」
「北見さんは、本当に松永君の事が好きなんだなって。その気持ちを、いくら業務を改善させるためとは言え、こんな風に第三者があれこれ画策して妨害するような真似して。北見さんの気持ち、踏みにじることになっちゃったんじゃないかなって…」
「…………」
松永君は何も言わない。
「北見さんに悪い事しちゃったのかな、私」
「それは違います」
真剣な眼差しで私の目を見つめながら、松永君はきっぱりとそう言い切った。
「尾崎さんを偽彼女に巻き込んだのは俺です。北見の気持ちを知りながら、こういう状況になるように画策したのも俺です。だから、尾崎さんが悪いなんてことは絶対ないです」
「松永君…」
「ほら、もうすぐみんなの所に着きますよ。そんな顔しないでください。早く食べないとジンギスカン、なくなりますよ」
少しおどけたようにジンギスカンの話を持ち出すから、私も思わずクスっと笑った。
私達がバーベキュー会場に戻ると、北見さんの姿はもうどこにもなかった。
何でも、急用を思い出したとかで一人先に帰ったらしい。正直、どんな顔で接すれば良いか分からなかったから助かった。その後バーベキューは大盛況の内に幕を閉じ、大満足の皆は各々の帰路についた。
「ジンギスカン、美味しかったね」
私達は電車での帰り道、今日のバーベキューの話題で盛り上がった。
「そうですね。尾崎さん、ものすごい量食べてましたね。隣で見てて、俺が胃もたれしそうになりましたよ」
「あんなに美味しいジンギスカンは、もうここでしか食べられないからね。それより、松永君はずっとお肉やら野菜やら焼いてくれてたけど、ちゃんと食べた?」
「食べましたよ、尾崎さんほどじゃないですけど」
「それなら良いけど」
「今日は酒飲んだのにちゃんとしてるんですね」
「そりゃ、ビール一本しか飲んでないしね。その後はずっとチューハイだったから。誰かさんがセーブしてくれたお陰でちゃんとしてますよ」
「それは良かった。この前ひどかったですもんね」
「え?この前って?」
そういえばさっきも言ってたな。『酔うとたちが悪い』って。
「え、覚えてないんですか?もつ鍋屋行った帰りですよ」
「ああ、社員証落としたやつか!その節はありがとう」
「いや、それだけじゃないですけど…もしかして、俺が尾崎さんの家まで行ったこと、覚えてないんですか?」
「え?……お、覚えてない。っていうか、あの汚い部屋に入ったの!?」
「入りましたよ」
がーん。。。仲良しの同期ですら、あの状態の部屋には招いたことなかったのに。
「そこまで汚くなかったですよ、まあ、綺麗でもなかったけど」
さらにがーん。。
「あの、言い訳だけどあれは金曜日だから最高に汚かっただけなの。平日はどうしても部屋をリセットする元気がなくて。毎週土曜日にガー!!っと掃除して綺麗にしてるんです」
私が必死に汚部屋の釈明をすると、松永君は急にハハハっ!!と笑い出した。
「え、な、何??」
「いや、ホントに何も覚えてないんですね。全く同じこと、この前も言ってましたよ。まあ、その時は全然呂律が回ってなくて何となくしか聞き取れなかったですけど」
もうだめだ。もう何を言ってもだめだ。
「お、お恥ずかしい所をお見せしてしまったようで…」
粛々と、丁寧に謝り倒した。全然覚えてないんだけど、私の部屋が汚いって知ってるってことは本当なんだろう。いや、本音を言えば嘘であってほしいけれど。
「ホントですよ。あんまり外で飲みすぎないでくださいよ」
「ごもっともです」
「まあ、俺が………好きなだけ飲んで…ですけど」
「え?」
松永君が小声でボソっと何か言ったようだが、電車の音にかき消されてしまった。
「聞こえなかったならいいです」
「なんて言ったのよ」
「だからいいですってば、ほら。尾崎さんが降りる駅ですよ。ほら立って」
松永君に腕を掴まれ、強制的に立たされる。
「じゃあ、今日はお疲れ様でした」
楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまうものだ。
「こちらこそ、助けてくれてありがとう。また会社で」
私は電車から降りて、松永君が乗っている電車を見送ると自宅に向けて歩き出した。
家に着くと、今日の疲労がどっと押し寄せてきた。時計を見ると時刻は午後六時半。ジンギスカンのお陰で全くお腹は減っていない。うん、今日は軽めに食べて終わりにしよう。あ、ワインがあるからワイン飲んじゃおうかなー。昼間は松永君にビールをセーブされたから不完全燃焼だったんだよね。私はミックスナッツをつまみに赤ワインを飲みだした。あー、美味しい。赤ワイン、好きになったの最近なのよね。桜に連れていってもらったバルで飲んだ赤ワインが美味しくて…って、そうだ、桜大丈夫かな?連絡してみよう。そう思った私は、ナッツを一粒口に放り込むと桜にメッセージを送信した。
次の日、この前松永君とベーグルを食べたお店にランチに来た。一人ではない。今日のランチの相手は、桜。昨日の夜連絡をしたところ、一日休んだら元気になったようで今日二人でランチをすることになったのだ。
「このお店、雰囲気が素敵だね」
茶髪のボブスタイルにビー玉みたいに真ん丸で大きな瞳、きっと実年齢よりずっと若く見られることも多いだろう。サーモンピンクのトップスが桜にとっても似合っている。そんな桜が、店内をキョロキョロと見渡しながら言った。
「ね。ご飯もすごく美味しいんだよ」
「このお店、梨乃ちゃんよく知ってたね。会社からも梨乃ちゃんの家からも遠いよね?」
「あ、うん。この前松永君に連れてきてもらって」
『松永』という単語に、桜がピクっと反応する。
「そう!松永君!付き合ってるってどうして教えてくれなかったの?」
桜はテーブルから身を乗り出して私に詰め寄った。
「いや、だからそれはこの前も言ったように…」
「そりゃ、私は松永君とは同じ部署だけど。それ以前に私と梨乃ちゃんは同期であり友達でしょ。教えてもらえなくて、悲しかったなー」
そう言いながら、桜は軽く泣きまねをしてみせた。
「ご、ごめんって。これには色々事情があって…」
「事情って何?」
う、さながら敏腕刑事の取り調べって感じ。桜、普段はホワホワした雰囲気なのに。
「いや、それは…」
私が口ごもっていると「お待たせしました」という声と共に注文したランチセットが運ばれてきた。
大きな一枚のプレートには、とろとろオムライス、色とりどりの野菜サラダ、キッシュ、マリネ、フルーツが所狭しと盛り付けられていた。
「きゃー、すっごく可愛い!写真撮ろう、写真!」
きらびやかなプレートを見て興奮した桜は、携帯でパシャパシャと写真を撮り始めた。
どうやら直前に話していた内容はどこかへ行ってしまったようだ。流石、桜の可愛いもの好き。
た、助かった。ナイス、ランチプレート!!
「そういえば、昨日のバーベキューどうだった?」
キッシュを食べながら、桜が私に尋ねた。
「ジンギスカン、最高に美味しかったよー。ビールとの相性がこれまた最高でさあ!あ、ビールは松永君に取り上げられて一本しか飲めなかったんだけどね」
とろとろのオムライスに感動しながら、昨日のジンギスカンの美味しさを思い出す。
「いや、食べ物の話もそうだけど。私が気になるのは、梨乃ちゃんを見た営業部のみんなの反応のこと」
「あ、そっちね。うーん。みんな最初は驚いてたけど、特別変な事は言われなかったよ」
「北見さんは?」
「……やっぱり、気になります?」
「そりゃあ、毎日職場で見てますから。北見さんが松永君へ熱烈なアピールをしている所を」
「そんなにすごいの?」
「すごいよ。あ、梨乃ちゃんはこんな話気分良くないよね。自分の彼氏が他の女からアプローチされてるなんて」
「まあ、そうだけど…でも北見さんが松永君に特別な感情を持ってるってことは、私も分かってるから」
「そっか。そうだよね、あれだけあからさまだったら気付くよね」
「まあね」
う、偽彼女という設定が辛い。
私は、桜に昨日の北見さんとのやり取りを話した。
「北見さんと二人きりで話したの!?なんか、激しそう…。私だったら言い負かされるだろうな。梨乃ちゃん、大丈夫だったの?」
「うん、叩かれそうになった」
「え!?大丈夫だったの?」
「それは大丈夫だった。松永君が助けてくれて」
「え、松永君もその場にいたの?」
「ううん、探してくれてたみたい。ちょうどタイミング良く来てくれて助けてくれたの」
「ふーん」
ニヤニヤした笑みを浮かべた桜が続ける。
「梨乃ちゃんってさあ、ホントに松永君の事好きなんだね」
「え!?な、何急に」
今そんな話してた!?桜が突然変な事を言うもんだから、オムライスをよく噛まないで飲んでしまった。焦って水を飲み干した私を、変わらずニヤニヤした桜が見つめる。
「だってさ、松永君の話してる時の梨乃ちゃん、普段と全然違うよ」
「そ、そんな事…」
「そんな事あるよ。別に変な事じゃないでしょ。彼女なんだから、彼氏の事好きで当然だよ」
「………だね」
『彼女なんだから、好きで当然』か。
桜、違うの。私、彼女じゃなくて偽彼女なんだよ。
その後も桜と色々な話をしたが、桜のこの言葉がずっと私の胸の中でひっかかっているのだった。
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