第11話尾崎梨乃「バーベキュー前編」
とうとう今日という日がやってきた。
ゴールデンウィークの初日、天気は快晴で、絶好のバーベキュー日和。
でも今日は、ただのバーベキューじゃない。
北見さんに松永君のことを諦めさせて、営業部の円滑な業務推進のために松永君の偽彼女になるのだ。
普段よりも丁寧にスキンケアをして、ベースメイクをしていく。
普段はこれに眉毛を描いて終わりだけど、今日はそういうわけにはいかない。
ブラウンのアイシャドウ(これしか持ってない)を丁寧に瞼にのせたら、慎重にアイラインを引いていく。
あー、腕がぷるぷるする。
苦手なのよね、アイライン…。
なんとかアイラインを引き終えたら、今度はマスカラ。
ダマにならないように塗っていく。
濃くなりすぎないようにチークを頬にのせて最後に赤のリップをつけたら、メイクは完成!
このリップ、あんまり濃すぎないし、何よりご飯食べても取れにくいから気に入ってるんだよね。
松永君との待ち合わせまであと少し時間があるから、今日は髪も巻いていこう。
肩より随分下にある毛先を軽く巻いてっと。
よし、良い感じ!
普段の二倍は時間をかけてメイクとヘアメイクをした私は、七分丈のデニムに白いTシャツ、薄いピンクのカーディガンを羽織って松永君との待ち合わせ場所に向けて出発した。
松永君との待ち合わせ場所である私の最寄り駅に着くと、何やら行き交う女性達がチラチラとある方向を見てコソコソ話をしている。
「ねえ、あの時計の下にいる人、めちゃくちゃカッコ良くない?」
「私も思った!」
「待ち合わせかなぁ。声掛けてみる?」
……もしかして。
そう思って駅にある大きな時計の下に目を向けると、やっぱり松永君だ。
ジーパンにシャツというラフな着こなしだけど、スタイルが良いから立ってるだけで絵になっている。やっぱりモテるんだな…なんて思っていると、コソコソと話をしていた女性達が松永君に声を掛けているではないか!
やばい、助けに行かなくちゃ!
「こんにちわー」
「お兄さん、超カッコ良いですね~」
「はははは、ありがとうございます」
「今って何してるんですか?良かったらこれから私達と…」
「智也君!お待たせ」
松永君と、声を掛けてきた女性達は私の方を一斉に見た。
「梨乃さん…」
「智也君、お友達?」
お友達じゃないことは分かってますけどね。
「え、彼女?うわ、美人…」
「なーんだ、つまんない。行こ行こ」
そう言って女性達は去っていった。
余裕のある大人の女風に登場してみたけど、効果あったみたい。
女性達が去った後も、松永君は黙っている。
どうしたんだろう?
「松永君?どうかした?」
私の問いかけに、ハッとしたように松永君が話しだした。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。助かりました。それより今日の尾崎さん、会社とイメージ違うし、この間のランチとも雰囲気が違うんで驚きました」
「うん。今日は大事な日だからね、気合入れてきたよ。電車の時間、そろそろだから行こうか」
「そうですね」
電車で移動中、運良く座れた私達は世間話に花を咲かせていた。
「へー、松永君って料理するんだ」
「簡単なものだけですけどね。尾崎さんは料理はしないんですか?」
「うーん、平日はまずやらないね。仕事して帰ったらご飯作る元気残ってないし」
「出た、社畜」
「うるさいな」
「尾崎さんって大人で完璧なイメージありましたけど、意外とそうでもないですよね」
「どういう意味よ」
「良い意味でですよ」
楽しく会話していると、松永君が私の左手を見て何かに気付いたようだ。
「今日は付けてるんですね、ペアリング」
「あ、うん。今日付けなくていつ付けるのって感じかなと思って。ちょっときついんだけど、無理矢理ねじこんだ」
北見さんは今更ペアリングは気にしてないかもしれないけど、なんとなく今日はネックレスじゃなくてきちんと指にはめた方が良い気がした。
「うまくいくと良いね、偽彼女」
「ですね」
バーベキュー会場に到着すると、篠宮さんを始めとした営業部一行が準備を進めていた。
「おはようございます」
「おお、松永おはよう。お、尾崎も来たな」
篠宮さんが私にも声を掛けてくれる。
「おはようございます、篠宮さん」
私はキョロキョロと周りを見渡し、ある人物を探す。
そんな私の様子を見て篠宮さんは「七瀬さんなら欠席だぞ」と声を掛けた。
「え、欠席ですか?病気とか?」
「いや、単に疲れがたまってるそうだ。この連休でゆっくりすれば大丈夫だと言っていたぞ」
「そうですか…」
桜に会えると思ってたのに、残念。
私と松永君の姿を見つけると、篠宮さん以外の営業部メンバーがざわめきだした。
「え、松永の彼女って尾崎さんだったの?」
「うわー、美男美女」
「俺、尾崎さんショックだわー」
「さすが松永」
良かった、ちゃんと今日化粧してきてホントに良かった。
松永君の隣にいて『つり合ってない』とか言われたら偽彼女の意味がないもんね。
演じますよ、素敵女子!
私がそんなことを考えていると、「智也!」という声を共に北見さんが現れた。
北見さんはミニスカートにボディラインがはっきり分かるトップスといういで立ちで、なんというか若さ爆発!という感じだ。
「あら、尾崎さん。いらっしゃったんですね。わざわざ休みの日に他部署のイベントに参加するなんて、お暇なんですねぇ」
この嫌味を隠さない感じ、いっそ清々しいわ。
「…北見さん、お疲れ様。智也君がどうしてもって言うから」
「………日高と葉山の二人が洗い場にいるので、そっちの手伝いをお願いします」
「分かりました」
私は、松永君達から離れて日高さんと葉山さんがいる洗い場へと向かった。
あ、いたいた。
そこには、とんでもない量の野菜を洗う彼女達の姿が。
「おはよう」
「え!あ、おはようございます」
「すごい量だね。私野菜切っていくね」
私は髪を簡単にまとめて包丁を手にした。普段料理はしないけど、野菜を切るくらいだったらできるでしょ。
「ありがとうございます」
玉ねぎ、ピーマン、かぼちゃ…無心で手ごろなサイズに切っていく。
「あ、あの…尾崎さん」
「ん?何?」
野菜を切る手は止めずに会話をしていく。彼女達も、野菜を洗いながらだ。
「やっぱり、尾崎さんと松永さんって付き合ってるんですよね?」
「うん、そうだね」
これはあれかな?『私達だって松永君の事好きなのにー!』的な事を宣言されるのかな?
「私達、尾崎さんに聞きたいことがあって」
「何?」
「…どうやったらイケメンと付き合えるのか教えてください!」
へ??
予想外の言葉に、包丁のコントロールを誤り…包丁は私の左手人差し指をサクっとカットした。
「!!いった!!」
深くは切れていないものの、だんだん血が滲んでくる。
「だ、だ、大丈夫ですか!?」
「私達が変な事聞いたから、すみません!」
「大丈夫だよ、ちょっとかすっただけだし。絆創膏貼ってくるね」
うー…恥ずかしいし、痛い。慣れないことはするもんじゃないね。
指を負傷した私は、絆創膏を求めて松永君達がいる所に戻ってきた。
そこでは、北見さんが松永君の隣をがっちりキープして準備を進めていた。
「梨乃さん!」
私を見つけた松永君は、助かったと言わんばかりに北見さんのマークから抜け出し、私の元へ小走りでやってきた。
「どこに行ってたんですか?あれ、どうしたんですかその手」
「洗い場で野菜切ってたんだけど、指切っちゃって…絆創膏貼りにきた」
「うわ、痛そう」
そう言っておもむろに私の左手をとる松永君。
ちょっと、急に何するの…って、そういうことか。
視線を感じたので周りを見渡すと、北見さんが私の事を睨みつけているではないか。
どうぞ、どんどん見てください。
私達はラブラブなんですよーってね。
「普段料理しないくせに、急に包丁なんて触るからですよ」
ニヤっと意地悪く笑う松永君。
「うるさいな。できると思ったの」
「はいはい。さっさと篠宮係長の所に行って絆創膏貰いましょう」
そう言って松永君は私の手をとり、篠宮さんが居る所へ歩き出した。
篠宮さんは、数名の営業部のメンバーと共にテーブルに座っていた。
片手にはビールがあることから、宴会がすでに始まっていることが分かる。
松永君が篠宮さんに声を掛け、少し話をすると篠宮さんから何かを受け取って私の元に戻ってきた。
「救急箱、篠宮さんの車の中らしいです。駐車場に停めてあるそうなので、行きましょう」
なるほど、篠宮さんから受け取ったのは車のキーだったのね。
松永君と駐車場に向かい、篠宮さんの車の中から救急箱を見つけた。
絆創膏を見つけて貼ろうとするが、なかなか上手く貼ることができない。
松永君は、絆創膏と格闘する私を見て笑っている。
もー、笑ってるなら手伝ってよ…という私の想いが通じたのか、松永君は「貸してください」と言って私の手から絆創膏を奪い取った。
「尾崎さんが不器用すぎて絆創膏が不憫になってきたので、俺が貼ります」
「め、面目ないです」
くすくす笑いながら、私の左手に松永君の手が触れた。
思わずドキッと鼓動が早くなるが、必死に平静を装う。
長くて綺麗な指が、左手の薬指に器用に絆創膏を巻いていく。
時間にして三秒あるかないかだった。
思わず呼吸をするのを忘れてしまっていたが、私は必死に「ありがとう」と言葉を紡いだ。
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