第10話尾崎梨乃「作戦会議」
松永君発案のペアリング作戦から早二週間が経過した。
先週、桜とのランチに乱入してきた親衛隊に『松永君と付き合っている』と宣言したのだが…
おかしい。
…なんでこうなった?
頭を抱える私が今いるのは、営業部。
そして私の目の前には、今まで以上に松永君にベタベタする北見さんの姿。
「もー、智也ったらネクタイまた曲がってるよー」
「直してあげるね!」と言って松永君のネクタイを結びなおす。
おいおい、距離近くないかい?
「ははは、ありがとう」
流石の松永君も苦笑いの様子。
そんな二人の様子を見ていると、松永君が私の姿に気が付いたようだ。
「あ、梨乃さん!」
「松な…智也君、お疲れさ…「何か御用ですか!?」
私の挨拶に被せるように、北見さんが私と松永君の間に立った。
そんな般若みたいな顔で仁王立ちしなくても、せっかくの可愛い顔が台無しだ。
「あ、っと、市場品の風味評価の件なんだけど。お取込み中かな」
北見さんの圧力に驚きはするが、冷静に要件を話す。
「そうですね、智也はいまとっても忙し…「大丈夫です、手空いてます」
北見さんの言葉を遮って松永君がそう言うと、私の横で『チッ』っと舌打ちをして、北見さんはデスクに戻っていった。
「梨乃さん、どうしたんですか?」
「あ、うん。この前買ってきてもらったバームクーヘンの風味評価をお願いしようと思って。市場品と評価シート持ってきた」
「分かりました。やっておきます。評価終わったら持っていきますね」
「うん、よろしくね。それじゃあ…」
用事は済んだので帰ろうとすると、松永君がチョイチョイと手招きをした。
?なんだろ?
私が少しかがむと、イスに座っている松永君と同じ目線になるから少しドキッとしてしまう。
「近いうちに再度作戦会議が必要そうです」
あぁー、さっきの様子じゃ…ね。
「了解」
「篠宮係長とも相談して、また連絡します」
「分かった」
その日の就業後、私は松永君と篠宮さんと居酒屋に来た。
ご飯兼作戦会議だ。
「それじゃあ、かんぱーい!」
そう言って私達はビールが入った互いのグラスを軽く当てた。
はー、仕事の後のビールは最高。五臓六腑に染み渡るとはこのことよね。
って、お酒やご飯もそうだけど、今日のメインは作戦会議!
「で、どうなってるんだ。最近の北見さんは。先週尾崎が松永の彼女だって直接伝えたんだろ?」
「はい、ちゃんと伝えました。証拠を見せろって言われたからこのペアリングまで出して。納得してないようには見えましたけど…。私が松永君の彼女だって認識はしてるはずです」
「納得してないって言われてもなあ」
松永君は困ったように眉をひそめる。
「それで、何で今日のあの様子になるんだ?普通、彼女がいると分かったら適切な距離を保つものなんじゃないのか?」
若い子の考えることは分からんな…と言って篠宮さんはビールをぐっと飲みほした。
「ですよねぇ。あ、親衛隊の他の二人はどうですか?日高さんと葉山さんにも言いましたよ、付き合ってるって」
「そっちの二人はなんとなく効果があったように感じてます」
「あ、ホント?」
「はい。俺に対する興味が薄くなってる感じがします。これまでみたいに俺の仕事を三人で取り合う様子はないですね」
「じゃあ、業務は良い感じに回ってるってこと?」
「…………」
私の問いかけに、腕を組んで黙り込む二人。なんでよ。
「…まあ、そうだな。以前よりはましになってる感じだな」
「今はどんな感じなんですか?」
「北見さんが松永専属みたいになってるんだ」
「え?」
「松永以外の仕事は『今は手が空いていません』の一点張りだ」
「その分の仕事のしわ寄せって…」
「葉山さんと日高さんだな」
「えぇぇー…二人は怒らないんですか?」
「目の前の仕事をこなすのに必死って感じだからな、怒りという感情が湧くまでの余裕もないんだろ」
「なんか可哀想だな。篠宮さんが注意すれば良いんじゃないですか?」
「それが、俺の前ではやらないんだよ。俺がちょっと席を外した時とか、会議に出てる時にやってるらしい」
「…敵は周到ですね」
「だな」
「営業事務の業務改善に関しては、俺の方でも準備を進めてるから。まあ、心配するな」
「それ、前に言ってた『考えてることがある』ってやつですか?」
「まあな。それより今は北見さんの話が先だ」
「ですね」
「今日、北見さんは松永君にべたべたしてたけど、あれはいつもの光景なの?」
私は焼き鳥を食べながら、松永君に問いかけた。
「あそこまでひどいのはそうそうないですけど、何かしら理由を付けて来ますね」
「そっか。私、付き合ってるって言ったのに。なんで効果ないんだろう?プライベートな誘いも減ってないの?」
「減ってないですね。ちなみに今日も誘われましたよ、篠宮係長と飯に行くって言ったら諦めてましたけど」
「うーん、付き合ってるっていう宣言だけでは足りなかったのかな」
もっとラブラブ感を演出するとか?流石に偽彼女だからリアル感は難しいけど…。
そう思っていると、松永君が口を開いた。
「こうなったら、今度のゴールデンウィークにある篠宮係長主催のバーベキューで勝負を決める必要がありそうですね」
「バーベキューでどうするの?付き合ってるって言ってるのに、北見さんは気にしてないんだよ?」
「今の北見は、俺に彼女がいても関係なく好意を示してきています。それはきっと、彼女である尾崎さんよりも自分のほうが俺と親密だという自信があるからじゃないでしょうか。だから、休日のバーベキューという完全にプライベートな場所で俺が尾崎さんと親しくしていたら…相当ダメージを受けるはずです」
……確かに。
松永君の冷静な分析に感嘆の声を上げる年長者二人。
「会社で演技した親密さくらいじゃ、まだまだぬるかったってことだね」
「松永の言う通りだな。ここはひとつ二人にラブラブカップルを演じてもらう必要があるな」
……この人、完全に楽しんでるよね。
私がじとーっとした目で篠宮さんを見ると、篠宮さんはがはははっと豪快に笑った。
「尾崎さん、よろしくお願いします。これが上手くいって北見が大人しくなれば、これ以上尾崎さんの手を煩わせることもなくなりますから」
偽彼女が終わる?…不意に言われた言葉に、何も考えられなくなってしまう。
松永君とあれこれ画策したりご飯食べたりする日々が当たり前になっていて、いつか終わりがくる関係だということを忘れていたのだ。
「そ、そうだね。営業部のためにも、篠宮さんのためにも頑張らないと」
私は、声を振り絞ってそう答えるのがやっとだった。
帰りのタクシーにて
「今日はあんまり酔ってないですか?」
「うん。今日は大丈夫だよ。作戦会議がメインだったからね」
なんて。
偽彼女が終わるかもしれないってことを改めて自覚したら、なんだかお酒の進みも悪くなってしまった。
「なんだ、酔っ払った尾崎さん、面白いから見たかったのに」
ニヤっ不敵な笑みを浮かべた松永君に、ドキッとしてしまう。
すると、キキッという音と共にタクシーが右に大きく揺れた。
思わず体が車と同じ方向に揺れ、そちら側にいた松永君の胸に飛び込む形になってしまった。
「あぶなっ」
松永君は私を抱きとめて、そう呟いた。
「大丈夫ですか、尾崎さん」
「ご、ごめん!」
そう言って私は松永君から離れた。
「すみません、お客さん。お怪我はないですか?急に猫が飛び出してきて」
「そうだったんですね。運転手さんは大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です、猫も避けられました」
松永君と運転手の会話が、なんだか遠くに感じる。
ドキドキ……
松永君の胸は私よりずっと広くて、がっしりしていた。
なんか良い匂いもしたな…って、私は変態か!
この鼓動の速さは、急なアクシデントによるものなのか松永君だからなのか、今の私には分からなかった。
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