第8話尾崎梨乃「撒き餌」
週の初めに起きた『松永指輪事件』から早二日。
社内は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
というか、当の本人が出張でいないからっていうのが大きな要因な気もするけど。
今日は今から篠宮さんとランチ兼偽彼女の進捗報告だ。
午前中の仕事を首尾よくこなした私は、篠宮さんと合流し蕎麦屋さんに来ている。
ランチ時だから店内はザワザワしているが、半個室になっているから窮屈さは全くない。
「改めて、ありがとうな。松永の偽彼女を引き受けてくれて」
「いえ。まあ、半分なりゆきみたいなものだったので」
「?なりゆき?」
私はあの時のことをかいつまんで話した。
「はははっ!そんな事があったのか」
「笑いごとじゃないですよ!もー、松永君の後輩とやらが腹の立つこと!」
「まあまあ。松永とも協力して、営業部のためにも今後ともよろしく頼むよ」
私はしぶしぶながら「…はい」と答えた。
「そういえば、今週から松永君が指輪をしてること、ご存知ですか?」
「ああ、知ってるよ。月曜は大変な騒ぎだったもんな」
くくくっと笑う篠宮さん。もう!当事者じゃないからって呑気なものだなぁ。
「それで、親衛隊の仕事ぶりに変化はありましたか?」
「あんまり変化は見られないが、親衛隊自体が内部分裂してそうな感じだな」
「どういうことですか?」
「松永は彼女達に『自分に恋人ができた』とは言ったが『誰が恋人か』は言っていないんだ。それを聞いて彼女達は、松永と最も親しい人間は自分達だと思っているから『松永の恋人』が自分以外の二人の内のどちらかなのではないか…と考えたようだぞ。正確には北見さんは他の二人の内のどちらかだと思っていて、他の二人は北見さんが松永の彼女だと思ってる…って感じだな」
「おおう…。なるほど。早速彼女探しが始まると思ったのに目立った動きが見られないからどうしたのかと思ってましたが、お互いに対して疑心暗鬼になってるんですね」
「そういうことだな」
「このまま松永君の事は諦めて、仕事に邁進してくれれば良いんですけどね」
「無理だろうなぁ…。まあ、営業部の業務改善に関しては俺自身も考えてることがあるんだ。だから、尾崎はあんまり深く考えずに気楽にやってくれ。何か問題が起きたらサポートできるようにはしておく」
「ありがとうございます」
流石篠宮さん、頼りになる。私も、少しでも篠宮さんの力になれるように頑張ろう。
私が篠宮さんとそばをすすっていた頃、会社の給湯室では……。
「本当にあんた達じゃないんでしょうね」
「だから違いますって」
「隠し事したって無駄なんだからね。嘘なんかついたら、分かってるんでしょうね」
「私達が松永さんの彼女なんて、ある訳ないじゃないですか」
「そうですよ。だいたい、この中で松永さんと仲が良いのってどう考えても玲奈さんじゃないですか」
「玲奈さんこそ、私達に黙って松永さんの彼女になったんじゃないですか?」
「わ、私は…違うわよ」
こいつらじゃないなら一体誰だって言うのよ。
入社式で一目惚れして、そこからずっと片思いしてた相手・松永智也。
運良く同じ部署に配属されて、智也にとって一番近い異性は自分だと思ってたのに。
一体誰なのよ、智也を横取りしたのは!
絶対に見つけ出してみせるんだから!
「玲奈さんでもないっていうなら、本当に誰なんだろう?」
「松永さんが周りに言ってた話だと、相手は社内の人間らしいですよ」
「社内の人間…あんたたち、智也がしてたペアリング覚えてるわよね?」
「ティファニーのペアリングですよね。流石松永さん!って思ったので、覚えてます」
「社内の人間でティファニーのペアリングをしてる女性社員を探し出すわよ」
「え、社内の人間って全員ですか!?女性だと二百人はいますよ」
「それに、見つけ出してどうするんですか?」
「……ひとまず見つけるのよ。その後の事はそれから考えるわ。どんな女かによって対応は変わるだろうし」
「確かに」
「ほら、そろそろ仕事に戻るわよ。篠宮係長が私達の勤務態度を良く思ってないんだから。智也がいない時くらいちゃんと仕事してあげるのよ」
そう言って三人は営業部に戻っていった。
篠宮さんとランチをした次の日の午後、松永君が大阪出張から戻ってきた。
ブー、ブー…と私の社有携帯が鳴る。メッセージの差出人は松永君だ。
『出社しました。作戦決行しましょう。よろしくお願いします』
よし!いっちょやってやりますか!女優・尾崎梨乃、いきます!
私は意気揚々と営業部のフロアに向かった。
「お疲れ様です」
フロア全体に向けて挨拶をして営業部の松永君がいる場所に向かう。
おや、親衛隊がいるな…どうしよう。割って入るのもな。
なんて事を考えていると「尾崎さん!」とキラキラ王子様スマイルで松永君が私の名前を呼んだ。
その瞬間、親衛隊全員がバッ!と一斉にこちらを見たからついたじろいでしまった。
ダメダメ、ビビってる場合じゃないよ、私!
「松永君、お疲れ」
私がそう言って近づくと、親衛隊はサーっと松永君から離れていった。
でも各々の席に着く訳でもなく、なんとなく私と松永君の様子を伺ってる感じ。
いや、あんたたち、仕事しなさいな。
「尾崎さん、わざわざこっちまで来てもらっちゃってすみません」
「全然。どうだった?大阪出張は」
「首尾よく終わりましたよ」
「それは良かった」
「それでこれ。例のものです」
松永君が今回の出張で買ってきてくれた土産菓子…それは。
「マダムシンコのバームクーヘンだ!」
「日持ちはあんまりしないんですけど、王道かなと思ってこれを選びました。梨乃さん、これ系好きかなと思って」
「最高だよ!万人受けするし、有名どころだし!」
予想以上に良いチョイスをしてくれたので、自然とテンションがあがる。
はっ!いかんいかん。仕事モードになってたわ。今は作戦決行中だった。
「コホン、流石智也君。私の趣味を良く分かってる」
「でしょ。あ、それ小分けするなら手伝いますよ。今からやっちゃいますか?」
「良いの?助かる。ありがとう。それじゃあ作業室行こうか」
このやり取りを、普段より少し大きめの声でわざと親衛隊に聞こえるようにした。
チラっと周りを見渡すと、こちらを見ながらヒソヒソしている彼女達の姿が。
よしよし、ひっかかったね。
親衛隊の前で、私と松永君が親密であることをアピールをしてみたのだ。
そのまま、私と松永君は話をしながら企画部のフロアに移動していった。
松永と尾崎が出ていった後の営業部。親衛隊の様子はというと…。
「え、今のって…」
「企画の尾崎さん、ですよね。松永さんと親しそうじゃなかったですか?」
「…そうね」
「なんか名前で呼び合ってませんでした?」
「智也って聞こえた!」
「しかも、なんかお土産渡してたし。何より松永さん、私達に接するよりフランクだった!」
「企画の尾崎さんね…。ちょっと調べてみるわ」
今のところは尾崎の手のひらで踊らされている状態の親衛隊。さて、直接対決はいつになるやら。
さて、尾崎と松永の様子は。
キョロキョロと周りを見渡し、人気がないことを確認して口を開く。
「あー、なんか変に緊張しちゃった」
「尾崎さん、最初の頃若干挙動不審でしたよ。歩き方からして変で、俺吹き出しそうになりましたもん」
「仕方ないでしょ、女優になるのなんて初めてだったんだから」
「でも上々だったんじゃないですか。フランクに話すこととお互いが下の名前で呼び合ってるってことをアピールできたんで」
「だよね。後は、親衛隊が私か松永君に接触してきたら私達が付き合ってるってことを言えば良いと。」
「ですね。そこから先は親衛隊の出方次第ですけど…まあ流石に危ないことはしてこないでしょうから」
「それよりさ、篠宮さんずっとパソコンの下に隠れて笑ってたの、気づいた!?」
「あ、そうだったんですか?」
「そうだよー!こっちが真剣に演技してるのにさ、まったくあの人は」
はははっと言って松永君は笑った。私、この笑顔結構好きかも。
屈託なく笑う松永君を見てると、私も嬉しい気持ちになる。
「そういえば、さっきも聞いたけど大阪出張はどうだったの?指輪の効果あった?」
「それはもう、ばっちりでした」
そう言って左手をひらひらさせながら見せてきた。
「これのお陰で、女性からの個人的なお誘いはなしです。ま、その代わり彼女が誰かっていう詮索はたくさんされましたけど」
「そっか。なんて言ってかわしたの?」
「『彼女は会社の人だけど、まだ公にはしてないから言えませんって。勝手に言ったら彼女に怒られますから』って。俺が尻に敷かれてる設定にしてあります」
「何よその変な設定」
「俺と尾崎さんだったらこうでしょ、きっと」
「私はちゃんと彼氏をたてますよーだ」
こういうやり取りが楽しくなってきていることに、私はまだ気づいていなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます