第6話尾崎梨乃「契約成立」

ブー、ブー……

メッセージが届いたことを告げる振動に気付くも、体は重くなかなか思うように動けない。

「うぅ~……頭いたい…」

重すぎる瞼を無理矢理開けてみれば、カーテンから差し込む光で部屋は明るく、外の天気はとても良いことが分かる。

朝十時ってとこかな、うん、寝すぎ。今日が土曜日で本当に良かった。


それにしても昨日はさんざんだった。

爽やかイケメン営業マンだと思ってた松永君は、実は腹黒毒舌で。

愛梨とかいうがきんちょのせいで、会社だけじゃなく松永君のプライベートでも偽彼女をやることになって。

まあ、これは私ががきんちょにキレちゃったのが原因なんだけど。


「そういえばメッセージ、誰からだろ」

未読メッセージは三件。

松永君から二件と、友達でないユーザーから一件?誰?


松永君からは『偽彼女、よろしくお願いします。ひとまず、今度のゴールデンウィークにある営業部のバーベキュー、参加よろしくお願いします。もちろん、俺の彼女として』

昨日のことはやっぱり夢じゃないのね…。営業部のバーベキューの主催は篠宮さん。篠宮さんが企画に所属してた頃は、企画部でもよく開催されていた。

北海道出身の篠宮さんは、ご両親が北海道に住んでるんだけど美味しいジンギスカンとかお野菜をたくさん送ってくれるらしい。

あのジンギスカン、臭みもなくて最高に美味しいんだよね。

今年もあれが食べられるとは…ちょっとテンションが上がっちゃう。

我ながら現金な奴だ。


「そういえば、友達でないユーザーって誰だろう」

スマホの画面を見てみるとメッセージの差出人は『ai♡ri』

何よこの名前。あ、あい、り…あいり…愛梨!がきんちょか!

『あんたが智也先輩の彼女だなんて認めないんだからね』

文面だけで分かる、昨日のあいつだ。

スマホの文面を見ているだけで昨日のイライラが舞い戻ってくるようだから、彼女と私は余程相性が良くないらしい。

だいたい、なんで愛梨が私の連絡先知ってるのよ。


ここで、松永君からメッセージがもう一通来ていたことに気付く。

『愛梨が尾崎さんの連絡先を聞いてきたんで、教えときました。悪い奴じゃないんで、対応お願いします』

おおい、松永。勝手に人の連絡先を漏洩させるんじゃないよ。

昨日喧嘩してたの見てただろうが、ばかたれ。

……ま、愛梨からのメッセージは既読無視で良いでしょ。


どうやら偽彼女、腹を括ってやるしかなさそうだ。

仕方ない、会社のためにも、篠宮さんのためにも、おまけに松永君のためにも。

「………よし!」

暖かいベッドから抜け出した私は、コーヒーを飲みながらパソコンで書類を作り始めた。

カタカタ……カタカタ………

「こんなもんかな」

出来上がった書類の内容に誤字がないか確認してプリントアウトする。

印刷した書類をクリアファイルに挟んだら完成だ。


「お次はこっちっと……」

次に私はスマホを手にして、メッセージを作成した。

送信相手は……松永君。

『昨日はお疲れ様。偽彼女の件でなるべくはやめに打ち合わせしたいから、空いてる日連絡ちょうだい』

メッセージを送ってから数分後、スマホがメッセージの受信を告げた。

『お疲れ様です。打ち合わせ、明日空いてます』

明日!?はやっ!?

『明日って日曜だよ?平日のランチの時とかで良いんじゃない?』

『いえ、来週は大阪出張が入ってたりしてバタつく予定なんで。会社の人に聞かれたらまずい話なんで休日の方が都合良いです。それに尾崎さんに渡さなきゃいけないものもあるんで』

?私に渡したいもの?なんだろ、まあ明日になれば分かるか。

『オーケー。それじゃあ明日にしよう』

『個室がある店、予約しときます。ランチで良いですよね?』

『うん、ありがとう』


日曜日。

私と松永君は、彼が予約してくれた個室ありのカフェに来た。

会社から少し離れたこの場所なら、会社関係の人に会う危険もないだろう。

隠れ家的な、落ち着く感じの雰囲気の良いカフェは佇まいだけでメニューに期待できる。

「尾崎さん、はいメニュー」

「ありがとう」

松永君からメニューを受け取ると、早速食べたいものを探す。

「あの俺、電話してくるんで注文お願いしても良いですか。尾崎さんと同じものを、俺の分も」

「え…良いけど。私松永君の好み知らないよ?」

「アレルギーも好き嫌いもありません。ちょっと行ってくるんで、よろしくお願いします」

「あ、ちょっと!」

行っちゃった。特別親しくもない人に注文を任せるなんて、勇者だな。

ま、良いか。私が食べたいものを二人分頼んじゃおう。

注文を終えると、松永君が席に戻ってきた。

「注文しといたよ」

「ありがとうございます」

「あ、そういえば、私に渡したいものって何?プレゼント?」

少しからかうようにそう言うと、そんなわけないでしょと言って鞄の中をゴソゴソと漁りだした。

「はい、これ」

そう言って手渡してきたのは……なんと私の社員証!!

「あれ、これ、なんで?」

「一昨日の夜タクシーで落としてったんですよ。たまたま俺が拾ったから良かったですけど、気を付けてください」

「ありがとーー。落としたことにも気づいてなかったよ」

「見た目にはあんまり変わらないように見えましたけど、結構酔ってました?」

「酔ってた酔ってた。昨日は若干二日酔いだったし」

「もう若くないんだからあんまり飲みすぎないほうが良いですよ」

「だね…って、若くないは余計です」

「ははっ、失礼しました。で、打ち合わせって何ですか?」

おっと、そうだった。当初の目的を果たさねば。

「そうそう、それはね……これです!」

鞄の中から昨日作成した書類をテーブルの上に置いた。

「なんすか、これ?……偽彼女契約書?」

そう、私は昨日、早速偽彼女に関する取り決めを記した契約書を作成していたのだ。

「やっぱりさ、最初にちゃんと決めておかないとね。こういうことは何事も書面に残しておかないとね。言った言わないになったらお互い嫌な気持ちになりますから」

「完璧仕事の言い方じゃないですか、それ。しかも過去に何かあったやつですね。で、内容はっと……」

松永君の言う通り、過去に痛い目見てますからね。それは良いのよ、別に。

私がこの契約書に書いた内容はこうだ。


一:どちらかに彼氏彼女ができた場合、もしくは好きな人ができた場合には関係を解消する

二:偽彼女は、会社関係及び松永のプライベートの一部の前でのみ有効とする

三:この契約は他言無用とする(事情を知っている篠宮係長のみ例外)

四:松永智也は尾崎梨乃に偽彼女を依頼する対価として、尾崎梨乃の年間課題である『全国の土産菓子トレンド調査』に協力する

五:『全国の土産菓子トレンド調査』に協力するとは、現物の購入及び風味評価を行いデータ収集に協力することを指す


「どう?何か足りない所ある?」

「…………。」

松永君が何も言わないから不安になる。

「くくくっ…」

え?と思って松永君の方を見ると、顔は契約書で隠れているから見えないが肩が震えているのが分かる。え、笑ってる?

「ははははっ!!」

「え、なんで!?」

「ははははっ!だって、こんなくそ真面目な契約書をわざわざ作ったんですよね。せっかくの土曜日の休みの日に。」

あー、腹いてー…松永君はそう言って脇腹を抑え、笑いすぎて少し出てきた涙を指で拭う仕草を見せた。

どうせ暇人ですよーだ。


「はあー…笑った。あ、内容は概ね良いと思いますよ。尾崎さんに好きな人ができたら、俺はフラれたってことにしましょう。五番だけ質問なんですけど、現物の購入は良いとして風味評価も俺がやるんですか?」

「もちろん。サンプル数は多くないとね。私だけの意見だけだと偏りがでちゃうし」

「こんなこと金曜日には言ってなかったですよね」

「あ、ばれた?この書類作ってる時に、『やっぱり私にリスク多くない?』って思って。だってさ、親衛隊から嫌がらせされる可能性だって無きにしも非ずでしょ。まあ、黙ってやられるなんてことはしないけど。だから、松永君にも土産菓子のトレンド調査に協力してもらうってことにしたの。どう?」

「嫌がらせなんてさせないですけどね。でもまあ、分かりました。こっちも無理言ってお願いしてるんで、俺でできることは協力しますよ。あと、尾崎さんが俺の偽彼女ってことは、俺は尾崎さんの偽彼氏ってことで良いんですよね?」

「?そうなります…かね?」

松永君の発言の意図が読めない。


「これ」

松永君は、鞄の中から小ぶりな箱を出し、パカッと開けて中身を私に見せた。

「それって……」

「指輪です。ペアリング。もちろんダミーですよ。俺、これを明日から指にはめて出社します。何事も形からなんで。」

用意がいいな…さすが仕事できる男は違う。

「松永君が指輪なんてしてたら、明日会社は大混乱に陥るだろうね。特に親衛隊なんて、仕事にならないんじゃない?」

「あの人達は普段でもほとんど仕事してないんで」

うわぁ、辛辣。

「で、もしかしてそのペアリングのもう片方を私に…ってこと?」

「もちろん」

手出してくださいと言って無理矢理私の左手を取り、あろうことか薬指に指輪をはめようとする。

「ちょ、ちょっと待って!」

そう言って、私は左手を引っ込めた。ダミーって分かってはいるけど、流石に左手の薬指に指輪はできないよ……。

「私!企画部だし、実際にチョコレートを作ることもあるから。衛生的にも指輪は難しいかな!」

「くくくっ…そんなに焦らなくても。尾崎さんて素直ですよね。からかいがいがあると言うか。」

あれ、もしかしてからかわれた!?

「はい、これ」

そう言って松永君は私の手に何かを置いた。

「これって、ネックレスのチェーン?」

「もし嫌じゃなかったらで良いんで、これに指輪を通して付けてくれると助かります。親衛隊はめざといんで、これでも十分効果はあるはずです」

「ま、まあ。ネックレスだったら、つけられる、かな」

「じゃ、契約成立ですね」

そう言って、松永君は少し意地悪そうな笑顔を見せた。

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