第3話尾崎梨乃「二重人格!?」
篠宮さんから、営業部のエース・松永君の彼女役を頼まれたミーティングから早二日。
あっという間に金曜日。
木曜日が結構バタバタしてた反動か、今日は平和な一日だ。
イレギュラーなことが起きないから、資料作りがはかどるわ。
そういえば、午前中に松永君が企画のフロアにやってきた。
別の人との用事で来たみたいなんだけど「尾崎さん、お疲れ様です」と声を掛けられた。
パソコンから目線をずらして松永君の方を見ると、今日も素敵なスマイル。
「松永君、お疲れ様。」
私が声を掛けると、キョロキョロと周りを見渡して近くに人がいないことを確認してコソコソと話し出した。
?なんだこの行動は?
「水曜日の打ち合わせ、行けなくてすみませんでした。」
あー、そういうことね。確かにあんまり人に聞かれたくない話題だわ。
「ううん。こっちこそ、待ってなくてごめんね。篠宮さんが退席するタイミングで終わりっぽい雰囲気だったから」
「篠宮さんから、例の件を尾崎さんにお願いしたと聞きました。前向きに検討頂けてるみたいで」
前向き!?篠宮さんめ、適当なことを。
「前向き…ではないけど。営業部が大変だってことは分かったよ」
「あれ、前向きじゃなかったんですね。今日のご飯も来てくれるって聞いたのでてっきり……」
「あれは、もつ鍋だから。もつに心奪われてるのよ、私は。篠宮さんは私の好みを熟知してるから、その篠宮さんが選んだもつ鍋なんて美味しいに決まってるの」
急にもつに対する愛を語りだした私に、松永君は「ははっ」と声をあげて笑う。
「分かりました。じゃあ、例の件の続きはもつ鍋を食べながらということで」
「そ、そうだね」
「では、また後で」
「うん、お疲れ」
爽やかな風と共に、松永君は企画のフロアから去っていった。
いやー、近くで見てもイケメンだったな。なんか良い匂いしたし。
あと、前から思ってたけど礼儀正しいのよね、彼。
ありゃあお客さんにも好かれるわ。
そうこうしていると、あっという間に終業時間。
今日は本当に平和だったな。こういう平和な日は、嵐の前の静けさって言って良くない事が起きる前兆……だったりして。
……やめよ、やめよ!
今週も無事に乗り切ったし、今からは何といってももつ鍋!
パソコンの電源を切って、仕事中のメンバーに一声掛けて退勤の処理をする。
フロアから出てエレベーターに乗り込むと、二階のフロアでエレベーターが止まった。
何人か乗り込んでくる中に篠宮さんと松永君の姿を発見。
「おう、尾崎。お疲れ」
「お疲れ様です。松永君もお疲れ様」
「お疲れ様です」
「今日は定時で帰れたんだな、珍しい。松永と先に行って一杯やってるつもりだったのに」
「今日は平和だったんです。あと、もつ鍋パワーが働いてアドレナリンが出てたかも」
三人でエレベーターから降りて店へと向かう。
もつ鍋屋は会社から徒歩で十分くらいだ。
三人で世間話をしながら歩いてると、もつ鍋屋の暖簾が見えてきた。
こじんまりとしているが、店構えを見るだけでテンションが上がる。
暖簾をくぐって店内に入ると、個室の席に通された。
もつ鍋はもちろん、サイドメニューをいくつか頼んだところで「ブー、ブー」と誰かの携帯から着信を知らせる振動が。
「すみません、ちょっと電話してきます」
そう言って、松永君は席を立った。
「大変ですね、営業部のエースは。定時過ぎても問い合わせ対応しなきゃいけないなんて」
私も社用携帯は支給されているが、仕事中のみ携帯するルールになっている。
もちろん土日は会社に置いてあるから、休みの日に対応するってこともない。
「まあ、営業部の宿命だな。でも、松永は特別多いかもな。あいつの場合、取引先の女性にも個人的な好意を抱かれる場合が非常に多いから。個人的な誘いも多いみたいだしな…………」
?何急にこの沈黙は?と思ったら、ニヤっと不気味に微笑んだ篠宮さんと目が合う。
「あー、そうなんだよな。松永は社外でもモテて大変なんだよなー。誰か彼女役をやってくれる人がいれば、松永もこんなにプライベートな電話対応をしなくてもすむのにな~」
げ!まずい、この話の流れ!
「彼女役やってくれる素敵な女性はいないか「ああ~と!私ちょっとお手洗いに行ってきますね!」
「チッ!」という篠宮さんの舌打ちを背中に感じながら、お手洗いに避難するため席を立った。
「ふー、危ない危ない」
お手洗いに避難し、なんとなく化粧直しをする。
こういうお店の照明ってオレンジ色で暗めだから、普段より美人に見えるよね。
なんてことを思いながらお手洗いから出て店の廊下を歩いていると、外で通話中の松永君を発見した。
普段の爽やかな笑顔とはまた違った、少年のようなくしゃっとした笑顔。
がはははって声が聞こえてきそうな表情は、会社では見たことがない。
誰と話してるんだろう?
お店のドアが開いているから、少し耳を澄ませば声が聞こえてきそうだ。
私は、ほんの少しの好奇心から、少しだけ耳を澄ましてみた。
「そうそう。今日は上司達と飯。前話したやつ?なんか上司が対策してくれるっぽい。あー、なんか上司と仲良いお局みたいな人?そうそう、同じ部署の人たちがやっかいなやつ。いや、面倒だけどさ。しょうがねーだろ、俺モテんだから。」
フランクな話し方は、会社での姿とギャップがありすぎて一瞬理解ができない。いや、フランクというか口悪い?通話相手は友達?
いや、会社とプライベートでキャラが違う人がいるっていうのは分かるよ。
でもさ、違いすぎじゃない?
っていうか!お局って!!!!私のことだよね?
昼間話した松永君と同一人物とは到底思えなくて、混乱する頭で篠宮さんが待つ席に戻った。
「戻りました…」
「おう。遅かったな。もつ鍋来たから作り始めてるぞ」
「すみません!私やります!」
篠宮さんから菜箸を取り上げてもつ鍋の具材を鍋の中に投入していく。
ひとまずさっき見た松永君のことは忘れて、美味しいもつ鍋を作ることに集中しよう。
「鍋奉行がいると楽だな~」
篠宮さん…呑気だな。のほほんとしている篠宮さんを見て、フッと笑みがこぼれる。
ホント、癒し系だよね。
篠宮さんは知ってるのかな、松永君がプライベートだともはや別人だってこと。
そんなことを思っていると松永君が席に戻ってきた。
「すみません、戻りました」
「おう、おかえり。大丈夫だったか?」
「はい。B社に来週納品予定の製品に関する問い合わせでした」
「対応ありがとな。優秀な部下がいて助かるよ」
もつ鍋を作りながら、二人の会話を黙って聞いている私。
B社の問い合わせなんて嘘じゃん。友達と話してたじゃん。
しかも私見たよ、さっき使ってた携帯、社有のじゃなくてプライベートのだった。
息を吐くようにスラスラと嘘をつく松永君に対して、無意識に怪訝そうな表情を向けてしまう。
「尾崎さん?どうしました?」
しかもさ、私のことお局って言ってた…。やばい、私。お局というワードにショックを受けているようだ。
「尾崎?どうした?」
篠宮さんからも声を掛けられて、ハッと我に返る。
「あ!ごめんなさい。もつ鍋の事考えてました」
「はははっ!尾崎は相変わらずだな」
うまくかわせたかな?思わずホッと息をつく。
「尾崎さん、もつ鍋作らせちゃってすみません!僕変わります」
「あ、でももう後は煮込むだけだから。大丈夫だよ。」
そう言って、鍋を作るためにずっと中腰だった私は自分の席についた。
もうそろそろ良い感じかな?もつ鍋をのぞき込もうとしたタイミングで飲み物が届く。
「ひとまず乾杯しますか」
全員ビールだから配るの楽だな。なんて思っていたらまたもや「ブー、ブー」と着信音が。
「おっと、すまん。今度は俺か。先に食べててくれ」
そう言って篠宮さんは席を立った。
「はい、お世話になります。篠宮です。」という声が聞こえたから、本当にお客さんからの電話なのだろう。
「せっかくもつ鍋できたのに……」
「篠宮係長が戻ってきたらすぐ食べられるように、お皿に分けておきましょうか」
「あ、そうだね。私やるよ」
「いえいえ、今日は尾崎さんはお客さんなんですから、僕にやらせてください」
松永君は、そう言って私の手から菜箸を受け取ってもつ鍋の具を配りだした。
私の目の前でもつ鍋を配るこのイケメンは、本当にさっきの人と同一人物なのだろうか。
未だに信じられなくて、ボーっと松永君の顔を見てしまう。
「?尾崎さん?さっきから何か変じゃないですか?もしかして、具合でも悪いとか?」
「あ、ごめんごめん。意味はないから気にしないで」
「でも………」
松永君が何かを言いかけたタイミングで、篠宮さんが電話を終えて戻ってきた。
「いやあ、すまんすまん。もつ鍋取り分けてくれたんだな、ありがとう。それじゃあ早速乾杯……と言いたいところなんだが。すまん!会社でトラブルがあったみたいで、今から会社に戻らないといけなくなった」
両手をパンッと顔の前で合わせて、篠宮さんが申し訳なさそうに続ける。
「ここの支払いは俺がしておくから、二人はもつ鍋を堪能してくれ。」
「いやいや、だめですよ。」
「いいから、いいから。誘ったのは俺だし。料理がもったいないだろ。ここのもつ鍋は絶品だぞ」
「僕でできることだったら、僕が会社に戻りましょうか?」
「いや、今日は俺が戻るよ。少しやっかいな取引先なんだ。それに松永には、尾崎を彼女役に説得するというミッションがあるだろ。」
彼女役という単語にピクっと体が反応する。
だからやらないってば。
篠宮さんと松永君の何度かの押し問答の末、篠宮さんは会社に戻っていった。
ええ~~、松永君と二人っきり?
篠宮さんという精神的支柱がいなくなった今、私は無事に美味しいもつ鍋にありつけるのだろうか……。
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