第2話尾崎梨乃「営業部の危機」

仕事をしてると、あっという間に時間が過ぎていく。

午後の打ち合わせでは、新製品の市場性をアピールした資料作りを担当することになった。

規模の大きい仕事を任されて、自然と気合いが入る。

(開発担当が雫ってのも、気合いが入るポイントよね。週末にでも、市場調査に行こうかな。)

そんな事を考えながら目線をパソコンからずらすと、時計が目に入った。

長針と短針が、もうすぐ四の数字で重なろうとしている。


「やばっ!いかなくちゃ」

今朝急に予定が入った、篠宮係長達とのミーティング。

結局、議題は分からず今に至る。

ひとまず向かおう、場所は第六ミーティング室だ。

私は、会社支給のタブレットとスケジュール帳を持ってミーティング室へ向かった。


コンコンッ

「お疲れ様です」

ミーティング室の扉をノックし、ドアノブに手を掛けて中に入ると見知った顔が私を出迎えた。


「おう、お疲れ」

「お疲れ様です、篠宮さん。おひとりですか?」

「ああ、松永は急なクレーム対応中でな。それより悪かったな、急に予定入れて」

「それは大丈夫ですけど、一体何の件ですか?」


さっさと本題に入りたい私に対して、なんとも複雑な表情の篠宮さん。

右手でポリポリと頬を掻く癖は、切り出しにくい話題の時に見られる篠宮さんの無意識行動だ。

「……いやー、尾崎さん、今日もお綺麗で…「そういうのいいですから。さっさと本題に入ってください」

目上の篠宮さんに対してフランクに話せるのも、何度かの修羅場を一緒に潜り抜けた仲が故だろう。

「……はい」

篠宮さんの頭に、しゅんとした犬の耳が見える。それに今確信した。篠宮さんが私のことを「さん付け」する時はろくなことがない。



「実はな尾崎…」

余りにも深刻な雰囲気の篠宮さんに、思わず生唾を飲んでしまう。

「我が営業部は今、前代未聞の危機に瀕しているんだ!」

「?はぁ…あ、売上がピンチとか?」

「あ、売上は前年比百五パーセントを維持してるから問題なしだぞ」

「そうですよね…売上じゃないとすると、じゃあ、何がピンチなんですか?」

「……それはな。」


「原因は松永なんだ。」

「え…松永君て営業部のエースですよね?そんな彼が原因って…もしかしてどでかいクレームやらかしちゃったとか?」

静かに首を横に振る篠宮さん。

「ま、まさかお…横領とか!?」

全然違うと言わんばかりに、今度は激しく首を横に振る。

「えー、じゃあ何なんですか?」

「…回ってないんだ」

「は?」

「だから、回ってないんだよ」

「何が回ってないって言うんですか」

「…業務だ!業務がスムーズに回ってないんだ!」

「へ?業務が?どういうことですか?」

「うちの営業には、営業事務がいるだろ。女性が四人。その内のひとりは尾崎の同期の七瀬さん。七瀬桜さんな。彼女はしっかりやってくれてるんだ。問題は残りの三人。」

ふむふむ。確か営業事務って若い女の子達だったよね。きゃぴきゃぴしてて元気な感じの。

先月末までは山崎さんっていうベテランパートさんがいたんだけど、退職したとか。

桜が前に「私が一番年上だからしっかりしなきゃ」って言ってたっけ。

「でだ。この残りの三名の女性社員全員が松永に好意を抱いているようでな。」


「へ?全員!?」

流石社内イチのイケメン。それにしても全員ってすごいな。


「まあまあ、最後まで聞いてくれ。ちなみに俺は彼女達を『松永親衛隊』と呼んでいる。で、その親衛隊が松永の仕事を最優先で取り合うもんだから、他の営業の人間の仕事が滞ってるんだ。それでも先月までは山崎さんのフォローのおかげでなんとかなってたんだが…。ここ最近は親衛隊の中で松永の業務の争奪戦が激化してな。こりゃあ、いよいよ何か手を打たないと…ということになったんだ。」

篠宮係長は、腕を組みながらうんうんと自分が言ったことに頷いている。


……なんというどうでも良い、いや、営業部にとっては死活問題か。親衛隊すごいな。そういえば、よく給湯室できゃっきゃしてたっけ。


「…で。その、営業部の問題に私が何の関係が?…はっ!!もしや、私が営業事務に異動するとかだったら無理ですよ!企画部から離れるつもりないですから」

「それは分かってる。というか企画のエースを営業に引っ張ったら、俺が企画部から恨まれる」

エースとか言われてちょっと嬉しいけど、今は喜ぶところじゃないよね。


「それで、今の状況を改善するために、俺と松永は考えた」

「…はあ」

「題して!松永に偽彼女を作って諦めさせよう作戦!!だ!」

作戦とやらの意図が全く理解できなくて何も言えない私。

「つまりだな、松永に特定の彼女ができれば、彼女達も松永のことを諦めて通常通りに仕事をするようになるんじゃないか…ということだ」

「はあ……」

「がしかし、今松永には特定の相手はいないようなんだ」

へー、あのイケメン、彼女いないんだ。


「そこで必要になってくるのが、彼女役だ!この大事な彼女役を任せられるのは尾崎!君しかいない!!」

いやいや、松岡◯造さん並みの熱血ぶりで迫られても引くだけですから。

「いや、まあ、百歩…いや、一万歩譲って、松永君に特定の相手がいれば親衛隊の興味を削げるかもしれないです。そこまでは理解しますけど……なんでその特定の相手役が私なんですか??」

「それは俺が頼みやすいからだ!気心も知れてるしな」

「………怒りますよ?」

頼みやすいって理由だけで、こんな面倒ごとに巻き込まれるなんてごめんよ。

「だいたい篠宮さんはいつも強引なんですよ!」

「いやいや、まあ落ち着け。もちろん理由はそれだけじゃないぞ。」

「なんですか」

「松永親衛隊は非常に口が上手いんだ。そして頭も良い、狡猾とも言うか。尾崎、得意だろ。そういう相手。」

「はあ?」

「そういう、一癖も二癖もある人間を相手に対して企画を決めてきたじゃないか」

「まあ…」

「尾崎のその対応力!臨機応変に立ち回るセンス!これは、一緒に仕事をしてきた俺が一番良く知っている」

「いや、でもそれとこれとは・・・「ブー、ブー、ブー」

「っと、すまん。電話だ。ひとまず考えてみてくれ。松永の彼女役。」

そう言って篠宮さんはミーティング室から出ていってしまった。


考えてみてくれって…普通に嫌でしょ。面倒くさい。考えるまでもないわ。

松永君が来る気配もないし、私もデスクに戻ろう。

ミーティング室の電気を消して事務所に戻る途中、給湯室の前を通る。

明かりが漏れているから、誰かがいることが分かる。

給湯室に近づくにつれて、声が漏れ聞こえてきた。

「あー!もう松永さんって本当にかっこ良い!」

「急なクレームもスマートに対応してて、さすが私達の王子様!」

「あんなイケメンと同じ部署とか、うちら本当にラッキーだよね」

「ほんとほんと!」

会話の内容から、先程まで篠宮さんとの話題に挙がっていた松永親衛隊であることが分かる。

「ちょっとあんた達、あんまり智也の事でキャーキャーしないでよね、恥ずかしい」

「玲奈さん!分かってますよー、玲奈さんの彼氏!ですもんね!」

「ま、時間の問題かな?智也も同期の私とあんた達とではなんとなく対応が違うって言うか。私に頼ってる感じはあるのよね。同期の中でも智也って呼んでるのは私だけだし。」

…はーん、なるほどね。どうやら、松永親衛隊は玲奈って名前の女子が隊長で、他二人が隊員らしい。

って、私何探偵みたいなことを。彼女役を引き受けるわけでもないのに。

やめよやめよ。余計なことに首を突っ込むのはリスキーすぎる。

止まらないガールズトークを背に、今度こそ私はデスクに戻った。


今日は順調に仕事が進んでると思ったのに、最後に面倒なミーティングがあったから余計に疲れた。

今日は早く帰ってゆっくりしよう。

そう思ってたら、またもや打ち合わせの予定が入ってきた。

どうやら、また篠宮さんが入れたみたい。

メンバーは今日と同じ三人で、金曜日の定時に指定されてる。明後日か。

今度はメッセージが入ってる。

なになに…

「尾崎、例の件、前向きに検討よろしく。金曜の夕方に予定いれたから、三人でうまいもんでも食べながら今日の続きを話そう!あ、飯は尾崎の好きなもつ鍋屋を予約しとくぞ!」

前向きに検討も何も、だからやる気ないってば。しかもあの人、もつ鍋で私を懐柔しようとしてるな。

しかしもつ鍋とは…さすが篠宮さん、私の好みを完璧に把握している。

懐柔目的ということは分かっているものの、もつ鍋の誘惑に抗えなかった私は「もつ鍋だけ食べに行きます」と返信して、そっとパソコンを閉じた。








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