第98話『こんなのはやだ……』
「ローラン!」
王は俺たちと同じグラウンドに出たローラン姫を見て叫んだ。お姫様はチラリと王を見た。
「やっと来た」
キヨは小さくそう言った。それってもしかして、宿から出してた言伝?
そう言えば彼女が現れたのは俺たちの通ってきた通路だ。キヨが開けた鍵を丁寧に戻しながらも、閉めずにいたのはそのためだったのか。
ほとんど赤茶色にも見える濃い緋色のフード付きマントを着たローラン姫は、明らかに人目を忍んでここまで来たようだった。お付きの人もいない。
「すべて、説明していただけると」
ローラン姫はそう言ってキヨを見た。キヨはそれを受けてチラッと王様を見る。それから一つため息をついた。
「これから話す事は、俺が想像含みで考えたものです。その上、シャマク王には発言を許されていない。それでも聞きたいですか?」
ローラン姫は一度父王を見上げ、それからキヨに視線を戻した。辛そうな表情。それでも意を決したように口元を引き締めて頷いた。
キヨはそれを見て、もう一度シャマク王を見た。
「安心して、キヨリンが話せないように魔法使ってきたら、僕が完璧に防御の結界敷いてあげるから」
キヨはハヤの言葉を聞いて、ちょっとだけ口元に笑みを浮かべた。
「……この混沌を正すため、勇者が王都に招集されました。しかしそれは、表向きの理由だ。本当は、彼らも知ってる『例の者』を王都に呼びつける事が目的だった」
「例の者、ですか?」
キヨは頷いた。お姫様には占いに出た救済者って話になってるんだよな。
「混沌の始まりはその招集の前に戻ります。王都の南西の地区で5レクスの結界が不安定になるという出来事が起こる。結界の不安定は、妖精王家もしくは人間王家の不安定だ。妖精王家には何の問題もなかった。だったら人間王家が怪しい。でも、人間王家にも第一王位継承者であるローラン姫は健在だし、何の問題もないように思えた。表向きはね」
そう、何の問題もないんだ。第一王位継承者であるローラン姫は健在。王子のヴィトの行方が知れないけど、それでも彼は王位継承者ではないから直接王家の存続には関わってこないはず。
「それでも何かなければ、結界がほころぶほどの不安定さに繋がらない。だから考えた。まずヴィト王子は、あの城にはいない」
キヨはそう言ってチラッとハヤを見た。ハヤはとぼけるみたいに眉を上げてみせた。逆にローラン姫は辛そうに眉根を寄せた。
「最強の結界を敷いてヴィト王子の部屋を護っている。その上、王家側近がヴィトの存在を徹底的に隠し続けている。そこまでしてたら、いくらなんでも病弱の王子様が面会謝絶であそこにいるとは考えにくい」
ローラン姫は何だか泣きそうに見えた。
それでも少し視線を落として「その通りです」と小さく言った。観覧席で、シャマク王がぐったりと座席に座り込んだのが見えた。キヨは小さく頷く。
「その上で、じゃあどこにいるのか。俺たちは妖精国へ行き、妖精王とその父である前王と話しました。彼らは南の地区の混沌を直接は知りませんでしたが、結界の維持を憂いて教えてくれました。大体ヴィト王子が人前に現れなくなった頃に発動した大きな魔法の有無、そこから考えられること。彼はここに封印されている」
キヨはそう言ってグラウンドを指さした。ローラン姫は驚いたように顔を上げ、それから混乱したように足下を見回した。そこまでは、知らなかったのかな。
「弟は、どこか妖精国で静養していると……」
そう言ってあったのか……でもキヨはそっと首を振った。
「そんな事実はありません。俺も、もともとはどこかで護られているんだと思ってました。でも見つかったのは封印の魔法だった。でもおかしい事に、弟であるヴィト王子がもし封印されていなくても、あなたの王位継承権は揺るがない。それでは不安定にならないんです。だから逆に考えてみた。不安定にさせるにはどうすればいいのか。それは、あなたが第一王位継承者でなければいい」
ローラン姫は混乱したように、俺たち一人一人を見た。
「どういう、ことですか……?」
「ヴィトが第一王位継承者だと考えたんです。だから彼を封印した。そうしないと、あなたが王位継承者でいられないから」
ローラン姫はやっぱりわからないといった風に首を振ると、父王を見た。
シャマク王は座席に座って両手で顔を覆っていた。
「私が、王位継承者でいられないとは……」
「この国は第一子に王位継承権がある。ヴィトが、この国の第一子なんです。あなたは……養子なんです」
姫は愕然とした表情で、ゆっくりと口元を手で覆った。
「でも……そんな……いいえ、仮に私が養子だったのだとしても、それで弟を封印する必要はないじゃないですか。私は王位継承権などに固執するつもりはありません。ヴィトが国を継げばいい」
「それじゃ困るんですよ」
キヨはそう言ってシャマク王を見上げた。
「それでは、魔法の契約が崩れるんです。あなたをつなぎ止めるための」
え、それってどういうこと? 俺はみんなを見た。
ハヤは少しだけ眉根を寄せたけど、気付いたようにシマを見た。
「妖精の取り替え子……」
俺は呟いたレツを見た。それは禁書になってた本……でもそれは生まれた子どもに何か難があった時に、妖精の所為にしたって内容じゃなかったか?
「それってもしかして……チカちゃんの話……?」
キヨはチラリとハヤを見た。
「禁書目録を見た時、なんでそんな絵本をわざわざって思ったんだ。時期的なこともあって気になっただけだったんだけど、でもハルチカさんの話を聞いてね……まさか偶然そんな話が聞けると思わなかったけど、それがもしローラン姫の事だとしたら、すんなり落ち着くなと」
そう言ってキヨはローラン姫に向き直った。お姫様はちょっとだけ恐れるようにキヨを見ていた。
「あなたは、エルフなんです」
ローラン姫は否定するように眉を寄せた。
「うそよ……そんな……髪は似てるかもしれないけど、最近色が落ちてきただけで……それに、私には魔法の力もないし……」
「だからそれが、エルフの魔法なんです。あなたをエルフに見えないように、人の子として育つように魔法の契約をしているんです。その契約を保つために必要なのが、あなたが家を、王家を継げる存在であり続けることなんです」
人づてにその魔法を施したエルフから聞いた話です、とキヨは告げた。
ハルさんの話では家を継げるようにと言っていたけど、それってこの国の事だったんだ……いや、ハルさんは知らないのかもしれない。知っていたら、それと言ったはずだ。あの場ではまさに王家の話をしていたのだから。
ローラン姫は力なくその場に座り込んだ。俺は観覧席を見上げた。
だからローラン姫を第一王位継承者にしておかなきゃならなかったんだ。彼女を家族の一員として迎えていたから、彼女をずっと大事に育てるつもりだったから。彼女を愛していたから。契約の通り、彼女に家を継がせるために。
シャマク王は座り込んだまま、頭を抱えている。
「誤解しないでください。あなたがエルフでも人間でも、ご家族はあなたを変わらず愛しています。ただその家族が王家であったが故に、この国を継がせる者をエルフの養子として表に出す事はできなかった」
この国をエルフに継がせてしまう事はできない。エルフはエルフで国を持っているからだ。もしそんな事になったら、猛反発を受けてしまうだろう。もしローラン姫を見つけたのが普通の家族だったら、エルフのまま育てられたんだろうか。
でも……普通の家族だったとしても、エルフの魔法と共に生活するのは、何だか怖い気がする。
もしかして、だから? だから妖精の取り替え子の本を禁書にしたのか?
そうでなくてもエルフの魔法は絶大だ。本当にエルフを知らなくてもイメージだけで、何か心の奥まで知られてしまう気がする。そんな悪いイメージを払拭するためにも、取り替え子の絵本を禁書にしたんだろうか。
それか、人間の中にエルフが混じっているという事を、暗に否定したかった気持ちもあるのかもしれない。
ローラン姫は少しだけ顔を上げ、それからゆっくりと首を振った。
「それでは……私なのね、私の所為で……ヴィトは封印されているのね」
キヨは口を開いたがそれに答えず、少しだけ視線を外した。
「お願い! ヴィトを解放してあげて! この国は大事に思ってる、この国の人たちもみんな。でも私が国を継ぐために弟を、血が繋がってなくても弟を犠牲にしてるなんて我慢できない! 私ならどうなってもいいから!」
ローラン姫はそう言ってキヨに取りすがった。キヨはその姿を見ながら、逡巡するように視線を外す。
「レツ様!」
ローランは煮え切らないキヨから離れてレツに取りすがった。
「お願い、何とかしてあげて! ヴィトを助けて……私、謝らなきゃ……ずっとお父様とお母様を独り占めしてきた、ヴィトの分までのうのうと暮らして……お願い……」
レツは懇願するローラン姫を辛そうに見た。でもその表情は何だか不思議そうで、眩しげにローラン姫を見つめるレツは、何だか心が違うところにあるみたいだった。
彼女に何か答えようとして口を開いたけど、言葉は出なかった。それから一瞬だけ眉根を寄せた。
「……そのためにはまず、この結界を不安定にした原因を知らなくては。謝るつもりなら、もう一人謝らなきゃならない相手がいる」
キヨはそう言って観覧席を見上げた。
「どういう……?」
怪訝そうな顔をしてローラン姫はキヨに振り返る。
「ヴィトの封印が自然に解けるはずないんです、そこには何らかの原因がある。契約を履行出来ないから、魔法が解けるんです」
キヨはそう言うと、体ごとシャマク王に向いた。
「俺が話していいんですか! ちゃんとご自分の口から言うべきじゃないんですか、ここまで来ちゃったんですから!」
ちょ、キヨが王様にそんな口利くなんて!
俺は驚いてシマたちを見た。みんな険しい顔で王様を見上げている。ローラン姫は意を決したように走り出した。そのまま通路を抜けていく。たぶん父王のところへ行くのだろう。
俺たちはその後ろ姿を見送った。
「うちの勇者ができると言った以上、俺たちはお告げに忠実に従う。だから、止まりませんよ。お告げがそう求めてるんですから」
シマは何だか簡単にそう言った。
「お告げが……」
宰相は愕然としてそう呟いた。
ああ、この声、コウと一緒に盗み聞きした時にあの会議にいた人の声だ。この人、あの場にいたんだ。ってことは、この人たちの目論見は外れたのか、当たったのか。
宰相は一瞬辛そうに顔をゆがめたけど、唐突に後ろを振り返って手を振った。まだ、何かあるのか!? 俺たちの間に緊張が走った。
「はあああああああ!」
すると唐突に雄叫びを上げて、兵士がグラウンドになだれ込んできた。え!?
俺たちを囲む兵士たちに、思わずグラウンドの真ん中に集められた。シマはモンスターをいち早く鉄格子の向こうへと追いやっていた。
「レツ様!」
観客席に飛び出したローラン姫は、グラウンドの俺たちの状況を見て悲鳴を上げた。キヨは小さく舌打ちする。
「これじゃ手出し出来ないな」
「俺たちは人殺しじゃねーぞ」
「だめ!」
レツは悲鳴を上げて、雄叫びを上げて振り下ろされた兵士の剣を剣で受け止めた。
「こんなのおかしいって!」
「お前たちはここから排除すべき者と命令が出ている、攻撃が嫌なら出て行ってもらう」
レツはそう言った兵士を力で彼を押し返すと、剣を構え直した。
「やめてよ、誰も傷つけたくない!」
レツの声は悲壮に響いた。キヨは小さく舌打ちする。
「風で一掃するか?」
「堀はキヨくんが落としたモンスターがいるからダメだって」
あああ、そう言えば。まだ上がってこられず吠える声が聞こえる。じゃあキヨの魔法は使えないじゃん。
じりじりと輪を縮める兵士たちは、一斉に俺たちに襲いかかった。
俺はただ闇雲に剣を受けて弾くだけが精一杯。コウもシマも直接攻撃は出来ず、攻撃を受けては押し戻す。ただ避けるだけだと背中合わせの他の仲間に影響があるからだ。キヨも風の魔法で避けては風で押し返していた。
「ばっかにしないでよね!」
攻撃出来ず、背中合わせの中心にいたハヤはそう言うと、真っ白い光を胸元に集めた。
「ソーヴァフラグマ!」
ハヤを中心にして白い魔法陣が波紋のように広がって消えた。
俺は一瞬クラッとしたけど何とか立っていられた。
今のって……顔を上げると、俺たちに向かってきていた兵士たちは残らずその場にくずおれていた。ハヤは一気に大きな魔法を使って、荒い息を収めるように深呼吸した。頭がぐらぐらする。俺は強めに振って頭をはっきりさせた。
今の、睡りの魔法だよな。あんな大人数を一度に眠らせるなんて、どんだけの魔法……
「傷つけるくらいなら、寝ててもらうわ」
ハヤはそう言って荒い息を切るように鋭く唾を吐いた。ハヤは人を助けたくて白魔術師になった人だ。自ら人を傷つけるなんて、絶対許せないに違いない。
「こんなのはやだ……」
俺たちは呟いたレツを見た。レツは、泣いていた。
「泣くな」
「うるさい! 泣く! 泣いて悪いか!」
キヨの言葉にレツは逆ギレ的に叫んだ。それから剣を抜いて王たちのいる観覧席に向けた。
「剣は排除するための道具じゃない。そんな剣ならいらない!」
レツはそう言って、自分の剣をグラウンドに突き立てた。一瞬、グラウンドに魔法のような光の波紋が走った気がした。
―― いつだって暴力の道具だ
剣は武器だ。だからそれは振るう事で相手を傷つける。それは当たり前のことで、振るう者もその相手もそれは知っているはず。だから……だからきちんと考えなきゃいけない。
だけど、それは敵と戦い排除するためのものじゃないのか?
しかもレツはその剣をいらないと言う。レツは剣士なのに……それは、逃げじゃないの? 剣士でいることから逃げることにならないのか?
「……うちの勇者は強いな」
「ああ、最弱だからな」
キヨがそう言って、コウが答えた。え……
――― この者に、弱さの強さを
それは、あの司祭の言葉。弱さの、強さ……? 俺はレツを振り返った。
レツは弱い。旅を始めるまで、剣士の訓練を受けていたのに一切冒険の仕事をせず、レベル0だった。レツは弱い。怖いことからすぐ逃げて、虫もダメだし気味の悪いものは全部アウトだ。レツは弱い。剣士なのに、剣を捨てる。
剣を捨てる?
剣を手放す事が、俺に出来るだろうか。剣は剣士として命みたいなもんだろう? これがなければ戦う事が出来ない。だから絶対手放せない、手放せないのが普通だと思う。
でもレツは剣を手放す。そしてそれは、今が初めてじゃない。
あの竜と対峙した時だってそうだった。
レツはあの竜の言葉を信じて、竜に剣を託した。一度はあの所為で命を失ったと思った。結果オーライだから、正しかったんだと思えたけど、そんな風に剣を手放せるものなのか?
―― 揺らがぬか、その想い
レツは、弱い。それをみんなが知っている。弱いから、取り繕わない。弱いから、見栄を張ることもない。弱いままでぶつかっていく。
弱いから、捨てちゃいけないことだけを間違えずに持っていられる。
……これが、そうなのか?
「レツ、思い出せ」
キヨは観覧席を見たままレツに言った。
レツは剣を突き立てたまま、何だかぼんやりと顔を上げる。キヨはレツを見た。何だかすごく、辛そうだった。まるで言いたくない事を言おうとしているみたいに。
「思い出せ、お前が見たものを。剣は、何のために使うもんだ?」
「俺が見たもの……剣は……」
レツはそう言って自分の剣を見た。俺たちはみんなレツを見た。レツの剣は何かに反応するように淡い光を纏っていた。どうなってるんだ……
「お前たちに王の何がわかる!」
宰相はシャマク王が手を上げて止めるのも聞かずにそう言った。
「国のために家族を犠牲に捧げねばならなかった王の気持ちが、お前たちにわかるのか!」
するとキヨは唐突に観覧席に向き直った。
「わかるかよ! わかるわけねーだろ! 俺たちみんな孤児だぞ! お前らがあそこに集めたんだろうが! 家族がどうとか、わかるわけねーだろ!!」
「キヨ!」
叫んだキヨを引き留めるようにレツが背中から抱きついた。
宰相はキヨの言葉を聞いて、うろたえたようにその場にしゃがみ込んだ。
みんなは孤児だ。それを利用して国のために教育したのは彼らだ。キヨがあんな風に叫ぶところなんて、初めて見た……
「大丈夫、大丈夫。キヨの家族はここにいるから大丈夫」
キヨは深く息を吸うとゆっくりと吐いた。キヨが落ち着きを取り戻すと、レツは大丈夫と繰り返しながらキヨにそっと笑って見せた。
それはものすごく落ち着いた微笑みで、みんなを引っ張っていく勇者に見えた。
「俺たちの家族はここにいるから大丈夫。何も変わらないよ」
そう言って仲間を一人一人見た。それからレツは王たちを見上げた。
「剣は、守るために使うもんです。大切な人たちを守るために」
そう言ってレツは突き立てた剣を抜いて天に向けた。
すると唐突に俺たちの足下に光が走り、それは一つ一つ繋がって大きな魔法陣を描いた。足下から照らされる強い光に、俺たちはみんな目を細めて見守った。競技場を揺るがすような地響きがして、魔法陣の光は更に強くなる。
魔法陣が完全にその形を描き終わると、レツの間近の中心部から強い光が立ち上り、その中心に眠っているような横たわる男性がふわりと浮いていた。長い髪が風に揺れるように広がっている。
あれが……ヴィト……?
光が収まると、ヴィトはゆっくりとレツの腕の中に降りてきた。
「うそ……」
ハヤが小さく呟いた。それも無理はない。俺たちは目を疑った。
レツが抱いているヴィトは、レツと瓜二つだったのだ。
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