第70話『待たせるだけで何もない。これでは時間の無駄だろう』

 俺とレツは、キヨとハヤと別れて大聖堂へ向かった。


 大聖堂は城から広場を抜け、さっき来た大通りを戻った途中にある。

 大通りから広い通りを曲がると、目の前に大聖堂があった。曲がったのは通りじゃなくて、大通りまで達していた大聖堂の正門に続く広場だったんだ。


 城とは趣が違うけど、こちらも圧倒される美しさだった。

 昼間の明るい日差しを受け白く輝くファサード。二つの塔が建ち、凝ったトレサリーと薔薇窓が見える。マレナクロンにあった大聖堂の廃墟よりも全然大きい。

 すごい、キレイ……俺とレツは半分口を開けたまま、ぼんやりと眺め仰いでいた。


「……あ」


 しばらくして、レツが声を上げたので俺はレツを見上げた。

「キヨがいないといつまでも見てちゃうね」

 レツは俺を見て苦笑した。俺も笑う。確かにこのままじゃいつまでも大聖堂に入って行けそうにない。レツは大聖堂に向き直ると、ちょっとだけ緊張した顔を見せた。

「そしたら、行くよ」

 俺が頷くと、レツは一歩大聖堂に向かって歩き出した。大きな入口の扉に小さな扉がついていて、そこは小さく開いていた。レツはチラッと俺を気にして取っ手に手をかける。思ったよりも静かに扉は開いた。


 大聖堂の中はしんと静まりかえっていた。もともと祈りの場なんだから、その中で騒ぐ人はいない。身廊に並ぶベンチには奥の方に何人か、単に祈りを捧げているわけではなさそうな人たちが座っていた。服装が、明らかに旅人のものだ。

「もしかして」

 俺が言うと、レツは小さく頷いた。レツはそっとベンチに近づくと一番手前のベンチに腰掛けた。ここで待つって事なのかな。俺はもう一度大聖堂の中を見回した。


 石造りだけど、白い石を使っているから思ったよりも明るい。見上げると、柔らかく降り注ぐ光がステンドグラスを通して色とりどりに輝いている。

 大聖堂の中は静かで、時折誰かの咳払いや何かを落としてしまったような物音が聞こえたけど、それ以外は何も聞こえなかった。

 静かな空間で心静かに待っていると、何だか長い時間が過ぎたように感じる。


 っていうか受付も何もしなかったけど、ここで待ってるだけでいいのかな。俺はレツに聞いてみようと、ちょっとだけレツに近づいた。

 すると、前方に座っていた人が唐突に立ち上がった。思わずそっちを見ると、彼はくるりと踵を返して出口へと向かうようだった。つまり俺たちに近づいてくる。

 あれ? あの人、クルスダールで会った勇者じゃないかな?


「帰っちゃうの?」

 俺が思わずそう言うと、彼は俺たちの脇で立ち止まって怪訝そうな顔で見た。

「あ、こいつは勇者見習いなんだ」

 レツがそう言うと、彼は少しだけ眉を上げて納得を示した。

 でもどうやら、俺たちを覚えてはいないみたいだった。相手がハヤだったら覚えてたかもしれないけど。彼は身廊の奥を見るように視線を送った。


「待たせるだけで何もない。これでは時間の無駄だろう」

「受付とかしなかったの?」

「受付も何も、ここにはこれといった職員がいなかったんだ。大聖堂ここの人間が知っているかと思ったが、彼らはこの事については関与していないらしい」


 他の試験会場には係の人間がいるって言ってたよな。なんでメインの勇者のとこにだけ関係者がいないんだろう。

「でも……帰っちゃって大丈夫?」

 俺が聞くと彼は少しだけため息をついた。

「ペナルティは……そうだな、ここまで来て結局不参加と見なされるのは悔しいが、こんな風にただ待っているだけでは埒が明かない」


 待たせる事で、忍耐力を確かめてるとか……ないか。だいたい勇者を試すこと自体がおかしいんだし。

「帰っちゃうんだったら、パーティーの他の人と合流してまた冒険に戻るの?」

「そうだな、今後不利なことになるんだとしても、俺は俺の受けたお告げのクリアをすべきだと思っている。それが選ばれた者に課せられた使命だ。ここで試験を待つのは……違う気がする」

 彼はそう言って、もう一度身廊の奥へ目をやった。


「……大丈夫だと思う」


 俺はレツがそう呟いたので、思わず振り返った。何が?

「ペナルティ。あれって集めるための口実だよ。勇者にはお告げがある。お告げが勇者を呼ぶ。だとしたら、ここでのお告げがない限り勇者は自由だから、試験とか受けなくても大丈夫だと思う。むしろお告げに従う方がいいと思う」


 勇者は自由……レツの言葉に、彼は頷いた。

「がんばってね」

 俺が言うと、彼はちょっと驚いた表情をした後、優しげに笑って俺の頭を撫でた。それから軽くマントを翻して大聖堂を出て行った。


 勇者は自由。だとしたら、レツはどうするんだろう。

 まだ奥の方には何人かの待っている勇者がいたが、出て行った勇者を振り返ると何人かが立ち上がった。


 俺は歩いて出口に向かう彼らを見ていた。彼らの表情は一様にハッキリとしていて、それは自分たちの冒険に戻る事に迷いがないように見えた。

 待っていてもしょうがないから何となく出て行くんじゃなくて、自分たちの冒険に戻る事が正しいと掴んだ顔。


 彼らはペナルティが怖くて待っていたんじゃなく、お告げを差し置いてもここに集められた意味があると思ったから待っていたんじゃないだろうか。それがここへ来てもわからない今、お告げと冒険に戻る方が正しいと選択したんだ。


 だとしたら、俺たちの前に残っているのは、今お告げをまだ受けていない勇者たちなのかもしれない。俺はチラリとレツを見た。レツは両手に視線を落としている。


 キヨの考えが正しいのなら、レツはお告げを受けている。

 受けていて、仲間に言わずにいるのだ。それで彼はここに残っているんだろうか。それなら、レツが受けたお告げは王都で何かする事なのか?

 もしかしたら今回あの城を見たりしたのかな。でもそれだけで仲間に話さないでいるのはおかしい。一体レツは何を見たんだろう。


「……レツ」

 俺が小さく声をかけると、レツはそっと顔を上げた。

「俺たちは帰らなくていいのか?」

 レツはゆっくりと前方を見た。その視線は身廊の奥をまっすぐ見ている。


「……わからない。でも俺はたぶん、ここに来なきゃいけなかったんだと思う」

「それって……お告げ?」


 するとレツは少しだけ首を傾げて、何だか優しそうに微笑んだ。肯定とも取れるし、否定にも思えた。でもレツは何も言わなかった。


 来なきゃいけなかったここって、大聖堂の事なのかな。それとも王都って事なんだろうか。

 俺はステンドグラスを見上げた。柔らかな日差しが、うっすらと赤味を帯びてきた気がする。もしかして午後いっぱいここで座っていたんだろうか。


「……お告げで見たものが、意味をなさない映像なのは不思議じゃない。もしかしたら見たとおりのものじゃないかもしれない」


 レツが静かにそう言ったので、俺は彼の横顔を盗み見た。

 最初に見たのはあの結晶に至るまでの道、次は廃墟と白い影、そしてぼんやりと鏡に映る人影、紫色の花。

 確かにお告げは、クリアしてみれば関係していたと思えるものだったけど、じゃあクリアする事で何を得られるのか、誰の助けになるのかは全くわからない。だから明確な映像とはいえ、見たとおりのものとは言い難い。


「でも俺、そういうの考えるの下手だから、見たまんましか捉えられないんだよね。俺は見たまんまを伝えて、それをみんなが考えてくれる。そして正しいところに辿り着いたら、ああこれでいいんだなって感じがするんだ」


 あの洞窟の中でも、レツは正しい方向を示し続けた。普段はくるくる迷子になっちゃう人なのに、お告げの時だけは何かに導かれるように勇者の感覚を発揮する。


「だけど……だけど、今回のはよくわかんない。よくわかんないし、何だか難しいんだ」

「それは……お告げが難しいってこと?」

 レツは俺の言葉に首を振った。


「違う、難しいのは……言葉にするのが」


 レツはそう言って、うーんと天井を仰いだ。大聖堂の天井は遙か高くから見下ろしている。


 言葉にするのが難しいってどういう事なんだろう。あのパーティーは小さい頃からの付き合いでずっと友達で、それでも言いにくいんだろうか。

 キヨやコウみたいに、ずっと友達だからこそ言いにくいって事はあったけど、だとしたら今回のお告げはレツの弱みみたいなものに関わるのかな。


 レツの弱みってなんだろう。


 レツは、変な言い方だけど、弱い事を隠してない。

 弱いからいっぱい頑張らなきゃとか、そういうのがレツで、なんて言うか弱い事を自覚しているから弱み自体がモチベーションになってる気がする。


 隠してバレないようにする普通の弱みとは、違う気がするんだよな。

 それとも、そんなのがレツだと思っているのは見かけだけで、本当はイヤらしく隠した何かを持っているんだろうか。……そんなの、全然レツらしくない。


 たぶんそういうものじゃないんだ。レツが言葉にするのが難しいのは、レツが隠したい何かじゃない。きっと……きっと、レツはみんなの事を思ってる。

 みんなを思って、難しくしている。それは何だろう。


 静かな大聖堂に小さく物音が響いて、背後のドアが開く気配がした。風が通った瞬間、何だか花の香りがした気がして俺は何となく振り返った。


 そこには従者を従えて静かに歩いてくる女性がいた。

 透き通るような長い金髪、色白の肌にうっすらと赤味の挿した頬、濃く深い藍色の瞳。白いレースの布を頭からかぶり、少し視線を落として歩いてくる。ステンドグラスの光が彼女の上に落ちて、何だか幻想的だ。俺は思わず彼女を目で追った。


 もしかしてエルフなのかな、エルフの特徴ってあの透き通るような金髪って言ってたっけ。彼女の金髪もすごく色素が薄い感じだし、王都なんだからエルフがいたとしても不思議はないよな。従者がついてるって事はお金持ちなのかも。なんていうか、すごい儚げな美人……


 俺たちの座っている座席を通り過ぎる瞬間、彼女はふと俺とレツを見た。彼女はマジマジと見てしまっている俺に小さく微笑んだ。


「あ……」

 レツが小さく声を上げたので俺は振り返った。レツは何だか心奪われちゃったみたいに彼女を見ていた。どうしちゃったの? もしかして一目惚れ? 俺は彼女とレツを見比べた。


「貴方が……」

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