第56話『じゃあ、心中しちゃう?』

 レツは竜の体を伝って水際に戻っていた。すぐに竜に向き直って剣を構える。

「レツ!」

 俺が呼んでもレツは振り返らなかった。


「その竜、モンスターじゃないよ! 倒すとか無理だって!」

「それでも、何とかする……ここから無事に帰らないとならない」

 俺は知らないうちに首を振っていた。

「じゃあ俺も!」

「来るな!」

 レツの声にビクリとした。レツ……


「やるべき事をやらないと、ダメだよ」


 レツはあざ笑うようにゆらゆらと鎌首を揺らす竜に、じりじりと近づきながら言った。

 でもキヨの魔法もなかったら、レツは竜の体を伝って行くしかない。でもそんな事してたら竜はいくらでもレツを攻撃できるじゃんか。そんなの自殺行為じゃんか。

 竜は水中で体をくねらせながら、浮かぶハヤの体を尾でもてあそんだ。ハヤの体はぐったりしたままくるくると流される。


『やるべき事とは?』


 頭の中に響く言葉。何!?

「これ……おまえ……」

 レツは剣を構えたまま竜を見上げた。

 竜の、声……? 低く、知性のある感じのする声が、俺にも聞こえていた。やっぱり、ただのモンスターじゃなかったんだ……


『やるべき事とは、』

「お前を倒す。そしてみんなで戻る!」


 竜は少しだけ首を振った。まるで言葉を吟味しているみたいだった。

『なぜ倒す』

「倒さないと、戻れない」

 竜は再度首をふわふわと揺すった。まるで笑ってるみたいだ。倒さなかったら、倒されることを肯定している。


『儂はここにいるだけだ。なのに醜い人間が儂のものを盗みに来る』


 それ、あの紫の花のこと?

「俺の仲間が毒にやられたんだ。あの花の力が必要なんだ。仲間の毒を取り除き、みんなで戻る」

『全て仲間のためとな』

 レツは剣を構えたまま、ゆっくりと頷いた。竜はふわりと顔を上げた。


『ならば、交換条件を出そう』


 交換条件? どういう事? 竜がそんな提案をする意味がない。


「……なんだ」

『その剣をもらう。剣を与えるなら、お前たちを帰そう』


 剣を!? でも、レツの剣はあの少女にもらった剣で、その辺の武器屋じゃ買えないもんじゃないか。剣を失ったらレツは剣士として成り立たなくなってしまう。


「ダメだよレツ!」

「……みんな、帰れるのか」

「ダメだったら!! その剣は特別なんだから失うわけにいかないだろ!」

 竜はゆっくりとレツの前まで顔を近づけた。口だけですらレツの体よりずっと大きい。遠くだったからわからなかったけど、こんなの絶対勝てるはずない。

「あの少女にもらったんだ、レツの剣はそれしかないのに! それがなかったら戦えないじゃんか! 全員帰れたって、剣士じゃなくなっちゃうよ!」

 レツは竜を見たままだった。背後から叫ぶ俺を見ようともしない。


『ああ、帰そう』


 レツは竜を見据えたまま、ゆっくりと剣を下ろした。

「レツ!」

 俺は歯がゆくて唇を噛んだけど、どうしようもなかった。

 レツは下ろした剣を持ったまま竜の口へを手を伸ばす。竜はゆっくりと口を開き、その牙の上にレツは剣を置いた。

 竜はゆっくりと口を閉じた。その顔は、どこか笑っているように見えた。


『……揺らがぬか、その思い』


 その声が聞こえた瞬間、竜の口から鋭く何かが発射されてレツの体を貫いた。

「レツ!!」

 レツの体は勢いで吹っ飛んだ。やけにスローモーションで、レツの血が貫かれた軌道に沿って迸る。


「いやだあああああああああ!」


 俺は転がるように走り出し、ドッと倒れたレツに取りすがった。彼よりも遠くに、彼を貫いた剣が突き刺さっている。


「レツ! レツ!」

 レツの体は血まみれだった。こんなの、こんな……

「これじゃやるべき事とか、関係ないじゃんか!」


 何かがレツに降りかかっていると思ったら、自分の涙だった。レツはぼんやりとした表情のまま俺に手を伸ばす。

「あは……」

 レツの顔はいつもの彼みたいに笑っていた。ほとんど見えてないみたいな目で俺を見る。俺はレツの手を取って強く握った。


「……何でこんな時に笑ってんだよぉ……」


 俺はレツの血だらけの体に触れることも出来ず、ただ涙だけが彼に降りかかる。俺は嗚咽を堪えることが出来なかった。レツの手から力が抜け、ずるりと俺の手から逃げた。

 みんなって、竜の言葉のみんなには、レツが入ってなかったのか……?


「なんでこんな……みんな居なくなっちゃうとか、旅はどうすれば……俺は、どうすれば……」


 ハヤも、シマも、キヨも、レツまで……どうすればいいんだ? 俺は泣きながら首を振った。

 鏡のモンスターの時は、俺が勝手なことしたから、だから今度はちゃんと託された事をしなきゃって思ってた。でも見てるしか出来なくて、こんななっちゃうなんて思ってなかったのに……みんな……やるべき事をやるって……俺は胸元を握った。


 やるべき事を、やる……レツが最後に言ったように……


「……そうだ、俺も、やるべき事を」

 俺は涙を拭うと立ち上がった。

 最初は、キヨだ。キヨならみんなを……

 俺はキヨに駆け寄ると、首から提げて無くさないようにしていた袋から魔法薬を取り出した。頭を支えて口元へ流し込む。何度か繰り返すと、小さく呻いて弱々しく目を開けた。


「キヨ! キヨ、みんなが、」

 キヨはぐったりしたまま体を起こした。この位じゃほとんど体力が戻ってないのかも、もっと薬を飲まないと。

「もういい、とっとけ」


 キヨは青い顔のままゆらりと立ち上がると、ザバザバと水に入り流れに留まっていたハヤをずるずる引っ張ってきた。

 慌てて見回したけど、あの竜はもうどこにもいなかった。俺はシマのところまで走ると、モンスターの脇に倒れたシマにも薬を飲ませた。シマも、しばらくすると目を開けた。


 これが俺に託された事。俺は戦いに直接参加せず、何かあった時に回復の魔法薬をみんなに飲ませる。それが俺のやるべき事だ。

 ハヤの回復魔法がいつもみたく使えないから、下手したら全員が倒れるかもしれない。そんなことがあったら困るから、一番何も出来ない俺がみんなを回復させる役になったのだ。


 他は全員で、敵を倒すこと。そして紫の花を手に入れること。


 シマを支えて立ち上がり、キヨとハヤのところへ向かうとキヨがハヤに屈み込んでいるところだった。シマが途端に走ってキヨの反対側へ座る。

「代わる」

 シマは言ってキヨに代わって心臓マッサージを繰り返した。明らかにシマの方が力がある。何度か繰り返すとハヤはごぼっと水を吐き出して、それから激しく咳き込んだ。咳き込んだハヤをキヨが支えて抱き上げる。

「ハヤ、」

 ぐったりしたままのハヤはボンヤリと覗き込む俺たちを見上げた。


「先に薬を、」

「ダメだ、どういう反応があるかわかんねぇ」

 キヨはそう言って俺を止め、紫色の花びらをハヤの口へ押し込んだ。

「噛め」

 でもハヤは口の中に花びらが入っただけで途端に暴れ出した。ちょ、どういう事!?

「拒絶反応か? 毒の方が」

 シマの言葉に俺は顔を上げた。ハヤの体に残る毒が、花の効能を拒絶してるって事?

「いいから、噛め、飲み込まなくていいから」

 キヨは容赦なく花びらをハヤの口に押し込んだが、ハヤはそれを吐き出した。これじゃ花のエキスをハヤに飲ませられない。


「どうしよう……」

「ったく、」

 キヨは焦れたように言うと、唐突に自分で花びらを口に含んで噛んだ。え?!

「押さえろ」


 俺たちは驚いて反射的に屈み込んで上半身でハヤの体を押さえた。キヨはハヤの顔を自分に向けると、その唇に口付けて口移しでエキスを飲ませた。途端にハヤの体が拒絶するように暴れる。俺とシマは力一杯彼を押さえた。次第にハヤの力が抜けて、ぐったりと横たわった。

 キヨは落ち着いたのを見るとそっと唇を離し、俺に小さく「薬」と言って場所を譲って立ち上がった。俺は慌ててハヤを支えて薬を飲ませた。シマは立ち上がって倒れたモンスターのところへ行った。


 ハヤはまだぐったりしているけど、それはたぶん毒とエキスの所為だろう、魔法薬も飲んだから大丈夫。みんな大丈夫、レツ以外は……


「キヨ、レツが……レツが……」


 俺が顔を上げると、キヨは顔をしかめて苦そうに花のカスを吐き出し、手の甲で口元を拭いながら「はぁ?」と言った。


「はぁ、じゃねーよ! レツが!」

「レツならそこに居るじゃねーか」


 キヨはそう言って俺の背後を指さした。え!? 俺は慌てて振り返った。


「あは」

 レツは、なんだか申し訳なさそうに立っていて、いつものふにゃーって顔で笑って小さく手を振った。俺は呆然と彼を見た。え、だって……

「……何でも、ねーの?」

 レツはきょときょとしたまま頷いた。

「何でもねーはずないだろ! さっき剣が体貫いて!」

「うん、俺もそう思った。っていうか、その感覚はあったんだけど……」

 言いながらレツは服を開いて自分の胸を見た。服は血まみれだったけど、レツの体には剣が貫いた傷はなかった。

「……どういう事?」

 俺は顔を上げた。レツは自分の胸をさすりながらちょっとだけ視線を落とした。


「どういう事、かな。確かにあの竜に剣を渡して、その剣が俺の体を貫いたと思ったんだけど、気がついたら傷なんかなくて、代わりにこれがあったんだよ」


 レツが差し出した剣は、あの少女にもらった剣とは違っていた。

 あの青い鉱石はそのままに、対になるように別の赤い鉱石が填っている。刃の部分がもっと透き通るようなきらめきを放っていて、まるで光が遊ぶ水面のようだ。握りの部分の造作も流線型で何だか水の流れにも見える。

 それ、もしかしてあの竜がくれたのか……?


「……何か試したんだろ。レツが正しく選択しただけだ」


 キヨはそう言うと、シマを呼んだ。シマは何とか立ち上がった赤狼をそっと森へ帰していた。

「デカイの呼べるか」

「どのくらい」

「ニケツできるなら三匹」

「……無理っつってもやらせんだろ」


 シマとキヨは苦笑するみたいに笑いあう。それからキヨは、まだ目を覚まさないハヤの脇に跪いた。

「眠らせたままのがいいかもな、回復できるし」

 それから俺とレツを見た。俺とレツは何となく姿勢を正した。

「お前ら、二人で乗るんだぞ」

 え、もしかして……俺とレツが聞き返す前に、シマが呼び寄せたモンスターが森から現れた。薄い紫色の虎みたいなモンスター。ふかふかの毛皮だけど、爪が異様に鋭い。

「毛が長い方が掴みやすいだろ」

 シマはそう言って三匹を連れてきた。シマの顔は三日くらい寝てないみたいに見えた。キヨはハヤを何とか抱き起こすと、シマと一緒にモンスターの背中に乗せた。


「キヨが抱いてくか?」

「俺が支えてられるわけねーだろ」

 シマの軽口にキヨが軽くツッコミを入れると、シマはハヤを抱くようにその背後に跨った。

「団長モテモテだな、さっきはキヨで今度は俺か」

 キヨは笑って躊躇なくもう一頭に跨った。俺とレツは顔を見合わせる。

「よ、よしっ」

 レツは意を決して虎の毛皮を掴むと、何とか背中によじ登った。じゃ、じゃあ俺も! 俺はレツに引っ張ってもらって何とかその背後に跨った。

「行くぞ」

 俺とレツはモンスターが立ち上がっただけで、早速バランスを崩した。

「うわあ!」

「前屈みになって、ほとんど寝てるみたいにしがみついてろ」

 シマに言われてレツは体を倒す。俺はその背中にしがみついた。


 モンスターが走り出すと、何か揺れるクッションに吹っ飛ばされてるみたいな気がした。馬に乗った時の姿勢とかそんなの全部ぶっとんじゃって、ただレツにしがみついている。

 だいたい鞍もないんだから、足の下のモンスターの体がぐねぐね動いてるだけで俺たちを放り投げようとしてるような気がする。周りの景色は捕らえられないくらい速く飛び過ぎてゆき、何だかくらくらするから俺は目を閉じていた。


 夜通しと言ったけど、俺たちがモンスターにしがみついている体力も保たなくなるから、ときどき止まって休息を取った。

 モンスターを降りると、しがみついていた両手が震えるくらい疲れていた。でもそれだって、舐める程度に魔法薬を全員で回してすぐに出発したと思う。モンスターの体力が保つ程度に。


 それでも、夜明けまでに三分の二くらいしか進めなかった。次第に空が白んできたと思ったら、あっという間に太陽が上がった。


 祭りの開始は朝一番の鐘が鳴る時だ。それから順次、街の中では公演が始まる。まだ街は遠いのに、もう祭りが始まっちゃう。太陽は俺たちの気持ちを裏切るみたいに、ずんずん高くなる。

 次第にモンスターたちの歩みが遅くなり、立ち止まってしまった。


「日中の移動時間とじゃ、差があるのは当たり前だ」

 シマはモンスターを帰しながら言った。もう彼らですら走れない。走り詰めに走ったのだ。それでも本来三日かかるところを、彼らは一晩でここまで連れてきてくれた。

「ありがとう」

 レツがそう言って紫の虎を撫でた。虎モンスターはレツを鼻先で押して、それからゆっくりと帰っていった。この近くに大型のモンスターはいないらしい。俺たちの馬はあの森で逃がしてしまった。


「さて、どうする」

 シマがそう言ってキヨを見る。キヨは太陽を見上げてから小さく息をついた。

「最終手段っつーか……命賭けるしかねぇな……」

 シマはそれを聞いて小さく笑った。


「じゃあ、心中しちゃう?」


 キヨはシマの言葉にそっと笑う。心中って……

「大丈夫! 何とかなるよ!」

 レツは笑ってそう断言した。キヨもシマも苦笑する。

「しょうがねぇな……そんなに綱渡りが好きなら、やるしかねぇか」

 キヨはそう言ってポケットから小壜を取りだした。青く透き通る魔法薬。


「エリクシール……」


 俺が呟くと、キヨはちらりと俺を見て笑った。それから蓋を開けて一気に飲み干す。飲んだ後、キヨは何だか不思議そうに自分の手のひらを見た。

「……そしたら?」

 シマの言葉に顔を上げたキヨは、なんだか今みんなに気付いたみたいだった。

「そしたら、全員くっついて。手をつないだ方がいいかもな」


 シマは未だ眠り続けるハヤを抱いて片膝をついた。立ってる必要はないのかな、俺もシマの隣で座ってシマの腕を掴み、片手でキヨのマントをつかんだ。レツも片手で反対側からシマの腕を掴むとキヨのマントを持った。

 キヨは目を閉じるとふわりと両腕を広げて集中した。何か、ものすごく力に満ち溢れている感じがする。


「この人数で同時に跳ぶとか、ぜってー正気じゃねーな……」

「大丈夫、キヨなら出来るよ!」


 このまま、空間移動の魔法で全員一緒に跳ぶ。でも同時にこんなたくさんで跳ぶなんて正気じゃない。

 ハルさんが跳んだような長距離じゃないけど、それでもハルさんは一人だけだった。こんな人数でまとめて跳んだらみんなバラバラに、場所だってあり得ないところに跳ばされるかもしれない。何の保証もない。キヨだけが頼りで、ホント、心中するくらいの賭けだ。


「ちょ、キヨのアレがビンビンしてんのわかるんだけど」

 シマが笑って言うと、キヨはチラッとシマを見て笑った。

「アレってなに」

 俺がシマに聞くと彼は笑いながら顔を近づけてきた。その瞬間、銀色の光が俺たちを包むように取り巻いて、光の粒がその周りをくるくる回った。太陽の光が混じって虹色に見える。すごい、力……

「ミストテファプラーセン」

 キヨの呪文が降るように聞こえた時、シマも俺の耳元で叫んでいた。


「キヨの……」

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