第55話『だとしても、団長を離さないうちは敵だ』

「やっぱ潜る、べき?」


 俺が顔を上げると、キヨは難しい顔で片眉だけ上げてシマに振った。シマも頭をかいている。ハヤは様子を見守っている。

「潜水出来そうなモンスターにお願いするって手もあるが、花をそのまま持ってくるほど繊細な動きが出来るかどうか」

 そしたらやっぱり潜って採ってくるしかないじゃん。

「そりゃそうだけどな……あいつの言葉を信じるのは癪だけど、もし何かあるんだったら」

 シマはそう言ってキヨに振った。キヨも踏ん切りのつかない顔だ。


 誰かが行かなきゃならないんだけど、確実に無防備になっちゃうって事なのかな。まぁそこ行くと、何かあった時に一番何とかなりそうなのは魔術師のキヨなんだけど、キヨとシマは攻撃実行部隊として援護に欲しいところだし。


 透明度の高い水面の下で、紫の花は揺れていた。ここからは十数メートルはありそうだ。でも水の中だからホントはもっとずっと遠いのかも。飛沫のかかるところなんて大嘘じゃんか。むしろどっぷり浸かってるっつの。


 するとレツの肩をハヤが叩いた。みんなハヤに向く。ハヤはにっこり笑って自分を指さしていた。


「団長が行くの!?」


 ハヤはにこにこして何度も頷いた。シマとキヨは複雑そうな顔で見合った。

 別にハヤはどこか怪我してるとかじゃないし、潜って採って来れないワケじゃない。どうしたってシマとキヨは、ハヤに気兼ねしてるよな……いつもだったらハヤは自分たち並みの冒険者なんだから。


 でもそれだから余計に、ハヤは自分からやるって言ったのかも知れない。声を失ってからみんなに気を使われていて、でもいつもみたいに魔法でフォローする事も出来ず、そんな自分が歯がゆいから。


「……キヨが行くより、ハヤのが安心な気がするな。キヨ全然筋肉ないから、泳いであそこまで行って帰ってこれるか心配だよ」


 俺が言うと、レツはちょっとビビった顔をし、シマは吹き出した。キヨは俺の頭をがしっと掴んだ。

「泳ぐ筋肉はムキムキの筋肉とは違うんだよ」

 言いながら俺を揺らす。うーわー揺れますーーー。とか言って、キヨ筋肉だってうっすらしかついてないクセにー。

 でもキヨが本気で怒ってるワケじゃないのは俺にもわかっていた。その向こうに、ハヤが嬉しそうに笑っている。


「見習い、焚き火の準備しろ」

 キヨは俺を離してそう言った。

 俺はすぐに森に駆け込んで乾いた枯れ枝を拾い集めて水から離れたところに積み上げた。キヨが離れた場所からフイッと腕を振ると、焚き火に火が灯る。たぶん、俺はこの番をしながら待つのだろう。

 ハヤは手早く服を脱ぐとズボンだけになって座ってブーツも脱いだ。レツが服を受け取って、濡れないところへ置く。


「団長無理しないでね」

「ヤバイと思ったらすぐ戻ってな」


 レツとシマに言われて、ハヤはニコニコして何度も頷いた。

「ホントにわかってんのかー? ただで採って来れるもんじゃねーかもしれねぇんだぞ?」

 キヨに言われるとぷーっと頬を膨らませた。

「『キヨリン、ちょっと僕に体で負けたからって妬きすぎ!』」

 絶妙のタイミングにシマが盛大に吹き出した。ハヤも声なく笑っている。

「お前は……」

 キヨがレツを睨むとレツもあははと笑っていた。ハヤはそんなキヨの肩をぽんぽんと軽く叩き、それから水際に近づいた。俺たちも水際に近づく。


「見習い、火からあんまり離れるな」

 う、俺も見送りたいんですけどー。でもこの辺は水際までの距離がそんなにないから、背後に火の熱を感じる程度の距離でもみんなより数歩後ろにいるだけだった。

 ハヤはずんずん水に入って行き、腰まで浸かったところで深く息を吸って水に潜った。どうなってんだろ、見たい……俺は思わずみんなのところまで近づいた。


「一息で行けるもんか?」

「どうだろうな……」

「団長がんばって……」


 ゆらゆら揺れる水面の向こう、水底へ遠くなっていくハヤが見える。その進む先に紫色の花。真っ直ぐに紫の花に向かうハヤは、花に近づくと手を伸ばした。掴んだ……のか?

 水の中、ふわりと反転したハヤは俺たちに向かって花を掴んだ手を挙げた。やった!


「団長やった!」

 俺は一歩背後に居たから、レツがそう言った瞬間キヨとシマが緊張したのがわかった。え、何かあった?

「下がれ」

 キヨが言った時、レツが唐突に悲鳴を上げた。

「団長!!」

 俺たちは慌てて水中を見る。戻ってくる途中のハヤが何かに掴まれたように、水中でもがいていた。水面まではまだ数メートルはある。でもこんなに透き通った水なのに、ハヤを留めている何かは全く見えなかった。どういう事!?

「団長!」

「バカ、わかんねーまま行くな!」

 走って水に入ろうとするレツを、キヨが留めた。シマも油断なく周りを気にしている。

 何がいるってんだよ……その内、ハヤがゴボリと白い息を吐いて苦しそうに自らの首を押さえた。ハヤが溺れちゃう!


「……ウソだろ」


 え……呟いたシマを見上げると、シマは滝を見つめていた。何、が……?


 見上げるとそこには、滝を背景にした竜がいた。

 キラキラと光を反射するウロコ、胴体の長い蛇のような竜。ほとんど水と同じ色、同じように透き通って見える、水竜だ。ハヤはその体に巻き付かれ、押さえられているのだ。


「ヴィエントラーナ!」


 キヨが唐突に魔法を発動した。キヨの挙げた手から風が巻き起こり、まるで竜巻のように水面に渦を作る。すると水面に渦が発生し、ぐるぐる勢いを増してそのままハヤの居るところまで達した。ハヤは生き返ったように息を吸い込む。

「ミストイゾラシォン!」

 それって、空間分離の魔法じゃなかった?! 驚いている間に水はみるみる戻る。でもハヤの顔の周りにだけ、シャボン玉のように空気が残っているみたいだった。やった! これならハヤも息が出来る。

「早めに頼む」

 キヨは唇を噛んで言った。そうだ、それってキープ出来る魔法じゃないんじゃん! えっ、キヨの魔法ナシで戦うのか? 竜と!?


「竜に対抗するって……」

「とにかくやるしかねぇだろ」


 シマは指笛を鳴らした。背後の森から駆け出して来た赤い狼のようなモンスターをけしかける。見た目は赤い狼だけど、その背には翼がついている。

 狼は水際を蹴ると水平に竜に向かっていき、竜の首が襲いかかる隙を突いて、もたげた鎌首に鋭い爪をかけた。


 途端に森が震えるような甲高い音が響く。俺はその響きに思わず腰を抜かしそうになった。

 何これ、竜の声? シマは再度指笛を吹く。その音を聞いて、狼はふわりと浮上し、今度は背後から攻撃しようとした。

「危ない!」

 襲いかかる狼に体を反転させた竜は真っ正面から口を開いた。食べられちゃう!

 赤狼はギリギリで避けたが竜の方が数段速く、すり抜ける狼に頭を振って体当たりした。狼は弾かれて森の方まで飛ばされ、森の木々に落ち込んだ。木がクッションになってくれてたらいいけど……


 竜は体をくねらせると鋭く尾で水を叩き、まるで意志を持ったかのような水が鋭くキヨを襲った。

「うわ!」

 キヨは間一髪のところで避けたが、水に触れたマントが無惨に裂けていた。ただの水のはずなのに……キヨは立ち上がると、再度魔法に集中した。ぎりぎりのところでハヤのシャボン玉は壊れずにいた。キヨのレベルが上がってたからだ、よかった……


「サイズが違いすぎるな……」

 シマは一人ごちた。でも飛べるようなモンスターじゃなきゃあそこまでは行けない。鳥モンスターじゃもっと小さいだろう。ガサっと木々を鳴らして狼モンスターが森から戻る。それからシマに向いた。まだ戦えるって言ってるみたいだった。

「この竜、もしかして……」

 この滝の守護神みたいなのだったりしないかな……水のように透き通った竜。どう見てもただのモンスターって感じじゃない。


「だとしても、団長を離さないうちは敵だ」


 シマは言って狼を呼び寄せた。レツも剣を抜いている。

「どうやってあそこまで行こう……」

 竜がここまで攻撃してくるんだったら、受け身だけど戦いようがある。でもあそこまで行けるのはシマのモンスターだけだ。

 竜は鎌首をもたげたまま、俺たちを見ている。水中のハヤはまだもがいているけど、水に潜ってしまったら剣は使えない。

「行け!」

 シマが叫ぶと、赤い狼は咆哮を上げて飛び立った。同時に指笛を吹き、青い鳥のモンスターを呼ぶ。鳥モンスターは森の向こうから近付くと、狼モンスターをとは違う方向から竜を攻撃した。間近を飛び回る二匹に竜は威嚇の声を上げながら首を振りまわす。


「なるべく近くに……」

 レツは剣を構えたまま水際を竜がいる方へ近づいた。でも、滝壺の周辺は半径数十メートルはある。竜が近づいてこない限り届きはしない。

「レツ!」

 キヨの声にレツが振り返る。キヨはハヤに集中したまま左手を挙げた。


「俺の魔法、運べ」


 レツは一瞬眉間に皺を寄せたけど、強く頷くと竜に向き直った。

「見習い、火」

 火!? 俺は慌てて焚き火から火のついた枝を取った。キヨはハヤから目を離さないまま左手を火にかざす。そうか、魔法で火を発動するんじゃなくて、これを使うんだ。

「上手くいけよ……」

 キヨが独りごちた時、レツが集中して剣を振り上げた。


「いやあああああ!」


 キヨが火の上の手を声に合わせて振りきると、俺の持っている枝の火がまるで火のムチのようにレツの剣へと走った。

「はああああああああ!」

 レツが剣を振り下ろすと、レツの剣に絡みついた炎が竜へとまるで火炎放射のように襲いかかった。すごい……竜を攻撃していた赤狼と青鳥は竜の視界を遮るように飛んでいたけど、攻撃の瞬間に逃れた。

 炎は竜にまとわりつき、竜はまた森が響くような声を上げた。


「!!」

 俺は思わず枝を落として両耳を塞いだ。これ、絶対ただのモンスターじゃないって!

 竜は声を上げたまま一気に宙へと上った。絡みつかれたままのハヤが一緒に水中から現れる。でも空中に引きずり出されたことで、むしろ更に締め付けられている。

「ハヤ!」

「やだ! 団長!!」

 しばらくもがいていたハヤがぐったりと竜に寄りかかった。すでに気を失っているようだ。でも竜はまったく構わず、また滝壺へと戻ってきた。

 水中から出たことで、水面にきらきら光る胴体が見える。でもハヤが捕らえられているのは水中だ。明らかにさっきよりもキヨの魔法のシャボン玉が小さくなってる。

「ちっ」

 舌打ちに振り返ると、キヨが真っ青な顔でいた。


「大丈夫!?」

「知るかよ」


 キヨは言うと再度魔法を発動した。ハヤじゃなくてキヨのことだってば!

 シマの指笛が響いて、咆哮を上げる赤狼が喉元を狙い、青鳥が急降下した。シマは一切休まずモンスターを使い続けている。

「見習い! 火!」

 せっぱ詰まったような声に思わず火を差し出したけど、俺はあり得ないくらい汗をかいて真っ青なキヨを見るのが怖かった。キヨのかざす手も震えている。レツ、早く……

「いやあああああ!」

 剣を振り下ろすレツにキヨは顔をしかめて炎を飛ばした。なんだか祈るみたいに見えた。


「はあああああ!!」


 レツの剣は丸ごと炎に包まれ、まるで大きなたいまつを掲げているみたいだった。

 レツがモンスターたちが攻撃を続ける竜に、完全に炎に包まれた剣を振り下ろすと、剣の炎が竜の腹に真っ直ぐ襲いかかった。竜は悲鳴を上げて体を捩る。その瞬間、ハヤの体が竜の戒めから離れた。


「ハヤが!」

 ぐったりとしたハヤはそのままゆっくりと水面に浮いた。仰向けの状態で、でも水際から離れているから泳いで行かなきゃ連れ戻す事はできない。池の中はなぜか流れが緩やかで、ハヤの体もゆっくりとしか流れてこない。シマの指笛が響いて鳥モンスターがハヤに近づこうとしたけど、竜の尾に弾かれて飛ばされた。


「戻れ!」

 シマが慌ててそう言ったけど、赤狼が竜の喉を狙った瞬間、竜は赤狼をその牙に捕らえた。そのままぶんぶんと振り回し、まるで不味いものを吐き出すようにシマに向かって放り投げた。

「シマぁ!!」

 シマは赤狼と一緒に森際まで吹っ飛ばされ、そのままぐったりと動かなくなった。

 吹っ飛ばされた赤狼を避けず、むしろ抱き留めようとしたみたいに見えた。だってあれ、自分の体の数倍あるのに……

「キヨ!」

 レツの声に振り返る。キヨはどう見ても立ってるだけで精一杯みたいだった。


「あいつに届きたい、運んで!」

「……簡単に言いやがる」


 キヨは小さく息をついて魔法を発動させた。

「ヴィエントラーナ!」

 キヨの呼んだ風がまるで竜巻のようにレツの周りを包む。そのままふわりと浮かぶと追い風のようにレツを押し出した。レツはそのまま竜へと落ちていく。だめだよ、そんな、無防備すぎるじゃん!


「はああああああ!!」

「アシミディスパラール!」


 キヨの手元に一瞬のちにまばゆい光が集まり、流星のような銀色の弾丸が発射される。弾丸はレツを避けて竜に集まって炸裂し、レツはその銀色の光の中剣を振り下ろした。


「いやあああああああああ!」


 剣の切っ先が竜に届いたとは思えない。でも、レツの剣は竜の体に届いていた気がした。再度竜の声が響いたからだ。でもその声が響いた瞬間、竜は鋭く尾で水を弾き、攻撃を受けたキヨの体がどさりと倒れた。

「キヨ!」

 俺はいつの間にか自分が腰を抜かして座り込んでいた事に気付いた。


 ちょ、どうすんの、もしかして今、俺とレツだけ……?

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