第54話『逃げてられた理由がわかった気がする。』
風呂から出て部屋に戻ると、コウが窓から外を眺めていた。
窓の外には飾り付けられたランタンに灯が入り少しだけ明るいが、大通りは遠いから喧噪は聞こえない。フワフワと風に動くリボンを照らす、ぼんやりとした灯り。
「コウ」
俺が声をかけると、コウはちょっとだけ肩越しに振り返った。
「……ホントに、一人で大丈夫?」
コウは俺の言葉に、少しだけ苦笑した。
「お前にそう言われちゃ、おしまいだな」
いや、別に俺が居たって何も出来ないんだけど。でもコウの人見知りっぷりは、初対面の人間を緊張させるくらい怖いもんだし。
コウはぼんやりとしたまま窓辺に背を向けて腕を組んだ。それでもまだ視線は窓の外を見ている。
「何が出来るかっつーと、わかんねぇ。何もできねぇかもしれん。でも何かが出来るんだったら、遠くにいちゃだめなんだと思う」
俺は黙ってコウを見ていた。コウはやっぱり窓の外を見たままだった。
家族に新しく加わった人に、上手く接することが出来なくて距離を置いたコウ。今までずっと逃げる事でその繋がりを保ってきた。保ってきたのだろうけど、それは同時に彼の中で家族を壊していたのかもしれない。
いつだって一緒にいられるはずの家族から、遠く離れてしまっていたんだ。そうすることで形だけ守っていたコウ。その距離を縮めようとしている。彼と、家族の。
「……やり直せると思うか?」
コウは窓の外を見たまま、少しかすれたような声で言った。
「俺はもうずっと……何年も逃げ続けてる。今更かもしれない、もうあの人だって諦めてるかもしれない。それでも、やり直せると思うか」
コウは真剣で眼差しで窓の外を見ていた。でもそれは何か違うものを見ているようだった。
コウは逃げていた。ずっと、その人から距離を置くことでぎこちなく家族を続けていた。そうやってギリギリのところで保っていたバランス。でもそれはコウから見た形だ。
それじゃ相手には、どう映っているんだろう。もうコウの手が届かないところまで、その距離は離れてしまっているのかもしれない。今コウが振り向いたところで、もう気づいて貰えないのかもしれない。
それでも……それでも、コウがここで向き合う意味はあるんだろうか。
「……もし手遅れだったら、どうするの?」
俺が言うと、コウはゆっくりと俺に向き直った。真っ直ぐに俺を見る。
背後の窓が明るくてコウの顔は影になっていてよくわからない。それでも、なんだか俺を見ているけど、俺じゃないところを見ているみたいだった。
「……もし手遅れだったら、やめるの?」
コウはゆっくりとした動作で片手を上げ、それから顔を拭った。拭った後には、苦笑するみたいな笑顔が見えた。え……
「あはは……そりゃ、ねーな。うん、ねぇわ」
笑ったコウを見て俺が驚いた。
っつか、笑うと思わなかった。今の今まで、本当にやり直せるかどうか、迷っていたんじゃないのか? だからそう聞いたのかと思ったのに、聞き返したら笑うなんて。
……でもそれってつまり、コウの中では決まってたって事なのかな。俺が聞き返した事で、明らかに自分の中で決まってた答えを再確認したのかもしれない。最初から、やると決めた時から、揺るぎない答えを。
この旅の仲間たちはみんな強い。圧倒的な強さでモンスターをガンガン倒していく。でもその強さの中に彼らは、当たり前だけど、弱さを抱いている。シマも、ハヤも、キヨも、コウも。突かれたら脆く壊れそうなものを抱いて、それでも、同じ強さで向かっていこうとしている。
ずっと逃げていたのだとしても、ずっと隠していたのだとしても、それが表に現れたら一つ深呼吸して、顔を上げる。だから強い。
俺もそんな風になれるんだろうか。自分の強さを信じて、何にでも顔を上げて立ち向かっていけるように、いつかなれるのかな。
コウは笑いの残る表情で何だか照れたように俺を見、それから俺の頭をぐしゃっと混ぜた。
「逃げてられた
甘えてる? どこが甘えてるんだろう。でもコウはそう言うと、吹っ切るように窓辺から離れた。
「風呂ってくるわ。お前ら、明日は早いんだろ?」
「うん、朝イチで出掛けるってキヨが」
今日の午後にキヨが滝の位置を調べに行って、たぶんそこだと思われる滝を見つけてきていた。でもそれはクルスダールからかかる日数を距離にして当たりを付けただけで、ハヤの毒に効く花の分布を調べられたわけじゃなかった。
ハヤの毒に関する事は図書館で調べてもわからなかったらしい。キヨじゃなくてハヤが調べに行ったら違ったのかもしれないけど、それは今さら言ってもしょうがない。
「じゃあ見送り逃すとあれだから、そっちもがんばれよ」
コウはそう言って俺の頭を再度混ぜ、なんだか晴れ晴れとした顔で部屋を出て行った。
馬に乗れるようになったのはちょっと前だ。
それだって必要があったからじゃなくて、練習のために乗ってただけだ。だからこんな本気で乗るようになったら、結果は目に見えている。
キヨは休憩と称した小休止の度にため息をついた。俺とレツのお尻が悲鳴を上げる度に止まるからだ。馬に乗るための姿勢がなってないから、鞍にお尻を擦り上げられてひりひりどころじゃなくなっている。たぶん皮が剥けてる気がする……
俺とレツは馬を下りてもまともに座る事が出来ず、中途半端に尻を浮かせた状態でいた。
「ううう、お尻がいたいよお……」
「今晩寝る時はうつ伏せだな」
シマは面白そうに言った。っていうかそっち三人平気な顔して、どういうケツの皮してるんだよ!
「問題はケツの皮じゃなくて、姿勢と乗り方」
キヨはそう言って俺の頬をぐいーっとつねった。いててててて!
「どうせ俺たち三人がマックス速度で走らせたって、馬がもたないだろうから一緒だろ。何回も休ませられる分、走る時は走ってもらえば」
シマはそう言って馬の頬を撫でた。
シマが用意してきた馬はみんな大人しくて、俺みたいな超初心者が乗っても嫌がったりしなかった。栗色の馬は俺を気遣うような目で見る。いや、馬に同情されてもしょうがないんだけどさ……
「シマと俺と団長が先に行ったところでどうしようもねーしな……」
キヨはそう言って水筒の水を口に含む。
もっと速く進める三人にとってはもどかしいんだろうけど、でも俺たちだってもどかしいんだってば……いっそ隣を並走したいくらいだ。
するとキヨが不機嫌そうな顔で見た。あ、いや違います、うそです! 馬の速度で走れません!
するとふわりと優しい光が俺とレツを包んだ。あ……
「団長、優しい! 大好きだよ!」
レツが隣のハヤに抱きついた。ハヤはにこにこ笑っている。ああ、さっきまでの痛みがウソのようだ、何か生き返った気分……俺は脱力してへにゃりとその場に座り込んだ。
「今後何があるかわかんねーってのに、馬に乗れない程度の事で回復魔法使ってどうすんだよ……」
乗れる人には大したことないかもだけど、これだって死活問題なんだってば! シマは苦笑して「まぁまぁ」と言った。
「三日分を馬で駆け抜ける上にモンスターとも戦わないとなんだし、こんな事で消耗することないじゃん」
キヨはちょっとだけシマを見て「だから魔法だって必要なんだろうが」と言った。
確かにハヤの声が戻るまでは呪文以外の魔法しかできないんだから、あんまり乱発してちゃ困るのかもだけど。でも今はこの幸福感に浸っていたい……またあと半日したら、さっきのようになるんだとしても。
「それより、滝に何かいると思うか?」
シマが言うとキヨはちょっとだけ肩をすくめた。
「どうだろうな。あいつの口ぶりからも、タダで採ってこれるもんって感じじゃなかったけど」
あの男が滝の話をした時、何だか濁すような事を言った。それってやっぱり滝には何かモンスターがいるって事なんだろうか。もしそうだとしたら速攻のコウが居なくて、回復魔法は出来ても属性魔法は使えないハヤと、二人の抜けた穴は大きい気がする。
「なるべく小物でお願いしたいよ」
「そしたらさっさと出掛けるか」
キヨはそう言って自分の馬のところへ歩いていった。えええ、もう?
「回復させてもらっちゃったんだから、甘えてらんないよ」
レツはそう言って立ち上がり、飲んでた水筒を荷物に戻して馬へと歩いていった。う、レツにもそう言われちゃったら、俺だって頑張るけどさ。俺はシマに手伝ってもらって馬に跨った。
「おい、これ」
シマがそう言って毛足の長い毛皮をどこからともなく出してきた。
「ケツに敷け。布よりは動きにくいしクッションあるから」
う、優しさが沁みます……俺とレツが乗れないのわかってて用意してくれてたんだ。っつか何で最初から出してくれなかったの。
「バーカ、乗れないうちからそんなの敷いてたら、余計変なクセついちゃうだろうが」
シマはそう言って俺を軽く叩いて自分の馬に近づいて行った。レツを見ると、同じような毛皮を敷いてて、俺を見て笑った。
こんなにしてもらってるのに、足引っ張ってちゃだめだよな。よし、もっとちゃんと乗れるようにして、帰る頃にはかっこよく飛ばして戻れるようにするぞ。
俺は決意も新たに、恐る恐る手綱を引っ張り馬を歩かせ始めた。
こう言っちゃ何だけど、馬に乗ったままモンスターと戦うとか、反則だと思うんだよね。
「どうしたー? ため息ついちゃって」
森の木漏れ日を受けるシマを俺はチラリと彼を見た。
「だってさー!」
走る馬上で両手離して魔法発動とか、片手で手綱握って同じ速度でモンスターを操るとか、やたらかっこいいんだもん! その点なに、俺たちは! 無様に馬から降りてる間に全部終わってる!
「格好で戦うワケじゃないだろー」
シマはそう言って笑うけど、でもやっぱかっこいい方がいいし……
昨日の夜も結局、俺とレツはハヤに回復魔法をかけてもらった。主にお尻に。
少しはマシになったとは思うんだけど、ちょっと気を抜くとすぐ姿勢が悪くなっちゃって、そうなるとお尻が痛くなって、いや痛くなってからヤバいと気付く感じかな……平気な時からちゃんとしてなきゃダメって事なんだろうけど。
「やっと乗り始めたお前らが、いきなり立ち上がるとか無理だから。変なとこ頑張らないで、進むことだけ考えろ」
そう言うとシマは馬のペースを速めて先に行った。
「でもやっぱかっこいい方がいいんだもん……」
「うんうん、俺もそう思うよ」
レツも! やっぱそうだよなー。
「いつか俺も、馬上で剣を抜いて戦えるようになるぞ!」
「あ! それかっこいい!」
レツは剣を抜こうとして片手を離し、腕を回して剣を掴んだところで馬が木の根を避けて、バランスを崩しかけた。あああ! 危ない!
レツは馬の首にしがみついて何とか持ちこたえ、姿勢を戻して俺に向かってふにゃーって笑った。
「……もうちょっと、慣れてからだね」
「そうだな」
俺も苦笑してそう言うと、レツの向こうにハヤが笑ってるのが見えた。
「もうすぐかな」
声に顔を上げると、キヨが馬を止めてコンパスをしまい込んだところだった。
もうすぐ滝に着くって事か。三日かかるところを、ほぼ二日くらいで辿り着いたって事になる。やった!
「気を抜くなよ」
キヨはそう言ってまた馬を進めた。今日はお尻が痛くなってないから全然大丈夫だぜ。
さらに森を進むと、ひんやりとした空気が流れてきてどこからか水の音が聞こえてきた。顔を上げるとレツも気付いたようだった。俺たちは頷き合って先を急いだ。
目の前の木々を抜けると、そこには落差数十メートルはありそうな滝があった。高さはあるけどそんなに幅広くない。
ただ、落差があるから細かい飛沫がそこらじゅうに漂っていて、ここだけやけにひんやりとしていた。滝壷に落ちる水音は激しいはずなのに、何だか妙に静かな気がする。頭上を飛んでいく鳥の声の方がハッキリ聞こえた。
「ここ?」
俺たちは馬を下りると、滝に近づいた。間近に迫る滝は見上げると白くけぶって輪郭が曖昧だ。みんな滝を見上げていた。
「シマ、」
「おー?」
「頼んだ」
キヨはそう言って肩をポンと叩いた。
シマはちょっととぼけたような顔をしてから指笛を鳴らした。遠くから小鳥のモンスターが群がって飛んでくる。あ、そっか、高さもあるし、ここから登る訳にはいかないから、とりあえず紫の花を探してもらうのかな。
シマのモンスターたちは彼の言葉を聞いた後、一斉に飛び立った。俺たちは昼ご飯の干し肉を噛みながら滝の近くを探してみたけど、紫色の花はどこにもなかった。
滝の飛沫が届く辺りまでだから、木々のある辺りまで戻っちゃうと離れすぎだ。でもそうなると、岩場の影やちょっとした草地しかない。森まで戻れば花は咲いているけど、紫じゃなくて何となく青だったり薄いピンクだった。
一応紫っぽい花を持って帰ったが、レツに見せると無言で首を振った。かといって見回してみても、どう見ても滝のまわりに花は咲いていない。俺が顔を上げると、ハヤとレツも首を振った。
「こりゃ登る事になるかもしれないな」
結局、鳥モンスターたちは紫の花を見つける事は出来なくて、シマは滝の脇の岩棚をよじ登って行った。ある程度行ったところで、大きくバツを上げる。滝の飛沫が届くっつったら、まさにあの辺にありそうなんだけど。
花を探し続けて気付けば、もう夕方に近づいていた。俺は空を見上げた。
これじゃ間に合わない……あの男が言ってたような危険の気配はないけど、花が見つからないんじゃしょうがない。俺は何だか喉が渇いたので、滝の水が溜まる池に近づいた。先に池に近づいていたレツが、水際で膝をついている。
けど、レツは膝をついたまま固まっていた。どうしたんだ?
「レツ?」
俺が近づくと、レツは黙って池の中を指さした。俺はゆっくりと指さされた方を見た。
透き通る水の中遠く、滝壷の底に紫色の花が咲いていた。
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