第53話『せっかく思う存分暴れさせてやったのに』

 酒場を裏口から抜けて裏路地に出ながら、キヨは眼帯を外して髪をぐしゃぐしゃにした。フロックコートも脱いで丸めて手に持つ。コウも髪を覆っていた布を取り去り、上着を脱いだ。シマもハンチングと片眼鏡を取ってジャケットを脱ぐ。

「お前も帽子ぐらいは取れ」

 シマに言われて慌てて帽子を脱いだ。あれ、もしかして変装だった……?


「見たヤツの印象がそこに行く程度のだろ。別にそこまで化けなくたって俺たちが有名人じゃねーから困らないけど」


 裏路地に入ってからほとんど駆け足に近い早歩きだ。

「っていうかキヨくん、」

「もう着くから、あとで」

 キヨはちょっと目を細めて言った。もう着くって?

 俺たちは路地を抜けるキヨにただついて行くだけだったけど、道というよりほとんど建物のすき間だろって路地を抜けたら、そこは俺たちの泊まっている宿の目の前だった。すげぇ! 近道っつーか、こんな迷路みたいな路地、絶対住んでなきゃわかんないよ。


 俺たちは扮装のままで部屋に上がった。キヨは通りすがりにレツの部屋をノックし、ノックしただけで自分の部屋へ入った。

 俺たちは部屋に入るとベッドに座った。遅れてレツとハヤも入ってくる。キヨはコップに水を注いで一口飲んだ。シマが手を伸ばすのでキヨはそのままグラスを渡した。


「すっごい! みんなどうしたんだよ」


 レツが何だか目をきらきらさせて俺たちを見回した。

 ああ、何かちょっと見慣れてたけど変装中だった。それからレツとハヤも並んでベッドに座った。キヨを見上げて説明を待つ。

 キヨはチラリとシマに視線を送ったけど、誰も話し出さないのでちょっと息をついてから話し出した。


「セスクたちの劇団に対する介入が不自然だったんで、もしかしたらと思ったんだ。優勝の行方で賭博をやるとか別に珍しくねーけど、まさか賭けの対象に直接介入してるとはな」


 キヨはそう言ってため息をついた。キヨはセスクの劇団に起こった不自然なアクシデントの連続に、賭博絡みの匂いをかぎ取ったのだ。それがハラーってヤツに繋がると。ハラーに差し向けられたのがウィーランで、彼がセスクたちを落とすためにあんな事をしたんだ。


「え、じゃあセスクたちってすごい劇団だったんだ!」

 レツはちょっとずれたところで感激していた。うん、まぁそういう事なんだけど。

「っていうか、あいつがハラーだったのか?」

 シマが聞くと、キヨはうーんと唸ってちょっとだけ天井を見上げた。

「どうだろうな、奥に通された事を考えても揺さぶりはかけられたんで、そうかなとは思ったけど、あの場で聞けないだろ」


 そう言えばキヨって一度もあの男の名前を呼ばなかった。そうだよな、ハラーの何かに参加したいって言ってんのに、ハラーの顔を知らないんじゃバレちゃうもんな。


「賭博ってことは、ギャンブルするとこ行ってきたの! それでみんなキレイな格好で……」

 レツは言いながら俺たちを見回した。いや、キレイな格好なのはキヨとシマかと。見回して首を傾げるレツにシマが苦笑した。

「キヨが大金持ちでコウちゃんはキヨの護衛で見習いは召し使い。俺が悪友」

 役どころを説明すると、レツとハヤは同時にあーあーあーといった風に頷き、「超それっぽい」とレツが言った。ハヤもそう言ってるようだった。


「っていうかキヨくん」

 コウはさっき歩きながら言ったのと同じ言葉を繰り返した。キヨはコウを見る。

「あれ、踏みつぶす事はなかったんじゃないかな」

 あ! そう言えば!! 

「そうだよ! あれってハヤの薬だったんじゃねーの?!」

「薬があったの!?」


 俺はレツの言葉に頷いた。

 っていうか、薬だったんだよな? まさかセスクの怪我が薬ですぐ治るとは思えないし、だとしたらハヤ用の解毒剤だったんだと思う。今すぐセスクを復帰させたら優勝確実なんだし、オッズが下がる程度で済むって事は、代役の復帰くらいなら出来るって事だ。

 でも言われたキヨはあからさまに不機嫌そうな顔をしていた。切り捨てるような目。


「あんなヤツの薬で治すくらいなら治らない方がマシだ」


 シマはとぼけるみたいに視線だけで上を見てから、すとんと肩を落とした。コウはため息をついて首筋をかく。

 っていうかそういうの、治る見込みがある時に言えよ!! そりゃあいつはハヤを襲った張本人みたいなもんだけど! 襲った奴から薬買うのは納得いかないけど! 

「薬が作れるとわかったんだから別に問題はねーだろうが」

 キヨはそう言ってフイッと視線を外した。そりゃ確かにそうなんだけどー。

「でも採りに行くには往復六日かかるっつったじゃん。祭りに間に合わないよ?」


 大体キヨはあの場で、あの大金をセスクたちに賭けたのだ。そりゃあキヨはあの場で財布からがっつり札束抜き取ったので、もともとの全財産以上のお金を手に入れてるし、実際にあのお金はキヨがいかさまで巻き上げたようなもんだから、失ったところで痛くも痒くもないんだろうけど。

 そうは言っても一応ちゃんとした賭博参加に見せるために、シマが賭けの証書を手に入れてきていた。脅すだけ脅して金置いて帰っちゃったら、怪しいもんな。


「キヨくん」

 キヨはチラリとコウを見た。コウはベッドに座って両膝に肘をついて手を握り合わせていた。

「俺はちゃんと約束したから、その分は守る。お金の事はどうでもいいかもしれないけど、この祭りで何も出来ないのはあの劇団に取って致命的だ。それで劇団が壊れるかもしれない」


 コウはクリシーに、家族を壊させないと約束した。それはつまり、劇団を潰させないという意味になるのかもしれない。シマがコトリとグラスをテーブルに置いた。

「だからキヨくんに、その辺の責任は取ってもらう。何か策があるんだよね?」

 コウは真剣な表情でキヨを見ていた。キヨはちょっとだけ眉を上げてとぼけた顔をした。


「……そういうトコは投げるんだな」

「そういうトコが専門でしょ」


 キヨはちょっと不満そうな顔をして、「せっかく思う存分暴れさせてやったのに」と言った。


「俺だって一発殴りたかったっつの」

「だってアレはキヨくんが振ったんじゃん。それにキヨくんが殴りに行ったら、骨折しそうでおっかない」


 コウは笑って言った。それは確かに。

 っつかアレも狙いの内だったのか。ただ単にセスクたちを悪く言われてキレたのかと思ったけど、もしかしたらコウの強さを見せつけて、あいつらを黙らせる意味があったのかも。あの時、キヨはソファから逃げる素振りすら見せなかったけど、あれってコウの強さを信じてたって事なのかな。

 キヨは拗ねるような顔でコウを睨んだ。それから机に寄りかかる。


「とりあえず、その薬になるもんを取りに行く」

「でも往復六日だろ、祭りに間に合わないじゃん」

 そう言うシマに、キヨはチラッとハヤを見た。

「祭りの始まりまであと三日。いや、もう二日半か。滝の場所を調べる必要があるから、二日で何とかしないとかな。とりあえず、行きは馬で行く」

 そう言ってキヨは札束を取り出してベッドに投げた。それってさっき勝った分のお金……そのために多めに抜いてきたのか!

「……お金を投げてはいけません」

 律儀に突っ込んだコウに、キヨはちょっとだけ笑った。自分だってあいつのところで投げたクセに。


 でもあいつの言ってた三日が、どういう装備で三日かかるのかわからないけど、馬で行ったところで往復六日を二日に縮める事は不可能な気がする。結局、辿り着くのが精一杯なんじゃないのか?

「でもそれって、行くだけしか出来なくない? 何とかなる?」

「……何とかするしかねぇだろ」

 キヨがそう言うと、シマがすぐ立ち上がって札束を取り、「じゃ、ちょっくら買い物してくるわ」と言って出て行った。動物を見るならシマが一番適任だ。俺たちはシマが出て行ったドアを見送った。


「キヨくん、今回俺、一緒に行かなくていいかな」


 ええ! 俺とレツとハヤは驚いてコウを見た。どうして?! いつだって一緒にクリアして来たのに……

 でもキヨはチラリとコウを見ただけだった。それからちょっとだけため息をつく。

「ギリギリのところでやるしかないわけじゃん、全員そっちに行っちゃうと、もし万が一間に合わなかった時に、どうフォロー出来るかわかんねぇ」

 いつだってみんな何とか出来るようにって思ってるけど、それでも今回は時間的に厳しいのが明白だ。

 全員で滝まで出掛けていってハヤの声が元通りになったって、祭りに間に合わなかったらクリシーとセスクたちには何の意味もない。メイン会場でやるような劇団が出鼻を挫かれたら、お客さんはあっという間に別の劇団へ流れてしまうだろう。取り戻すのは更に難しくなる。

「……コウだけでいいのか」

 キヨは小さく言った。コウはちょっと考えるように視線を外してから、小さく肩をすくめた。


「ホントはキヨくんがいると何かと便利かなって思うけど、キヨくんいなかったら滝まで行って帰って来れないもんねぇ」


 それはパーティー存続の危機だ……それは避けて欲しい……

 でもコウはあんなに人見知りなのに、セスクたちの中に一人入ってって何とか出来るのかな。それでもやるって言ってるのは、やっぱりこれがクリシーとの約束だけじゃないからなんだろうか。人一倍、いや何倍も人見知りなのに、俺たちから離れて一人で行動するなんて。


 でもキヨは何も気付かなかったみたいに、「俺は便利屋か」とか言って混ぜっ返した。キヨが居ないとナビが困る。シマが居てもモンスターを街中で使う事はできない。ハヤは一緒に行って早く毒を消したいし、俺はどっちにくっついてたって大した戦力にはならない。それじゃレツは?

「レツが行かなきゃ意味ないだろうが」

「なんで?」

 俺とレツは一緒になって首だけでなく体ごと傾げた。キヨは怪訝な顔で俺たちを見た。何でわからないんだって顔。


「お前しか、毒消しの花を見てないだろ」

「え……」

 もしかして……

「え、でも……そんなのあり得るかな?」


 お告げで見た花!?

 っつか今の今まで忘れてた。そう言えば確か、紫の花って言ってた。あの小瓶に入ってた薬は紫色だった。でもそれだけで?

 そりゃ確かに何か俺たちに必要だったり、俺たちの行く先に関わる事がお告げに現れてる気はする。でもお告げはむしろクリアすべき試練であって、俺たちを助けるものじゃないはず……


「そう簡単に手に入るもんじゃねーのかもよ、別にこれで全て丸く収まったわけじゃないし」

 コウはそう言ってチラッとキヨを見た。それはそうだけど……

 レツが見た花がハヤの薬になる花だったとしても、滝に行けばすぐ見つかるとも限らない。それが手に入るかもわからない。それに何とか手に入れても、祭りに間に合うように戻って来れないかもしれない。

「やっぱ踏みつぶさない方がよかったんじゃん……」

 俺が言うと、キヨはバカにするみたいなため息をついた。


「あの薬があったら、あいつらは俺たち以外の人間にも同じ賭けを持ちかけられるだろうが。俺たちがバカみたいに勝ち目のないセスクに賭けるのは勝手だ。でも誰かが同じ取引持ちかけられて乗ったら、ハヤの不在が問題になるだろ」


 あ、そうか……他の人に取引持ちかけてOKだったら、薬を使うためにハヤがいないとならないのか。

「でもそれって困る事かな? 他の人が勝手に取引に乗ったって、団長の声が戻るならいいんじゃないの?」

 レツはそう言って首を傾げ、隣のハヤに「ねぇ」と振った。ハヤはきょとんとして首を傾げた。俺もそう思った。全然悪くない気がする。

「むしろそれのが全然良かったんじゃね?」

 せっかくの期待材料として引き出したのに踏みつぶしちゃうなんて、みすみす逃しちゃったようなもんじゃん。

 でもキヨは俺に近づくと、俺の頭をむんずと掴んだ。あ、怒ってるっぽい顔……


「不確定要素が多すぎるだろうが。あの取引はハンパな金額じゃ買えない。誰も乗らなかったら、団長の声は戻らないまま祭りが始まる。だったらどうなるんだ?」


 ……セスクの劇団が大変な事になります……それなら自力で採りに行くって事か。

 その上あれはギャンブルだ。オッズが下がる上に大金を賭ける人間がいるかっていうとちょっとわからない。ハヤの声が戻ったって優勝できるとは限らないんだし。

「それに駆け引きで出てくる内容まで読んでたわけじゃねーよ。ただ何かあるんだとしたら、団長か劇団に有利な情報に違いないだろうが」

 いや、そこまで読んでれば十分だと思うけど……あれ、それだったら、キヨが乗ればよかったんじゃね?


「あいつの薬を使うのは俺がいやだ」


 キヨは不機嫌そうに言い切った。

 あーはい……それはまぁ、みんなそこが譲れないのかもしれないけど。


 でも実際キヨがあの取引に乗ったら、大金賭けてハヤの薬を購入するようなもんだ。薬目的なんだから別に困る事はないけど、セスクの劇団が優勝できなかったら単にハヤに毒を盛った奴らを儲けさせるだけなんだよな。

 俺が頭を掴んだままのキヨを見上げていると、唐突にハヤがキヨに抱きついた。


「『もーキヨリンたら、そんなに僕に汚れて欲しくないんだね!』」


 こういうセリフのレツのアテレコは的確だ。絶対ハヤが言ってる気がする。むしろ心の声がダダ漏れてレツの口から出たって気がする。

 キヨはハヤを見ないでレツを睨んだ。

「お前な……アレだってどんだけ信用できるもんかわかんねーだろうが。それに、」

 キヨはそう言ってふいっと視線を外した。ハヤはきょとんとしてキヨを覗き込む。


「……殴れないなら、あいつら完全にぶっ潰さないと気が済まねぇ」


 コウは手放すように肩をすくめた。

 キヨの顔は見ないでも、たぶん目が座ってんだろうなって気がした。


 あああ、やっぱり破壊者じゃんか……

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