第52話『金で買えるもんなら金で買えばいい』
部屋に通されると、キヨは脱いだコートを見もしないで当たり前のように俺に投げ渡した。俺はあたふたとコートをハンガーに掛ける。その間にキヨは、体を投げ出すようにソファの真ん中に座った。
何だか面倒くさそうに足を組んで、アームレストに肘をついて頭を支える。何だか不機嫌そうというか、遊んでいたけど飽きちゃったみたいな格好だ。シマはまるでいつもそうしてるみたいにアームレストに軽く腰掛けた。俺とコウはそのソファの後ろに並んで立った。
そこへ慇懃な感じの男性がお盆に載せたカクテルグラスを持って現れた。キヨの座るソファのサイドテーブルに、赤いカクテルの入ったスリムなグラスを置く。俺は立ってる場所すら間違ってる気がして動悸が激しくなってきた。
キヨはひょいっと体を起こして背もたれに腕をかけた。
「ねぇ」
声をかけられた男性はシマにグラスを差し出しつつ、チラリとキヨを見て姿勢を起こす。
「まだ待たせんの?」
「……旦那様は今、別のお客様とご面会中でございます」
キヨはその言葉を聞いてるのか聞いてないのか、全く違う方を見ていた。
「ふーん、待つのって慣れてないんだよね、早くしてって言っといて」
慣れてないっつったって、まだ通されただけで待たされてなんかいないんですけど!
でもキヨはそう言うと、もういいみたいに彼を見ずに手を振って下がらせた。男性はきちんと一礼してから退室した。っていうか、見てる俺がひやひやする……
「キヨ!」
俺は小声でキヨを呼んだ。分厚い絨毯とベルベットのような壁紙は声を吸収してしまうような気がした。キヨは肩越しにチラリと俺を見たけど、俺に背を向けたままだった。
「もうちょっと説明してよ、どうすればいいんだよ!」
俺たちはクリシーと別れてから、キヨについてこの店まで来た。
それは賭博場だった。でもごろつきみたいのがたむろするような店じゃない、明らかにお金持ちのための店だ。入口でコートを受け取ろうとするボーイに「ちょっとだけだから」と言って軽くあしらい、そのまま店内に入った。
キヨは俺たちを引き連れたまま店内を冷やかして、つまんなそうにルーレットのテーブルに着いてディーラーに声をかけたのだ。
「ハラーが面白そうな事やってるみたいだけど、聞いてる?」
ディーラーは一瞬キヨを見た。キヨはそれ以上何も言わず、この店で一番高い金色のコインを滑らせた。
召し使い役の俺が先に渡されてた財布から金を支払ってコインを買う時に、キヨはさりげなく「あんまり遊ぶと怒られるからな」と言ってその一枚に留めた。ホント言うと、それがキヨの全財産だ。
その一枚が全財産なのに、キヨは全然平気な顔をしてそれを黒の4へ賭けた。一ヶ所に賭けるなんて、それこそ一瞬で終わっちゃうかもしれないのに……ディーラーが投げ入れたボールは何度か跳ねてから、乾いた音を立ててポケットに落ちた。黒の4だった。回りからため息が漏れた。
「お前の悪運は尽きないな」
「……ああ、当たったんだ」
面白がっておだてるシマに、キヨはあんまり興味なさそうにそう言った。ディーラーがもっと安い緑や黒の外れたコインを集め、キヨの前に金色のコインを山盛りにして差し出す。
すごいすごい! あっという間にホントに金持ちになっちゃった!
でもキヨは、やっぱりつまんなそうにコインを一枚取って弾いた。
「はい、チップ」
もともとは全財産分のコインを、キヨは惜しげもなくディーラーに投げ渡した。
ディーラーはそれを受け取ると、キヨに目礼してテーブルを下がり、他のディーラーが現れた。
キヨはつまんなそうにしたまま、もう一度、今度はふざけるみたいにコインを積み上げ、いろんなところに賭けつつ結局大当たりをした。シマはおだて役。賭け方がデカイから当たりもデカイ。目の前で増えていくコインに俺は足が震えてしまった。どどど、どうすんのこんな大金!
「キヨくん、」
コウが背後からコートを引っ張った。キヨが肩越しに見て、その耳元へコウが近づく。
「やり過ぎ」
するとキヨはくすりと笑った。
「こういうのは信用取引だろ」
言ってるそばから先ほどのディーラーが戻ってきて、キヨに耳打ちした。キヨは少し笑って頷くと指を鳴らして店員を呼び、コイン指さしてフイッと手を振った。キヨは何も言わなかったけど、処理しろって言いつけているように見えた。キヨ、ホントにお金持ちじゃない……んだよな?
それから俺たちはディーラーについて別室に通されたのだ。でも今は店に入った時の見せかけのお金持ちじゃなくて、本当のお金持ちになっていた。
「余計な事しなくていいから、そこに立ってろ」
そりゃ何にもわからないから余計なことしか出来ないけどさ!
「召し使いってのは大人しくしてるもんだって」
シマはそう言って俺の頭に手を載せ、大きすぎる帽子を余計に深く被せた。そうかもしんねーけど、召し使いなんて見たことねーし!
「先に来てたら、本物が買えたな」
キヨはソファーに座ったまま、背もたれに反り返るようにしてコウを見、自分のシャツを引っ張った。
「キヨくん、」
コウが厳しい声で言うと、キヨは両手を挙げた。
「わーかってるって、二度とやりません」
え……って事は、あれ魔法だったのか!? 全然わかんなかったけど……っつか俺にすらわかるようだったら、店にだってバレてるよな。
呪文もナシにごくごく小さな魔法を発動するなんて普通の魔術師には出来ないから、まさかアレがいかさまだとは思わないだろう。うーわー、何て事だ。キヨ、すでに犯罪者じゃん。コウは納得いかない顔で、それでも諦めたようにため息をついた。
「いつもやってくれれば、もっと旅が楽になるのに」
呟いたシマを、コウが鋭い目つきで睨み付けた。シマは苦笑して肩をすくめる。
「お待たせして申し訳ない」
声に俺とコウが振り向くと、割腹のいい男性がせかせかと入ってきたところだった。キヨはちょっとだけ体を動かして座り直したけど、背もたれに片腕預けたまま立ち上がらなかった。ソファーを回り込んで向かいに座った男性をチラリと見ただけだ。シマもアームレストに座ったまま彼を見てにっこり笑った。
ソファの真ん中に座ったキヨと、アームレストに座るシマの関係性は明らかだ。
男性の着てるものは上質だけど何だか似合ってない感じ。金はあるけどセンスは無さそう。テキトーに衣装を組み合わせて着させたキヨのがよっぽどマシだ。
「さて、あなた様は……」
「キヨでいいよ。本名とかいらないだろ」
それが本名なのに、あっさりキヨはそう言った。普段よりちょっとだけ高い声。何となく、子どもっぽくわがままそうに聞こえる。
「しかし我々も信用が」
「金で買えるもんなら金で買えばいい」
キヨは面倒くさそうにそう言ってグラスを取った。あ、やっぱ飲むんだ。キヨの言葉に、シマがくすくす笑う。
「キヨ、お前の悪運でこの店潰しちゃえよ」
キヨはくすりと笑うと、「たまには稼がせてやってるよ」と言った。うーわー、どう見てもこの二人、キヨの財産で遊んでる道楽の金持ちだわ。まぁ、俺はそんな金持ちにの召し使いにしか見えないんだろうけど。男はシマに名前を聞かなかった。
そこへノックの音がして店員が現れた。ずっしりと重い札束の入った、触れるだけでとろけそうな肌触りの布財布を俺に渡して戻っていった。
っていうかこの厚さなんだよあり得ないだろ! ちょおおお、こんなの持つだけで緊張する! キヨは振り返らずに俺に手を差し出した。俺が財布をその手に載せると、キヨはテーブルの上にぞんざいに投げた。
「足りる?」
キヨはやっぱり全く動じないまま言った。
彼がハラー……なんだろうか。男はニヤリと笑うとソファに深く座り直した。
「……キヨ様もなかなか剛胆でらっしゃる。我々としては新顔にはそれなりの挨拶を頂くものではありますが……いや、これは失礼に当たりますかな」
「金で買えるものは」
キヨはそこまで言ってグラスに口を付けた。男はくっくと笑った。
「面白い方だ。ではルールを説明しよう。何、簡単な話ですよ。優勝する劇団を当てればいい」
ここ……祭りの参加劇団で賭けをやってたんだ! でもそんな人気投票の賭けだったら、街の人だってやってそうだけど……もしかしてお金持ち相手だから、とんでもない金額が動くとか?
「オッズは?」
「それがかなり流動的で」
キヨはニヤリと笑う男に目を細めた。かなり流動的って、どういう事だ?
「今は……そう、去年もいい成績を修めたディアビの劇団のオッズが上がっていますかな」
「ディアビの劇団って……結構イイ線いってる俳優がいるんじゃなかったかな」
シマはキヨに情報を与えるように言った。って言うか、やっぱりセスクたちって期待されてる劇団だったんだな。
「お前、知ってんの?」
「それなりに。この街にいればどこの賭け屋もやる事だろ。庶民の遊びレベルだよ」
キヨはちょっとだけ眉を上げた。庶民の遊びはご存じないって感じ。
「規模は?」
「家族経営じゃなかったかな。そこそこ人気あったはず」
「ふーん……それでオッズが上がってるってのは、」
キヨはシマから男に視線を戻した。
「それって何か……つまんない手を出してるって事?」
それ、もしかして……もしかしてこいつらは、オッズを動かすために劇団に何か危害を加えたりしてるって事じゃ!?
しかし男は「いやいや」と言って面白そうに笑った。
「ちょっとした余興のうちですよ。どうやら……主演俳優がアクシデントで代役を余儀なくされたとかで」
物事は公平でなくてはと、男は言った。
公平って……つまりセスクたちはブッちぎりで優勝候補だったって意味じゃないのか? キヨはちょっとだけ眉を上げた。
「他には?」
「と、申しますと?」
キヨはグラスを揺らしながら眺める。
「代役がいるなら問題ないだろ。その程度で落ちるような劇団なのか?」
キヨはそう言ってシマに振った。シマはとぼけるみたいな顔をして肩をすくめた。すると男は目を細めて面白そうに笑った。
何か……どう考えても悪いことしてるのに、何でこの人こんなに楽しそうなんだ……でもキヨも、主演男優のアクシデントと聞いても、冷酷なほど一切気にした素振りを見せなかった。
つまり、そういう場って事なんだ、この賭博場は。
「キヨ様は洞察力がある。おっしゃる通りですよ、どうやらその代役というのが、声を失ったとか」
隣のコウが、少しだけ拳にグッと力を入れたのがわかった。キヨはゆっくりと首を傾げた。
「声を……ねぇ。それじゃ勝負のしようがないだろ。どうやったらそんな事出来るんだ?」
「さぁ、それについては当方では関知しておりません」
男はくつくつと笑いながらソファに深く寄りかかった。何か、ムカムカしてきた。俺はチラリとコウを伺った。コウも厳しい顔で男を見ていたけど、それは護衛としての演技なのかわからなかった。
「でもそれじゃ賭けにならないな、オッズが上がったところでそんな状態の劇団に賭けるのはバカだけだ。それならまだルーレットの方がスリルがある。キヨ、これじゃ話にならないよ」
シマはそう言って首を振った。キヨはチラリとシマを見て、アームレストに肘をついた。
「キヨ、無駄に決まってるだろ。賭けるのは劇団の人気投票だ。劇の出来ない劇団に勝ち目なんか最初からないじゃないか」
「お前、この劇団買ってたのか?」
「ああ、去年の成績見たってイケるはずだったからな。でもこれ聞いたら、あの札は捨てると決めたよ。どうにもならないだろ?」
シマはぞんざいな態度でそう答えた。この二人、打ち合わせなんかしてないハズなのに、シマがキヨにそう言うのってどういう狙いなんだろう。キヨはちょっと考えるように肘をついた指先で唇を叩いていた。
「……そう、だな。俺に買って欲しいのなら、それなりの期待材料を用意してもらわないと」
き、期待材料って、何の業界用語だ……っていうか、この人キヨにディアビの劇団に賭けて欲しいのか? そんな事一言も言ってなかったと思うんだけど。
男はそれを聞くと少しだけ厳しい目でキヨを見たが、それからにやりと笑った。
「……なるほど、思った以上に話のわかる方だ。ええ、私たちも少々度が過ぎたとは思っております。これではオッズが上がる一方、賭ける方がいなくなってしまう。ここは一つ、どなたかに少々有利なご案内をと思っていたところでしてね」
男はそう言うと小さく俺たちの背後に向かって手招きした。背後から音もなくトレイを持った男性が現れた。トレイの真ん中に小瓶が載っている。
……シマの演技は、これを引き出すため? キヨがただじゃ乗らないって駆け引きを引き出すためだったんだ。
「これは……当方からのプレゼント、といったところですかな。このエキスを手に入れるためには、ここから三日かかる場所にある滝へ行かねばならない。可憐な花でね、繊細だから滝の細かな飛沫のかかるところでしか育たないのです」
男はそう言うとトレイの小瓶を取った。濃い紫色の液体が、小さな瓶の中で揺れている。それはもしかして……キヨは少し息をつくと、アームレストに肘をついて指先で頭を支え、なぜか目を閉じていた。
「往復で六日。自力で採りに行っていたのでは祭りには間に合わない。そのうえ滝には……おっと、これは関係のない話でしたな。さて……このエキスを取るのなら、オッズは多少下がると思われます。しかし掛け金は固定させていただく。もちろん、こちらにしかご案内はしません。悪い話じゃないはずです」
キヨはしばらく目を閉じて考えているようだった。それからゆっくりと目を開ける。
「……今のオッズでそのくらい賭けて勝ったら、ここ潰れちゃうんじゃないかな」
キヨはフイッと顎で布財布を示してゆっくりと言った。男はにやりと笑う。
「ええ、それは確かに。しかしそれはあり得ないでしょう。確かにオッズは高い。しかし主演俳優の降板、代役の急病、もともとワンマンな座長の所為で他に頼るあてもない。家族経営もむしろ足かせだ、閉鎖的な環境でまともな人間はおらんでしょう。まぁ、内情を知らない者が買う事はあるでしょうが、オッズを見れば彼らの優勝がない事は一目瞭然。すでにあの劇団は終わっている」
彼が言い終わるかという瞬間に、キヨはグラスのカクテルを男の顔にぶちまけた。えええええ!
途端に護衛らしき屈強な男が三人、どこからともなく現れてキヨに手を伸ばした。しかしそれより早くコウがキヨの前に立ち、その腕を掴んで流れるような動作で一人を放り投げた。うそ、全然力入れたように見えなかった……
コウは足下が邪魔になったのか、華奢なテーブルを器用に片足だけで立てかけ、載っていた布財布を手元にキャッチしてキヨの座るソファに投げた。キヨは足を組んでソファーに座ったまま微動だにせずつまんなそうに見ている。
シマは男が現れると同時に転がるようにソファを下りて、ソファの背後、俺の隣にびっくりした顔で立っていた。びっくりしてるのは俺と一緒だ。っていうかそれって演技なのかも。
足下にテーブルがなくなった事で他の二人がコウに掴みかかったが、コウは器用に腕を避けると、片腕を押さえて背後に回り、足を引っかけて一人を引き倒し腹にパンチを見舞って沈めた。残る一人が掴みかかるところを立ち上がりざまに延髄に手刀を決め、膝で腹に蹴りを入れて足を払って倒した。
すべてが、あっという間だった。すごい……コウが三人を沈めると、キヨは優雅に立ち上がった。
「デキレースって好きじゃないんだ、つまんないからね。そんなの勧められるのは心外だな」
コウは息を整えながらまた俺と同じくキヨの背後に立った。
男はシャツをカクテルの色に染めたまま呆然と、あっという間に護衛を三人倒したコウとキヨを見比べていた。こんな大金を動かす賭博場の護衛だから、それなりに強かったに違いない。驚いた拍子に落とした小瓶がキヨの前に転がっている。
キヨは当たり前のように財布から札束を抜き取りながら「シャツが汚れちゃったから新しいのを買わなきゃ」と言った。キヨの手首には、カクテルをぶちまけた時の滴が小さな小さな赤い染みを作っていた。それから抜き取った金をぞんざいに俺に渡し、残りを財布ごと男の足下へ投げる。
キヨの目は明らかに男を見下していた。
「どうせ賭けるなら面白い方がいい。ここが潰れるくらいのもんを見せてもらうよ」
そう言って、キヨは小瓶を踏みつぶした。
繊細なガラスの砕ける音がして、紫色の染みが絨毯に広がった。
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