第51話『全員が殴れるくらいに生かしといて』

 レツはハヤと残る事になった。

 朝は自分だって行きたいって言ってたけど、新しい宿には午後のお茶を出してくれるサービスがあったので、むしろ喜んで残っていた。ホイップしたクリームバターとジャムがたっぷりのスコーン。焼きたての香りに俺だってちょっと残りたい気になっちゃったけど、キヨがついてっていいって言うのに、まさか断る訳にはいかない。


「足手まといになるなよ」

 キヨは出掛けにそう言った。

 そりゃ、邪魔するつもりはないけどさ。でもキヨが本気で怒ってて、敵の本拠地で暴れ出したらどうしようとかちょっと考えた。一応、うちで一番腕力のあるコウが一緒だし、シマも居るからホントに大変な事になったら止めてくれるとは思うけど。


「キヨくん」

「なんだ?」

 キヨはもうさっぱりとした顔で歩いていた。コウは少しだけキヨを見てから、前を向いた。


「みんな怒ってるから。キヨくんと同じくらい」


 キヨはチラッとコウを見た。

 みんな口に出さないし、あからさまに怒ったりしてないけど、みんなハヤに毒を盛ったウィーランに怒ってるんだ。シマだってあの時俺が止めなかったら、あのまま引きずり出しそうだった。怒らせたらもっと怖いだろうキヨを思い出したから、手を離したんであって。


「だからキヨくんは手加減していいから。全員が殴れるくらいに生かしといて」

 それを聞いてキヨは一瞬きょとんとした顔をして、それから小さく吹き出した。

「何だかなあ……お前ら、本気で俺のことなんだと思ってんだよ」

 俺はコウと顔を見合わせた。でも、絶対キヨって仲間にひどいことしたら容赦ない気がするんだけどな。キヨは少しだけ優しい表情で前を見ていた。


「団長にも言われたよ、ヤツをぶっ殺さないでって」

「それ……」


 あ、あの手のひらに書いたの! ハヤ、声を奪われるような毒盛られたのに、そんな風に言ってたなんて。声だけで、何とかなりそうだから寛大になってるのかな……それともハヤって実はすごい心が広いとか。

「でもキヨ、ハヤとか仲間が傷つけられたら、ホントに相手ぶっ殺しちゃいそうじゃん。仲間が犯罪者とか笑えないよ」

 キヨは俺が言うと、バカにするような顔で見た。


「お前なぁ、なんで俺が魔術師だと思ってんだよ。そんな証拠が残るようなやり方、するわけないだろ」


 そんなドスの効いた声で言わなくても! 怖いよ! だから怖いっつってんだよ、冗談に聞こえないから!

「キヨの場合、それが冗談で済まないからなぁ」

 済まないからなあじゃなくて! シマ、頑張って止めてください……

「ま、とりあえずあいつにも言われたからな。みんながぶん殴れる程度には生かしておくわ」

 キヨ、やっぱすっごい怒ってるんだ……みんな怒ってるんだろうけど、やっぱこの人が容赦ない分一番怖い。


「それで、ハラーってヤツのところに行くの?」

 ウィーランが漏らしたヤツのところに乗り込んでって、それで黒幕をぶっ……殺さない程度に痛めつけるのかな。

「でもそれ、何の解決にもなってなくない?」

 コウの言葉に、キヨはチラリと見た。

 え、だって黒幕ぶっ倒したら解決なんじゃないのかな。シマは違う違うというようにひらひらと手を振った。

「そんな事したって、セスクの怪我も治らないし団長の声も戻らないだろ。それに実際手を下したのがウィーランなら、そのハラーってのとの繋がりを示す証拠がなきゃ意味ない」

「だってウィーランが言ったのに!」

「そんなもん、いくらでも誤魔化せる」

 キヨは歩きながら簡単にそう言った。えええ、そしたらどうすんのさ! 

 俺が言うと、唐突にキヨは立ち止まった。


「なぁ、俺どう見える?」


 そう言って腕を広げた。え? えーと……

「黒魔術師……?」

 何のことかわからず、俺たちは顔を見合わせた。っつかそんな真っ黒でびらびらしてたら、どっから見ても明らかに黒魔術師です。

「別に魔術師なのはいいんだけど」

 キヨはそう言って顎に手を当ててうーんと唸った。何の話ですか……? キヨはしばらく考えてから、しょうがねーなーとか一人で言ってまた歩き出した。俺たちは何が何だかわからず、とにかくキヨについて行くしかなかった。


「あれ……」

 黙々と歩くキヨについて行くと、朝来たところに戻ってきていた。セスクの劇団だ。っていうか何で? ハラーのところへ乗り込むのが最善じゃなかったとしても、ここに来てどうすんの?

「クリシー」

 キヨは忙しそうにしているクリシーを呼び止めた。彼女は俺たちを見るとにっこり笑った。俺の隣でコウが少しだけ緊張したのがわかった。


「ハヤの様子、大丈夫?」

「ああ、とりあえずは。ちょっと頼みがあるんだけど」


 クリシーはちょっとだけ逡巡するように視線を動かしたけど、すぐにキヨに笑いかけた。キヨはそれを見て、彼女を促して歩き出した。俺たちはわけもわからず、話をする彼らについて行った。

 彼らが真っ直ぐに向かったのは、俺が朝来た衣装テントだった。ホントに、何しに来たんだ?

「んー……」

 キヨは衣装の中から白いシャツを引っ張り出した。フリルのついた袖口と十分なドレープ。少しだけ光沢があるところが何だか高級っぽい。

「それ、間近で見ちゃだめよ。偽シルクなのがバレちゃうから」

 クリシーは面白そうに言う。キヨもにやりと笑ってそれを脇へ置いた。

 へー、ここから見たら高級なシャツに見えるのに、演劇の衣装って変わった衣装ばっかじゃないんだな。それからやっぱりキヨはごそごそ衣装を取り出すと、チラリと俺たちと見比べた。な、なに?


「おい、」

 キヨは衣装を選びながら、指先だけで俺たちを手招きした。コウとシマと俺は顔を見合わせて、それからキヨに近づいた。何となく、嫌な予感がするんだけど……

「じゃ、これとこれ。着替えて」

 キヨはそう言って俺たちに衣装をぽんっと投げ寄越した。ええええ?

「えええと、」

「キヨくん、これは……」

 コウがつまんだ布を見て、キヨは無言で頭を指した。

「それじゃ、私はカーテンのこっちにいるわね」

 クリシーはくすくす笑ってテントの中のカーテンを下ろした。俺たちは顔を見合わせる。断れ……ないよな。まさかね。キヨはさっさと上着を脱ぐと、さっきの高級そうに見えるシャツを取り出した。


「忙しそうにしてるね、その他は順調?」

 キヨは着替えながらクリシーに声をかける。

「ええ、役を奪い取ったはいいけど、雑用が減るわけじゃないから」

「雑用ならウィーランがいるだろ、彼、他にやることないんじゃね?」


 キヨはうっすらあばらが見えるくらい痩せていて、そりゃーハヤに負けるわと思った。黒ばっか着てるからか全く日に焼けてないので、やたら白くてお化けみたいだ。

 ただキヨはさっきのさらりとしたシャツを着ると、なぜか一気にお金持ちみたくなった。キツくて冷たそうな顔と艶のある真っ黒い髪が、やけにわがままで見下したお坊ちゃまに見える。

 キヨは共布のボウタイを結んでから、手近の櫛で髪をとかした。きちんと櫛を通すとサラサラの髪に光の輪が浮いた。うわ、完璧にお坊ちゃまだわ……何この人……


「ごめんなさい、あなたに言ってもしょうがないんだけど、私あんまりあの人信用してないの」

 キヨとシマはチラリと視線だけで見合った。

「……へー、どうして?」

「どうしてかな、いろいろ不自然なところもあるし……」

「不自然なところって?」


 キヨは言いながら手近に転がっていた眼帯を拾って、俺たちを置いてカーテンを上げてクリシーのところへ出た。

「あらやだ、すごい。キヨってばお金持ちみたい」

「衣装がいいからだろ」

 クリシーはひとしきりくすくす笑ってから、ええとさっきの話ねと言った。


「彼っていつも何か、やるべき事以外の事を考えてるって感じがあったの。雑用なんだからいくらでも仕事があるんだけど、彼に頼むとね、いつもこう……心ここにあらずみたいな感じがあって」


 それだけで信用なくなっちゃうもんかなぁ……俺は渡されたシャツに着替えながら聞いていた。麻のシャツはちょっとだけ肌にちくちくする。

「セスクの馬車が暴走した時も、一番近くに居たのにただ見てるだけだったのよね」

 座長は信用してるみたいなんだけど、とクリシーは小さく付け加えた。

「いつも街に入る前に練習してんの?」

「いえ、今回初めてよ。練習は普段旅の途中にしてるもの。今回はネタが他の劇団にバレると困るからそうした方がいいってウィーラン、が……」

 クリシーはそこで言葉を止めた。やっぱり、あそこへ誘導したのもウィーランなんだ。


「……キヨ、これって何かあるの? もしかして、あなたたちがしようとしてる事も関係してる?」


 しばらく沈黙があって、キヨが話そうか悩んでいるのがわかった。それから諦めたようなため息が聞こえた。

「たぶん、君の考えてる通りだと思う」

 キヨはやっぱり明言を避けた。でもクリシーは聡明だ。自分自身の疑問とキヨの質問から、俺たちと同じ答えに辿り着いてる気がする。

「おい、まだかよ」

 キヨはそう言ってカーテンを引っ張った。俺たちはあたふたと着替えを済ませてカーテンを開けはなった。クリシーは何だか愕然とした顔で衣装箱に座るキヨを見ていた。


「……ハヤは、大丈夫なの?」

 キヨはそれを聞いて、俯いて深いため息をついた。

「毒を盛られた。声が出ない」

「そんな!」

 キヨが慌てて立ち上がり、出て行こうとするクリシーの腕を捕まえた。


「お願いだから、まだ騒がないで。まだ何も掴んでないんだ、このままじゃ泣き寝入りしかできない。セスクの事だけじゃない、俺たちの仲間に累が及んだ時点で、これは俺たちにも関わる事なんだ」


 クリシーは冷静に、でも強く言ったキヨを驚いた顔で見た。

「ハヤの容態は……大丈夫なの」

「原因がわからない。たぶん針に毒を塗って刺したんだろうと思うけど、あいつしか医術の心得はないから……」

 クリシーは辛そうな表情をした。そんな事が、この劇団に関わったことでハヤの身に起きてしまったんだ。彼らが手伝いを望まなければ……


「でも俺はちゃんと取り返す。やられた分はきっちり返すし、あいつの声も取り戻す。何があっても」


 キヨの声は冷酷だった。むしろそれは自分に対して言っているようにも聞こえた。

 きっとキヨはまだ気にしてる。キヨがハヤを手伝うようにし向けなければ、こんな事にはならなかったって思ってる。


「あなたは……きっと、この劇団を壊しちゃうんじゃないかしら」


 キヨはクリシーの言葉に、ちょっとだけ視線を外した。キヨはそんな事しない! と思うけど……

「だめよ、絶対そんな事させない! この劇団はみんな家族なの、家族を壊さないで!」

「どうして、」

 ふと漏らしたような声に、思わずみんなコウを振り返った。


「あんなに冷たくされてんのに、どうしてそんな風に言えんの……?」


 コウは何だか呆然としていた。

 クリシーはコウを見て、それからそっと笑った。

「……時々、忘れそうになっちゃうんだけどね、私が愛して一緒になった彼は、彼の家族と居なかったら今の彼にはなってないと思うの。だから彼を取り巻く全てを、彼と同時に大事に思ってる」

 コウは驚いたように目を見開いた。


 ……コウのお義姉さんもそんな風に思っているんだろうか。それでもきっとコウが何も出来ずただ距離を置くしかできないのは、コウのお義姉さんもコウに対して面倒くさがったりしてないからじゃないかな。彼が一方的に居心地の悪さを感じてしまうのは、きっとお義姉さんが家族を思い、家族に溶け込んでいるからなのかもしれない。

 コウは少しだけ、悩むような表情で視線を外した。


「私は、彼と家族になったの。でもそれは彼だけとじゃない、彼を含めた家族全員と家族になったのよ。だから、」

 クリシーは言ってキヨに向き直った。

「私の家族を壊さないで」

 クリシーの眼差しは真剣だった。今ここでキヨが約束しなかったら、俺たち全員を相手にしても止める覚悟がありそうだ。

 キヨは少しだけ眩しそうに彼女を見、逡巡するみたいに唇を噛んだ。


「壊させないよ」


 声を上げたのはコウだった。俺たちは同時に彼を見た。

「君の家族は、壊させない。俺が約束する」

 クリシーはじっとコウを見た。コウは真剣な顔でそれを受け止めた。


 俺には、コウの言葉がクリシーに向けたものだけには聞こえなかった。

 それはコウが、きちんとお義姉さんと自分を繋げるって事なのかな。家族の繋がりから遠く離れて、距離を置いていたコウ。その繋がりをきちんと繋ぎ直す、コウの思いがそう約束させているんだろうか。

 しばらくコウを見つめていたクリシーは、認め合ったような表情で少し笑った。それからキヨを見る。


「あなたきっと仲間は絶対ってタイプね。だからこそ直接あなたとは無関係のこの劇団なら、平気で壊しちゃうんじゃないかって思ったの。でもそれなら逆に、彼の言葉は信用できるわ」

 キヨはちょっとだけ肩をすくめた。

「俺はそんなに信用ないのか」

 それにどんだけ破壊者と思われてるんだと、キヨはとぼけて言った。クリシーはいたずらっぽく笑った。

 まぁでも、誰かが止めなかったら平気でヤバい事やっちゃいそうってのは、キヨに対する共通認識だよな。あの湖で灯りが足りないっつって、あっさり森に放火したのとか考えると。


「信用してるわよ、だから教えて。これからどうするの?」

 キヨは少しテントの外を見やって、それから小さく息をついた。

「今はとにかく、ヤツだけ押さえても何もならない。だったら先に黒幕を揺さぶる」

「黒幕?」

「去年のいざこざをもみ消したのが、雑用しかできない彼だとは考えにくい。むしろ誰かに送りこまれたって方が納得がいく」

 キヨはそう言ってちらりと俺を見た。あの時、路地裏で話してた相手!


「でもそれだと……どうなるの? 黒幕が誰かわかってるの?」

 クリシーは少し怪訝そうな顔で見た。誰かに送りこまれたのだとしたら、もっと大きな陰謀が動いてるって事だ。でもこの祭りでそんな大きな陰謀って?

「まぁ、それでちょっとした所に潜り込もうかと。でもこれ以上君を巻き込むのは、逆にハンデになりかねないから」


 クリシーは複雑そうな顔で俺たちを見て、それから何だか楽しむみたいに笑った。もしかして、キヨが言わなかった事がわかったのかな? 実際に潜り込む俺がわかってないってのに。

「わかった。いってらっしゃい」

「これも借りていい?」

 キヨはそう言って手近にあった青いダブルのフロックコートを取った。

「今更何言ってるの。前は閉じないの?」

「この方が遊んで見える」

 キヨはそう言って少しだけボウタイを緩めた。


「みんな似合ってるわよ」


 クリシーに言われて、俺はみんなを見回した。白くて高級そうなシャツブラウスに臙脂色のベスト、スリムな濃いグレーのパンツに革の眼帯をしたキヨ。

 きちんとしたベージュのシャツに薄茶色のジャケット、グレンチェックのパンツにハンチングを被り、色つきの片眼鏡をかけたシマ。

 黒で統一されたスッキリとした動きやすそうなシャツに細身のパンツ、腰にアクセントになる布をあしらい同じ布で髪を覆ったコウ。

 麻のシャツにサスペンダー付きグレーのパンツに大振りのキャスケット帽の俺。


「どっから見ても、お金持ちと悪友、その護衛と召し使いに見えるわ」

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