第41話『……信じていれば、何でも報われてしまえばいいのに』
何だか、ものすごく疲れた。
今まで色んな事があったけど、いつだってお告げをクリアした時は、どこかすっきりとしていた気がする。
そりゃ今まで犠牲はあったんだろうけど今後生け贄に悩まされることもなくなるし、黄鉱石の鉱脈も正しく使われて廃墟は公園になった。俺たちの働きで、微力でも何かがいい方向へ変わったんだって思えた。
でも今回は、何か違う。俺たちは本当に、あのお告げをクリアする事で何かのためになったんだろうか。
「キヨは?」
「部屋じゃね」
風呂上がりのシマはそう言って、何でもないようにベッドに腰掛けた。宿に泊まれた時は、旅の疲れを落とすようにのんびり風呂に入るのがいつもなのに、キヨは部屋に引きこもってしまった。酒も一緒に、だ。辛いのなら、なんであんな選択をしたんだろう。
俺たちは村に戻ると、ちょうど着いたのが昼過ぎだった事もあり、そのままサーニャの家へ向かったのだ。
「……来ると思ってたわ」
そう言ってサーニャは、俺たちを迎えた。彼女は俺たちが旅に出ていたこの数日の間に、一気に老け込んだように見えた。中へ促すサーニャに続いて部屋に入ると、テーブルの上に手紙が散らばっていた。
「あの手紙よ」
ハヤがそっと一枚を手に取る。かさりと乾いた音がした。
「わかるかしら、それ全部、私が書いてたの」
「!」
ハヤは眉根を寄せて彼女を見た。サーニャは泣き笑いのような顔をした。
「おかしな話でしょ、私が、私に宛てて書いてたの。そんな手紙を書いた記憶はないのだけど、全部私の筆跡。ずっと気付かなかったなんて」
数日前に気付いたのと、サーニャは小さく付け加えた。それはきっと、あのモンスターが倒された時だ。
「……君の思いを、返してたんだ」
小さく呟いたキヨを、みんなが見た。
「セオを飲み込んだモンスターは、鏡だった。彼がそこにいて君と繋がっていたから、君が送る思いをそのまま返してたんだ」
サーニャはすがるような表情で顔を上げた。
「……彼を、助けられなかったの?」
キヨは彼女の言葉に目を閉じて唇を噛んだ。ハヤはため息をついて小さく首を振った。
「無理だよ、三年も前からモンスターに飲み込まれてたんだ。人の心が残っているかは」
「でも! 私と繋がってたから、だからこんな事になったんでしょ!? だったら、まだ彼が残ってたかもしれないじゃない!」
サーニャはハヤに取りすがった。俺たちの世界に戻ろうと鏡に手を当てていたセオ。本当に、彼を連れ戻す事はできなかったんだろうか。
「……残ってたよ」
サーニャは声に顔を上げてレツを見た。レツはそっと部屋に入ると、サーニャの前に立った。それから呆然とした彼女の手を取って、その手のひらに自分の拳を載せた。
手を開くと、そこにはあの指輪が乗っていた。手のひらに載る指輪と同じ指輪を、彼女もしている。
「……!!」
「……残ってたのはそれだけだよ。あとはみんな無くなってて、影だけがあったけど、それも誰かが鏡の前に立たないと生まれないんだ」
だからそれが全部、とレツが小さく言うと、サーニャは両手で指輪を握りしめ、声もなくその場に泣き崩れた。
本当に、あれでよかったのか? あのまま鏡を放置すれば、彼女はセオが今でも生きていると信じていられたのに。
「お前、ホントにそう思うのか」
「だって、好きな人がホントは死んでたなんてイヤじゃんか」
シマは布でガシガシ髪を拭いて乾かしながら、少しだけ首を傾げた。
「どうかな、彼女はもう恋人が死んでるって知ってたぞ。旅の仲間に告げられてるだろ」
それは、そうだけど……でも手紙が来たから。
「それは彼女がモンスターの作用で自分で書いてたんだ。そんなウソを自分につき続けるのが幸せか? 俺だったらそんなモンスターに恋人がなっちゃってるよりは、ちゃんと供養出来た方がいい」
「でも……サーニャはモンスターになってるなんて知らなかったんだし」
それに、サーニャの強く信じる心は裏切っちゃいけなかったんだ。それは、キヨが求めていたものだから。
「どっちにしても、真実を知るのが悪いことだとは思わねーな、俺は。それがどんなに残酷でも」
どんなに残酷でも……キヨもそう思ってるんだろうか、真実を知るべきだと?
「……信じていれば、何でも報われてしまえばいいのに」
そうなら、キヨは強く信じるだけでいいのに。
「まぁ、そうだな……でも、何でもそう上手くはいかねーよ」
「何で! 何でそんなこと言うんだよ!」
唐突に立ち上がった俺を、シマはびっくりして見た。
「キヨだってあんなに悩んでるのに!」
「う? あ、え?」
俺の言葉にわかってない顔でシマは困っている。
シマは知らない、レツも知らない、みんな知らないから、だからあんな選択を平気で受け止める。どんな気持ちでキヨがいたか、全然考えもしない。
「キヨのとこ行ってくる!」
「あ、おい、待てって!」
部屋を飛び出した俺は廊下でレツに激突した。レツは「うわあ」とか言ってくるくる回ったけど、俺は無視してキヨたちのドアをノックして部屋に駆け込んだ。
キヨは旅に出る前と同じ窓辺に座った格好で、ボトルを煽っていた。
「キヨ……」
キヨは気だるげに振り返って、それから不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……何だお前ら」
え? 振り向くと、俺の背後にはハヤもコウもレツもシマもいた。あれ、なんで全員集合? 俺は気を取り直してキヨに近づいた。
「……キヨ、まだ信じてる?」
キヨは面倒くさそうに俺を見る。そういう態度にしないで!
「ねぇ、信じてたら絶対上手くいくから! サーニャの事だけでネガティブになんないでよ!」
俺はキヨの腕を取って揺すった。キヨはだるそうに俺の腕を払って立ち上がる。
「何言ってんだお前は」
「キヨ、なんであんな選択にしたんだよ、だってサーニャの強く信じる気持ちが羨ましかったはずなのに、それを否定しなきゃなんないみたいな選択にしなくてもよかったじゃんか!」
キヨはやっぱり不機嫌そうに「はぁ?」と言った。
「信じてたら大丈夫って、そう思いたいクセになんであんな風にしたんだよ、そんなのキヨが辛いだけじゃん……」
何だか泣けてきた。なんでわざわざ辛い方へ行こうとしてんだよ。信じてたけどダメでしたじゃなくて、もっと他になかったのかよ……
「……変えられないだろ、事実は」
キヨは低い声でそう言うと、ベッドに腰掛けた。
セオはとっくに失われていた。それは変わらない。サーニャが信じても待ってても、セオが戻ることはない。でも……
「でも、ハルさんは違うからね」
キヨは一瞬眉根を寄せて視線だけ俺から外した。ハルさんは違う、絶対そんなことない。
「信じてるでしょ!? だったら、聞いてみて!」
俺はそう言って、キヨの左手首を握って上げた。そこには、ハルさんと繋がる腕輪がある。
「何の話だっつーの」
キヨは誤魔化すみたいにそう言って乱暴に俺の手を払ったけど、俺はもう一度キヨの手を捕まえた。
「逃げたって変わらないじゃんか、だったら信じてみてよ。キヨわかんないっつってたじゃん、だったらちゃんと答え出してもらいなよ」
俺は逃げずにキヨを真っ直ぐ見た。キヨは何だか泣きそうな、辛そうな顔で俺を見た。まるで小さな子どもみたいだった。
俺は握った彼の左手を彼の胸に押し当てた。キヨは少しだけ逡巡しながら自分の手首に視線を落とす。
キヨは弱々しい表情のまま、そっと右手で腕輪を握ると、祈るみたいに額に付けた。
「……アンスルートミスル」
キヨが小さく呟くと、腕輪がふわりと光り出した。
『……あれ、ヨシくん?』
その声は俺たちの間にハルさんがいるみたいに響いた。少し遠い感じはするけど、音が下りてくるみたいな響きだった。
『どうしたの? いつもより早いね。あ、またお告げクリアしたんだ?』
「どうして……」
『繋がる力が強くなってる。声も鮮明だし、レベル上がったんでしょ』
ハルさんの声は嬉しそうだった。キヨと話せて、キヨがレベルアップしたのを喜んでる。こんなに想ってるのに、わかんねーの?
「……ハルチカさん、」
『ん? 何?』
キヨは何か言おうとして口を開いたけど、声が出ないみたいだった。辛そうに目を閉じる。
「……逢いたい」
『は!? え、ちょ、ヨシくんどうしたの』
キヨは腕輪を握ったまま俯いていた。祈るみたいな格好で小さくなっている。
「逢いたいっつってんの、今すぐ!」
『ちょっ、ヨシくん、落ち着いて。今日は寝た方がいいよ、またお酒飲んだ? 落ち着いたら、ちゃんと話聞くから』
「そんなの関係ないじゃん、逢いたいから逢いたいっつったの、今すぐ来て」
『うんうん、わかったから。俺も逢いたいよ』
ハルさんの言葉は驚いていたけど落ち着いていた。とにかくキヨをなだめようとしていて、まるで保護者のようだった。
保護者? キヨを守る? だからキヨは自分の心の穴を埋めるために、ハルさんがキヨに付き合ってると感じてるのか? 恋人としてじゃなく?
『いい子だから、今日はもうお酒飲まないで、早く寝てね』
「……もういい」
そう言ってキヨが立ち上がると、フッと繋がっていたはずの響きが消えた。沈黙が部屋に落ちる。
と、唐突にキヨは左手の腕輪を外すと、振りかぶって壁に投げつけようとした。ちょっ、ダメ!
「キヨくん」
その手を捕まえたのはコウだった。
「……それは当たるとこ違うでしょ」
キヨは黙ったまま唇を噛んで、腕を振り払った。俺たちの間に沈黙が流れた。
ハルさんの優しさはわかる。けど、あの言葉じゃわからない。ちゃんと聞けてないし、ちゃんと答えてもらえてない。
そもそもハルさんが驚いてたくらいだから、キヨは普段からあんな風に言うタイプじゃないだろうし、だったら驚いてちゃんとは答えられなかったかもしれない。
それでも、いつもあんな対応なのかもしれない。ハルさんは年上だから、いつだって保護者みたいにキヨを守っていたのかもしれない。だとしたら、それを対等の恋人として感じられるんだろうか。
「……何て言って欲しかった?」
ハヤの言葉に、キヨは少しだけ耳を貸すみたいに俯いたまま顔を動かした。
「……わかんねぇ」
今すぐ行くと言っても、ウソになる。それでも、そう言ってほしかったのかな。
「チカちゃん優しいから、ウソはつかないもんね」
それが逆に残酷な時はあるけどね、とハヤは言ってベッドに腰掛けた。
「言わねーのは……わかってたけど……」
キヨはそう言って小さく、自虐的に笑った。でも、
「それを信じない理由にはできないよ」
俺が言うと、キヨは不機嫌そうに俺を見た。
「お前は、何を知ってるって、」
「ヨシくん!!」
声に一斉にみんなドアを振り返った。そこには、ハルさんがいた。
えっ、な、何で!?
「……ハルチカさ……?」
「よかった、何もなくて」
ハルさんはそう言うと、真っ直ぐにキヨのところへ来た。キヨは呆然として彼を見つめている。
「何で……」
「何でって、来てって言ったのはヨシくんでしょ。普段そんな事言わないから、何かあったのかと思って心配で」
「ハルさん、どうやって来たの?」
みんな驚いた顔のままハルさんを見ていた。ハルさんと別れたのはマレナクロンでだ。俺たちはあれから数週間旅をしたし、ハルさんだってもっと東に行くような事を言ってた。だとしたら、どれだけの距離を移動して来たんだ?
ハルさんはレツを振り返って笑った。
「この村にいるのはわかってたから、とりあえず村まで移動の魔法で飛んで、それからコレを頼りにもう一回飛んだですよ」
そう言って手首の腕輪を振って見せた。キヨとハルさんを繋げる腕輪。
「ヨシくんには今日はちゃんと休んでもらって明日ダッシュで来ようと思ったんだけど、何か心配だし、いてもたってもいられなくなったから、とっておきのエリクシール一気飲みして来た」
それで? それでさっき早く寝てって言ったのか?
言葉だけじゃ全部伝わらないわけだ……さっきの言葉じゃ、わがまま言ったキヨをなだめるためだけに早く寝てって言ったようにしか思えなかった。でもハルさんは、キヨの体が心配だからとにかく休んで欲しかったんだ。
エリクシールって、最高の魔法薬じゃん……やっぱものすごい遠くにいたんだな……そんな事、普通できないよ。それでもキヨは信じられなくなっちゃうのかな。キヨは俯いてハルさんを見ようとしない。
「……チカちゃん、聞いたんだけどさ」
ハヤが言うと、ハルさんはハヤに振り返った。
「チカちゃんて、キヨリンと会って数日で告ったってホント?」
「!! ちょ、ええええ、何の話してんですか!」
「それって、なんで? なんでそんな数日で決められたの?」
ハヤはベッドに座ったまま真面目な顔で突っ込む。対するハルさんの方が、何だか引け腰だ。
「何でって……」
「同化の力があるから? それでわかったの?」
俺がそう言うと、ハルさんはきょとんとした顔をした。
「同化の力って、思いが読めるんでしょ? それでキヨの心がわかっちゃって、それでキヨを守らなきゃとか」
俺が言ってる途中でハルさんは小さく吹き出した。え……
「いや、えー……なんでそんな事になってんの。人の心なんて読めないってば。そんな魔法、存在しないよ」
「……そう、なの?」
ハルさんは俺の頭をぽんぽん撫でながら頷いた。そしたら、何で? 何で数日で決められたんだ?
「あーいや、だからそれはー……一目惚れです。ビビっときたんですよ」
ハルさんはちょっとだけ赤くなってそう言った。
一目惚れ……!? ハルさんは少し困ったように頭をかきながら、はぁっと息をついた。
「あの頃ヨシくんもまだまだ子どもだったし、ちゃんとじっくり時間をかけて知り合ってからとは思ったけど、こんないい子フリーにしてたら誰かに取られちゃうと思って」
ガッつきましたすみません、とハルさんはなぜかぺこりと頭を下げた。
そしたらキヨの不安は全部杞憂ってこと? ハルさんがキヨにそんな早くに告白したのも、別にキヨの心に同化したからとかじゃなくて単なる一目惚れで、しかも他の人に取られたくなかったからだなんて。やっぱり、全部信じててよかったんじゃん。
「……だってさ」
ハヤはそう言ってキヨに声をかけた。ハルさんは俯いたままのキヨに向き直ったけど、何だか不思議そうな顔をしている。
「っていうか、なんでそんな話になってんの? もしかしてなんか色々不安になってる? そういうのちゃんと言ってくんないと」
ハルさんはそう言ってキヨの頭を撫でた。
「いつも近くにいるわけじゃないからって、わかんない事で別れるつもりないからね。ちゃんと話して。受け止めきれなくてまた不安がらせるかもしれないけど、でも我慢するばっかよりはいいと思うんだ」
「……でも、……あんま、そんな事言うと……」
キヨはうつむいたまま視線を外すように頭を動かした。
そうか、キヨは言ったら嫌われると思ってるんだ。どんなに不安に思っても、受け取り方次第では単なるわがままに過ぎなくなってしまう。ハルさんはそんなキヨを見てそっと笑った。
「……嫌いになんかならないよ」
ハルさんは微笑んだまま優しく言って、キヨを覗き込んだ。その拍子に、ふらりと体が揺らいだ。
「ハルチカさん!」
「あ、ごめん。やっぱちょっと使いすぎたっぽいね」
少しだけ弱々しく笑ったハルさんに、キヨは黙って抱きついた。
「え、あのちょっとヨシくん、みんなが見て……」
「……レクパラシオ」
抱きついたままのキヨが呪文を唱えると、きらきら光る魔法がハルさんに降り注いだ。
「ヨシくん……これ……」
キヨの白魔術……止めどなく降りかかる光の粒が、前に試した時とは全然違ってる。これがキヨの気持ち、なのかな。キヨは抱きついたまま顔を上げない。
「……夜はこれからって意味ですね、わかります」
ハヤは言って立ち上がると、すっごくきれいな笑顔で笑って部屋を出た。みんなも何となく満足そうに笑って後を追う。
ハルさんだけが困ったような赤い顔で、出て行く俺たちを見送っていた。
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