第40話『終わってないだろ、よく見ろよ』
「キヨリンに回復魔法かけなきゃ」
俺が支えたままぐったりしているキヨにハヤが魔法をかけようとすると、キヨは弱く手を挙げてそれを制した。
「キーヨーリーンー!! そういう事すると襲うよ!?」
キヨはぐったりと気だるげにハヤを見た。
「……バカ言うな、余計な事しなくていい。俺にはもう何もできねーと思うから、そっちで何とかして」
「どういう事?」
「終わってないだろ、よく見ろよ」
キヨが少しだけ顔を上げて湖のあった方を見たから、俺たちもつられて振り返る。レツだけが呆然と立ったまま、湖のあった底の部分を見ていた。何を見てるんだ?
「……鏡だ」
鏡? キヨをシマの狼モンスターに寄りかからせ、立ち上がってレツの隣に立つ。
あの水のモンスターの本体が立っていた辺りに鏡が立っていた。明らかにさっきまでの湖よりも、湖が無くなって開けた部分は狭い。鏡を中心に半径十メートルの空き地。さっきまでは周囲何キロかの湖だったはずなのに。
俺はチラリとキヨを振り返った。鏡が相手だから、魔法は効かないって事なのかな。鏡は光を映してはね返す。
レツは意を決したように一歩踏み出した。俺が振り返ると、キヨが行けと言わんばかりに小さく頭を振った。それを見てみんなレツに続いた。古木を超え、苔に滑らないようにして鏡に近づく。
鏡は黙ってそこにあった。何の攻撃もしかけてこない。これは、敵なのか?
レツは鏡の前に立つと少しだけ見上げた。高さが優に三メートルはありそうな大きな鏡。でも鏡面はくすんでいて、ぼんやりとした人影が映っているだけだ。
「これ……」
俺が呟くとレツは頷いた。やっぱりこれがお告げで見た鏡なんだ。
「っつか、それでどうすんの?」
俺が言うとみんなが俺を見た。
え、だって、何にしたってこんなのおかしいじゃん。今までみたいにお告げが倒すべきモンスターを示すのなら、これはただの鏡で攻撃もしてこないし、それに相手がただの鏡だったら何すればいいのかわかんない。
レツは少しだけ唇を噛んで考えていた。
それからそっと手を上げて鏡に触れようとした。レツの陰が鏡に映る。鏡に手を伸ばすその姿は、別の人間が鏡の奥から近づいてくるみたいだった。
「!」
レツの指先が触れた瞬間、硬いはずの鏡面に水紋が走り、レツは驚いて手を引っ込めた。これ、水なのか? でもレツはおびえながらも鏡から目を離さなかった。
「……誰かが、向こうにいる」
誰かが!? それってもしかして……俺はコウたちを振り返った。みんな複雑そうな顔をしていた。
「だとして、どうすべきなんだ?」
シマは苦々しい口調で言った。
そうだ、鏡の向こうに誰かがいるんだとして、俺たちに何ができるんだろう。鏡の向こうに入り込む? そんな事出来るのかな?
俺たちが鏡を見ていると、さっきまでぼんやりとした人影にしか見えなかった黒っぽい影が、鏡に手をついてまるでこちらを覗きこんでいるように動いた。
「見てる……」
見てる、誰かが鏡の向こうから俺たちを見てる。あれってやっぱり……
「セオ、なのかな……?」
何だか見ているのが辛くなってきた。
セオは俺たちと同じ世界に帰りたくて、それでこっちを見てる。もし鏡がモンスターだとしたら、セオはやっぱり捕われているんじゃないだろうか。そしたらレツの、勇者のすべきことって彼を助ける事なんじゃないのかな。
「助けらんないの!? どうにかしてさ!」
俺はレツの前に回り込んで揺すった。レツは何だか難しそうな顔をしている。
もう、さっきみたいに手を伸ばしたら、それで引っ張り出せるかもしんないじゃん!
「レツがやんないなら、俺がやってみる!」
「おい!」
コウが俺を止めようと手をかけたけど、俺はその腕をすり抜けて鏡の前に立ち、意を決して片手を人影の手に合わせた。触れた手のひらには、明らかに誰かのぬくもりを感じた。
セオが、やっぱり……俺は彼の手を掴もうと、少しだけ指先を曲げて手を握ろうとした。
その瞬間、ぐにゃりと鏡面が歪んで俺の手にまとわりついた。え! 何これ!
そのままものすごい力で引っ張り込もうとする。
「うわああ!」
「バカが!」
コウが俺の腰を持って引っ張った。鏡面は俺の手にまとわりついたままゴムのように伸びた。
何これ何これ、これがこのモンスターの姿? 俺このまま飲み込まれちゃうのか?
レツが泣きそうな顔をして、剣を抜いて俺と鏡をおろおろと見比べていた。
引き延ばされた鏡面に俺の姿が映る。それはすでに俺の知ってる俺じゃなくてモンスターのようだった。
こうやってセオも飲み込まれたのか? 不気味に引き延ばされた映像は、何だか泣いているみたいだった。
「行け!」
シマの声がして、鋭く長い爪を持った熊のモンスターが振りかぶった。
「だめ!!」
「!?」
止めた俺をシマが驚いて見た。咄嗟に熊モンスターを止める。
「ダメだよ、鏡を壊したらセオが死んじゃう!」
たぶんセオはこの中にいる、だから鏡を壊したらセオも壊れちゃう!
「お前は……自分の状況、考えろ……」
俺の体を何とか掴んで離さずにいるコウが背後で言った。俺より踏ん張ってくれてるコウのが大変なのはわかるけど、でも、
「セオが死んじゃったら、お告げクリアになんないよ! そんなのダメじゃん!」
「レクパラシオ」
ハヤがコウに回復魔法をかけた。コウが一息ついて、俺を捕まえる腕に力を込めたのがわかった。
「だとして、こいつどうすんだよ……」
このまま耐えても、何も変わらない。どうすれば……
「バカかお前ら」
声に振り向くと、キヨがシマの狼モンスターから下りたところだった。ここまで連れてきてもらったんだ。
「キヨくん、結構この状況いっぱいいっぱいなんだって……」
コウは俺を支えたまま言った。キヨはぐったりとため息をつく。
「何ちんたらやってんだよ」
「だってセオが!」
「ちげーよ、そこじゃない」
そこじゃない? 何が?
俺を無視してキヨは狼モンスターに寄りかかったままレツを見た。
「セオはもう戻らない。鏡を壊せば、彼の死をサーニャに持ち帰られる。このまま放置するなら、手紙は今後も届けられる。だがセオはサーニャの元へ永遠に帰らない。レツ、お前が決めろ」
「そんな……」
レツは剣を握った自分の手元をじっと見ていた。
そんな、どっちにしてもセオは帰らないんじゃ、それなら手紙がずっと届いた方がいいに決まってるじゃん。俺が鏡から離れられるなら、そっちが正解に決まってる。
「どうしたら、俺、鏡から離れられる? そしたら手紙が届いた方がいいに決まってるじゃん! キヨの魔法で何とかなんないのか?」
でもキヨは何も言わずにレツを見ているだけだった。俺はレツを見た。
「レツ!」
気付いてよ! セオが生きてるって信じてる方がいいに決まってるじゃん! あんなに愛してるのに、あんなに待ってるのに、あんなに信じてるのに! ただいたずらに待たされて、結局間違いでしたなんてサーニャが可哀想過ぎる!
「キヨだって……ずっと信じてたいくせに、なんでそんな残酷な事が出来るんだよ! やっぱり間違いでしたなんて、あっていいわけないじゃん!」
俺が暴れて言うと、コウが止めるみたいに俺を掴む腕に力を込めた。
「落ち着け見習い」
「だって……」
「レツくんが決める事だ」
コウはそう言ったけど、俺にはそれが歯がゆかった。
だってレツはサーニャに会ってない、キヨの気持ちも知らない。二人とも信じたくて、間違いであって欲しくない、その気持ちを知らない。それでもレツが決めるのか? 勇者だから?
「ハヤ……」
キヨはハヤを呼んで何か小さく呟くと、気を失うようにその場にくずおれた。咄嗟にシマが支える。
レツはゆっくりと顔を上げた。真剣な顔で鏡を見る。うそ……だめだよ……レツはゆっくりと剣を振りかぶった。その目には涙が浮かんでいた。
「い、やあああああああ!」
「スヴェトロシーファ!」
「だめーーーーー!!」
レツの剣にハヤの補助魔法がかかり、キラキラと輝く光を纏った剣は一直線に俺をつなぎ止める鏡面に下りた。弾けるように俺と鏡は分断され、勢いで俺とコウが吹っ飛ぶ。レツは返す刀で柄の先端に手のひらを添えると、真っ直ぐに鏡の真ん中へ突進した。
鏡の真ん中には、セオの影が映っている。両腕を広げて、まるで剣を迎えるみたいに見えた。
「はあああああああ!!」
レツはそのままセオの人影の胸辺りに剣を突き立てた。瞬間、今までゼリーのように捉えどころの無かった鏡に、亀裂が走った。
亀裂はゆっくりと乾いた音を立てていたかと思うと、唐突にスピードを速めて鏡の全面に行き渡り、音が消えた瞬間にガラスのように割れて飛び散った。
……ああ、セオが……俺はまるでスローモーションのように振り散るガラスと、レツの背中を眺めていた。レツはゆっくりと、荒い呼吸をしている。
これが、勇者の選択……?
キラキラと舞い散るガラスは、しばらくすると反射する光を失って沈黙した。
「……もういいよね」
「……団長、自分にもかけなよ」
ハヤの言葉にコウがそう言って、ハヤは小さく笑った。キヨに回復魔法をかけると、わずかに身じろぎしてキヨが目を覚ました。それから小さく息をつく。
「……何だ、襲わなかったのか」
「それどころじゃありませんでしたー。もうっ、キヨリンのその言葉、永久に忘れないからね!」
いつかその分返すと言うハヤに、キヨは小さく笑った。
それからキヨはちょっとシマに支えられて立ち上がると、呆然としている俺の横を通り過ぎてレツの隣に立った。そのまま無言でしばらく鏡のなれの果てを見上げていた。
何を思っているんだろう。あそこには、サーニャが信じて、間違いであって欲しくなかったセオの存在があったのに。レツはそれを打ち消してしまった。
いや、レツに選択を迫ったのはキヨだ。どうしてそんな事が出来たんだろう。
キヨは無言のまま鏡を見ていたが、ふと視線を落としてチラリとレツを見た。
「……指輪だよ」
レツが差し出した手のひらに、汚れた指輪が載っていた。
「じゃあ、返しに行かないとね」
ハヤがそう言うと、レツは指輪を握りしめ、それから俯いた。
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