第39話『あり得……てほしくない』
言ったそばから、その影はすうっと湖面に立ち上がった。まるで黒い水で出来た人のようだ。ちょっと待って、これがモンスターだっての? それじゃ……
「……湖丸ごとモンスターって、あり得るか?」
「あり得……てほしくない」
そう言った瞬間、人型の水から鋭い水がほとばしった。みんな一斉に避けたけど、俺の肩をかすめた水はしっかり俺の服を切り裂いた。これただの水じゃないのか!?
コウが棍を長めに握って、意を決して湖に一歩入った。
途端にコウの足下に渦巻きが発生し、コウは反射的に棍を突いて飛びのいた。
「コウちゃん!?」
「これはヤバいわ。捕まる」
水がモンスターの本体だとしたら、この水に触る事すら危険って事!? じゃ、どうやって攻撃すればいいんだよ!
「えーーーーい!」
レツがいきなり湖面に剣を突き立てた。水に刺さった剣は何もダメージを与えていないようだ。しかしその後、湖面がまるでゼリーのように震えてレツの剣をはじき返した。勢いでレツも吹っ飛ばされる。シマが放った狼モンスターが吹っ飛ばされたレツを受け止めた。
陽はすっかり落ちてしまい、俺たちの焚き火の明かりがぼんやりと背後から照らしているだけだ。真っ黒い湖全部がモンスターじゃ、どうやって倒すんだよ……
「同時攻撃してみっか」
シマがそう言い、シマのモンスターが唐突に湖に向かって突進した。モンスターを弾くようにゼリーの水面がせり上がる。
「いやああ!」
その瞬間を突いてレツがゼリーの水面を走ってせり上がった壁を切り裂いた。ゼリーの壁がはじけ飛ぶと、レツの足下も水に戻りばしゃんと音がして湖に落ちた。モンスターも跳ねるように湖岸へ戻る。
「うわあ!」
足下をすくわれそうになったレツを、すばやくコウが棍を突いて引っ張り上げた。そこへ水弾の攻撃が襲う。俺は咄嗟にその前に立って水の攻撃を弾いた。
「さんきゅ」
コウが俺もまとめて水際へ引っ張り戻した。
「攻撃も防御も、最初の時だけあのゼリーになるっぽいね」
「その瞬間狙えば、近づけるって事?」
「ただヒットした瞬間、水に落ちる」
ゼリーの時なら打撃が有効。でも攻撃と共にゼリー状態は解除される。水に落ちちゃったら、たぶん敵の思うつぼだ。どうすれば有効な攻撃が出来るんだろ。
「とりあえず、もっかいさっきの試すか? 効果あったっぽいし」
シマがそう言ってレツも頷いた。
「行けっ!」
シマの号令に狼モンスターが再度突進する。レツは水の壁を待って剣を構えた。
「!! ヤバっ!」
「シマ、戻して!」
水のモンスターが防御を張ると思ったが、今度は狼モンスターの足をすくって倒した。巨大な狼が足を取られて暴れる。あのサイズじゃさっきのコウみたいに引っ張ってくる事も出来ないし、俺たちには手が出せない。
シマは咄嗟に大型の鳥モンスターを呼んだが、暴れる狼モンスターを捕える事ができなかった。ずるずると狼モンスターが本体へと引きずられ、泣き叫ぶような声を上げて狼モンスターが遠くなる。
「やああああ!」
レツが唐突に湖面を切り裂いた。しかし湖岸の縁を切りつけただけでは狼を引きずる本体には影響がない。悔しそうにしていたレツは唐突にゼリーを渡って駆けつけようとした。
「バカ!」
コウが棍を使って走り出したレツを押しとどめた。あそこまで行って攻撃できたとしても、水に戻ったら明らかに危険だ。
レツは悔しそうに狼モンスターを見ていたけど、それ以上無茶をしようとはしなかった。もう一度、鳥モンスターが飛来したけど、やっぱり暴れる狼を捕まえられなかった。狼モンスターの悲痛な叫び声が続く。
「どうすれば……」
チラッとシマを見てみたけど、辛そうにこぶしを握りしめているだけだった。モンスターは仲間になってもバトルで失ってしまう。命令の届かない、手を離れたモンスターには何もできないんだ。
「ブラストスアーガ」
声に一斉に振り向くと、真っ赤な炎が俺たちに迫ってきた。慌てて左右へ避ける俺たちの間を火柱が駆け抜けた。
水の人影は炎に巻かれると水蒸気のような鋭い音を上げた。その瞬間、狼モンスターは束縛を逃れ一目散にこっちへ戻ってきた。シマが安堵の表情で迎える。
「キヨ!」
っていうか、攻撃前にどけとか言えよ! 巻き込まれるかと思っただろ!
でも直接あそこまで行けない上に、相手が水で攻撃できないんだったら、キヨの魔法が頼りって事か?
「効くっぽいな。とりあえず全攻撃に火属性頼む」
キヨは俺たちのところまでたどり着くとハヤを見ずにそう言った。ハヤは頷いて、先に魔法を発動させた。きらきら光る赤い粒がハヤの胸元に集まる。
「いやああああ!」
「ラウシーファ!」
コウがえぐるように放った一撃の軌跡に、真っ赤な炎が生まれた。湖は先ほどのように攻撃を跳ね返す事はなく、一瞬その水面が縮んだように見えた。
ほとんど真っ暗で見えない水の人影が、不意打ちのように水弾を飛ばしてくる。俺とレツは咄嗟に前に出て剣ではじき返した。
「にしたって、ここからじゃらちが明かないな。よく見えねぇし」
そう言うとキヨは、先ほどの炎の魔法を湖岸の木に向けて撃った。ええええ!
燃える木々のお陰で湖の状態が良く見えるようになった。っつっても、赤い炎を反射していてやけにうごめいて見えるんだけど。この人、ためらいなく放火しましたよ……
「アレが本体?」
「たぶん」
レツはキヨに聞かれてそう答えた。燃える木々に照らされて、湖岸から二十メートルほどのところに立つあの人影がやっぱり本体なのか。
「シマ、飛ぶヤツ使って木をあの人影囲むように落とせるか?」
シマは少しだけ首を傾げ、それから頷いた。
「間近は無理かも」
「そんな近づかなくていい」
シマが笛を使って甲高い音を鳴らし、モンスターを呼ぶ。木々の梢を越えて小さな鳥のようなモンスターが数十羽飛んできた。小型だけどくちばしが鋭くて団体攻撃してくるやっかいなヤツだ。敵の時は。
「じゃ、頼むよ」
シマのモンスターは一斉に集まった後、彼の言葉を聞いたように飛び立った。そのまま森へ入って枝を拾い、人影を囲むように円を描いて飛ぶ。人影は気付いていくつか水弾を飛ばしたが、それほど近くを飛んでいる訳ではなかったので、モンスターに当たる事はなかった。
「どうすんの?」
「こうすんの」
俺の問いにキヨは再度魔法を放った。
「フエゴヴォルマーク」
キヨの腕の中で生まれた火の玉が弾け飛び、人影を避けて鳥モンスターたちが落とした木々を狙う。
モンスターたちの落とした枝に引火すると、水モンスターは防御のためにゼリー化したのか、炎がそのまま水面に留まった。炎の輪に囲まれた水のモンスターは気味の悪い声を上げて悶絶した。水面がぐねぐねと動いて気持ちが悪い。
「おお! イイ感じにダメージ与えてるっぽい!」
シマも嬉しそうに言う。
「……やっぱりな」
キヨは何だか違う方を見て小さく呟いた。え、何が?
「レツ、道作るからあいつ直接攻撃して。コウはレツの援護。ハヤはレツの補助魔法。がっつり強いので。見習いは俺の援護。シマ、俺この後使い物にならなくなるかもなんで、後処理頼む」
使い物にならなくなるって!?
驚くみんなをよそに、キヨは湖岸に跪いた。それから水面ギリギリに両手をかざす。そのキヨを狙う水弾! やば!
俺はキヨを回り込んで何とかキヨから水弾を逸らせる事が出来た。キヨはまだ手をかざしたままの体勢でいる。水のモンスターを囲む火が弱くなってきて、水面がざわざわと落ち着かない感じがしてきた。早く、何するにしても早く……!
唐突に水モンスターに近い水面が弾けたと思ったら、まるで触手のように水が伸びてきた。ちょ、あれって弾くだけじゃ効かないだろ! 水は剣で切れないし! 触手がキヨと俺に迫る。まだかよ!
「キヨ!!」
「……スティラデアーパ」
キヨの呟きが聞こえた瞬間、ものすごい冷気が俺を襲った。な、何!?
瞬間、真っ白い霧のような魔法が一直線に水面を走り、そのまま凍り付く。俺たちに迫った触手もそのままの形で凍り付いていた。
「レツ!!」
キヨはレツを呼んだ瞬間、気を失うように倒れ込んだ。慌てて彼を掴むと、シマがすぐ支えて引っ張り戻した。
「いやあああああああああああああ!!」
レツは俺とキヨの脇を抜けて氷の道を本体めがけて走った。その後にコウが続く。コウは水モンスターの水弾を棍を振り回して弾き返し、レツの援護をしながら走る。
「アレブシーファ!」
ハヤが絶妙なタイミングで補助魔法を発動し、レツの剣が真っ赤な炎に包まれた。
「はああああ!」
レツが凍り付いた道からジャンプして水モンスターの本体を切り裂くと、一瞬堪えたようにも見えたが、くぐもったような悲鳴を上げて水モンスターの本体が弾け飛んだ。コウがレツを引っ掴んでこっちへ戻すと、二人で走り出す。
「急いで!」
叫んだ瞬間、ぐらりと氷の道が傾いて二人が足を取られた。
「うわ!」
「コウ!」
その瞬間、コウが伸ばした棍をシマが放った大型の鳥モンスターが掴み、二人は何とか水に落ちずに済んだ。安堵のため息と共にゆっくりと空中を岸辺に戻る二人を見ながら、俺たちは言葉を失った。
「うそ……」
「……湖が、無くなってる……?」
目の前にあったはずの湖は跡形もなくなくなっていて、そこには俺たちのいる岸辺と同じ古木の転がる乾いた地面が広がっていた。
どうなってんだ……?
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