第37話『隠すのは得意なのに今回なんでそんなダダ漏れなんだよ。おかしいよ』

「気になる?」


 振り返るとハヤが自分の部屋のドアノブに手をかけたまま俺を見ていた。


 俺が立っているのはキヨたちの部屋の前だ。俺とハヤの部屋は一つ手前の向かい側。俺はちょっとだけ考えてから、やっぱり頷いた。

 ハヤは少しだけ、やけに優しい笑顔を見せた。何だか慈しむような表情だった。


「そうかー……じゃあ、コウちゃんにはこっち使うように言うから、ちょっと行って来な」


 キヨの同室はコウだ。まだ風呂から帰ってこない。じゃあ、俺キヨに話を聞いてもいいって事なのかな。

 俺が頷くと、ハヤはにっこり笑って自室に入っていった。っていうか、それ部屋変わるほどの事なのかな? わかんねぇけど、俺はとりあえずドアをノックして部屋に入った。


 キヨは窓辺にいた。窓辺にボトルを置いて、机の上に手書きの資料が載っている。彼自身も一枚なんか持っていたけど、視線は窓の外を眺めていてぼんやり考え事をしているみたいだった。机に置かれたあのパイは、少しだけ減っていた。


「あれ、どうかしたか」

 気だるげに俺を振り返る。俺は咄嗟に首を振ってしまった。

「コウか? パイなら食ったっての」

 キヨは言って顎でパイを示した。それ、食べたうちに入らないと思うけど。俺はチラリと視線だけでパイを見た。


「ああ、今日調べた事、みんなに伝えなかったからか? 別に大した事わかってねぇし、明日でもいいだろ」

「あの、そうじゃなくて」


 俺が言って近づくと、キヨは少しだけ怪訝な顔で見た。俺は思いきって、キヨが座っている椅子の近くのベッドに腰掛けた。

「あの……あのさ、キヨ、何であの時に」

 俺は言いかけて、何か違う気がした。違うな、あの時じゃない、あの言葉だ。


「何で、サーニャのあの言葉に、そんな衝撃受けたの?」


 キヨは一瞬顔をしかめた。たぶん、俺が言わんとしてる事もわかったんだ。

「そんなこと、」

「キヨ、隠すのは得意なのに今回なんでそんなダダ漏れなんだよ。おかしいよ」

 俺の言葉に、キヨは不愉快そうに視線を外した。


「俺には、キヨが何に怯えてるのかわかんない。国家戦略の黒魔術師で指鳴らすだけで魔法使えたりするのに、何をそんなに恐れてるんだ?」

 キヨは視線を外したまま、少しだけ唇を噛んだ。でも怒って俺を吹っ飛ばす事はしなかった。

「……何かおかしいよ、いつだってみんなより冷静で的確なツッコミしてるキヨが、何で」

「俺はそんな完璧じゃねぇ。そりゃお前の買いかぶりすぎだ」

 キヨは手にしていた紙をぞんざいに机に放ると、片手の手のひらを親指で擦りながら言った。少しだけ自虐的に見える風に笑いながら。でもそれは何だかやけに投げやりだった。


 買いかぶりなのかもしれないけど、でも今日のキヨは不自然過ぎる。何だか怯えて見えたと思ったら、脆く諦めたみたいなそんな顔……あれ、そんな顔、前にも見た……


「……あ、ハルさんだ」


 俺の呟きに、キヨは怪訝な顔で少しだけ顔を上げた。

「ハルさんと別れる時だ、キヨ、同じ表情してた。今日みたいに……」

 諦めたような顔。あの時はやけに穏やかな表情だったけど、でもあれは何かを手放していた。そして今日のサーニャの言葉。キヨを打ちのめした言葉。


――― 信じてるもの

――― 彼と、彼を想う、私を


 全部、繋がってるのか?


「キヨ……ハルさん信じてないの?」


 キヨは驚いたように少し目を見開いた。でもそれは慄いたようにも見えた。それから、話を打ち切るように視線を外す。


「だって! ハルさんあんなにキヨのこと好きって感じなのに! そりゃ、俺はそういう……恋人とか恋愛とかわかんねーけど、でも好きかどうかってのがホントかウソかくらいはわかると思うし、ハルさんのはホントだと思う! 絶対!」


 なんか不確定なのか確信あるのかわからない言葉になっちゃったけど、俺が勢い込んで言うと、キヨは少しだけ笑った。


「……わかるのか」


 う、わかる、と思う。実はすごく難しい間柄とかじゃなくて、俺が見たキヨとハルさんの関係が見たままなんだったら。


「でも、俺はわかんねーのか」

「だって……キヨ話してくんねーんだもん」


 いや、別にハルさんが俺にキヨが好きとか話してくれた事もないけど。

 キヨは少し苦笑するみたいな穏やかな表情で深く息を吸い、それから深い深いため息をついた。いろんなものを肩から下ろすみたいなため息だった。


「……ハルチカさんが、同化の力持ってるのは知ってるよな」


 あ、ハルさんの特殊能力の。癒しの力の変化形みたいなのなんだっけ。人じゃないところから、残された強い思いを読み取る事ができる。キヨは俺を見ないで窓辺のボトルを手に取った。そのまま一口飲む。


「だからなんじゃないかって、時々思う。孤児の俺が抱え込んだ穴を、あの人は感じてるんじゃないか。足りないものに対する渇望を知っているから、だから一緒にいてくれようとするんじゃないか」

「え……?」


 だから? だからキヨはハルさんに対して、あんな風に穏やかに諦めたような顔をしたのか?

 彼を信じてないのとはちょっと違うかもしれない。でもキヨは、ハルさんが自分と一緒にいるのは、ただ好きだからじゃないかもしれないと思ってるんだ。

 それはどちらかというと同情に近い。


「でも……でも、キヨはハルさんが好きじゃんか」

 俺が言うと、キヨは少し不機嫌そうに俺を睨んだ。

「だって、だってキヨすごい怯えてたもん! サーニャが自信たっぷりに言った時、キヨ怯えてた。あれはキヨがハルさん好きだから、でもハルさんのは違うんじゃないかって思ってるから、だから怯えたんじゃん。それって、キヨがハルさんのこと好きってことじゃん」

「お前はうるせぇよ」

 キヨは言ってふいっと窓の外を見た。俺は背を向けたキヨを見ていた。


 なんで? なんであんなに親密そうに見えたのに、連絡取るための腕輪だって肌身離さずいるのに、なんでそんなに不安に落ちなきゃなんないんだ。そんなの、ちゃんと話したら解決する事じゃないのか?

 俺はどうしようもなくて、何も言えなくて窓の外を見続けるキヨの背中を見ていた。


「……もし」

 キヨは窓の外を見て、俺を見ないまま呟いた。


「もし、ハルチカさんの気持ちが単なる俺の渇望に同化したが故の同情だったとして、だとしたら俺はあの人を自由にすべきなんじゃないのか。俺がこのままあの人を縛ってていいのか。本当に俺でいいのか、わからない……」


 キヨはもう一度小さく「俺にはわからない」と呟いて、ボトルから酒を飲んだ。


 ちゃんと話したら、解決する事じゃないのか? でも、どうやって聞くべきなんだろう。あの優しいハルさんが同情って事を認めるだろうか。いや、同情だったとしても認めないだろうし、認めなかったら結局同じなんだ。


 もし同情だったと認めたら、キヨはどうすればいいんだろう。キヨは手放したくないから、そんな答えは聞きたくないはず。どっちに転んでも、言葉だけでは何にもならないんだ。

 もしかしてキヨは、だからハルさんと一緒に旅をしないのかもしれない。ハルさんの優しさにかこつけて、ずっと縛りつけている気になってしまうから。


 俺はそっと立ち上がって机に近づいた。

 だからキヨは、ハルさん以外の人と旅に出ているのかな。みんなよりも頻繁にずっと旅に出続けていたキヨ。縛らないように、常に距離を空けて。

 俺は机に手を置いた。机に散らばった手書きのメモ、手書きの地図。近くに居たいはずなのに、離れているための手段。


「……レツがお告げを受けたって。鏡が見えたって言ってた」


 キヨの気配が動いて、またボトルから酒を飲んだのがわかった。

「……そうか、なら……行くべき先がわかるかもな」

 たったそれだけで? でも俺はその先を聞かなかった。


 その代わりに、コウが寝るはずだったベッドに飛び込んだ。

 だから、キヨがいつまで起きていたのか知らない。

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