第35話『男の人ってみんなそうなのかしら、どうしてそんなに旅に惹かれるの?』

 翌日、キヨが寝坊して来ないとかいう展開にならないか とちょっとだけ不安だったけど、一応ちゃんと起きてきていた。

 まぁ、そういうところは真面目だよな、疑って悪かった。


 宿を出て少し歩くと、すぐに建物の建ち並ぶ通りは終わってしまった。大きなポプラか何かが続く、なだらかな丘と畑の広がる道を歩く。


「何で俺だったんだ」


 三人で歩いて村の東へ向かう途中、キヨが唐突にハヤに言った。

 え? それって、キヨがハルさんに直接話せるからじゃねーの? ハヤは少しキヨを見て、それからくすっと笑った。


「レツは完全同調しちゃうでしょ。シマもコウちゃんも、たぶんどんな話でも受け止めるね。混ぜっ返すとしたらキヨリンじゃん」


 ハヤの言葉に、キヨはちょっとだけ顔をしかめて小さくため息をついた。

「……悪かったな、ひねくれてて」

「まぁ、そこがかわいいんだけどねー」

 キヨはうんざりした顔で嬉しくねぇよと言った。


 まさかハルさんの話してくれた話を疑ってるってワケじゃないだろうけど、本人に確かめに行くのに、まるっと信用しちゃうレツたちじゃなくてキヨをわざわざ選んで連れていく理由があったとは。

 っていうか、キヨもそこに意味があった事わかってたんだな。この二人ってやっぱ知能犯だ。


「……内容が内容だからね、キヨリンのがわかるんじゃない?」


 ハヤはそう言ってキヨを見たけど、キヨは遠くを見ていて何も答えなかった。


 広がる畑は距離感が掴みにくい。村の東の森ったって、どれも一緒に見えるんだけど。

 俺たちは道に沿って東へ向かいながら、畑仕事をする人たちに訪ねつつシャヴィの森へと向かった。目的が無かったら気持ちのいい散歩だ。


「あれ、かな」

 森を背にして建つ、小さな蜂蜜色のレンガ造りの家。この村の建物はみんなあの色をしている。ハヤが手をかざしながら言った。


「美人っぽい」


 俺も目を凝らしたけど、全然そんなのわからなかった。家から出てきた女性が洗濯物を干しているらしいってだけだ。

 俺たちは牧草地をショートカットせず、きちんと道に沿ってその家に近づいた。俺がショートカットしようとしたのを、キヨが首根っこ捕まえて引き戻したからだ。こういう細かい事がたぶん、きちんとした人ってアピールになるから……なのかな。


「こんにちは」


 ハヤが明るい声で声をかけた。女性は広げたシーツの向こうから顔を出す。ちょっとだけ不思議そうに見ながらも、こんにちはと返した。


「すみません、この辺に住んでる方でサーニャさんて方を捜してるんですが」


 わかっているのにそう声をかける。ハヤは腰の高さほどの石を積んだ敷地の境界のこちら側から、余計に近づこうとしない。

 俺とキヨはさらに数メートル離れて立っていた。ギリギリ二人の声が聞こえる距離。それも、キヨがハヤと一緒に近づこうとする俺を引き留めたからだ。


「サーニャは、私ですが……」


 サーニャは言いながら、洗濯物から離れてこちらを見た。明るい茶色の長い髪、ぱっちりした大きな青い瞳。確かに美人だ。しかも見た目から聡明そうで、あんまり変な事に惑わされていそうには見えなかった。

 俺は興味津々でハヤたちを見たい気持ちを抑えて、キヨの足下を眺めていた。キヨなんか半分ぐらい背を向けて森の向こうを眺めていて、まるっきりハヤたちを見ようとしない。全く近づいて行かない二人に、サーニャの方が近づいてきた。


「そうなんだ、よかった。実は僕たち旅をしていまして、ちょっと探しているものがあるんですが、お話を聞きたくて」

「旅の方、ですか? すみません、私にはわからないと思うんですけど」


 その後、少しだけハヤが逡巡するように間を開けた。俺はちょっとだけ顔を上げて彼らを見た。なぜだか、ハヤの表情の方が辛そうに見えた。


「……失礼なのはわかっています。ただ僕たちも行く先がわからなくて困っているんです。教えてください。貴方の恋人が最後に向かった先を」


 え? いや、聞かなきゃならないのは、死んだはずの恋人が送ってくる手紙の事じゃねーの?

 サーニャはそれを聞くと、少しだけ眉をひそめた。それから首を振る。ハヤは少し焦ったように、それでも真摯な態度で石垣に手を添えて少しだけ彼女に近づいた。


「辛い思い出なのかもしれない、それはわかってます。ただ、貴方を傷つけるためにお話を聞きたいわけじゃないんです。僕たちも旅をしていて、今はその向かう方角すらわからない。貴方が頼りなんです」


 サーニャは少しだけ唇を噛んで視線を外した。


 ハヤは一切、死んだはずの恋人から来る手紙について言ってない。ハヤの立場は手紙の話を聞きたい人じゃないんだ。その噂を聞いた上で、手紙を送ってくる恋人が戦って命を落としたと言われてるモンスターこそが俺たちの向かう先と、そう言っているのだ。だから彼女も彼女の恋人も、ネタにするつもりはないと。


 サーニャは少し考えて、それからふぅっと息をついて肩を落とした。

「男の人ってみんなそうなのかしら、どうしてそんなに旅に惹かれるの?」

 彼女はそう言って顔を上げてハヤを見た。ハヤはちょっとだけ辛そうな真摯な表情のまま、

「最近は女性も多いですよ」

と言って小さく笑った。彼が笑うとサーニャも力を抜いた。


「……いいわ、入ってください。噂の事ばかり聞きたい人たちとは違うみたいだし。ちょうど洗濯も終わったから、お茶にしようかなって思ってたところなの」

「ありがとう」


 家へと向かうサーニャを見送ってから、ハヤは俺たちを振り返った。キヨはハヤが手を挙げるのを見てから、絶対気付いてたと思うけど今更気付いたみたいにして、家に向かって歩き出した。


「プロの仕事だな」

「何が? 紳士なだけだよ」


 キヨが聞こえないくらい小さく言うと、ハヤもさらりと返した。

 いや、初対面で不審がられないための距離感とか、二人とも十分知能犯だと思うけどね。


 サーニャに招かれてドアを入ると、入ったすぐがリビング兼ダイニングと言った感じで、部屋の真ん中にテーブルがあった。壁には絵が、窓辺には花が、棚にはレースが飾られている。質素ではあるけどきちんと女の子の家だった。一人暮らしなのかな。俺はキヨにならって丁寧に靴の泥を落としてから入った。


「どうぞ」

 明るい声で促されて俺たちはテーブルに着いた。サーニャが暖炉にかけたやかんからお湯をポットに注ぐ。

「すみません、突然お邪魔して」

「いいのよ、最近は話し相手もいなくて」

「それって……」

 俺が言いかけるとソッコーでキヨが俺の頭を叩いた。う、いってー……でもそれを見てサーニャは笑った。


「いいのよ、事実だから。あなたたちはそう言わなかったけど、聞いた話はそれなんでしょ?」


 ハヤは少し決まり悪そうな顔でキヨを見る。普段とは微妙に違う表情、それも演技だ。なんでこの二人打ち合わせもしないでそんなの出来るんだ。

 マレナクロンではキヨの大活躍しか見なかったけど、ハヤもきっとあんなんだったんだろうな。ハヤの方は表情がくるくる変わるから、キヨみたく言葉だけより説得力あるかもしんない。


「ホントに手紙が来るの?」


 サーニャがお茶のカップを配るのを見ながら言うと、キヨが「おい」と咎めるような声を出した。

 ……でもたぶん何となくだけど、それだって演技っぽくて本気で止めてはいない気がした。そうか、俺の役目はこれか。


「……ええ、本当よ。もう、あれから三年になるのね」

「何て書いてあるの?」

「お前、いい加減にしろ」


 キヨが咎めるから俺は唇を尖らせてふてくされた。サーニャは笑って椅子に着いた。ハヤが取りなすように言う。


「手紙の内容はいいんです。それより、貴方の恋人が」

「セオです」


 サーニャはにっこり笑って言った。それからカップを両手で温めるように包んだ。


「セオって言うの、彼の名前。今じゃ誰も呼ばないけど。彼が旅に出たのはもう四年近く前になるのかな。彼は元々この村で暮らしていたけど、ずっと剣士になりたかったの。農作業や放牧のかたわら剣の練習をしていて、それで彼の古い友人が街へ出て魔術師なんかになって戻った時に、旅の仲間に誘われたのよ」


 サーニャの入れてくれたお茶は透き通った緑色で、ツンと鼻を刺す柑橘系の香りがした。俺たちは彼女の話を黙って聞いていた。


「この辺はモンスターの脅威も少ない安全な地域だから、もしかすると見くびってたのかもしれない。経験もないのにちゃんとした訓練もなしにモンスター退治なんて。それで……」

 彼女は気持ちを落ち着けるようにカップに口を付けた。

「……初めての旅で、戻らなくなるなんて。何だか割りに合わないわよね。ちょっと怪我して、もうこりごりってなって、それでここで暮らしてくれればよかったのに」


 サーニャはそう言って窓の外を眺めた。何となく、涙を堪えているようにも見えた。


「彼は……セオは、仲間たちとどこへ向かったんですか」


 ハヤはそっと聞いた。きちんと俺たちが噂だけ聞きたい人じゃないって方向で話を戻す。サーニャは視線をカップに落とすと小さくため息をついた。


「彼らはもちろん5レクス圏内しか動けないから、ここから南東へ向かったの。ここより南へ行くとクルスダールって大きな街があって、そこから東へ伸びる街道があるからそちら側の方が動ける範囲が大きいんですって。でも街道そのものは遠いし、この村の南には街道まで何もないから危険は多いの。……危険は多い方がいいって言ってたんだけどね」

「南東、ですか……」

 ものすごく大ざっぱだな、それで彼らの行き先がわかるかっていうと難しい気がする。


「お姉さんは、手紙どこから来てると思う?」


 俺が言うと、サーニャは弾かれたように顔を上げた。あ、やば、い?

「お前はちょっと黙ってろ」

「だって! 手紙が来るなら生きてる証拠じゃん!」


 すると唐突にサーニャが笑い出した。びっくりして三人で彼女を見る。


「やだ、ごめんなさい、だって……あの人たちが彼を連れて帰ってこなかった日から、彼が生きてるって言ったの、この子だけだから」


 サーニャは笑いながら、笑いながら泣いていた。笑いすぎて涙が出たようにも見えるけど、たぶん泣いてた。彼女は笑いながらエプロンの端で涙を拭った。


「うん、そうね。生きてる証拠だから、きっとどこかから送られてるのよね。でもごめんなさい、手紙には送付元も消印も、署名すらないの」


「でもそしたら、なんでセオからの手紙ってわかるんだ?」

「それはね、それは、私たちの思い出の事が書いてあるからよ」

 二人の思い出の事が……それなら、届いた手紙がセオからって彼女には確信できるんだ。むしろ彼女しか確信できない。だから余計に他の人には信じがたい。

「ずっと、待ってるの?」

 セオが帰ってくるのを。サーニャはにっこり笑って、それから頷いた。


「きっと私が信じ続ける限り、手紙は届くんじゃないかしら」

「信じ続ける限り?」


 キヨが小さな声でふと漏らしたので、サーニャも少しだけ驚いた顔でキヨを見た。


「……いえ、確信はないわ。でもそんな気がするの。私が彼を信じて待っている限り、手紙は届くんじゃないかって。手紙が届けば、色々思い出す。どんどん鮮明になってきて、彼と過ごした日々が身近に感じるの。私がこんな風に感じるんだもの、手紙を出している彼もきっと同じ気持ちだと思う」


 三年もの間、ただ二人の思い出を綴った手紙が届いているだけで、仲間が命を落としたと告げた恋人をひたすら待ち続けている。そしてこれからも待ち続けると。手紙が彼らをより一層近づけている。でも、それならどうして帰ってこないんだ?


「……なんで、待てるんだ?」


 え? 俺は小さな呟きに顔を上げた。キヨはまるで独り言でも言ったかのように、カップを見つめているだけだった。


「それは……帰ってきて欲しいからよ。信じてるもの」


 キヨはゆっくりと顔を上げて彼女を見た。あれ、何か……

「……何を?」

 キヨの声は少しかすれていた。まるで何かにすがっているみたいだった。

「……彼と、彼を想う、私を」

 サーニャの表情は確信に満ちていて清々しかった。


 反対に、一瞬だけ眉根を寄せたキヨの表情は、何だか今にも崩れそうに脆く見えた。

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