第25話『平和主義者なんだ、余計ないざこざはない方がいいだろ』

 腰に巻き付いた白い糸はしっかり絡みついて離れない。ハヤとコウと俺と、最前列にいたキヨが捕らえられている。護衛たちは派手に悲鳴を上げて逃げていった。


「ハヤ……」

 少し震えたようなカリーソの声に振り返ると、カリーソはこっちを見たまま少しずつ後ずさっていた。

「カリーソ……」

「ハヤ、残念だけど……君が悪いんだよ、戻ろうって言ったのに」

 離れていくカリーソは少し未練がありそうな感じでそう言ったけど、意外とあっさりと振り返って駆けだした。

 やっぱり、切り捨てるのに容赦ないタイプだな……ハヤ振られちゃった。

 ハヤを見たら小さく鼻で息をついて穴に向き直った。あ、むしろ未練以前だったな、こっちは。


 白い繊維は意識があるみたいにうごめき、時々更に伸びようとする。

 キヨに腕を掴まれていたカナレスが「ひっ」と喉に詰まるような声を上げて、取りすがるキヨを振り払おうとした。

「お前、俺のもんとか言ってたくせに、こういうとき助けるだろ普通!」

 カナレスは慌ててキヨの腕を離そうとした。

「ああ、お前とのお楽しみは捨てがたいが命のが大事だろ」

「はぁ!? 信じらんねぇ! もう二度と俺に触れさせねぇからな、二度と俺に近づくなよ!」

「ああ、お前が無事戻れるもんならな、わかったから離せ!」

 キヨは暴れるカナレスを偶然取り逃したみたいにして腕を離した。カナレスは振り向きもせずに走って逃げた。


 キヨはそれを見送ると、さっきまでとはうって変わって冷静に穴に向き直った。

「よし、交渉成立」

「わざわざすべきもん?」

 突っ込んだコウにキヨは肩をすくめた。

「平和主義者なんだ、余計ないざこざはない方がいいだろ」

「生きて戻れるつもりなんだ」

 俺がそう言うと、キヨはチラリと視線だけで俺を見た。

「当たり前だろ」

 当たり前、だけど、絶対に帰るつもりだけど。でもどうすんのさ、これ!


「とりあえず本体拝む」

 キヨはそう言うと、魔法を発動した。

「……マーヴロスヴィエトロ」

 光のはずなのに黒い艶のある魔法の光が、キヨの手の中から生まれて広がり、直後に壁の穴へと発射された。


 白い繊維は軟体動物のようにうねうねと動き、何かを運ぶように地下室へとはい出してきた。

「来るよ」

 コウが棍を構える。俺も剣を抜いた。

 繊維の奥から現れたのは、真っ白い蜘蛛のようなモンスターだった。うごめく繊維は蜘蛛の巣だったんだ。


 後ろ足で立って威嚇するモンスターにコウが速攻を仕掛けた。

「うわ」

 コウが振り下ろした棍は蜘蛛の糸に絡まる。無理矢理抜こうとするコウを蜘蛛の足が弾いた。

「!」

「コウちゃん!」

 ハヤは回復魔法を唱えるとコウに送り、同時にキヨが足を狙って攻撃すると、いましめが緩んだところを棍を引き抜いてコウが抜け出した。


「逃げてもあんま意味ないな」

「まぁね」

 ハヤも腰に絡まった糸をチラリと見て言った。

「ダブルで行くか」

 キヨはそう言って俺を見た。

 え、俺……? 俺は思いっきり頷いた。コウに言った方がいいはずなのに俺に振ってくれた。絶対ダメージ与えてみせる!

 俺は剣を構え、再度キヨが攻撃した時に飛び出した。

「いやあああ!」

 キヨの攻撃が当たった辺りを狙って剣を振り下ろす。狙い通り足が一本弾けて飛び、蜘蛛はものすごく甲高い悲鳴のようなものを上げた。やった!


「終わったら戻る!」

 直後に攻撃に来たコウが俺を強引に引き戻したので、俺はそのまま転がってハヤの足下に着いた。

「バトル中に油断は禁物だよ」

 ハヤはモンスターを見ながら言った。油断したわけじゃない、けど、油断したのかな。俺は慌てて立ち上がり剣を構えた。


 すると蜘蛛は少し動きを抑え、震えるように体を縮めた。え、何してるんだ?

 見ている間に蜘蛛の胸の辺りから黄色とオレンジの光が溢れ、その色が達すると俺が切り落とした足が弱々しく生えてきた。えええええ! なにそれ、ずるくない!?

「……チートかよ」

 呟くコウをよそに、キヨは再度魔法を発動した。

「……キトリノストラージェ」

 キヨの手から生まれた魔法は、小さな黄色の弾丸となって蜘蛛に襲いかかった。

 蜘蛛は威嚇するように後ろ足で立ち上がる。その時、胸の真ん中に明るい黄色の鉱石が見えた。丸い黄色の鉱石にオレンジ色の十字模様が入っている。


「あれがチートの原因か」

 コウが言うと、キヨは何だか複雑な顔で眉間に皺を寄せた。

「……あの手の話を、最近聞いたな」

「うそ、なんで……」


 え? 俺は呟いたハヤとキヨを見比べた。なに、どういう事?

「団長、あれに見覚えあんのか?」

 掴まれたハヤは、まだ自分の目が信じられないように蜘蛛を見つめていた。

「うそだよ、だって……あれは僕と一緒に……」

 呆然と呟くハヤにキヨは、マジかよシャレになんねーとか言って頭をかいた。一体何の話なんだ?


「みんな!!」


 すると唐突に背後から青い影が俺たちを抜き去り、シマのモンスターが蜘蛛に一撃食らわして戻って行った。

「シマ、レツ!」

 一体今までどこに行ってたんだよ! 俺は嬉しくて振り返ったけど、その時、振り返ろうとしないキヨに気付いた。え、仲直りしたんじゃなかったの!?

「キヨ」

 俺たちと並んだレツは剣を構えてモンスターに向いたままキヨに声を掛けた。古いままの剣。キヨは何も言わずにチラリとレツを見た。


「みんなが大聖堂に行くって、それって今日モンスター倒しに行くんだってわかってた。だから、だからもっと強い剣を買いたかったんだけど」


 もしかしてレツは朝から出掛けて剣を買いに行ってたのか? あれだけ探してもいいのがなかったのに? シマを見ると黙ったまま頷いた。

「でもどうしてもダメなんだ、見つからない。だから弱いけど、これで戦う。みんなと戦う。足引っ張るけど、ごめん!」

 レツが言うと、キヨはモンスターを見たまま不満そうに息をついた。

「お前、ちょっと前までレベル0のクセに、今すぐ追いつくつもりでいるなよな。お前が弱い事なんかみんな知ってるわ」

 え、いくら何でもそんな言い方しなくたって……俺は唇を噛みしめるレツを見た。でもそれは悔しがってるように見えなかった。むしろ真摯な表情だった。


「それでもお前が勇者だからな。だから……そのまんまやれ。それがお前だろ」


 キヨの言葉にレツは強く頷いた。キヨは答えるように小さく頷く。それからチラリとハヤを気にした。

「胸の鉱石を狙う。俺とシマがとにかくあいつの足狙うから」

 そう言って再度、弾丸の魔法を繰り出した。浮き足立つ蜘蛛にシマのモンスターが足下をさらうように飛び、蜘蛛は再度後ろ足で立った。


「今だ!」

「はあああああああああああ!」


 襲い来る前足をコウが払い、俺も必死に前足をすくうように剣を翻らせた。レツも並び前足を蹴散らすが、古い剣は弾かれる度に重くレツを翻弄していた。

 剣が合ってないとそんなに違うのか? それでもレツは何度も何度も剣を構え直した。

「どけ!」

 声に飛び退くとシマのモンスターが蜘蛛の視界を遮るように飛び、一瞬気のそれたところへキヨの魔法が炸裂した。

 蜘蛛は震えるように後退し、再度威嚇のために前足を振り上げた。俺とコウは一瞬のうちに走り出した。剣と棍を振り上げて蜘蛛の気をそらすように左右から攻撃した。その真ん中をレツが剣を水平に保ったまま突撃する。俺たちはレツに道をあけるように退いた。


「やああああ!!」

「だめ!! ブレメクアーシュ!」


 ハヤは唐突に叫ぶと両手を高く掲げた。掲げた手の上に光る魔法陣が現れる。それは時を刻む時計のようにも見えた。

 その瞬間突進するレツの勢いが消え、剣先が捕らえたと思った鉱石を弾いて逸れた。え、なに……? 一瞬の出来事の後、時間は元通りに戻った。


「何のつもりだよ!」

 叫んだキヨがハヤの肩を引っ張ったが、ハヤはそれを乱暴に振り払った。

 レツは何が起こったのかわからず頭を振っている。

「レツ!」

 シマが叫んでモンスターを飛ばした。足下をすくわれた蜘蛛はバランスを崩してレツを捕らえようとしていた前足を引っ込めた。その隙にコウがレツを引き戻す。


 今の……今のって時間を遅くする魔法だよな、それって普通敵にかけるもんじゃないのか……?

 俺は盗み見るようにハヤを見た。ハヤは真剣な顔でモンスターを見ていた。かけ間違えた、とか……? でもキヨがハヤを責めていた。


 レツはしばらく頭を振ったりしていたが、「大丈夫」と言ってまたモンスターに向き直った。

「うわあ!」

 俺は唐突に腰を引っ張られて転がった。同じくキヨも引きずられている。とっさにシマが俺の腕を掴み、近場の石に片手をかけて止めようとした。

「キヨ!」

 レツはキヨを引っ張る蜘蛛の糸を切ろうとしたが全く刃が立たなかった。剣が合わないとそんなもんなのか? 何度斬り付けても繊維数本程度のダメージしか与えられない。

「この! この!」

 レツが思い切り振りかぶると、キヨを捕らえていた繊維がうねり、キヨ自身をレツにぶつけた後一気に蜘蛛に引き寄せた。


「キヨ!」

「う、わ……」

 キヨの間近に蜘蛛の口が迫る。シマのモンスターが蜘蛛の目を狙って急降下攻撃すると、すんでのところでキヨを手放した。

 キヨは強く振り落とされながらも、何とか自力で蜘蛛の足の及ばないところへ逃げた。蜘蛛は目を庇うように前足を上げている。レツはそれを見ると剣を構えて走り出した。

「いやあああああ!」

 気づいたコウが蜘蛛の糸を引っ張った。俺もコウの意図に気付いて繊維を握って引っ張る。蜘蛛は左右に引っ張られた糸に気を逸らされてもがいた。今だ!

「はあああああ!」

 レツが蜘蛛の胸の鉱石を剣で捕らえ白い蜘蛛が動きを止めた瞬間、俺たちを絡め取っていた蜘蛛の糸がふわりと落ちた。それは何だか、柔らく長い髪のようだった。え……?


「パラスエリタラーシュ!」


 ハヤの声が響いて真っ白い光が溢れる。それって、全回復魔法じゃなかった!?


「団長!?」

「バカ、何やってんだ!」

 シマとキヨの声もむなしく、ハヤの魔法は蜘蛛に吸い込まれて行った。蜘蛛は威嚇するように広げた前足を振った。胸に刺さったままの剣を握るレツだけが、その場に残る。

 シマは鳥モンスターを飛ばしてレツに襲いかかる前足を何とか妨害し、コウは再度突撃して蜘蛛が体を戻して伏せるのを留めようとした。俺も慌てて体を起こし、キヨの魔法が炸裂する間を縫って蜘蛛の前足を切りつける。


「もう、もうやめて!」


 ハヤは唐突に叫んで走り出した。

 キヨがちっと舌打ちしてハヤの胸元を握って止めると、無理矢理引き寄せた。

「あれは、幻だ」

「違う! そういうキヨも見たんじゃん!」

 見たって何を!? どうなってんの!?


「うわああ!」

 白い蜘蛛の足はシマのモンスターを弾き飛ばし、コウも跳ね飛ばしてレツに襲いかかる。それはゆっくりと抱きしめるように見えた。


「違う、僕はこっちだよ!」

「ハヤ!」


 ハヤは唐突に蜘蛛の胸へと飛び込み、剣を握ったレツを押し出そうとした。でも、レツは動かなかった。頑なに剣を握ったまま、ギリギリと押し込んでいた。ハヤはそんなレツを引き離そうとする。蜘蛛の足が二人を包むように襲いかかった。


「レツ離して、レツ!!」

『いいの』


 え……頭の中に直接響く声。少女のような、優しげな声色。なに、これ……


『いいの、もう』


 不思議な声に顔を上げると、レツの剣が貫いているのは少女の胸だった。そんな、どういう事……? 

「あ……あ……」

 ゆっくりと顔を上げ、気付いたレツが震えだした。慌てて抜こうとする剣を、その少女が押さえる。


『大丈夫、気にしないで。私はもうこの世のものじゃないんだから』


「やだ、やだよ……そんな……」

 ハヤが今にも泣きそうな顔で首を振った。少女はハヤを見てすごくきれいな笑顔を見せた。


『ハヤ、すごい、こんなに大きくなったのね』


 少女が手を伸ばしてハヤの頬に触れると、ハヤの目から涙がこぼれた。

 ハヤとモンスターの少女が、知り合い……?


『私を解放してくれたのがあなたでよかった。きっとあなたなら間違わないと思ってたわ』

「……やだ、違うよ、行かないで」

『そんな事言わないで、だってもうずーっと前に約束したじゃない』


 そう言うと少女はふわりと笑った。

 髪の長い少女。俺たちの足下に落ちた蜘蛛の糸は彼女の髪だった。真っ白い彼女。白い影。


「……それが君を縛り付けてたのか。ずっと」

 キヨが言うと、彼女は顔を上げた。

『待ちすぎちゃったわ。待ちすぎて、モンスターになっちゃった』

 少女はいたずらっぽく笑った。キヨはその言葉に小さく笑って「回復魔法が鍵か」と言った。少女は何も言わずに微笑み、それから胸に刺さる剣を握ったレツに向き直る。


『よく逃げなかったね。ご褒美』

 そう言うと柄を握るレツの手に自分の手を添えて、そのままレツの剣を撫でるようにして自らの体から抜き取った。

「あ……」

 レツの手には、先ほどまでとは全く違う剣が握られていた。

 青い鉱石が柄頭に填り、握りと鍔で十字のように見える。その真ん中にも青い鉱石が填っていて、くすんだ灰色だった刀身はうっすらと青みがかかった明るい銀。


『そしたら、私は行くわね』

「やだ! やだって言ったじゃん、どうして!」

『もう、ハヤったらいつまでも甘えん坊ね』


 泣いて取りすがるハヤの頭を少女が撫でる。まるでハヤの方が年下みたいだ。

『ちゃんと白魔術師になったのね、私も嬉しい。ね、お願いだからその力、みんなに分けてあげてね』

 そう言うと、少女は抱きついたハヤの頭をそっと抱いた。次第に彼女の影がうっすらと薄くなっていく。光にとけるようにふわりと浮き上がる。

「やだ……行かないで……」

 消えていく少女にハヤは手を伸ばす。


『ありがとう』


 少女はそう言って美しい笑顔を残して消えていった。

 ハヤの手の中には、オレンジ色の十字の入った黄色い鉱石が残っていた。

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