第29話 無骨なフォトフレーム


「誰だ……この人は」


 先ほどとは打って変わり無骨なフォトフレームの中に、三人の男女が写っている。


 薄ら笑いを浮かべる少年の瞳は藍紫色シアン。年齢は中学二年生ぐらいだろうか。先ほどの写真の男性に似たその少年の顔の辺りには、爪で引っ搔いたような跡があった。

 対する柏木さんは、仏頂面を浮かべてこちらを睨んでいる。


 柏木さんの家族は、亡くなられたお父さんと、母親の穂乃香さんの三人だと聞いている。だが、この少年は……親戚、とかだろうか。


「—―カスミ、ちょっと今両手が塞がっててさ。開けてくれないかな?」

「っ!」


 ドアの向こう側から聞こえるくぐもったその声に、びくっと驚いてしまう。


「あ……ああ。今開ける」


 立てたフォトフレームをまた元のように伏せて寝かせ、ドアの方へ向かう。


 ドアを開けると、トレーを持った柏木さんが立っていた。緑色のしゅわしゅわした液体が入ったグラスが二つ、そして小さな包みが二つ、トレーの上に載っている。


「メロンソーダとお菓子! 甘いもので集中力向上だね」

「おお、悪いな。その包み……フィナンシェか」

「うん。お母さんの職場の人がお土産ってくれたんだ。ほら、うち二人だから食べきれなくってさ。おすそ分け」

「おお、サンキュー」


「うち二人だから」という言葉にますますの混乱を覚えつつ、それが表情に出ないように、机に置かれたトレーからメロンソーダを取る。


「—―あれ。あの写真、ちょっと位置変わってる」

「え」


 びくんと体が跳ねる。もしや、こっそり見たのがバレた……のか?

 柏木さんはフォトフレームの方を指差す。


「ほら、そこの写真。お父さんと僕のやつ」


 良かった。どうやら、伏せて置いてあった方のフォトフレームには気づいていないらしい。そして、本当に柏木さんとお父さんのツーショット写真だったようだ。


「あ……ああ。ちょっと気になってな。勝手に見て悪かった」

「いや、別に平気だよ。うん、平気」


 柏木さんの表情が、少しだけ曇る。きっと、お父さんがその理由だろう。


「……お父さんとの思い出、大事にしてるんだな。フォトフレームのシールとか、そこのぬいぐるみとか」

「あ……うん。結構じっくり見てるんだね、女の子の部屋」

「あっ……わ、悪かった。キモかったよな」

「—―ふふ、いいよ、別に。キモいだなんて思ってない。カスミは親友だし、特別に許そう!」

「お、おう」

「む。何さ、その顔。親友だよね、僕達」


 柏木さんは少しむっとした顔を――テーブル越しに俺に近づけてくる。赤紫色マゼンタの瞳がぱちくりと、俺の顔を見つめてくる。


「……っ。ああ、違いない。俺達は親友だ。これからもな」

「へへ、だよね」


 にへっと笑い、柏木さんは鞄を漁る。俺は以前から気になっていたことを、柏木さんに思い切って訊ねてみることにした。


「……なぁ」

「んー? どしたの」

「その……柏木さんの、そののことなんだけど」


 ぴくんと、柏木さんの動きが止まる。


「……あ、ああ。これね」


 柏木さんは少し困った顔になり、鞄からこちらに視線を移す。そして、薔薇の色をした瞳を指差しながら、言った。


「――生まれつき病気なんだ。目の」


「……え?」

「まあ、だからって死ぬとかじゃ無いんだけどね――」

「――ごめん! 軽々しく聞くようなことじゃ無かったよな。悪い、ほんとに失礼だった」


 興味本位で聞くような話では無かった。


「い、いや、良いんだよ、全然。それより、このこと誰かに話したこと無いからさ。カスミにもどう切り出そうか迷ってたし。タイミング的には、聞いてくれて助かったというか。気にしなくていいよ、重く捉えなくてもいい」

「け、けど」

「じゃあさ。申し訳ないって思ってくれるなら――――僕の話、聞いてよ」


 柏木さんが真っ直ぐな目で、俺のことを見つめてくる。


「……分かった」


 ふっと微笑み、柏木さんは続ける。


「病名は「虹彩こうさい原色げんしょく症」。瞳の虹彩が、色の三原色のように鮮やかになってしまう病気。似たようなのに、「虹彩異色症」ってのもあるんだ。これは、よくオッドアイとか言われるやつ。猫ちゃんにも、たまにそう言う子が居るよね。左右で目の色が違うの」


「確かに、近所の猫にもそういう目の色をしたのが居たな」

「うん。そういうオッドアイに対して、この目は『プライマルアイ』って言われるんだ。赤紫色マゼンタ琥珀色イェロー藍紫色シアンの三色」


 それを聞いて、俺の脳裏に先ほどの写真がよぎる。藍紫色シアンの瞳をした、少年のことだ。聞きたい気持ちもあったが、これ以上は自重しようと、他の質問を考えた。


「僕のはそのうちの赤紫色マゼンタ。今のところ、赤紫色マゼンタは僕しか居ないんだ」

「そうなのか。その病気って、有名、なのか?」

「ううん。全然、有名じゃないよ。症例が少ないし、何より――」


 そこまで言って、柏木さんはふぅっと息を吐く。


「――やっぱ何でもない。ありがとね、カスミ。聞いてくれて。打ち明けるのって緊張するけど、全部話すと楽になるね」

「楽になったなら良かった。……最後に、一ついいか」

「ん?」


「その……瞳を隠そうって思ったことは、無いのか?」


 柏木さんは、ふるふると首を振る。


「最初は、コンプレックスではあったけどさ。一人だけ、綺麗だって言ってくれた子が居たんだ。だからなるべく、ありのままの自分で居ようって思って。知らない人を怖がらせたりするのは、少し嫌だけどね」

「そうか」


 柏木さんは苦笑いを浮かべる。


「そう言えばカスミは、この目、怖いって思ったことはない? その、たまに目合った時、ぱって逸らされるから。やなのかなって。その、カスミがもし怖いとかだったら、全然、カラコンとかにするからさ」


 それは別の理由だ。


「いや、綺麗だと思うぞ。俺マゼンタとか好きだし、気にするな」

「――っ!?」


 俺の言葉を聞いた途端、見る見る内に柏木さんの顔が紅潮していく。柏木さんはそれをばっと両手で隠し、ぼそりと一言。


「カスミ……そういうの、真顔で言わないでよ。イエスかノーでしょ、普通」

「ど、どうした? 俺、また何か言っちゃったのか?」

「――――っ」


 柏木さんは俺の呼び掛けに答えることなく数分顔を伏せたかと思えば、がばっと顔を上げる。


「――ふぅ。はい、この話は終わり。さ、テスト勉強やろ」

「お、おう……」


 ◇


 絶妙な空気の中、柏木さんは鞄からペンケースを取り出す。透明の窓が付いた、これまた可愛い藤色のポーチ型だ。


「最初は英コミュかぁ……」

「柏木さん英語苦手だし。最初にやっておこうと思ってな」

「むぅ……気乗りしないなぁ」


 柏木さんは渋々といった様子で、辞典を取り出す。つくづく感じていることだが、この容姿で英語を話せないとはなかなかのギャップがあるな。


 ノートを開き、黙々と勉強を始めた柏木さんに、ふと思ったことを訊ねてみる。


「柏木さん、言語はいくつ喋れるんだ?」

「ん? 言語? 日本語だけだけど」


 目が点になる。


「え、そうなのか?」

「だって。私日本生まれだもん。ロシア人のハーフだけど、中身は完全日本人だよ。ロシアにも行ったことない」

「てっきりロシア語とか話せるものだと思ってた……」

「お母さんも話せないから。だから私も話せなくて当然なんだよ」

「だからあんなに流暢な日本語だったのか……って、ん?」


 待てよ。柏木さんがハーフならば、穂乃香さんは純粋なロシア人の血を受け継いでいるにも関わらず、のか? つまり……そのまた両親もロシア語を話せない? もしくは教わっていない? いやいや、ありえない。


 ロシア人夫婦の家庭に生まれていれば、少なからず日常で飛び交うロシア語によって習得しているはずだ。それを「日本語しか話せない」……?


「なんかもやもやしてる顔だね」

「……まあ。柏木さんはともかく、穂乃香さんまでロシア語を話せないのはな」

「やっぱり……気になる?」


 柏木さんはこちらを伺うような表情でそう訊ねる。


「……気になる」

「分かった」


 柏木さんはメロンソーダをちゅーとストローで吸い、こくりと飲み込む。


「教えてあげる。本当は誰にも言うつもりは無かったけど、親友のカスミにだけは伝えておこうかな。病気のことも言っちゃったし。もう隠し事はよそう」


 それから柏木さんは、顛末から話してくれた。


「お母さんはね、捨て子だったんだ。ある秋の夕暮れに、田舎の駅にぽつんと捨てられているところを、地元の方に発見されて。施設で保護されていたのを、お母さんの育ての両親が里親になったんだ。穂乃香って名前は、市長が付けたんだってさ」

「そう、なのか……」


 なるほど。全てにつじつまが合う。


「まあ、僕が黙ってても、お母さんの方からペラペラ喋っちゃってたと思うよ」

「確かに、あの人ならあり得ない話じゃないな」

「ふふふ。あ――そんなことより、カスミ。さっさと勉強終わらせてゲームしようよ。ほら、この前スマホに入れたって言ってたやつ」

「お、良いな。んじゃ、お喋りもこの辺にするか」

「そうだね」


 柏木さんは愁いを含んだ表情のまま、辞典を捲っていく。その表情は凛としていて、それでいて凄く美しいのだが、俺は拭えない既視感デジャヴを感じた。


 ――そうだ。あの時。哲太と登校した日の柏木さんと、同じ表情なのだ。


 つい。


「大丈夫か?」

「ふぇ? な、なにが?」

「なんか、表情が暗いぞ」

「え……僕、そんな顔してた、かな」


 自分の顔をぺたぺたと触る柏木さん。白く細い指が、同じく色白い頬にむにゅりと沈み込む。


「……いや、見間違いだ」

「そ、そう? なら良いけど。――あ、これ忘れてた!」


 そう言って、柏木さんはトレーの上に置いてあった包みを俺に手渡しする。


「お、ほんとだ。ありがたく頂くよ」

「賞味期限近いから早く食べちゃいなさいって言われたんだけど、もうこれで六個目だよ。流石に飽きてきちゃったんだ」


「はは、二人で消費するには多すぎたか。それじゃ遠慮なく。いただきま――」


 包みを開け、フィナンシェを一口。


「ん、うまいな」

「――ん~! おいひい!」


 満面の笑みでフィナンシェを貪る柏木さん。


「……飽きたんじゃなかったのか?」

「美味しいものは美味しいから良いんだよーだ。カスミのも食べてあげよっか?」


 すかさず残りのフィナンシェを全部口に押し込む。


「――むぐっ」

「あ、一口で食べた!」


 ◇◇◇ ◇◇◇

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