第17話 噂話


 月曜日。空は快晴、気温は少し高め。ここ最近は雨雲しか見ていなかったから、何と言うか世界が更新された、ような感じがする。アップデート、みたいなものだろうか。とはいえ、梅雨明けまではあと一ヵ月。束の間の好天に過ぎない。


 俺は玄関を出て、エレベーターによって、地上まで運ばれた。

 余りの心地よさに、雲一つない空を見上げて立ち尽くしてしまう。――と、刹那の忘我から帰還した俺は、両手を前で組んで空に向かって上げ、大きく伸びをした。


「ぐうっ……はぁ」


 こんな天気のいい日だ。

 更新アップデートされた世界を堪能しながら、ゆっくり登校するとしよう。


「ふわぁ……」


 一つ欠伸あくびをし、いつもの通学路を歩く。キジバトのデーデー、ポッポーという鳴き声に、小鳥のさえずり。車の行き交う音。


 本当に、心地が良い日――。


「あっ! カスミっ!」

「ん?」


 不意に背後から女性の声で名前を呼ばれ、俺は立ち止まる。声のトーンに聞き覚えがあるが、無論俺の知人にこんな声の人は居ない。というか、馴れ馴れしく俺を下の名前で呼ぶ友人は蕎麦と哲太くらいだ。きっと、俺が呼ばれたんじゃないな。


「おーい! カスミったら!」


 早く返事をしたらどうなんだ、カスミなにがし

 暢気にそんなことを考えながら、登校を再開し――。


「カスミ! 返事してよ!?」

「うわぁっ!?」


 目の前に、赤紫色マゼンタの瞳が飛び出してきた。


「か、柏木さん!?」

「どうしたの、カスミ。さっきからぼーっとしちゃってさ」

「いや、何で柏木さんが俺に――って、ああ……」


 完全に思い出した。土曜日の地獄のようなオフ会を。


『よし、もう一曲歌おっと!』

『た、頼む……家に、帰し……て……』


 柏木さんの……いや、蕎麦の音痴を三時間も聞いたのだ。店を出る時には顔はすっかりやつれ、帰ってすぐベッドにダイブし、そのまま丸一日眠っていた。はぁ……。


 どうりで気分の良い朝だった訳だ……。


「悪い。柏木さんは蕎麦、だったな。おはよう、柏木さん」

「うん。おはよう、カスミ!」


 蕎麦――柏木さんは、屈託のない笑みを俺に向ける。この「棘姫」らしからぬ表情には、毎度のことながらどきりとさせられる。

 柏木さんは俺の横に立つと、並んで歩き始めた。


「あ、そう言えば昨日、何でオフラインだったの? 僕、ずっと待ってたんだよ?」

「――ギクッ」

「ぎく?」


 どこかの誰かさんのせいで……とは、口が裂けても言えない。はぐらかそう。


「ああ、昨日はチョット外せない用事があったんだ。丸一日家を空けててな」

「そうなんだ。……今日は、一緒に出来る?」


 柏木さんは一瞬目を伏せ、俺の方をチラリと見る。


「ああ。出来るぞ」

「ほんと! やった!」


 語尾に音符でも付きそうなほど浮かれた調子で、柏木さんはニコっと笑った。


「今日はね、この前のアプデで追加されたエリアに挑戦しようと思ってたんだ~」

「確か、ボスが二体追加されたんだったか。クリアできるのか?」

「僕とカスミが行けば、ちょちょいのちょいだよ」


 拳を前に突き出し、しゅっと声を出す柏木さんは。何だこの生き物。可愛い。


 容姿はこんなだが、中身はやっぱり、俺の大事な相棒であることに変わりは無いのだ。そう、目の前に居る美少女が、五年間ほぼ毎日遊んだ俺の「親友ネッ友」――。


 そう自分に言い聞かせるも、まだ夢の中に居るようで未だ実感が湧かず、つい横を歩く美少女に見入ってしまう。いや、美少女という次元を超えた美貌に。


 外国の血が入っているからというのは言わずもがなだが、たまに柔らかく歪む鋭い目つきは、きっと向けられた者を虜にしてしまうだろう。クールとキュートを兼ね備えた、柏木さんの武器だ。

 ……最も、正体中の人を知ってしまっている俺には無意味な攻撃である。


 ついでに言えば、目鼻立ちもさることながら、柏木さんはスタイルも良い。百七十五ある俺の背丈をもってしても、目線がほとんど変わらないのだ。


「ちょっと気になったんだけど、柏木さんって、身長はどれくらいあるんだ? 俺と大して変わらないよな」

「ん? ああ、そうだねぇ……最近測ってないから分かんないけど、多分百七十くらいあるんじゃないかな?」

「なっ、モデル並みじゃないか……」


 この美貌にこの背丈なら、きっと柏木さんは幾度となくスカウトされたことだろう。もちろん、芸能関係で、だ。

 さっき言っていたモデルに、歌って踊るアイドル――は無理だろうな……。


 そんなことを考えていると、不意にあることを思い出した。


「……あ」

「ど、どうしたの? 何か忘れ物?」

「いや、そうじゃない。柏木さんと俺が一緒に歩いてたらまずいことを思い出した」

「――あっ、確かに……」


 柏木さんもどうやら気が付いたようだ。そう、土曜日のオフ会。俺は柏木さんと、あることを約束していたのだ。


『学校で話す時は、周りのことを気にした方が良いかもな。ほら、お前って有名人だから、学校でもこんなノリで話してたら、あらぬ噂が立ちかねないだろ?』

『う、うん。分かった、気を付けるよ』


 一昨日の会話を回想しながら、柏木さんに提案する。


「まだ紀高の人が歩いてるところ見てないけど、そろそろ登校の時間をずらした方が良いかもな」

「そ、そうだね。んじゃ、僕が先に歩こうか」

「ああ」


 柏木さんはぶらぶらと手から提げていた鞄を肩に掛け、速足で前を歩く。その瞬間、柏木さんの表情が――変わった。


 緩んでいた頬は引き締まり、頬笑みが消える。目元も、いつもの悪い目付きに変化する。思い出した、これが「棘姫」オーラ……。


 その姿に見入ってしまっていて気が付くのが遅れたが、俺は柏木さんに別れの挨拶をしていない。それ自体不要と言われれば不要なのだが、何だか後味が悪く感じた。


「じゃあまた放課後な」くらいの挨拶はしておきたかったものだと、少しだけ後悔している自分が居る。


 それから校門に入り、校舎に入り、教室に入るまで――柏木さんとは一切のコンタクトを取らず。先ほどまでの応酬が嘘であったかのように、学校が始まった。


 ◆


 ホームルーム前。


「よっ、冬城。今日は良い天気だな。傘、助かったぜ。ありがとうな」


 俺より少し遅れて教室に入ってきた辺が、俺の机の前に立ち、爽やかな雰囲気で、丁寧に畳まれたモスグリーンの折り畳み傘を手渡してくる。


「お前……どのツラを下げてそんなことを抜かしてるんだ」

「はてさて、なんのことやら」

「とぼけるんじゃない。金曜日のことだ。なぜ俺を置いて行った? あの後LANEも寄越さないし」

「あ……ああ~、か!」


 辺は一瞬真顔になり――。


「ほんの出来心だったんだ。悪いな」


 ニカっと、無邪気な笑顔になった。

 邪で満ちているであろう思惑を完全に覆い隠すほどの、屈託のない笑顔。


「出来心で友人を置いてけぼりにするのか、お前は……」

「ははは、悪かったよ。んで、柏木さんと何か話したのか? すげー気になるぜ」


 そうだ。あの日、俺は蕎麦――正確には、まだ蕎麦だと気付いていない時の柏木さんと一緒に、相合傘をしながら下校した。柏木さんに訊けば、俺がkasumi1012だと確信した決め手は、あの出来事だったらしい。どうするか……。


 このことを辺に言うべき……でないのは間違いない。こいつに教えてはいけない。


「世間話を少々な」

「なっ、それだけかよ!? ……まあでも、あの「棘姫」と世間話をしたってことか……そう考えれば、普通に凄いことなのか……?」


 ブツブツと独り言を呟く辺を横目に、水筒の水を呷る。


「んお、そうだ。その棘姫なんだが、今日登校したらしいぜ」

「ブフッ!?」


 俺は、水筒の水を盛大に吹き出した。


「なんでも、その男の前であの棘姫が「満面の笑み」だったらしい。ありゃきっと彼氏とかだろうな……彼氏と通学なんていつからだ? ここ最近なのは間違――」


 まさか、あの柏木さんとのやり取りを誰かに見られてしまっていたとは。


「ゲホッゲホッ――」

「――って、ああ、悪い、冬城! そんなつもりは無かったんだぜ。お前の夢を壊すつもりは」

「ゲホッ……はぁ?」


 勝手に妄想を広げる辺。それが俺にまで飛び火する。


「大丈夫だ冬城。きっとあれは誰かの見間違いか何かだぜ……多分。ほら、これを聞いたのだってついさっきだしな……あ、あはは。すまん、忘れてくれ」


 口元をハンカチで拭い――直後、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴る。


「んじゃ、そういうことだから!」

「――あっ、おい!」

「悪いな、冬城~」


 辺はそれだけ言うと、そそくさと自分の席まで逃げる。


 どうやら辺の言い様から察するに、俺が柏木さんと登校したことまでは知られていないらしい。だが、あの「棘姫」が男と一緒に通学している時点でかなりの大事件なのは間違いない訳で……。


 その影響かは分からないが、教室内はいつもよりざわついていた。


「はぁ……心底、誰かの見間違いであって欲しい」


 席に着き、後ろを向いて談笑する辺を眺めながら、誰にも聞こえないように、俺はそうぼやいた。それが覆らないことは、一番よく知っているのに。


 ◇◇◇ ◇◇◇


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