第12話 語りで心を傷つけた。

 プールの授業もとい水泳の授業が始まった。


「「「うぉぉぉ!」」」

「男子の視線がひかりに集中してる」

「見られ慣れてるけど慣れたくないね、これ」

「芸能科といえど、男は男と。困ったもんだ」

「改めて始まっていて良かったよ」

栞里しおり、私と交代して!」

「無茶言わないでよ、光。それはムリだから」

「そ、そこを何とか!」

「だからムリだって!」


 どうも詩織様はタイミング悪く始まっていて体操着姿でプールサイドの椅子に座っていた。

 そしてプルプルと揺れる光の胸の前で、前後に揺らされていた。体操着越しでも揺れる胸?


「くっ。先日終わった私のお腹が憎い!」

「「「「おいおい」」」」


 あきら耀子ようこてると詩織様は苛立ち気に自身の下腹を両手で撫でる光を苦笑しつつ眺めていた。


「どうしたら、あんなに大きくなるの?」


 すると苦笑する晃達の隣から耀子が私の前に来た。耀子ほど小さくはないけど微かに膨らんだ胸に触れる私を見つめながらね。


「こればかりは美樹みきでも作れないよね。私と一緒に頑張って育てようね?」

「作れないって? あと頑張るって?」

「作るのは分厚い顔。頑張るのは、おっぱい」

「顔面はともかく胸は耀子よりあるんだけど」

「お? 私に喧嘩、売ってる?」

「売ってる。何なら勝負する?」

「そういう事なら買ってあげるよ!」


 ということで揃って椅子に座り、


「どうだ!」

「ふっ」

「ぐ、ぐぬぬ」

「私の勝ち」


 どんぐりの背比べならぬ、胸の差を競った。

 当然Bカップの私が勝った・・・虚しいけど。

 隣には詩織様が居て、体操着越しの揺れる胸を見せて下さっていたから・・・鼻血が出そう。


「み、美樹? 鼻血が出てる」


 と、思ったら既に出ていた。


「ふぇ? あ、ああ、尊い」


 私は水着の上にポタポタと落ちる鼻血をそのままに詩織様の揺れる胸を静かに拝んだ。

 すると耀子が引き気味に体育の先生を呼ぶ。


「せ、せんせーい! 咲田さきたさんも見学でーす!」

「んあ? ああ、鼻血か。誰かティッシュ?」


 体育の先生は自分がブーメランパンツだった事を思い出し、ティッシュを持つ者を探す。

 先生からの問いに応じたのは詩織様だった。


「私が差し上げます。咲田さん、どうぞ」

「あ、ありがとうございます。詩織様」

「さ、さまって」


 私はあまりの嬉しさから、受け取ったポケットティッシュを黙って見つめる。

 仄かに温かい使用済のポケットティッシュ。


「・・・」


 それは詩織様の体で温められた逸品だった。

 すると右頬の引き攣った詩織様が、私の意識を戻してくれた。私の右手に詩織様の左手が!


「と、とりあえず、鼻に詰めない?」


 な、なんと柔らかい左手だろうか。


「あ、ああ、そうですね」


 私の絵面は少々不格好だが、鼻に詰めたティッシュには微かに詩織様の残り香がした。


(し、幸せ・・・) 


 それは、このまま嗅いでいたい香りだった。



 §



 どうしよう。ケバ子さんがトリップしたまま戻って来ない。私が差し上げたポケットティッシュを両鼻に詰め、大満足したように一点見つめを続けているのだ。

 当然、目の焦点は合っておらず、


「ああ、美樹にとっては猛毒だったかぁ」

「この子って詩織が好きすぎるもんね?」

「栞里から貰った物だから効果が高すぎると」

「しかも、栞里のポケットから出した物だし」


 四人からも心配されるレベルである。


「猛毒ってそれ、私の前で言う?」

「それくらいの効果があるって事ね」

「どんな媚薬よりも効くんじゃない?」

「媚薬って。私の体臭はそんな効果あるの?」


 そんな効果があったら怖いよ!

 常に香水を使わないとダメじゃん。

 すると困り顔の耀子が一点を見つめる。


「いや、鼻血もそうだけど、こっちも」


 こっち? あらら、これは恥ずかしい。

 私も経験あるけど、これは隠さないと。

 流石に女優として終わってしまうから。

 私は困り顔で椅子を立ち、


「あらら、タオルで拭う?」


 どうしようかと話し合う。今はまだ授業前なので片付けるなら今しかないだろう。


「タオルよりプールの水で流そうか」

「幸い、水着のままだしね。鼻血の痕も」

「プールサイドだから排水溝に向けてね」

「私、バケツを持ってくる!」


 一先ず、処置が決まったので、耀子がトテトテと用具入れに向かって駆けていった。

 ここで男子達に気づかれると面倒だしね。

 その直後、


「どうした? 咲田が飛んだか?」


 幼馴染君が晃の背後から現れた。

 晃は幼馴染君を睨みつけて押し出した。


「今は来たらダメ!」

「うわぁ!?」


 その結果、大きな水音をさせながら、幼馴染君はプールに落ちた。そういえば泳げたっけ?


(あ! やっぱり泳げない!?)


 私は咄嗟に先生へと大声を張り上げる。


「先生! 家嶋やじま君はカナヅチです!」

「何!? それは大変だ!」


 先生は血相を変えてプールに飛び込む。

 私は乾かしていたビート板を投げ入れた。


「カナヅチって?」

「昔ね、彼のお父さんから聞いたんだけど」


 何でも仕事で川を訪れた際に溺れたそうだ。

 お陰で水に恐怖心を持つようになり、足が着かない場所だと簡単に溺れてしまうらしい。


「そ、それって?」

「例の幼馴染情報?」

「そうともいう」


 それが仕事・・・子役時代に起きた事案であると今なら分かる。これを聞いた時は、おじさんの仕事だと思ったけどね。根深い問題だよね。

 直後、ケバ子さんが大量の水を浴びた。


「わっぷ! はっ! なんで私、濡れてるの」

「別の意味で濡れていたから流した!」

「は?」


 幼馴染君の事案の背後で、ケバ子さんも耀子からズブ濡れにされていた。耀子は胸から腹にかけて流れるように水浸しにしていた。

 それでも口元に水がかかったようだけど。

 呆れ顔の耀子はケバ子さんに耳打ちする。


「ごにょごにょ」

「!? あ、ありがとう?」


 一瞬で茹でタコになったケバ子さん。

 胸から下腹に向けて視線を送り俯いた。

 うんうん。恥ずかしいよね、分かるよ。

 結果、見学者が私を含め三人になった。


「「・・・」」

「カナヅチが治っていないなら無理して授業に出なくても。大体、これ単位が得られないよ」


 一年のプールの授業だけは。何でもストレスが現れる頃合いに、息抜きをさせる目的が本題らしい。この学校は土曜日もフルで授業だし。

 すると沈黙の二人が私を同時に見つめる。


「「え?」」


 私は二人に視線を合わせずプールで楽しむ耀子達を眺めた。


「知らなかったの? 一年生だけだけど?」

「じゃ、じゃあ、来年からは?」

「単位が得られる。男女別の授業でね」

「というか、なんで俺のカナヅチを知って?」


 問われた私は目を閉じて、


『黒歴史に教える訳がないでしょ?』


 そらで英語を口ずさむ。


「は? え、英語って」


 教えられる訳がないじゃん。

 私とバカは中学時代、密かに交際していた。

 バカが私に大好きだと告白して渋々了承した。ファーストキスも奪われた。

 別れるに至った原因は私の黒歴史。

 クラスメイトの女子達と外出すると初デートの二週間前に延期を伝えてきた。

 私も予定が空いたから母さんに教えて貰ったオーディションに参加してバカと遭遇して酷い目に遭った。いじめを含むと酷いと思うよ。


『母さんから聞いたけど元々は利用したかったんだよね。だから母さんに逆利用されて見事に落ちた。私を餌にしたのは怒ったけど!』


 この時の私は少し嘲笑になっていたかも。


『バカより売れてやるって見返したのに現場には居ない。拍子抜けもいいところよ』

「え、英語で言われても」

「単に私の昔語りよ。分からないなら、分からないままでいいわ。どうせ貴方が思い出したとしても、黒歴史はどうあっても消えないから」

「く、黒歴史?」


 そんなやりとりの後、沈黙が続いた。

 ああ、私もイヤな過去を思い出したよ。

 バカへの恋心はとうの昔に粉砕済み。

 バカと関わる事は二度と無いと思っていた。

 同じ芸能界に居る以上は無理な話だけど。


(もしかすると、何処かしらでバカに対する未練が残っているのかも。面と向かって大嫌いとは言ってないし。喧嘩別れというより疎遠になって自然消滅したような関係だったし)


 とはいえ復縁するかというと、それは無い。

 売れっ子の私と売れないバカの関係は、母と父の関係みたいなものだから。両親と同じ歩みだけは避けたいと思っても不思議ではないし。

 これが売れるようになるなら、考えるかもしれないけど、そうなったらそうなったで、外道記者共が自宅前へと待機するから、避けたい。


(たらればを考えても仕方ない。そういえば)


 私は思案しつつ、隣のケバ子さんを見る。


(思案するバカを心配してる? あ、これは)


 バカに惚れている事が分かった。

 うん、昔の私を思い出したよ。


(私もこんな顔していたね。もし、この二人が付き合うなら、私の未練も消え去るかな?)


 少しだけ胸がズキッとしたけど、これは私にとって必要な事だった。初恋ではないけどね。


(そうなると、先ず行うべきは)


 私は隣からケバ子さんの肩を突く。


「え? あ、詩織様?」

「様付けしないでね。今の私は〈しおり〉だから。仕事中の〈しをり〉と混同しないでね?」

「え? あ、はい」


 先ずは呼び方から是正しないと。

 本題はそれからだね。これは大変だ。




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