第7話 種明かし
「須美姫は、自らの意思で消えた……」
時峰が呟いた。土筆がそれに、「えぇ。そうです。」と、強く頷いて返す。
「人が一人消えた。この場合……仮にモノノケという可能性を一旦、排除すると、他の誰か攫うよりも、自らの意思で消えることのほうが、ずっと簡単なはずですから。」
「………確かに。」
時峰も一瞬、同意しかけたが、すぐに、
「しかし、どうやって? 仮に自らの意思だったとしても、動いている牛車から、誰にも気づかれずにいなくなるのは、簡単なことだとは思えません。」
牛車には4人の従者に、2人の牛飼童がついていたのだ。逃げ出す隙などないはずだ。
「牛車は、一度も止まらなかったのですか? 確か、途中で、方違えをしたと言ってましたよね……?」
方違えとは、凶方を避けるために、別の進路をとって目的地まで移動する方法だ。まわり道をすることで、縁起の悪い方角に進まなくて済むので、よく使われる手だった。
「貴女の言う通りです。」
時峰は、そのあたりの経緯について、詳しい経緯を
「こちらに向かう道中、犬だか猫だかの死骸があり、急遽、周り道をすることにしたそうです。」
「急遽……ということは、予め決められていた方違えではないのですか?」
「そうなりますね。」
道中の忌で進路を変えることも、珍しくはない。一行は方向転換のために、牛車を切り替えしたという。
「従者の一人が、牛車の中の姫に『忌があり、方違えをする』と伝えたときには、分かりましたと、返事があったそうです。」
少なくとも、その時までは、須美姫はいたということ。
「牛車の向きを切り替えした……ということは、牛車は一時的に止まるか、速度を緩めますよね?」
「それはそうですが、牛車の周りには、牛飼童がいるから、降りるのは不可能でしょう。」
牛車の向きを変える時には、前後を牛飼童が確認していたという。無論、他の従者たちも周りで見ている。
そう考えると、確かに簡単ではなさそうだ。
だが土筆には、一つ気になっていることがあった。
「犬丸………」
「え?」
「……以前から思っていたのですが、犬丸という男ーーー須美姫の夫だという、あの者、もしや、すでに式部の大輔さまのお屋敷に入り込んでいるのでは? 例えば、使用人のふりでもして……」
須美姫は、確かに文をタキに渡すように頼んだと言った。
だが、姫の部屋に踏み込んだ式部の大輔は、文を見つけられなかった。
女房に盗み見られてから、式部の大輔が現れるまで、そう長い時間ではないはずだ。
すでにタキの手を離れていたとしても、出入りする人間を全て調べても、文は見つからないというのは、よほど巧妙に持ち出したか……あるいは、渡した相手が、屋敷の中にいると考えた方が自然だ。
そして、その者は、屋敷内部から須美姫の逃亡を手助けすることができる。
「確か、少し前に、羅城門の側で貴族の男の亡骸が見つかった……という噂がありましたよね? その人が、式部の大輔の家の使用人だったとしたら……?」
一月程前のこと。
一部の貴族たちの恐怖と好奇心を煽った事件。
凄惨な死に様だったという。
衣服を剥ぎ取られ、顔を焼かれ、髪を根本から削ぎ落とされていた。
「犬丸が、その男に成り代わった……と言いたいのですか?」
問い返した時峰は、すぐに、
「それはないと思います。」
と、否定した。
「確かに、死んだ男の身元は分かっていません。ですが、それを調べるために、二条から四条一帯の家の貴族と使用人たちの身元を、検非違使たちが確認したのです。当然、叔父上の家も例外ではない。」
「そういえば、確かに………」
あの時は花房邸にも検非違使が来た気がする。
父が応対していたから、土筆は良く知らないが、あの父のことだ。用心深く調べたに違いない。
「結果、叔父上のところも含め、どの家にも、不審な行方不明者はいなかった。」
「……そう…だったのですね。」
わざわざ、身元が分からないように手の込んだことをした遺体だ。何か関係あると見込んだのだが……
土筆は、あのとき、父から聞いた事件のことを、よく思い返してみた。
三条あたりから、羅城門近くまで引きずられてきた男。
顔を焼き、髪を切り落としーーー
「…………あ。」
土筆の頭に、ふと閃いた。
「分かった………かもしれません。」
「分かった?」
「犬丸が、どこにいたのか……」
「え?」
土筆が考えたことが正しいとするとーーー
土筆は思い出し、確認した。
これまで起こったこと、須美姫と話したこと。
身元不明の遺体。犬丸。方違え。
そして、その断片たちを組み立てる。
土筆の頭の中に、一つの筋の通った結論が出来上がった。
これなら………矛盾はないーーー?
「本当に、犬丸がどこにいたのか、分かったのですか?」
驚いて尋ねる時峰に、土筆は、「はい。」と頷いた。
「分かりました。そして、おそらく……どうやって須美姫が消えたのか、も。」
* * *
御簾のむこうの土筆が、「須美姫がどうやって消えたのか分かった」と言った。
「本当ですかっ?! 犬丸はどこに……どうやって、姫は動いている牛車の中から……?」
すると突然、土筆の前の御簾がスルスルとあげられた。
「姫ッ?!」
どうやら内側で、土筆が女房に指示したらしい。
御簾は、地面から時峰の掌一つ分くらい上がったところで止まった。その隙間から土筆姫の手がニョキっと出てくる。
この手を、以前、垣間見たのは、春の月夜。
今日は昼間だから、あの時より明るい。
初めてハッキリと見る、愛しい人の腕は華奢で、指はスラリと長かった。
「……あ…あ、あの……?」
「見てください。」
戸惑う時峰をよそに、土筆は、御簾の下から差し出した手に握った
土筆に促され、目を凝らすと、それは、
「……碁石?」
「はい。碁石です。」
右手の真ん中に、白い碁石がちょんと乗っている。
「これから、ちょっとした遊戯をするので、これを、よく見ていてください。」
「遊戯……ですか?」
土筆が、「ええ、そうです。」と言った瞬間、碁石が、ポロリとこぼれ落ちた。
「あっ……ごめんなさい! 良く見えなくて……」
土筆が碁石を拾って、右の手に乗せ、掌を握る。
そして、反対の手も同じように握った土筆が、
「時峰さまにお伺いします。今、碁石はどっちの手にあると思いますか?」
そんなの聞かれるまでもない。
「右手でしょう?」
碁石を乗せた手を、指で差す。と、土筆は、その手を開いた。が、そこには、何もない。
「アレ…ない?」
それで、まだ握っている左手に視線を向けて、
「では、反対の手ですか?」
すると土筆は、反対の手をこれ見よがしに前に出して、フリフリ動かしてから、パッと開いた。
が、そこにも碁石は乗っていない。
「驚きましたか?」
土筆がどこか得意げに聞いた。
時峰は、少し考えてから、
「じゃあ、右手の袖の中、ですね?」
「まぁっ?!」
土筆が感嘆の声をあげた。
「どうして、お分かりに?」
軽く振った右手の袖から、碁石がコロンと転がり出た。
「姫が私の目の前で左手を翳していた仕草が、少々わざとらしいなと感じました。それで、全体を注意深く見ていたら、右手の方で何かが僅かに動いた気がして……」
多分、仕掛けはこうだ。
まず碁石を床に落とし、拾ったふりをする。何も持っていない左手で、右手の上に置く仕草をして、掌を握る。
反対の手も同じように握って、相手に碁石の在り処を尋ねると、皆、当然、最初に握ったほうを差す。
だが、そこには碁石はない。
それで、反対の手かもしれないと意識がそちらに向いている時に、さっと碁石を右手の袖に隠すのだ。
「碁石は表から見えないように、指に挟んで右手の甲に隠していた……というところかな、と。」
角度を上手く調整すれば、手の甲に挟んだ石は相手には見えない。
「流石……時峰さまです。」
土筆が、「見破られたのは、初めてです。感服いたしました。」と言うので、時峰は少し良い気になって、頬が緩んだ。
「それで、この遊戯に、どんな意味が?」
「私は、これを須美姫の前でやりました。」
「須美姫の前で?」
土筆は、これをやってみせたあと、種明かしまで、しっかり説明したのだという。
土筆の説明に、時峰は、須美姫がこれをどう使ったのか考えた。
「この遊戯で、人が騙される理由は、二つあると思うのです。」
土筆が言った。
「二つ?」
時峰が興味深く、先を促す。
「一つは、思い込み。一連の動作の中で、皆が、
「なるほど。」
目の前で落とした石を拾う仕草をすれば、人は当然、拾ったと思う。
それを手に乗せる動作をすれば、握った拳の中にあると思う。
「そして、二つめは、想定外の出来事が、人の意識を惹きつける、ということです。」
「想定外の出来事が、人の意識を惹きつける……?」
入っていると思った方の手に、碁石はなかった。それで、見るものの目と意識は、否が応でも、もう一方的に惹きつけられる。
一つ前の動作を思い出して、じゃあ、こちらにあるはずだと注目してしまうのだ。
これと、同じ何かが起こった……ーーー?
「………あぁ。」
時峰は、得心がいった。
「方違え、ですか?」
「はい。そうだと思います。」
「つまり須美姫は、忌による方違えという状況を
「その通りです。」
犬丸とやらが事前に仕込んで、道中に獣の死骸を置いておく。それで、方違えという
「獣の死骸が、道中をこれ見よがしに塞いでいれば、我々は間違いなく、道を変える。」
貴族社会の常識や慣習を、実に上手く利用しているが…
「いや、しかし……それでも、姫の牛車には、総勢6人の従者たちがついている。あれだけの人数を振り切って逃げるのは、不可能では?」
「全ての人間が、常に牛車をベッタリと取り囲んでいるわけではないでしょう?」
急な方違えともなれば、周りの人たちを追い払い安全を確保する者、牛飼い童を手伝って牛を操る者、先々の道は問題ないのか確認する者。
皆それぞれに役割を持って、三々五々動いていたはずだ。
「慌ただしく動く状況の中、協力者が一人いれば着物を脱いだ身軽な姫一人抜け出すのは、十分に可能かと。」
「協力者? それが犬丸だ……と?」
「えぇ、そうです。」
「して、その犬丸はどこに?」
すると、土筆は、一呼吸置いて言った。
「思い出してください。あの羅城門の遺体のことを。」
顔が焼かれ、髻を根本から切りとられた。
「顔を焼いたのは、身元を隠すためですが、髪を切ったのは、
「髻を落とすためではない?」
「もちろん、身元を隠す作用はあったと思います。けれど本当の理由は、もっと単純。」
分かりませんか、と問われた時峰は、男の髪を落とさねばならぬ理由を考えてみたが、思いつかない。
髪を落とすといえば、出家くらいだが………
「分かりませんね。思いつきません。」
すると、土筆が答えを告げた。
「髪を切ったのは、おそらく、もっと実用的な理由。単純に、髪の毛が必要だったのです。」
「……は?」
「切り落とした髪を使いたかったのですよ。自分に付けるために。」
「
言いかけたところで、ハッとした。
ようやく、土筆が言いたいことに気がついた。
「いるでしょう? 子どもみたいな髪の者が。」
「牛飼……
『牛飼童』というは職業の名であって、別に子どもというわけではない。牛飼童は、大人になっても、老人になっても牛飼童だ。
しかし彼らは、『童』の名の通り、成人しても髪を結わない。皆、子どもと同じ振分け髪をして、腰ほどの髪束を左右に垂らして結んでいる。
「お父様のところに来た検非違使が言っていました。『羅城門で、
つまり、死んだ者は、あくまで「髻を結っていた」と認識されていたということ。
「なるほど。先程の話の『思い込みを利用した』というのは、このことですか。」
髻を取られるのは、貴族にとって酷い恥。凄惨な遺体の髪を削がれたのは、相当な恨みを買って、髻を取られたからに違いない。
だから、この者には髻があったのだ、と皆が考えた。
そもそも、なんでもない男の野垂れ死になら、検非違使が熱心に出張ることはない。貴族たちが、「貴族の男が酷い殺され方をした」と震え上がったから、検非違使が調査を始めた。
人々の恐怖と思い込みが、いつの間にか、死んだのは髻のある貴族の男に違いないと決めてしまった。
「我が家も、髻を結う身分の成人男性しか身元確認はしていないはずです。」
そもそも、髻を結わない下働きの下男など、主人と接する機会はほとんどないから、入れ替わりがあっても、さしたる影響も危険もない。仮に犬丸とやらも、ただの下男では、そう易易と、度々、姫に近づけはしなかっただろう。
たが、牛飼童は違う。
外出のたびに姫に同行するのだ。
勿論、他の者の目があるから、話すことは出来ないかもしれない。だが、手紙のやり取りくらいなら、乗り込む時に袖口から落とすとか、いくらでもやりようがある。
「殺されたのは……牛飼童だった?」
「そうです。そして方違えをする時に、牛車の後ろについていた牛飼童こそが、入れ替わった犬丸です。」
「後ろ? 何故、後ろと決まってるんです?」
「牛車は、前から降りるものだからです。」
「………あぁ。」
これも思い込み。
牛車とは、『後ろから乗り、前から降りる乗り物』だ。それは、都の者なら誰もが知る常識で、後ろから降りようものなら、田舎者だと馬鹿にされるだろう。
もし、「姫が牛車を降りたところを見ていないか」と確認されたら、皆、真っ先に、前方を思い浮かべる。
だからこそ、あえて姫は、後ろから降りたのだ。
急な方違えで、皆の注意が逸れ、速度が落ちた時を狙って、重い着物を脱ぎ捨て、牛車の後ろからスルリと滑るように抜け出した。
降りた後は、近くの家の軒先か芝垣の影にでも隠れたか。方違えが起きる位置が予め決まっていたのなら、隠れ場所も確保してあるだろう。
「この遊戯の仕掛けを明かした時、私は姫に、申し上げました。『人とは面白いもので、当然こうだと思い込んでいることと違うことが起こると、案外、騙されるようです。』と。」
髻を落とされるのは恥だから、髪を削がれた者は、髻のある者だと思った。
牛車は前から降りるものだから、後ろから抜け出すとは思っていない。
そういう、常識や慣習に縛られた思い込みと現実のズレを、須美姫と犬丸は利用したのだ。
* * *
「それなら、すぐに牛飼い童を……」
土筆の話を聞き終えた時峰が、腰を上げかけた。
それを、土筆が制する。
「時峰さま……!!」
土筆の意図を、時峰はすぐに察したらしい。
「………いや、やめておきましょう。」
ため息交じりに、浮かせた腰を下ろす。
「殺された牛飼いには、可愛そうだが……」
「おそらく、相当な恨みがあったのだと思います。」
土筆は、あの時の須美姫の怒りに燃えた須美姫の瞳を思い浮かべた。
従者だけでは足らず、牛飼い童まで乗り込んできてーーーと、須美姫は言った。
侮辱され、拘束され、引き離され、連れてこられた。
辛い日々から、須美姫は、ようやく逃げだせたのだ。
「………須美姫は、」
しばらく黙っていた時峰が、ポツリと言った。
「無事に、逃げられたでしょうか?」
土筆は少し考えてから、本音で返した。
「………だといいな、と思います。」
「都を出るのは、簡単ではないと思いますが。」
「分かっています。」
式部の大輔は、須美姫が消えたと知るや否や、都中の門に人を遣って、出入りする者たちを調べ始めたという。
「今のところ見つかってはいませんが、かなり執念深く追っているようです。叔父上は、方法はわからなくても、自発的に逃げたと疑っているのでしょう。」
都に縁もゆかりも土地勘もない人間が、隠れられる場所は限られている。
式部の大輔は、隠れられそうな場所に、あちこち手をやって調べさせているらしい。
「私が助けてあげられることは、もう何もないのかしら……」
呟く土筆に、時峰が言った。
「噂を流しましょう。」
「噂?」
「あの日、姫に似た女人を担いだモノノケを見た、という噂です。市中をうろつく検非違使あたりに広めればいいでしょう。」
姫は逃げたのではない。
人ならざるものに連れ去れたのだ、と。
「それで怖がって……あるいは納得して、これ以上関わり合いになりたくないと思う者も多いはずです。」
動いている牛車の中から消えたのだ。
この不可思議な状況は、理由や方法を考えるより、モノノケのせいだという方が、皆、しっくりくる。
「追う使用人たちが嫌がれば、叔父上も手の出しようがない。次第に、追跡は緩まるでしょう。」
時峰は、土筆の意を……願いを、これ以上ないほどに理解して、汲んでくれる。
「ありがとうございます。」
土筆は、その配慮と機転に、深く深く感謝して、御簾の内で頭を下げた。
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