第5話 見舞う者たち


 近衛中将、藤原時峰ふじわら ときみねが花房家に訪れたのは、土筆が目を覚ました翌々日の午前中だった。


「本当はもっと早く来たかったのですが……」


 バツが悪そうに言う時峰。

 すぐに来れなかったのは、土筆の体調に遠慮したというだけではない、気軽に顔を出せない理由があった。

 

 今回の騒動は、『時峰が熱を上げている土筆姫』に嫉妬した、女の怨霊の仕業だと考えられていた。

 加持祈祷をしていた陰陽師や僧たちが口々にそう言い、最後に怨霊を祓った狐笛丸も、明言こそしなかったが、暗に認めたらしい。


 その筆頭で疑われたのが、時峰の年上の従姉妹、槿あさがおの君だった。


 怨霊の正体について、土筆の父の資親すけちかに問われた狐笛丸自身は、具体的な名は出さなかったという。

 しかし、その日の昼間、狐笛丸が土筆の部屋を去る際に呟いた言葉を、タマが覚えていた。


ーーーアサガオには毒がある。


 それで、真っ先に疑われたのが、槿の君だったというわけだ。


 最も、この嫌疑、槿の君本人は否定している。証がないから、追求も出来ないだろう。

 聞くところによると、槿は、疑惑に耐えきれず、心を病んで部屋に籠もっているという。


 土筆は目を覚ました後、父から、悪霊の姿形をみていないか、あるいは声を聞いていないかと幾度となく尋ねられた。


 それで一生懸命思い出そうとしたのだが、どうもハッキリしない。

 あの時は本当に、自分の身体が、どうにかなってしまいそうな、どこか別のところに飛んでいってしまいそうな気がした。


 だが、それ以上のことは、何も思い出せない。どれだけ振り返ってみても、その怨霊とやらの具体的な姿形は浮かばないのだ。


 きっと、何かの霊障のせいだろう。

 あるいは、これまでも、物の怪の類にお目にかかったことはない土筆だから、多分、その手の感覚に鈍いのかもしれない。


 だから本当のところ、槿の君のせいだと決まったわけではないのだが、時峰にしてみたら、そうはいかない。


 自分を恨む女のせいで土筆が危篤に陥ったこと、そして、それが交流のある槿の君だという噂に、時峰は土筆に合わせる顔がなかった、というわけだ。


 とはいえ、土筆の方は、時峰に礼を言う機会を待っていた。


「時峰様こそ、わざわざお見舞いにお越しいただき、ありがとうございます。私のために、高名な僧に加持祈祷をご依頼頂いたとか……おかげさまで、随分と軽快いたしました。」


 すでに起き上がれる程に回復した土筆が、御簾のうちで、頭を下げると、


「いやいや……」


 時峰が苦笑いを返す。


「私など、何の役にも立たず……結局は、あの陰陽師が祓ってくれたのだとか。関わるななどと言ったのは私なのに、情けない……」


 時峰もタマほどではないが、狐笛丸への認識を改めたらしい。


「そのようですね。本当に、あの方は何者なのかしら?」


 土筆が呟くと、


「あれから少し分かったことがあります。」


 狐笛丸について調べてほしいと、以前、時峰に頼んであった。時峰は、頼まれた以上、せめてこれくらいは期待に応えたいと、かなり手を広げて調べてくれたらしい。


「狐笛丸ですが、どうやら須磨のあたりからやって来たそうす。母親がそれなりに高貴な血筋らしいのですが………残念ながら、誰かまでは分かりませんでした。」


「母親? では、お父様は?」

「それは、全く。」


 父の正体が明らかではない。ということは、


「狐笛丸は、お母様が一人でお育てになったですか? 苦労したでしょうね?」


 高貴な女性が一人で子を育てるのは、さぞ大変だっただろうと慮る土筆に、


「いえ、それが、そうでもないようです。」


 時峰が首を振った。


「どうやら狐笛丸を産んだ女は、女房に頼んで近くの寺に赤子を預けさせたらしいのです。」


 それで、女の消息は途絶えた。

 だから母の身元は分からないが、その時、預けに来た女房の話から、高位貴族の娘だということだけは、察せられたという。


「では、狐笛丸は孤児なのですね?」

「そういうことになります。」


 別に珍しい話ではないだろう。

 両親と死に別れて孤児になることはあるだろうし、妾の子などが主人から捨てられ、母を亡くして孤児になることもある。


「ですので、結局、私の調べは行き詰まってしまい……いっそ、その母とやらが、安倍晴明公のように、本物の狐だったのかと思った程です。」


 安倍晴明は、伝説の陰陽師だ。強い霊力を持ち、母は信太の森の狐だという伝承があった。


「でも、そうだとしたら、寂しかったでしょうね。」


 母には、捨てられたも同然。

 狐笛丸は、母を求めて都にやって来たのだろうか。

 そうと思うと、無表情な狐面が憂いを帯びた哀しい顔に見えなくもない。


「まぁ、いずれにしても、今回のことで狐笛丸の評判は鰻登りです。資親殿は、早速、陰陽寮に口利きを始めたらしいし、他にも何人かの貴族に紹介を頼まれたと聞いています。」


 有力な陰陽師ならば、味方に引き入れておいて損はない。そういう打算が、実に父らしい。


「でも狐笛丸は、権力を欲しているわけではないのでしょう?」


 父が用意した酒宴もアッサリ断ったという。


「そうですね。実のところ、陰陽寮にもあまり関心がなさそうだと聞いていますが………」


 時峰は、「でも、分かりませんね。」と首を振った。


「資親殿を通じて、大納言家の中平篤則なかひらあつのり殿から奥方の長患いを祓って欲しいとお呼びがあり、今晩あちらに行くそうです。そう思うと、やはり力のある者との繋がりを持ちたがっているようにも見えます。」


「中平さま?」


 中平篤則は、土筆との直接の交流はないが、父とは親しい間柄。


「中平家は、今の帝の妹姫、女一のみやさまのご実家筋。帝との関係も良好です。」


「確かにそうね……」


 帝との関係性でいえば、女御は出しているものの子のいない花房家より、中平家のほうが結びつきは強い。


 だが、両者を比較して劣るほど、花房家が弱いわけではない。


 時峰の話に相槌を打ちながら、土筆の心には、何かが引っかかっていた。それは何だろうと考えていると、時峰が、


「本当に………」


 口を開きかけたところで、言葉を詰まらせ、


「……本当に、貴女が気を失っていた間、私は生きた心地がしませんでした。」


 吐き出すように言った。


「正直、今日、ここに来て、貴女の声を聞くまでは、ずっと不安でした。」


 快活な時峰にしては、珍しく弱気な台詞に、土筆は驚いた。


「思ったより元気そうにお話されていて、とても安心しました。私……私のせいで……」


「時峰さまのせいではないでしょう?」

「しかし、皆がそう噂しておりますので……」

「定かではありません。」


 土筆がキッパリといった。


「現に、狐笛丸も明言はしていないと言うじゃありませんか。憶測で、互いに傷ついたり、傷つけあったりするのは、よくないわ。」

 

 時峰が、ハッと面を上げた。


「不幸な事故だ、と思いましょう。」

「………ありがとう。」


 美しい顔は、やや窶れている。それが安堵に緩んで、微笑んだ。


 時峰は来たときよりも大分落ち着いた様子で、「何かあったら、いつでも呼んでください」と、何度も何度も言い残して、帰っていった。



 その少し後、土筆の部屋に顔を出したのは、妹の菫。


「土筆お姉さま、御身体の具合はいかがですか?」


 何かを携えて、いつものようにヒョッコリと部屋に入って来た。


すみれ、どうかしたの?」

「お姉さま、退屈されているのではないかと思って……」


 菫は、土筆の前で道具箱を広げた。中には、美しい蒔絵が描かれた貝殻。


「貝合わせでも、いかがかですか?」


 貝合わせは、貝を左右に分けて、片貝を出し、それにピタリと合う対の貝を探し当てる遊戯。雅やかに絵付けされた貝が美しく、菫の好きな遊びだ。


 あまり人との交流がない彼女にとって、土筆とのこの時間は、大きな楽しみの一つだから、土筆のためというより、菫のほうが相手をしてほしかったのだろう。


「いいわよ。やりましょう。」


 土筆が応じると、菫は愛らしい顔で、嬉しそうに笑った。


「私が伏せている間、一人で寂しかったでしょう?」


 土筆が貝を並べながら尋ねると、


「まぁっ!!」


 菫は、心外だとばかりに、少し頬を膨らませて、


「お姉さまが苦しんでいるのに、そんなこと思いませんよ。ちゃんと、お姉さまの無事を祈って写経をしていたんですから。」


 子どもだと誂われたのだと思ったらしい。


「そうらしいわね。ありがとう。貴女がとても立派なったと、女房たちに聞いたわ。」


 土筆に褒められ、菫は得意げに「うふふ。」と笑った。


「これくらい、大したことありません。だって、おかげで、お姉さまに取り付く悪い霊、ちゃんと3日で出て行ってくれましたもの!!」


 それ以上の喜びはないわ、と綻んだ菫の顔は、並の男なら皆、惚れてしまうだとろうというほどに愛らしい。


 菫は、甘えるように小首を傾げて、


「さぁ、今日は、菫と貝合わせに存分に付き合っていただきますからね。」


 そう言うと、土筆の並べた貝を捲った。



* * *



 菫との貝合わせが終わり、彼女が去ってから、一人になった土筆は、ゴロンと寝台に寝転がった。


 まだ体力が回復してないのか、酷く疲れていた。


 枕に頭をもたげて、横向きに寝る。視線の先には、数日前、アサガオを浮かべた陶器の器が置いてあった。勿論、今はすっかり片付けられている。


 土筆は、目を瞑って、一人呟く。


「アサガオ……か」


 身体は治っているはずなのに、どこかスッキリしない。


 喉に何か支えているような、あるいは飲み下せないような、気持ちの悪さ。


 何か見落としている……ーーーそんな気がしてならないのだ。


 菫は、目を瞑って、ここ数日に起こったことを反芻した。


 初めは、顔を隠した陰陽師。呪うときに笛を吹く。

 その陰陽師が、突然、花房邸にやってきて、土筆が呪われていると告げた。


 その晩、土筆は、狐面の男が予見した通り、呪いを受けて患った。


 助けてくれたのも、狐笛丸。

 でも狐笛丸はどちらかというと、呪うほうが得意だと言っていた。


 狐笛丸の呪いはどんな呪いだったかしら?


「狐面丸に呪われた者は、笛の音を聞く………」


 それからーーー時峰は、なんと言ったっけ?


 笛の音を聞いて、そして……ーーー


「…………あッ?!」


 土筆は、そのことに気がついて、ガバッと身を起こした。


「タマッ! タマはいる?」


 土筆が呼ぶ声に、いつものように、


「はい、はい。おりますよ。」


 やや面倒くさそうに返事をしながら、部屋に入って来たタマに、


「急ぎ父を……あと、中将を呼んでくれる?」

「中将……?」


 タマは、怪訝な顔で、


「え? 時峰さまですか?」

「えぇ、藤原時峰さま。すぐに探して、こちらにお越しいただくように伝えていただきたいの。」


 切羽つまった物言いに、タマも「分かりました」と返事する。


「すぐに下男に探すよう、お伝えいたします。」


 着物を翻し、部屋から出ていった。


 一人部屋で待つ土筆。

 ジリジリと焦るような気持ちを持て余し、ギュッと手を握りしめる。


「早く………」


 早く、二人を掴まえなくては。

 そして、確かめなくてはならない。


 土筆は待ちながら、祈っていた。


 どうか、この嫌な予感が当たりませんように、と。



 だって、土筆の勘が正しければ、かけられた呪いは、これで終わりじゃないはずだから…ーーー

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