第6話 花橘の木に狐1


 土筆は、自分の部屋で一人、日が落ちて暗くなった庭を眺めていた。


 部屋の御格子は完全に開け放ってある。目の前には、月明かりに照らされた庭。


 だが、決して寛いでいたのではない。


 まんじりとした気持ちで、結果が届くのを待っていた。自分の抱いた懸念が、どうか当たりませんように、と祈りながら。


 傍らには、菫が置いていった貝合せの道具箱。蛤の片貝が一つ、片付けられずに道具箱の外に落ちていた。

 土筆は、それを拾い上げて、手のひらに乗せる。気持ちを落ち着かせるように、ザラザラとした表面を指で擦った。


 それから溜息を吐いて、貝殻を握りしめたまま、目を瞑った。


 と、ふいに耳に届く、微かな笛の音。


 ハッと目を開く。

 音は徐々にハッキリとした輪郭を伴って、近づいてくる。


「………そこにいるのね?」


 土筆が声をかけると、笛の音がピタリと止んだ。


狐笛丸こてきまるでしょう?」

「ご明察。」


 庭の橘の木の葉が、ザワリと揺れた。


 葉擦れの音のした方向に視線をくべると、太い枝に一人の男が座っているのが見えた。


 闇夜に浮き立つ、白い狐面。

 その周りを濃い緑とほんのり黄色がかった白色の橘の花が囲んでいる。


 橘の葉は密集して生える。にも関わらず、まるで葉や花の方が男を避けているかのように、狐笛丸の姿はくっきりと浮かび上がっていた。


「どうしてここに? てっきり、大納言家に行ったのかと………」

「あちらの用事は、もう終わりました。」

「まさかッ………?!」


 土筆は、唾をごくんと飲み込んで、


「………殺したの?」


 しかし、狐は何も答えず、再び笛を吹いた。

 仕方なく、土筆は質問を変えた。


「どうして、ここに現れたの? 目的は達したのでしょう?」


 狐笛丸は、笛を吹くのをやめて問い返す。


「何故、私が目的を達したと思うのですか?」


 重ねるように、「私の目的は、なんだと思いますか?」と問う狐笛丸に、土筆は、何度も頭の中で考えた答えを口にした。


「大納言、中平家。貴方は、あの家に入り込むために、私に……花房家に近づいた。そうでしょう?」

「…………。」


 狐笛丸は、無言。だが、続きを聞く気はあるらしい。

 土筆がまた、口を開く。


「そもそも、私が呪われているということ自体、嘘。私は呪われてなんかいなかった。」


「なるほど? でも貴女は、実際に呪いに身体を蝕まれ、生死の境を漂いましたよね。」


「呪いじゃないわ。」


 土筆は、白い狐をキッと睨みつけた。


「あんなの、呪いでもなんでもない。全て、貴方が仕組んだことでしょう? 貴方の呪いは自作自演。狂言です。」


「自作自演?! 面白い考えです。だが、根拠は? なぜ貴女が、そんなことを考えたのか、是非お聞かせ願いたいですね。」


 狐笛丸の徴発するような言い方に、土筆は、ずっと抱えていた違和感を告げた。


「だって、どう考えても……順番が違いますもの。」

「順番?」

「えぇ。」


 そう。やはり、順番は違うのだ。


「まず、貴方が花房邸ここにやってきた。 あの時点で、私は全く何の問題もなく、元気でした。そして、貴方が私に、呪わていると言い、その直後に私は体調を崩した。」


 普通は呪いの兆候や片鱗があって、陰陽師に依頼する。にも関わらず、土筆は、この男が来た途端、体調が悪くなった。それは、やはり解せないことだった。


「私が姫の呪いを予見した、とは思いませんか?」


 あの時、狐笛丸は、呪詛の匂いがすると、もっともらしいことを言った。


 なるほど、力のある陰陽師だったら、そういうことができるかもしれない。だけどーーー


「貴方は、本物の陰陽師ではないでしょう?」


 狐面が僅かに傾ぐ。狐笛丸が、フッと嘲笑ったような気がした。


「巷で貴方が起こしたとされる呪いについて、考えてみました。」


 そしたら、ある違和感に気づかざるを得なかった。


「噂によると、貴方に呪われた者は、笛の音を聞くそうですね。」

 

 そして、身体に不調をもたらす。不調とは、下痢に嘔吐に、吐血……その症状は様々だ。だが、共通していることもある。


「貴方の呪いは、全て身体の内……それも、五臓六腑の極めて具体的な不調として作用する。」

「………それが何か?」


 問い返す狐笛丸に、土筆が出した結論を告げる。


「呪いではなく……貴方が何か盛っているのでは?」

「何か……?」

「例えば……植物毒。」


 狐笛丸が黙った。


「ここを去る間際に、言いましたね。アサガオには毒があるーーーと。」


 あれは狐笛丸が残した手掛かり。


「貴方が仰っしゃるとおり、アサガオの種子には服用すると、腹を下す効能がある。」


 海の向こうの大陸では、薬として用いられることもあるらしい。だから、アサガオは時に薬であり、時に毒でもある。


「貴方には、少なくとも植物毒に関する知識がある。呪いをかける相手に、身体に何らかの作用のあるものを服用させ、死に至らしめたのでしょう? 私にしたのと同じようにね。」


 あの作用の程度から言うと、土筆が口にしたのはアサガオなんて生温いものではないだろう。

 もっと酷い……だが死に至るほどではない植物毒ではないかと思えた。


「面白い。」


 無表情な狐が言う。


「では、私が貴女に何らかの毒物を与えたたとして、一体どうやったというのですか? 仮にも権大納言家の姫の口に?」


「菫でしょう?」


 土筆は間髪いれずに切り返す。


「純真なあの子を利用しましたね?」


 おそらく、土筆の部屋を発ったあと、菫に接触したのだ。笛の音で、あの子の興味を惹き、何とか言いくるめて、毒物を渡した。


「その菫姫、この狐面に見覚えがある、と言いましたか? それとも、それくらいの嘘を平気でつく娘なのかな?」


 花房の姫たちのことを良く調べている。

 菫という娘が簡単に嘘をつけるほど、器用でないことも分かっているのだ。でもーーー


「嘘なんてつく必要ないわ。だって、狐なんて見てないんだもの。」


 そう。あの時、土筆が尋ねた質問に答えた通り、菫は、狐面の男など見ていない。


「顔を隠す、そのお面……外したんでしょう?」


 狐笛丸は、面を外して、白い狩衣を脱いだ。

 陰陽師らしく見せるための白の着物の下には、地味な狩衣。袴はよくある深草色のものだから、膝辺りまでたくし上げれば、そこらにいくらでもいる、どこかの下男か雑色か。


 だから、菫は素直に「狐面の男には会っていない」と答えた。


「貴方の言う通り、菫はとても素直な子よ。」


 良く考えれば、初めから、彼女はおかしかった。


 土筆のところに陰陽師が来たのだ。何かと気に病むあの子なのに、どんな話なのか、なんのために土筆のところに来たのか、殆ど気にしていなかった。


 土筆が病に伏せてからは、自ら申し出て写経をしたというし、土筆の目が覚めた時も柄に似合わず気丈だった。

 本来の彼女なら、大泣きで抱きついてきてもおかしくはない。にも関わらず、土筆の部屋に来た菫は、とても冷静だった。らしくないほどに。


 そして言ったーーー3目を覚ましたから、と。


「陰陽師の使いだとか何とか言って、あの子を言いくるめて……そうね、私が呪われているから、護りのまじないを施した薬だ、とでも言えばいいかしら? そして、一時的にのろいのせいで不調になるけど、この薬の力で、3日程で必ず元気になるから、気づかれぬよう、コッソリ食事に混ぜてほしいとでも頼む。」


 純真な彼女だ。

 土筆本人は取り合ってくれなかったが、このままでは姉の命が危ないとでもいえば、使命感に燃えて引き受けるだろう。

 自分が飲ませたものこそが、土筆の不調を引き起こす毒だとも知らずに。


「貴女の目的は、権大納言、中平様。そのために、私の父である花房資親の信頼を得る必要がある。それらしく槿あさがおの君まで暗示させて、手の込んだことをしてくれたね。」


 あの時、告げた『アサガオ』に込められた本来の意図は、毒を仄めかすことではない。


 土筆に嫉妬していると、皆が疑う槿の君。その存在を暗に匂わせること。


 槿の君にしてみれば、とんだ濡れ衣だ。


 だが、おかげで、土筆は、狐笛丸が植物毒の知識を有している可能性に至った。


 土筆は、月に照らされ、花橘に囲まれた、その男を正面から、じっと見つめた。


橘 貴匁たちばな たかめ。」


 土筆が名を口にした瞬間、二人の間に、ビュンと強い風が通り抜けた。

 橘の葉がザワザワと揺れている。


 しかし狐笛丸は、微動だにせず、じっと土筆を見下ろしていた。


「橘貴匁ーーーこれが、貴方のまことの名。」

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