第17話 花の香

 翌日の放課後、僕は言われた通りに藤堂さんの家の前へと立っていた。震える手でチャイムに手を伸ばすが、中々それを押すことが出来ない。この先に何があるのか、それは何となく想像は付く。彼女のことだから、そんなことは簡単にやってのけるのだろう。


 だから、だからこそ、その一歩を踏み出す勇気が得られない。きっと、この先へ進んでしまったらもう後戻りは出来ないだろう。尤も、既に泥沼に両足とも突っ込んでいるようなものなのかもしれないが。


 暫し、苦悩する。選択を迫られたことを思い出す。自分の選択で、生死が分けられる。僕はあの時、殺す選択肢は取れなかった。しかし、あの時開放された犯人によって新たに二人が殺された。あの責任が僕にあるというのか。脂汗が滲む。

 一方で、大介の爽やかな笑顔を思い出す。小学校からずっと一緒だった親友。いつもクラスも同じで席も近く、常に行動を共にしていた。あいつとは、この先もずっと付き合いが続いていくのだと思っていた。

 なのに、日常は、平穏は、崩れ去った。大介は死んだ。藤堂さんの言うことを信じるのであれば、遊び半分のような理由で。

 怒りが込み上げてくる。いつの間にか痛みを覚えるほどに強く拳を握りしめていた。


 震える指が、マンションの一室のチャイムへと伸びる。この先には何が待っているのか。ぎゅっと目を閉じて、僕はそのボタンを押した。押してしまった。


「──待っていたわ」


 まるでその場で待っていたかのように、直ぐに扉は開かれた。いや、実際待っていたのだろう。僕が訪れることに確信を持って。

 目を開くと、不敵な笑みが目の前にあった。花のような甘い香りが鼻腔を擽る。しかし、それに反して真っ暗な廊下の奥から僅かに据えた臭いが漂ってくる。脳内が相反する二つの香に吐き気を覚え、片手で顔を覆って左右に軽く振った。


「さぁ、どうぞ?」


 藤堂さんは身を横に引き、優雅な動作で片手を室内へと向け、可憐な笑顔を浮かべる彼女はまるで何処ぞのお嬢様のようだった。その名の通り、凛としている。

 しかし、目の前にあるのは豪奢な家ではなく、ただのマンションの一室。それも、粘り着くような酷く気持ちの悪い雰囲気の漂う部屋だ。そのギャップもまた、僕に得体の知れない気持ち悪さと恐怖の入り交じった感情を抱かせる。


「どうしたの?」


 藤堂さんの言葉にはっと我に返った。ほんの僅かに、苛立ちの滲んだ声色だった。ここまで来ておいて今更何を躊躇っているのか、自分で決めたのではないか、とでも言わんばかりの鋭い眼光が僕を射抜く。


「いや⋯⋯うん、お邪魔、します」


 これからのことを思うと「お邪魔します」などと言うのも違和感を覚えるものではあったが、彼女の視線に耐えきれずに靴を綺麗に玄関へと並べて廊下へと足を置く。

 周囲が薄暗闇に包まれた。藤堂さんが部屋の扉を閉めたからだ。そして、カチャリと内鍵を閉めたであろう音が静かな室内にやけに大きく響く。


「この前の部屋よ」


 先に行け、ということらしい。

 そう広くはない室内だ。今更ながらの後悔を感じて足取りは自ずとゆっくりとしたものになってしまったが、あっという間にあの部屋の前に来てしまった。

 扉の上下に外付けの鍵が付けられた部屋。その扉は何故か黒ずんでいるようで、それがより異質さを際立たせていた。


 ──室内から、くぐもった声が聞こえた。


 あの時と同じだ。この中に、誰かがいる。きっと拘束された誰かが。

 きっと。いや、昨日の彼女の言葉の通りであれば、僕にとって重要な人物なのだろう。僕の『正義』とやらを問うのにうってつけの誰かナニカが。


 生唾を飲み込む僕を一瞥しながら、藤堂さんは僕の横を通って扉の前に立ち、指に引っ掛けたキーリングを顔の横まで持ち上げて口角を釣り上げる。そして、勿体ぶるようにゆっくりと上下それぞれの鍵を開けた。


「さぁ、貴方はどうするかしら」


 そう言うなり、彼女は扉を開け放った。


 何も無い殺風景な室内は、天井から吊り下げされた裸電球でうっすらと照らされている。

 その中心には、前回と同じように一人の男が頑丈な椅子に両手両足を縛り付けられている。衣服は身につけているが、その目には黒い布が巻かれて周囲の様子が見えないようになっていた。


「おい! 誰だ! いきなりこんなことしやがって、タダで済むと思ってんじゃねぇだろうなァ!」


 人の気配を感じ取り、見えないであろう目を正面に向けて男は吠えた。その怒声には文字通り怒りが滲み出ており、短く刈り上げた金髪と服の上からでも分かる力強い肉体も相まって恐怖に足が竦みそうになる。


「黙りなさい」


 そんな男の腹を、藤堂さんは正面から蹴りつける。衝撃で椅子がギシリと音を立て、男は思わぬ衝撃に噎せ込む。


「⋯⋯っ、ぁ⋯⋯女ァ? 何だ、何の用だよ。さっさとこの縄を解かねぇとブチ殺すぞ!」


 相手が若い女だからと分かったからだろうか、怯むことも怯えることも無く、男は乱雑な言葉を上げ続ける。

 僕は、今まで関わったことの無い人物、そしてまた目の前で繰り広げられる非日常に何も言えないまま、その光景をただ見ていることしか出来なかった。


「貴方の罪を、裁くわ」


 男を冷酷に見下し冷徹な声を落とした藤堂さんの視線が、こちらへと向けられる。ゾクリ、と背中を得体の知れない寒気が走る。


「犬飼くん、選択の時間ね」


 嬉しそうに笑う藤堂さんからは、再び淡く甘い花の香りがした。


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更新遅れまくっててすみません。連休が入るので頑張って完結させたいです。

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【更新停止】黒百合の咲く場所で ゆゆみみ @yuyumimi

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