第11話 屋上で

 数日後、僕は藤堂さんと同じように下駄箱に手紙を入れ、放課後に屋上へと呼び出していた。


「貴方から私を呼び出すなんて珍しいじゃない。どうしたの?」


 屋上へ行くと既に彼女はそこにいた。いつもの様に夕日を眺めており、ゆっくりと僕の方へと向き直った。こうして夕日を背に微笑んでいる姿は、読書の似合う理知的な雰囲気を纏った美少女だ。内包された狂気は一片も感じられない。

 けれど、彼女は狂っている。それを止めなければいけない。


「とっ、藤堂さん」


「なぁに?」


 緊張で声が上擦った。それに対して彼女は小首を傾げる。これから僕が何を言おうとしているのか、好奇心を瞳に潜ませて。


「⋯⋯やっぱり、人殺しは駄目だと思うよ。立派な犯罪だ」


 若干の恐怖を覚えながらも、声を絞り出す。彼女は僕の言葉が届いているのか、いないのか、じっとこちらを見つめたままでいて。


「──うふっ、あははははっ⋯⋯!」


 やがて、堪えきれないというように腹に手を当てて哄笑を上げた。普段の彼女からはとても想像が出来ない姿だ。僕はそれに圧倒されて言葉を失ってしまい、彼女はひとしきり笑った後に目に僅かに浮かんだ涙を白魚のような人差し指で軽く拭った。


「今更、そんなことを言いに来たの? 何? 犯罪だから人を殺してはいけないの? 言ったじゃない、法なんて関係ないって。どうせなら善悪で語って欲しかったわ」


「⋯⋯悪いことだから、法律で定められてるんだろ」


「なら、いじめは? いじめで自殺を選ぶ子だっているわ。でも、いじめを禁じる法律なんてない。なら、いじめは悪いことではないの?」


 彼女の言葉に、一瞬怯んでしまう。確かに明文化されていない悪は存在している。法律を軸に考えるなら、いじめは悪ではなくなってしまう。けれど、善悪とはそんな二極化されたものではない。


「論点をすり替えないでくれ。少なくとも人殺しは犯罪だし、悪いことだよ」


「ふぅん。それなら正義の味方さんはどうするの? 私は悪なのでしょう?」


「⋯⋯藤堂さんが悪なんじゃない、やろうとしていることが悪なんだ」


 そうだ、殺人が悪なんだ。彼女はまだ何も罪を犯していない。殺人願望さえなくなればいい。


「罪を憎んで人を憎まず、という事かしら? それが貴方の正義?」


 正義。

 彼女は言っていた。正義の味方になりたいのであれば、まず自らの正義を定義付けなければならない。それが確固たるものかと問われれば、まだそこまでのものではない。ただ、少なくとも今の僕にとっては、彼女を止めることが正しいこと。正しい、つまりは正義だ。


「……そうだよ」


「なら、明日の放課後に私の家に来てくれる?」


 彼女の言葉に閉口する。藤堂さんの家に行く。それが示すのは、きっと、先日のような狂気に巻き込まれるという事だ。同じ選択を突きつけられて、僕に決めさせようというのか。それは、それは避けたい。


「⋯⋯もう止めようよ、あんなこと」


「嫌よ。私は人を殺したいのだから。貴方は否定したけれど、私が、私自身が悪なのよ。私を止めたいのであれば、貴方が正義を執行したいのであれば、私と向き合いなさい」


 藤堂さんと、向き合う。それは狂気と対峙するということ。それをしなければ彼女を止めることは出来ない。しかし、あんな経験はもうしたくなどない。拒絶の心で、一歩後ずさってしまう。


「言ったでしょう? もう逃げることは許さないと」


 彼女は、一歩前に出る。いつの間にか手に持ったナイフを、真っ直ぐに突きつけながら。


「お返事は?」


 楽しそうな笑顔で、僕に問いかける。ただの脅し。そうに決まっている。そう、思いたい。


「何も聞こえないのだけれど」


 目を細めた藤堂さんが一歩ずつ距離を詰めてくる。そして、ナイフの切っ先を僕の左胸へと押し付ける。もう治ったはずの首に、僅かな痛みが走った。

 淀んだ目。そこには底無しの闇が広がっていた。ぞくり、と寒気が走る。


 ──そして、彼女の口元が大きく弧を描いた。

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