第8話 罪の在り処

「あっ⋯⋯」


 ある日の朝。

 学校へ行く前にテレビを見ていた僕の手から箸が転がり落ちた。


 それは、一つのニュース。


 ──老夫婦が殺害。

 ──家の中には荒らされた後。

 ──金品目的。

 ──先の二件の事件と同一人物の可能性が高い。


 アナウンサーが言っている言葉が、ぼんやりとした僕の頭の中に断片的に入ってくる。

 起きてしまったのだ。次の犯行が。

 今まではニュースを見て、許せない、早く捕まればいいのに、と思うだけだった。けれど、今は違う。

 あの女は、逃がしたのだ。言葉の通りに。僕がそう選んだことによって。


 違う、僕が選んだわけじゃない。

 僕のせいじゃない。

 あの女が勝手にしたことだ。

 僕には関係がない。

 ただ、あの場所にいただけだ。

 殺すだのなんだのと宣って。


 でも。

 だけれども。

 また、犠牲者は出た。


 呆けた頭のまま、教室の中へと入る。そこで、いつの間にか自分が学校に来ていたことに気づいた。ここまで来た記憶は曖昧だ。


 自然と藤堂さんの席へと視線を向ける。いつもと同じく、本に目を落としている。

 けれど、確かに。

 僕は見た。

 斜め下に向けられた眼球が、僕の方へと動いたことを。


 ぞくり、と背筋に寒気が走った。


 慌てて自分の席について、一時間目の数学の教科書に目を通す。もちろん、中身など何も入ってこない。


「お、朝から勉強か? 珍しいじゃん。⋯⋯護、大丈夫か? 真っ青だぞ?」


 前の席の佐藤が声を掛けてくれる。せめてもの日常がありがたかった。縋るような視線を向けるが、僕の事情を知らない彼に当然伝わる訳もなく、きょとんと首を傾げられるだけで終わった。

 彼に、話してしまおうか。そうしたら少しでも楽になるのかもしれない。

 駄目だ、彼まで巻き込むのか。善良なる友人を。それは、許されない。


「ごめん、まだちょっと体調治らなくて」


 僕は結局、そう答えるしかなかった。


 その日の授業は、数学だけでなく全てが頭の中に入らなかった。頭の中には朝の事件が反響している。


「じゃ、俺は部活に行くから。藤堂も早く帰れよー」


 放課後。

 教室は茜色に染まり、窓の外からは部活の喧騒が聞こえてくる。しかし、それはテレビを通じて聞いているように、どこか現実味がなくて。


 ぱたん、と本が閉じる音が聞こえた。

 視線だけを送ると藤堂さんが荷物を纏めているのが見えた。帰るのだろう。教室に残っているのも、雑談に興じている数人程度だ。

 ここに居ても仕方がない、僕も鞄を机の上に置いて教科書を仕舞い始める。


「あーあ」


 真後ろから、小さな声が聞こえた。

 教科書を持った手が止まる、全身が硬直している。

 後ろを振り返ることは、出来ない。


「死んじゃったね」


 耳元で、囁かれた。

 軽やかで、楽しそうで、けれど何処か蠱惑的な色が混じった声。甘さを感じさせる香り。恐怖とはまた違った寒気が背筋を襲う。


 彼女の言葉が何を示しているのか。

 それは分かりきっている。

 でも、それはあの時にいた男が本当に犯人だった場合だ。普通に考えて、その可能性は低いだろう。


 だから、事件と僕とは関係ない。

 確かに痛ましい事件ではある。早く捕まって欲しいと思う。でも、ただ、それだけなのだ。


 無言で、目の前にスマホが差し出された。

 連続強盗殺人事件のニュース。その続報の動画。記事の時間を見るに、ほんの一 時間前。最新のものらしい。

 ミュートのまま、動画が流れる。音声がない故にアナウンサーが何を言っているのかは分からない。

 画面が、切り替わった。

 指名手配写真の公開。


 ──それは、恐らくは、あの男だった。


 脂汗が滲み出る。

 いや、まだ分からない。あの時、男は目隠しと猿轡をされていて顔を正確に判断することは出来なかった。

 だから、確実にこの人物かどうかなど分からない。

 けれど、輪郭や髪や年頃は、一致している。

 心臓が、破裂しそうな程に脈打っている。


「私、約束は守るから」


 それだけを言い残して、足音が去っていく。

 やっと動けるようになった僕は教室のドアへと勢いよく顔を向ける。藤堂さんは、振り返ることなく教室を後にしていった。


 約束?

 約束とはなんだ?


『でも、きっと、貴方はこの男を逃がすことを選ぶわ』


 吐き気が込み上げる。

 そのままトイレへと掛け、便器へとお昼ご飯を全て吐き出した。口の中が酸っぱく、息も荒くなる。


「ぼ、僕の⋯⋯せいじゃない」


 それは、誰に向けた言葉でもなく。

 ただ、自分に言い聞かせるだけの言葉で。


 僕は天井を見上げて、その場に座り込んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る