第5話 欲望の部屋

 一人暮らしには十分すぎるほどの、3LDKの間取り。

その一室のドアの上側と下側には外付けの鍵が増設されており、陰鬱な雰囲気を放っていた。


 嫌な予感しか、しなかった。何かの音がする。何か、ではない。耳に届いているのは、くぐもった人の声。


 藤堂さんが僕に視線を向ける。僕は怯えながら首を小さく横に振る。しかし残酷にも彼女は微笑みを返して、鞄の中から取り出した鍵でドアを施錠し、再び微笑みを僕へと向けてから部屋の電気を灯した。


 室内には何の家具もない。

 ただ、中央に木製の椅子が置かれているだけ。


 しかし、その椅子の上には一人の男が縛られていた。

 年頃は中年、四十は過ぎているだろうか。やや小太りの体型で頭髪は頂を中心として薄い。ボクサーパンツしか身につけておらず、体毛の濃い体は剥き出しになっていた。

 その両足は椅子の足に麻縄で縛り付けられており、両手は背もたれを後ろ側に抱えるようにして同じく縛られていようだった。そして、口には猿轡を噛まされ、目も布で覆われている。


「なんだよ、これ⋯⋯」


 こんなもの見たくなんてなかった。目の前の光景を現実だと思いたくなかった。

 けれど、視覚だけでない。人の気配を感じたのか形にならない呻き声の届く聴覚が、加齢臭と汗の混じりあった不快な臭いを感じる嗅覚が、これが間違いなく現実であることを示していた。


「⋯⋯? 見た通り、縛られた中年男性だけれど」


 部屋の端に鞄を置いていた彼女は、僕の呟きに純粋に疑問符を浮かべていた。

 僕はただ、部屋の入口で呆然と立ち尽くす。


「人殺しなんだから、殺す相手は必要でしょう?」


 再び取り出された、銀色の煌めきを放つナイフ。

 彼女の言葉を聞いてか、男が鼻息を荒くして体を左右に振った。椅子は見た目以上に頑丈な造りなのか、ガタガタと小さく音を立てるだけで決して倒れることはなかった。


 藤堂さんは、この女は、狂っている。

 先程までの漠然とした狂気ではない。

 縛られた半裸の男と、ナイフを持った制服姿の少女。

 その光景は異質で、具体的な形を伴った狂気だった。


「殺すって、本気で?」


 乾ききった喉から、掠れた声を零す。


「当たり前でしょう? そうでなければ、こんなことする訳ないじゃない」


 それはそうだ。

 本気でなければ、こんなことするわけない。


「どうして」


「人を殺してみたいから」


「なんで」


「興味本位よ」


 興味。ただの興味。

 好奇心を満たすためだけ。

 その為だけに、一人の人間を拉致した。

 彼女の口元は三日月を描いている。本気で、楽しみにしているのだ。

 ああ、狂っている。


「でもね?」


 凶器たるナイフの刀身をしげしげと眺めていた彼女は、僕に細めた目を向けた。まるで何かを試すかのように。


「この人、連続強盗殺人犯よ。ニュースで見たでしょう? 少なくとも二件。どちらも高齢者を狙い、殺して、金品を奪った」


 確かにこの近辺で同一犯と思われる二件の強盗殺人事件が起きている。犯人は捕まっておらず、学校でも放課後は長居はせずに速やかに帰宅するよう促されていた。

 その犯人が、目の前の男だというのか。


「怪しい男を見つけたから捕まえてみたの。少しだけ脅したら簡単に自白したわ」


 捕まえてみた?

 脅して自白させた?


 言っている意味が分からない。理解することを脳が拒否していた。けれど、それが全て本当であると。この女はそれを簡単にやってのける存在なのだと。そう、本能が告げていた。


「ねぇ」


 その声には明確な愉悦が滲んでいて。


「この男を殺すことは罪になるのかしら?」


 彼女は心の底から楽しげに、僕に問いかけた。


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